二 玲寿(れいじゅ)
「秋の釣瓶落としとは、よくぞ、いったものだ」
武田奈津夫(なつお)は独り言をつぶやいた。
薄暮。
平地から山間部にさしかかると、自動車のオートライティング機能がヘッドライトを点灯した。
下り坂を少し下りると、数珠つなぎのテールランプが見える。
数珠の端っこから真ん中当たりに達する頃には、テッドライトが照らす範囲しか見えない。
秘密の集会と聞いていた。
すれ違いの難しい狭い山道では対向車一台の存在が、進行を妨げる。
対向車の存在が気に入らないとばかりに、クラクションを鳴らす輩もいるが、その音も山に吸い込まれる。
どこが駐車場だろうか?
数台前で右に振る誘導灯が見える。
先頭の車が止まっては、車の傍らに立つ人と言葉を交わし、右折していく。
「前の車についていってください。広い駐車場があります」
ウィンドウを開けると、反射チョッキを着た男がそう指示した。
右折して竹藪の中に入ると上り坂の砂利道だ。
轍のない平らな道は頻繁に整備しているのだろう。
バラスは意外に細かい。
車間距離を長めに取らないと前の車が撥ねた小石が当たる。
右へ左へとカーブが続くので三台先の車が時々見えるが、それより前の車は確認できない。
五分ほど走ると広場に着いた。
既に車が十台ほど駐まっており、臨時駐車場で使われるような石灰で線が引いてあって、反射チョッキの男が順序よく駐車区画へと誘導している。
車を降りて、観るとなしに観た後続の車は県外のナンバーだ。
車から降りた者は駐車場奥の道を歩いていく。
ホームセンターで売っているソーラ電灯が、要所要所の地面を照らしている。
歩道のバラスは玉砂利で、まるで神社仏閣へお参りに行くようだ。
途中で合流する道は、別の駐車場へ至る道らしい。
ここから曲がりくねった道になり、傾斜もきつくなるが、そのまま上っていくと、明るい境内に達した。
境内の反対側が表参道らしく、皆が来た道は裏参道のようだ。
前を歩く人が庫裏に入っていったので後に続いた。
玄関には番号を振った下駄箱が二列並んでいて、収納できる履き物の数は大きな居酒屋に勝るとも劣らない。
下駄箱から進むと、立て札があり、辛夷(こぶし)会法話会場と書かれた案内図が掲げてある。
「あそこの住職は法話が好きでね」
武田がここへ来ることになったきっかけだ。
それほど親しくない友人から紹介されたその男は、奈津夫の名士願望を刺激した。
「月二回は法話をするんだが、お寺の行事と関係なく三回目の法話をする。
それは檀家とは関係ない集会で、辛夷会というんだ」
「こぶし?」
「樹木の辛夷からとって辛夷会。なぜ辛夷か知らないが」
気位の高い奈津夫は地元で一番の名家の婿養子である。
武田家の事業を継ぐ才覚のない奈津夫は、妻の弟が継ぐ会社で働く気にもなれず、自分の事務所を構えつつ、市議や県議のアドバイザーなど、薄給だが世間体の良い仕事を幾つも兼業している。
惚れた弱みで、家計は専ら妻が支えた。
義父が亡くなり、押さえつける者がいなくなったとき、名士願望が燻(くすぶ)りだした。
政治家になろう。
世の中にはお祭りや政(まつりごと)が三度の飯よりも好きな輩がいる。
「武田さんが市議会議員に出るの?面白いじゃない」
友人の間にぱっと噂が広まった。
「選挙参謀は俺がやる!」
「上森町と下森町は俺に任せろ」
そんな威勢の良い支援者がいる一方で、「あんたじゃ無理だ。支援せん」という有力者もいた。
市議選に出よう、そう決めたら急に市政の問題点と解決策がスラスラと浮かんできた。
俺は政治家に向いていたんだ、奈津夫は才能の開花に年甲斐もなく興奮した。
だが、そんなに才能があろうと、立候補者の中で市議会議員に一番相応しくても、当選するとは限らない。
思い立った日から公職選挙法に触れない範囲で名前を売り込んだ。
まず有志の会を立ち上げた。その名も、担い手の会。
担い手の会の発足準備で忙しい合間に市内の全ての神社に願掛けした。
市内全域から票がもらえるようにという意味を込めて。
そんなときに紹介されたのが辛夷の会だった。
会場は庫裏の十畳の和室が二間続きである。
座布団が敷いてあり、自由に座っている。
何人かは顔見知りなのだろう。聞くとはなしに世間話が聞こえてくる。
「山下さんの遺産、どうなったぇ」
「それがあったんだよ、愛人名義の貸金庫に」
「なんだ?、現金かぁ」
「金塊だと、それも二十キロと聞いたぞ」
「大府さん、とうとう代議士だなぁ」
「この前の総選挙ね」
「辛夷会から代議士が出たなんて、すげぇことだ」
「何でも、大府さんが古参代議士を引退させて、地盤を引き継いだらしい」
「どうやって引退させたんだ?」
「そりゃぁ、導師様からお知恵をいただいたんだろう」
ダークスーツの三十歳代の男性が多い。
お寺だから高齢者が多いと思い込んでいたが、仕事で忙しい若手の男性が、平日の夜にいることを武田は怪訝に思った。
顔見知りらしく、固まっていて、ダーク集団がブラックホールのように見える。
だが、宇宙にあるブラックホールと違い、自分に対する引力は感じない。
むしろ、彼ら以外を遠ざける斥力があるようだ。
自分より年上のはげ頭も目立つ。
それに若い女性だ。本当に若い。二十歳代だろうか?
こちらはカラフルなのだが、やはり斥力を感じる。
中には男連れもいる。男の方も若い。
パワースポットブームとは聞くが、辛夷会は若者がふらっと立ち寄れる会なのだろうか?
若くして既に常連なのだろうか?
皆の視線の方向が揃った。
武田もそれに合わせると、既に襖(ふすま)が開いていた。
今の季節らしい紅葉を彩った和服の女性が入ってきた。
薄紅色の和服の女性も後に続いた。
「皆様、半年ぶりでございます。
初めての方もいらっしゃいますが、分からないことがございましたら、こちらに控えております朱美にお申し付けください」
武田は毎月開催されると聞いていたが、実は半年に一回の開催か?
それとも彼女が登場するのが半年に一回だけなのか?
兎に角、今日の会に参加できるよう取り計らってくれたのだ。
彼女が仕切る会に意味があるのだろう、武田はそう納得した。
「では早速、大井様、竹本様、こちらへどうぞ」
頭頂部の禿げた男と六十歳くらいの女が紅葉の女に案内されていった。
間もなく、紅葉の女性が戻ってきて、ダークスーツの一団を引率していった。
それから二十分ほどして紅葉の女性が別の二人を連れて行った。
部屋から出て行った者はそのまま帰ってしまうよ仕組みのようだ。
呼ばれる度に人が減っていく。
その間、退屈しないようにか、朱美が部屋に残っている者にお茶を接待したり、世間話に興じたりする。
「おじさまは初めてですか」
若い女性が武田に声を掛けてきた。若い男連れだ。
「失礼しました。私は三枝(さえぐさ)万里(まり)です。こちらは運転手の長崎眞(まこと)です」
「初めまして、運転手の長崎です」
「いやぁ、こういう場で、若い方から挨拶されるなんて、思ってもないから驚いたよ。
私は武田、武田奈津夫と申します」
得てして、若い男女は自分たちの世界に籠もってしまうものだが、彼女達は周囲の者に気さくに声を掛けていく。
最初に、隣に座る若い女性と話していた。
ひとしきり話をすると、今度は親子ほども年の離れた武田に挨拶してきたのだ。
武田は彼女たちに好感を持った。
たわいもない世間話だった。
偶然にも彼女は武田の娘と同い年だ。
もっと話したかった武田は、紅葉の女性に呼ばれた。
通されたのは奥の部屋だ。
玄関ではそれほど大きくないと思っていたが、この庫裏は意外と奥行きのある造りだ。
案内されたもう一人は妙齢の女性だ。
緊張と嬉しさが入り交じる妙な心境だ。
二人が通された部屋には渋茶色の着物の女性がいた。
若々しい印象だが、落ち着きがある。六十歳代だろうか。
小じわを隠そうとしない微笑みが年齢を語っている。
ここに茶釜があれば、茶席の亭主が彼女だ。
紅葉の女性が口を開いた。
「お二人ずつ玲寿様のもとにお連れしたのは、秘密を守っていただくためです。
お二人の相談事は同じです。
この場での話を秘密にする代わりに証人になっていただくのです」
相談事とは、それがどんな内容でも他人に知られたくない。そうではないか?
テレビやラジオの相談番組があるが、相談者は匿名だ。
それなのに、お互い素顔を曝して、悩み事を打ち明けるという。
武田にとって、女性の前で、それも妙齢の女性に相談事を明かすことは沽券に関わる。
そう思っても、独自のルールがあって、武田の常識は通用しないことを悟った。
「気楽に聞いてくださいね。まず玉城(たまき)梓(あずさ)さん」
笑みを崩さず玲寿が話し始めた。
「あなたは初めての選挙ですけど、事務局のチームワークが良ければ当選できます。
講演会の有力者よりも事務局に注意してくださいね。
問題は当選した後。
やはり事務局が足を引っ張りかねないわ」
彼女も選挙に出るのだ。
解散の兆しすらないので国選ではなさそうだ。
それにしても妙齢の美形。
それだけで話題になり、浮動票を獲得しそうだが、浮動票だけでは地方選に勝てない。
「お待たせしました、武田奈津夫さん。
あなたが、是非にと思う有力者全員が支援してくれれば当選できます。
一人でも欠けたら、今回は見合わせることを勧めます。
代わりの有力者が現れても駄目です。
最初に頼りにした方々が揃えば最大の力が発揮できます」
玉城という若い女性の前で逆の答えをされて、動揺が隠せなかった。
男らしく平静さでもって受け止めたいのだが、手は震えるし、赤面するのが自分でも分かった。
その後の話は耳に入らなかった。
玄関で玉城から「御機嫌よう」と声を掛けられ、慌てて、「御武運を祈ります」と口にするのが精一杯だった。
彼女は笑みを浮かべて「ありがとうございます」とお辞儀して踵(きびす)を返して去っていった。
武田は手慣れている靴紐がなかなか結べなかった。
結び目を揃えようと何度も繰り返しているうちに万里と長崎がやって来た。
玲寿との相談がもう終わったらしい。
「武田さん、大丈夫ですか?」
長崎が声を掛けてきた。
こんな若造に気遣われるほど、靴紐を持つ私の手は震えていた。
「期待とは正反対の答えをいただいてね。
年甲斐もなく動揺して、お恥ずかしところをお見せした」
今度は万里が明るい声で話した。
「玲寿さんのいうこと、教訓は真摯に受けとめるとして、結末は聞き流せばいいと思います」
「ほぅ、君たちもそんな答えをいただいたのかね」
「玲寿さんとのお話は秘密、でしょ、おじさま。
それよりも靴紐、大丈夫ですか?」
彼女の明るい声で武田の気持ちがしゃんとした。
今度は簡単に結べた。
「ありがとう。君たちに魔法をかけられたようだ」
「魔法だなんて」
裏参道まで一緒に歩いて若者達を食事に誘った。
不案内な土地だが、幹線道路沿いの寿司屋はまだ開いていた。
ここで腹ごしらえして意気揚々と帰る予定だった。
「カウンター席のお寿司なんて、私には縁ないわ」
「万里と私で御相伴にあずかれ、ありがたく頂戴します」
彼女らは、玲寿をデタラメとまでいいきった。
長崎は饒舌(じょうぜつ)になっていう。
「本当に霊感のある人なら突拍子のないことを言って欲しいですね」
「例えば?」
武田には若者の突拍子のないこと、が思いつかない。
「先祖が隠した財宝とか」
期待外れだった。
「戦国大名の隠し金か。
その真贋はともかくとして、先祖なら皆が皆、財産を隠した訳ではあるまいに」
「そりゃぁ、そうですけど、でも武田さんなら、ありますよ、埋蔵金が」
「武田の埋蔵金のことかい?
甲斐の武田家の隠し軍資金って話は、今どき詐欺でも使わないけどねぇ。
長崎君、君そんな話好きなの?
歴史好きかぁ。
生憎、うちはあの武田家とは無縁だよ。
僕なんか、自営業で細々と暮らしている身だから」
そんな、たわいのない話のお陰で、さっきまでの陰鬱(いんうつ)な気持ちが晴れた。
時には、若者と喋るのもいい。
娘以外の若者と。
三枝万里と長崎眞は寿司屋の駐車場で武田奈津夫に改めて礼をいい、見送った。
「本当に知らないのか、それとも僕らに隠しているのか?」
「婿養子だから知らないとか」
「ま、乗り込んでいけば分かるさ」
それから一週間して玲寿の予言どおりになった。
武田が一番頼りにしていた有力者の後ろ盾が得られないことを知ると、他の有力者も去っていった。
後に残ったのは、祭り騒ぎが好きな友人だけだった。
選挙も祭りだ。
立候補者という神輿を大勢の支持者が担ぎ、その采配を振りたがる者が残ったのだ。
他の候補者に鞍替えするのに乗り遅れた者達だ。
立候補説明会に参加しなかったことから、武田が出馬しないのは本当だと知れ渡った。
立候補締め切り日の夜から、様々な有力者の訪問を受ける。
彼らが推す候補者を支持して欲しいということだ。
武田にとって、自分が出馬するよりも輝いた瞬間だ。
そして武田が支持した候補者がトップ当選した。
彼の票の三分の一は武田の支持母体である。
彼の後援会組織の中で最大の票数だ。
武田はトップ当選した市議会議員に一番影響力のある人物となった。
彼の選挙参謀も武田に一目置く。
何とも楽しいことでないか。
そんなとき、あの若者が現れた。
「ごちそうになったお寿司のお礼をしたくて」との、三枝万里の挨拶は、今どきの若者にしては感心だ。
だが武田の疑念は的中した。
いや、長崎眞の提案は想定外だった。
「実は僕たちトレジャーハンターのまね事をしていまして、武田さんと財宝を探したいと思いまして」
お宝探しの資金を出せっていう詐欺だろうか?
そういえば武田の軍資金とかいっていたが。
「武田信玄の埋蔵金なんて信じてるの?」
「いいえ。信玄は軍資金を持っていました。
でも後を継いだ勝頼から諏訪大社、そして諏訪神社の末社に流れて使い切ってしまったのですよ。
だから埋蔵金なんてないんです」
見てきたような作り話をいう男だ。
「では、我が家には何の用かな?」
「武田さんは旧八田藩の家老職の家柄です」
「そう君たちに話したね」
「武田家は八田藩の家老として明治維新まで仕えたのですが、室町時代の八田家がまだほんの小さな豪族だった頃の家人が武田家の先祖です」
妻との婚約が決まってから、義父から聞かされたのは戦国時代の八田家に仕えたという話だ。
それより前のことは、義父から聞いていない。
長崎の作り話か?
「家系図でも売り込みに来たのかね」
「いえ、そんな昔話を持ち出したのは、武田家は八田家と縁(ゆかり)がある、といいたかったのです。
筆頭家老になれなかったのは、政争に巻き込まれないようにという藩主の配慮でした。
今でいえば政争、時代劇風にいうならお家騒動に巻き込まれない立ち位置にいた理由は、武田家は隠し金庫番という役目があったからです」
万里と長崎の二人組詐欺か?
長崎が主犯で、万里は初対面の私の警戒を解く役だろう。
それにしても、長崎の、見てきたような話しぶりは癪(しゃく)に障る。
「勘定奉行ということかね?」
時代劇には勘定奉行という役職がよく登場する。
今でいえば経理。
お金を扱うから良くも悪くも事件の渦中にある。
「いいえ」
「それじゃ、裏取引をしていたとでもいうのか」
「いいえ。隠し財産を秘密裏に守ることが武田家に代々伝わる密命だったのです」
面白い作り話だ。
彼らが近所にふれ回ってくれれば、我が家の格が上がるというものだ。
嘘でも昔のことは誰も分からない。
「その隠し財産が今も我が家にあると?そんな話は誰からも聞いたこともない」
「だから一緒に探そうとお誘いしているのです」
「どこをだ」
「それはいえません。同意していただくまでは」
そうか、分かった。
「そんなこと、はい、どうぞって、いえるはずもないだろうが。
常識をわきまえたまえ。突然来て、穴を掘らせろなんて!」
つまりは、自宅の敷地内にあるということだ。
だから地主の許可がいるんだ。
山林なら人目を避けて盗掘できる。
それにしても、目の前にいる若者は図々しいにも程がある。
今の若者ってこうなのか?
だから親心を逆手に取った詐欺も、ゲーム感覚でやってしまうんだ。
「ただで、とはいいません」
すまし顔でいうところが、また癪に障る。
長崎が鞄から銀行の封筒を差し出した。
「穴を掘らせていただく迷惑料です。工事費はこちらが負担しますし、原状復帰も責任を持ってします」
結構な厚さだ。
三十万、いや、切りのいい五十万円ってところか。
迷惑料でそれだけ出すということは相当な価値があるということだ。
「許可するつもりはないから、これは受け取れない。もう帰ってくれ」
封筒を押し返した。
こちらで掘れば、分け前を払う必要がない。
「トレジャーハンターのまね事をしていると勉強になります。
武田さんが当てずっぽうに、ご自分の土地を掘り返すと、いくら自分の土地だからといっても噂になります」
長崎の話は私の心を見透かしているようだが、自分の土地で何をしようが勝手じゃないか。
「心ない人は噂話におもしろ可笑しく尾ひれをつけますよね。
遺体を埋めてるとか、犯罪の証拠品を埋めてるとか」
ばかか?
今どき、サスペンスドラマだって、そんな証拠隠滅はしないぞ。
「親しい人が根掘り葉掘り尋ねますよね。何をしてるのかって」
「幾らでも誤魔化せるし、肝心なことは何一つ言わないよ」
「言わなくても知られてしまうんですよ。お宝探しは。
お宝を掘り出すとき、なぜか見られているんですよね、誰かに」
「そんなばかな」
「そして、たかられるんですよね」
「君、私がゴールドラッシュのような一攫(いっかく)千金の夢を追うと思うかね」
「その、思うかね、って思う、金、ですか?」
いままで黙っていた万里がくだらないオヤジギャクを言ったが、万里が長崎と組んでいるのが、娘に裏切られた気がして、大人げないが万里を無視した。
「たかられる、は冗談ですが、お宝を掘り当てたのが本当らしいとなると警察が来るんですよね」
「なぜ警察が来るんだ?」
「お宝は遺失物だからです」
「持ち主が現れなければ発見者のものになるんだろ」
「そうです。だからあなたのものになります。
でも、あなたが宝を持っていることを世間に知られる」
「だから」
「いろんな人がいいがかりをつけてくるんですよね。あの宝は俺が隠したものだとか」
「よく聞く話だ」
「そして税金もかかります。一時所得として」
それくらい、私も知ってる。
屋敷内に隠し財産があると分かれば長崎は用無しだ。
可哀想な気もするが、大事なことを先に喋ったのは、まだ若いということか。
他意のない寿司屋の奢りが、お宝の情報に化けた。
情けは人のためならずとは、よくいったものだ。私に返ってきた。
引導を渡そうと私が口を開く前に長崎が返してきた。
「私と組めば警察も税務署も関係ありません」
「なぜだ?」
「お宝のこと、誰にも悟られないからです」
「どうして?」
「ピンポイントに掘り返すだけです。
何かの工事といえば誤魔化せます」
「その代わり、取り分があるんだろ?」
「相場は五対五。
ですが、私が四で結構です。
それも工事費込みで。
そして迷惑料プラスです」
私が押し返した封筒をまた差し出した。
長崎の執念を感じた。
ひょっとして、断れば嫌がらせや報復があるのか?
「断れば?」
「さぁ、私は何もしません。
でも私以外にトレジャーハンターはいます。
質の悪い奴はネットにリークするかも知れません」
「私が注目を浴びるということか」
「そして、あちこちで試掘後が見つかります。
お屋敷に泥棒が増えるかもしれないし、頭の悪い奴はご家族を誘拐して身の代金を要求するかもしれないですね」
「脅し、かい?」
「いいえ。可能性の話です」
「警察を呼ぼうか」
「何もしていないのに、ですか?
警察沙汰になるとマスコミが広めますよ。
すると今度は教育委員会が動き出します」
「教育委員会?」
「発掘調査をお願いに、です」
「断れば?」
「それっきりでしょうけど、噂は立ちますよね。
地元の名士なら喜んで協力するのに、なんと了見の狭い人か、と。
そして誰かが無断で掘り返し、泥棒が入り、身の代金目的の誘拐事件が起きて、という負の連鎖というか、悪の連鎖ですよね」
お宝を全部、我が家のものにしようとすると、家族に危害が及ぶ。
この生意気な若造を警察につきだしても同じ結果になりそうだ。
でも、こいつと組むと四割持って行かれる。
全身の発疹を掻かずに我慢するようなフラストレーションに襲われた。
「今日のところは帰ってくれ。それは持って帰ってくれ」
油断すると封筒を置いていこうとする。
今は奴の痕跡を消し去りたかった。
この話を忘れたかった。
奴が来ることを知っていれば、会わない手立てはいくらでもあったのに。
今さら、地団駄(じだんだ)踏んでも仕方ないが、善人の皮を被った悪党に隙を突かれた気分だ。
「あっ、お嬢様ですか。
私は三枝万里、こちらは長崎眞です。
お父様から聞いています。お嬢様は私と同い年だそうで。
お父様とのご用が終わって帰るところです。
旧家でいらっしゃるので、お宝級の品々がおありで、学術調査のお願いに参った次第でございます」
玄関の方から聞こえる万里の声。
間の悪いことに娘の帰宅と重なってしまった。
後日、一度だけという条件で発掘を許した。
屋敷内の北側の蔵がピンポイントだった。
蔵のちょうど真ん中を掘り進めること三十メートル。
鑿泉(さくせん)業者は長崎が連れてきた。
私の立ち会いで見つかったのは千両箱が二つ。
二千両が小藩にとって、どれ程の財産になるのか?
「当時の金額でなく、今の価値でどうかですよ。
この小判の価値をご存じないようですね。
江戸時代を代表する小判ですよ。
これが二千枚。
江戸時代に入って少しずつ両替していったのでしょう」
三十メートルの穴。
長崎一人なら埋めてしまい、二千両を独り占めできるが、二人の鑿泉業者がいてはそんな妄想も霧散する。
さく井業者が手際よく埋め戻し、別の業者が完全に復元して、長崎は去った。
去り際に長崎は忠告した。
「絶対にこのことは他人に話してはいけません。
それと換金は少しずつ。
老婆心ながら。若造が横柄な口をききました」
手元に残ったのは千二百枚の小判。
八百枚を奴が持ち去った。
買い取り価格でも一枚二百万円以上。
時価二十四億円だ。確かに税務署に届け出るなんてばかばかしい。
そして、奴に渡した十六億円も惜しい。
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