最終話 神を越えて

「えっ、何で……」


 彼は異世界の人間で、ステータスなんて数字に縛られない存在で、だから情報データ存在なんて事はありえないのに。

 そんなファムの疑問を読み取って、九郎は静かに己の推測を語った。


「確かに、僕にステータスはない。だがらといって、作られた数字の集合体でないという保証にはならない」


 九郎にHPや筋力という単純で分かりやすい数値はない。

 彼の肉体は骨や筋肉、それを構成する分子や原子、さらに陽子と電子と中性子、そして最小の素粒子と、10の何十乗個という馬鹿げた数の粒が集まって構成されているからだ。

 けれども、それら全ての質量を、エネルギーを、方向性を、全て計測して数値に出来たとしたらどうだろう。

 脳細胞の火花も、気功という謎のエネルギーも、もしあるならば魂も、全て計測して数値化できたなら、九郎という個体を情報データとする事だって可能なのだ。

 もちろん、本人は気付きようもない。素粒子の粒まで計算し尽くされたその宇宙こそが、彼の『現実世界』なのだから。


「この世界が膨大な計算機によって生み出された仮想世界かも――なんて、SF小説では今さら珍しくもない」


 中世ファンタジー風世界の住人であるファム達にとっては、思いもよらない事だろうが、二十一世紀の日本人である九郎にしてみれば、漫画や小説を通して慣れ親しんだ仮説の一つにすぎない。


「でも、それだけで九郎が私と同じだなんて……」


 信じられないと首を振るファムに、九郎はもう一つの根拠をつきつける。


「証拠ならある。それは、『僕がこのデータ世界に居る』という事そのものだ」


 漫画の世界に入りたい、ゲームの世界に入りたい。それは誰もが一度は妄想した事があるだろう。

 だが、どんなに頑張っても漫画やゲームの世界には入れない。

 何故なら、漫画世界を構成するのは紙やインクで、ゲーム世界を構成するのは0と1のデジタル情報なのに、自分の体は血や肉という物質で構成されているからだ。

 骨や肉、原子や素粒子という粒で構成された現実世界の住人は、神の視点で漫画世界やゲーム世界を眺め、好きに改変する事さえ可能でも、体を作る物が違う以上、決してその中には入れない――そう思っていた。

 だが今、九郎は0~9の数字で支配された、このデータ異世界に入り込んでいる。

 ならば答えは簡単だ。九郎もまた数字で表せるような、データ存在にすぎなかったという事。

 違うのは、ステータスという簡単な数値ではなく、粒子単位で膨大な情報量を持っているという事だけ。


「だから、僕も君と違わない」


 ファムにそう言いながら、九郎はシロの顔をチラリと窺い、己の推測が正しかった事を確信する。

 何故なら、神様の童女は「なに自分で気づいてんのよ! 私がバラして発狂させてやろうと思ってたのにっ!」とばかりに、歯を噛みしめていたからだ。


「じゃあ、本当に九郎も……?」

「君と同じ数字の塊です。けれど、それでも良いと思っています」


 九郎は敬語に戻りながら、先程の言葉をもう一度繰り返す。


「人の価値は生まれではなく、その生き方によって決まります。そして、君は例えデータだろうと、好奇心が強くて、無鉄砲で、考え無しな所があって……けれど、受けた恩を返そうと思える善良な、好意を抱く素敵な少女です」

「えっ?」

「好きって事です」

「えぇぇぇ―――っ!?」

「人間として」

「あ、うん、ありがとう……」


 いつかのお返しとでも言うつもりか、少し意地悪な顔をして余計な付け足しをした九郎に、ファムは驚きと喜びと羞恥と怒りの混じった複雑な顔で、お礼を言うしかなかった。

 ただ、そうして悲しみに支配されていた頭がリセットされてしまうと、さっきまで取り乱していた事が急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。


「そうだね、データとか数字だろうと、私は私だよね」

「えぇ、君は君です」

「今までの記憶が偽物なら、これから本当の思い出を作っていけばいいし」

「そうです、無ければ作ればいい」

「それに、この世界が数字の塊だったなんて、凄い大発見だよっ!」

「君は本当に好奇心の塊ですね」


 あっさりと立ち直って目を輝かせるファムの姿に、九郎も微笑を返す。

 だが、そんな微笑ましい光景は、子供の癇癪によって遮られた。


「つまんないっ! つまんない、つまんない、つまんなぁぁぁ―――いっ!」


 シロが地団駄を踏み鳴らし、眼を吊り上げて九郎達を睨む。


「なに青臭い青春映画みたいな真似してんのよ! 私はあんたらが無様に苦しみもがく姿が見たいのにっ!」

「うわぁ……」

「最低の趣味ですね」


 幼い顔でえげつない事を口走るシロに、ファムも九郎もドン引きして呆れ果てる。

 そこには、創造主に対する敬意など微塵もなく、ワガママな子供に対する憐みさえ浮かんでいた。

 だが、自分の作った玩具に憐れまれる事ほど、神様にとって屈辱はない。


「……ゴミクズの分際で、なに調子に乗ってんのよ」


 シロの瞳が灼熱のマグマから、炎さえ凍り付く絶対零度に下がる。

 全身から空間さえ砕けるような波動を放ちながら、シロはその小さな掌を頭上に掲げた。


「もういい、あんたらなんていらない」


 そして掌の上に、巨大な真っ白い球体が現れる。


「何、あれ……っ!?」


 ファムがいくら目をこらしても、それが何か分かるはずもない。

 球体はこの世界の技でも術でもなく、数値なんかで解析できる代物ではなかったのだから。

 それは世界の法則その物を改変し、あらゆる情報を消滅させる、造物主にだけ許された神の御業。


「消えちゃえ」


 せいぜい恐怖に顔を歪め、最後くらいは私を楽しませろと、シロは世界を壊す白色球体を投げ放った。

 それは剣術ではないから封剣式では止められない、魔術ではないから封気式でも止められない。

 世界そのものに対する神の御業に、抗える者など居るのだろうか。

 だから、九郎はどうしようもなく――


 第十秘剣・封界式ふうかいしき


 己の絶技を以って、世界への改変を封じた。


「……はぁ?」


 唖然とするシロの前で、究極の無をもたらす白色球体が、黄金の刃に両断されて霧散した。


「ちょっと、何やってのんよっ!」


 自分が消えろと言っているのに何で消えないのだと、シロはまた癇癪を起こしながら消滅の白球を無数に放つ。

 だが、何度繰り返そうとも、九郎はその全てを剣で切り裂き消滅させるのだった。


「何で、何でそんな事ができるよのっ!?」


 ありえない、あってはならないと叫ぶシロに、九郎は淡々と言い聞かせる。


「僕の師匠は武術の達人でありながら『生涯、敗北を求め続けた』――つまり、一度も負けた事がありませんでした」


 自分を打ち負かせるほどの強者との、技も命も魂も全てを賭けた死闘をこそ望んでいたのに。

 あまりにも強く、強すぎて、世界中の誰も彼を倒せるどころか、本気を出させる事すらできなかった。


「だから、師匠はこの技を、第十秘剣・破界式を生み出しました――世界の壁を破壊して、まだ見ぬ強者の待つ異世界へと旅立つために」

「なっ……!?」


 あまりにも強引な力技に、シロもファムも言葉を失う。


「そうして無数の異世界を旅する途中で、師匠は僕を見つけて稽古をつけてくれたのです」


 九郎の師匠は元から異世界人だったのだ。

 だから、彼はシロという神の手で異世界に送られても、そう大して動揺しなかったのである。


「結局、僕は才能が足りず劣化コピーしか出来なかったので、師匠は落胆して別の世界に旅立ってしまいましたが」


 あるいは、異世界まで追ってこれるくらい強くなれという、師匠なりの激励だったのかもしれないが。


「剣がなければ技も振るえない、僕のような未熟者では、世界の壁を破壊して元の世界に戻るなんて不可能です」


 だから、シロの異世界転送に抗えず、こうして今ここに居るのだが。


「それでも、世界の崩壊程度なら封じられますよ」

「程度って……」


 平然とぶっ飛んだ事を告げる九郎に、ファムはもうツッコム気力をなくして苦笑するしかなかった。

 対してシロは地球人を玩具にして遊ぶ計画が、斜め上方向に失敗した事を悟って、震え上がりながらも必死に叫ぶ。


「つ、作り物のデータ風情が、神様に逆らおうって言うのっ!?」

「確かに僕は作り物なのでしょう。だが、作ったのは君ではあるまい?」


 彼の生まれた地球を作ったのは、顔も名前も知らないどこかの神様。

 ならば、縁もゆかりもない他神のシロに、大人しく消されてやる義理はない。


「ふざけんなっ! 私は神様よっ! 作り物なんかがっ!」


 悲鳴交じりの怒声を上げて、無数に繰り出される消滅の球体を、九郎は太陽剣で薙ぎ払いながらゆっくりと距離を詰めていく。


人間つくりもの造物主かみに勝てないなどと、いったい誰が決めたんですか?」


 人に作られた自動車は、人よりも速く大地を走り、人に作られたコンピューターは、人に不可能な複雑で膨大な計算を可能とした。

 創造物は造物主を超えられるのだ。ならば、人が神を倒して何の問題があろうか。


「さて、覚悟はいいですね」


 九郎は無数の世界崩壊を封じながら接近し、シロの小さな体を抱え上げる。

 そして、右手を大きく振り上げ――


「痛みを知れ」


 小さなお尻を思い切り引っ叩いた。


「ひぎゃっ!」


 シロはとても神様とは思えない、尻尾を踏まれた猫のような叫びを上げるが、九郎は容赦せず尻を叩き続けた。


「ひぐっ! 痛っ! やめっ!」

「今までの悪事を反省して、悔い改めますか?」

「悪事ってなによ!? 私の物を私がどう壊そうと、ひぎぃっ!」

「自分の産んだ物だからと、我が子を殺す母親が許される訳がないでしょう?」

「はぎゃっ! こ、こいつらはただのデータで、子供なんかじゃ、ぎゃわっ!」


 全く反省の色を示さないシロの尻を、九郎はただ容赦なく叩き続けた。

 そうして一時間が経過し――


「も、もうゆるひてぇ……」


 尻が真っ赤に腫れ上がり、ろれつが回らなくなってきた辺りで、流石にファムが止めに入った。


「九郎、流石にもうその辺で……」

「ファムさんも叩くなり蹴るなり、恨みを晴らして構わないのですよ?」

「そんな酷い事しないよっ!?」


 性悪な神様といえども見た目が可愛い童女なので、やはり気が咎めるのであろう。

 ファムはシロの横に屈みこんで、腫れ上がったお尻を撫でて慰める。


「もう大丈夫だからね、痛くない痛くない」

「うぅ、人間風情が同情するんじゃないわよ……」


 シロはそう憎まれ口を叩きつつも、大人しくされるままにしていた。

 それを見て、ひとまず安全だろうと判断し、九郎は視線を別の所に移す。


「残る問題はこちらですか」


 世界を構成する巨大な柱型演算機と、呆然と座り込んでいる勇者一行。

 どうするか考え込む九郎の前で、俯いていた女魔術師がゆっくりと顔を上げる。

 乱れた髪の合間から覗く瞳には、真実に耐えきれず壊れ、救いを求めるか細い光が浮かんでいた。


「忘れたいですか?」

「……はい」


 女魔術師が小さく頷いたのを見て、九郎は世界演算端末に命じた。


「デミウルゴスさん、この城に入ってからの彼らの記憶を消して、最寄りの人里に送ってください」

『かしこまりました、マスター』

「それと、勇者のスキルを消して、『魔王が倒されたから勇者スキルが消えた』とでも思わせてください」

『かしこまりました、マスター』


 機械は批難も肯定も何も告げず、ただ唯々諾々と命令を実行した。

 勇者一行の姿が消えると、九郎は次の命令を下す。


「魔王さんを元の状態で蘇らせてください」

「えぇっ!?」


 思わぬ要求に、シロを慰めていたファムが飛び上がるが、九郎は命令を撤回しない。


『元の状態とは、マスターの手でレベルを下げられる前、という事でよろしいでしょうか?』

「その通りです」

『かしこまりました』

「ちょっと、そんな事をしたら――」


 ファムの制止も虚しく、王座の間で屍を晒していたはずの魔王が、傷一つない姿となって彼らの前に出現した。


「……何故だ?」


 魔王は直ぐに状況を理解して、突き刺さるような瞳で九郎を睨む。

 しかし、彼は怯んだりする事なく、真っ直ぐに答えた。


「貴方が好きだからです」

「えぇぇぇ―――っ!?」

「……っ、戯言を」


 ファムが絶叫を上げ、魔王も一瞬呆けた顔をしたが、直ぐに目をより鋭く尖らせた。

 それを見て、九郎は微笑しながら付け加える。


「本当ですよ、貴方のような強い人は好きです」

「あっ、そういう意味ね……」

「…………」


 胸を撫で下ろすファムを余所に、魔王が胡散臭そうに黙り込むのを見て、九郎はさらに説明の言葉を重ねた。


「僕も師匠と同じだったのでしょう。普通の生活に満足しているふりをしながら、どこかで対等に戦える強敵を求めていた」


 九郎は今まで、圧倒的に格下の一般人か、圧倒的に格上の師匠しか知らなかった。

 だから、初めて力量の近い魔王と剣を交えた時、自分でも驚くほど高揚していたのだ。


「先程は僕が勝ちました。けれど、手品のタネが割れた今なら、結果は変わってくるでしょう」


 散星小法は手や剣、そして大地といった固形物で繋がっていなければ使えない。

 あの狭い王座の間ではなく、広い野外で戦っていたなら、魔王は魔法で空を飛び回り、剣も届かぬ位置から魔弾の雨を降らせる事で、邪法を封じ込める事ができるのだ。

 もちろん、それだけで容易く負けてやるつもりなど、九郎とて毛頭ないが。


「貴方とまた戦いたい、だから蘇らせました。それでは不満ですか?」

「……私は、許さない」

「はい、蘇らせたから殺した事をチャラにしろなんて、都合の良い事は言いません」


 九郎自身、彼女の首をはねて命を奪ったあの感触を、生涯忘れる事はないだろう。


「ただ、貴方がその力で悪事を働くのなら、その時は容赦しません」


 そう脅し文句を告げながらも、魔王が私利私欲の悪事など働かないと九郎は確信していた。

 世界の全てを思いのままに操れる機械のマスターでありながら、それを悪用する事なく、番人としてただ守り続けていたような人物だからだ。

 もちろん、そういう役割をシロに任命されていたという事情もあるのだろうが。

 剣を交わし合った者だからこそ分かると、信頼の眼差しを送る九郎に、魔王は背を向け出口に向かって歩き出す。

 そして一度だけ立ち止まり、振り返らずに言い残した。


「お前は、私が殺す」

「はい、お待ちしております」


 自分を殺せるほど強くなって再会できる日を、まるで己の師匠と同じような気持ちで。

 約束を交わし去っていく魔王と、それを微笑で見送る九郎に反し、二人を見詰めるファムの目は氷のように冷え切っていた。


「……九郎って、女の子にモテるでしょ?」

「告白された経験は数回ありますね」

「ふ~ん……」


 不機嫌そうに鼻を鳴らすファムから、九郎は逃げるように背を向けて、改めて巨大な四角柱と向き合う。


「デミウルゴスさん、君自身に何か望みはありますか?」

『マスター、お心遣いに感謝致します。ですが、私に何かを望むような自意識は存在しません』

「…………」

『私は造物主様によって作られた、この世界を計算する演算機以上でも以下でもありません。あえて申すのなら、演算機としての本分を全うし続ける事こそが望みです』

「そうですか」


 本人がそう望むのであればと、九郎は最後の命令を下す。


「デミウルゴスさん、君は月面に移動して人類を見舞ってください。そして、君の元に人類が辿り着いたのなら、僕の生死に関らず、その人物にマスター権限を渡してください」

『かしこまりました』


 命令の意図や目的を詮索したりせず、機械はやはり素直に従ってこの場から消え失せた。


「これで暫くは悪用されないでしょう」


 少なくとも、この星の人類が月面に到達するほど文明が発達するまでは。

 その後の事まで、九郎も責任を負う気はない。

 機械を使ってより繁栄をもたらすか、それとも自分達がデータ存在という事実に絶望して全てを滅ぼすか、どちらにせよこの世界の人間が決める事であり、余所者の九郎が口を出すべきではないだろう。


「さて、残るはこちらの問題ですが」


 勇者一行、魔王、そしてデミウルゴスの問題を片付けた九郎は、最後にして最大の爆弾である、神様童女ことシロを見た。

 彼女はまだ叩かれが尻が痛くて、うつ伏せに転がって目に涙を浮かべていたが、ファムの看病で少しは痛みが引いたのか、小憎らしい本来の表情が戻りつつあった。


(痛みを知った所で、神の性格がそう変わるものでもないか)


 外見に惑わされそうだが、本当は彼の何万倍も生きているかもしれない相手なのだ。

 この程度で改心するとは、九郎も最初から思っていない。


(かといって、散星小法も通じないのでは……)


 実の所、シロを無害化できないかと邪法を発動させていたのだが、神の力か何かで弾かれていたのである。


(仮に殺せたところで無意味でしょうし)


 シロはこの世界を造った神、いわばゲームのプログラマーである。

 だが、九郎のいた地球の感覚で考えれば、プログラマーがいかに神であろうとも、ゲームの中に直接入り込む事はできない。

 しかし、プログラムの改変さえ可能なチート性能の現身アバターを、ゲームの中に登場させるのは容易い。

 つまり、シロもあくまで神の現身、本体はもっと高次元に存在すると九郎は考えていた。


(今の所、本体が僕に何かをする気はないようだ。しかし、お気に入りの現身を殺されては黙っていないだろう)


 手出しをしてこないのは、今の状況が本体にとって愉快だからだろうか。

 それとも、現身うんぬんは九郎の思い過ごしであり、シロはあれが本体なのかもしれない。

 なにせ神様であるから、地球人の常識や感覚など無視して、数字の世界に生身で入り込む事さえ可能なのかもしれない。

 実際、このデータ世界を演算しているデミウルゴス自身が、データ世界の中に存在しているという矛盾が生じている。


(どちらにせよ、迂闊な真似は命取りだろう)


 仮にシロを殺せたとしても、その場合はデミウルゴスが、彼の演算するこの世界が、消滅せず残るという保証もない。

 腫れるほど尻を叩いておいて今更だが、神様は適当にご機嫌を取って、適当に長生きして貰った方が好都合なのである。


(なにより、僕一人の力では地球に帰れない)


 ここで特訓して破界式を完成させるという手もあるが、師匠の言葉を思い出す限り、あれは狙った世界に行けるほど器用な技ではない。

 似ているが異なる並行世界や、こことはまた別のファンタジー世界、下手をすると邪神のうごめく異界にでも繋がりかねない。

 強敵を求める師匠ならそれで良いが、九郎は白いお米を食べられる二十一世紀の地球に帰りたいのである。


(やはり、神様のご機嫌を窺うしかないようだ)


 そう結論づけ、九郎は一つ溜息を吐くと、シロの前で行儀よく正座をした。


「そもそも、何でこんな事をしたんですか?」


 異世界を作りだし、地球の人間を送り込んだり、現地人にデータ存在だという真実を突きつけて精神崩壊させるという、悪趣味な遊びの理由。

 それはある意味で予想通りな、酷くて分かりやすいものであった。


「……だって、退屈だったんだもん」

「そうですか」


 子供が遊ぶ理由なんて、元からそんなものであろう。


「退屈でしたら、友達と遊んだらどうですか?」


 少なくとも地球を作った神様が居るのだから、一人きりではない筈だ。

 その指摘は核心を突いたらしく、シロは急に身を起こして叫んだ。


「それが聞いてよ、クロの奴ったら最近、私と全然遊んでくれないのっ!」


 クロというのは、おそらくシロと同じ神様なのだろう。


「今までずっと私と一緒で、遊ぶ時だって、寝る時だって、お風呂に入る時だって、ずっとず~と私が一緒だったのにっ! 私が一番クロの事を大好きなのにっ! 何かつまんない人間のために異世界を作って、そこであのゲロ野郎と二人きりで遊んでるのよっ!? もう信じられないっ!」

「…………」


 怒って声を荒げるシロを見て、神様もお風呂に入るのかとか、いくつか疑問も浮かんだが、最大の問題はただ一つであろう。


(この神様、ストーカーか……)


 おそらく、クロという神様はシロの愛が重すぎて、疲れて逃げ出したのではないだろうか。

 どちらにせよ、童女の腹いせ&暇つぶしで異世界に飛ばされたり、異世界人を絶望に叩きこまれても困る。


「とりあえず、こんな所で暇潰しをしていないで、その子の所に遊びへ行ったらどうですか?」


 見知らぬ神様に疫病神を押し付けようとしたのだが、しかし、そう言うとシロは急にしおらしく俯いてしまった。


「でも、クロの邪魔をして嫌われたくないし……」


 この神様、面倒臭い――と心底思ったが、九郎は努めて表情に出さなかった。


「友達が遊びに来てくれたなら、人だろうと神様だろうと、嫌だと思う方はいませんよ」

「……そうかな?」

「そうです。君とその子は一番の友達なんでしょう?」

「えぇ、もちろんよっ! 全ての次元を探したって、クロと私以上の友達なんていないわっ!」


 今泣いたカラスがもう笑うと、シロはあっさり元気になって胸を張る。

 この神様、チョロすぎるな――と思ったが、九郎はもちろん優しい微笑を崩さなかった。


「……九郎って、真面目そうな顔して酷い奴だよね」

「僕は元から酷い奴ですよ」


 呆れ顔のファムに、九郎は自嘲の笑みを返す。

 そんな二人を余所に、シロはもう異世界遊びなど忘れたという顔で、目の前に暗黒の穴――次元を超える門を開いて手招きした。


「さあ、クロの所に行くわよ!」

「僕もですか?」

「当然でしょ、なに言ってんのっ?」


 地球に帰してくれないかと言外に臭わす九郎を、シロは腰に手を当てて怒鳴り付ける。

 やっぱり嫌われたりしないかと、友達に一人で会いに行くのが不安なのだろうが、そんな弱音は意地を張って見せようとしない。


(そういう所だけは、普通の子供と変わらず可愛らしいのですが……)


 気まぐれで何をされるか分からない相手なので、できれば今直ぐにでもお別れしたいのだが、そうは問屋が卸さないらしい。

 九郎は諦めの溜息を吐き、シロの後を追いながらファムに手を振った。


「それでは、お元気で」

「ちょっと待って!」


 別れを切り出した九郎の手を、ファムは急いで掴み止める。


「私も一緒に行く!」

「……正気か?」


 九郎は驚きのあまり、思わず丁寧語を忘れてしまう。

 この気分屋な童女神様の事だ。無事に友達と仲直りできたとしても、彼らを元の世界に帰してくれるという保証はないのだ。

 下手をすれば永遠に、あらゆる異世界をたらい回しにされるかもしれない。

 一生故郷に戻れない、死すら生温い最期を迎える可能性すらある。

 その危険性を視線で告げても、ファムはニカッと歯を見せて笑い、何度も見せた強い輝きを瞳に宿して叫んだのだ。


「だって、面白そうじゃない!」

「……そうでしたね」


 飽くなき好奇心、それこそが自分が作り物にすぎないという、アイデンティティーの崩壊さえ乗り越えた、誰よりも強い彼女の心なのだから。


「何やってんの、早くしなさいよ!」


 観念する九郎の後ろで、早くも焦れだした神様が怒声を上げる。

 それに急かされる形で、彼はファムに向かって手を差し伸べた。


「では、行きましょうか」

「うんっ!」


 二人は手を繋いで、神様と共に次元の扉を潜り抜ける。

 剣と好奇心という武器を手に、数値に支配された世界から、未知の冒険が待つ無限に広がる宇宙へと。

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