向日葵side

39

 百合子姉さんに頼まれ、ドレス姿のまま木村さんの部屋である地下室に向かった。


 木村さんが地下室を使用するようになり、地下室を訪れるのは久しぶりだった。


 地下室は、以前お父様の隠れ家的な部屋で、お父様は地下室にいると気持ちが落ち着くからと、一階に専用の書斎があるにも拘わらず、地下室にお気に入りの本を置き、時折書斎代わりに使用していた。


 私達もあの地下室が大好きで、お父様と一緒に読書を楽しんだり、お父様が長期出張でいらっしゃらない時は、地下室で本を読み寂しさを紛らわせた。


 執事やメイドが決して立ち入ることのない、お父様と私達だけの秘密の空間。


 ……懐かしいな。


 トントンと地下室のドアをノックする。

 ドアが開き、木村さんが目の前に立っていた。


 木村さんと目が合い、鼓動がトクンと大きく跳ねる。


 トクン、トクン……。


 私……どうしたんだろう。

 体がカーッと熱くなり、頬が火照る。


「……あのぅ」


「向日葵さん?わぁ見違えたよ。今日の向日葵さんはとても綺麗だよ。そのドレスよく似合ってる。女の子は服装とヘアメイクで印象が変わるんだね。まるで童話のお姫様のように、上品で美しい」


 この私が童話のお姫様!?


 木村さんの言葉に、ますます鼓動が速まる。


 淡いイエローのフォーマルドレス。今日は専属のヘアメイクさんに髪もセットしてもらい、眼鏡を外しコンタクトを装着し、ナチュラルメイクもしている。


 高価なドレスに身を包み、蘭子姉さんが用意してくれたダイヤを散りばめたネックレスや指輪を付けている私は、ショーウィンドーの中で着飾ったマネキンみたい。


 木村さんに見つめられ、気恥ずかしさから首を竦める。


「あのぅ……蘭子姉さんは……」


「まだ寝てるよ。起こしても起きないんだ。桜乃宮財閥の令嬢が酒乱だなんて、困った人だよね」


 木村さんは苦笑いしながら、私の目を真っ直ぐ見つめた。澄んだ瞳に見つめられ、私は慌てて目を逸らす。


「百合子姉さんが、蘭子姉さんを部屋に連れてきて下さいって……」


「またですか?蘭子さん、ああ見えて意外と重いんだよ。地下室から出るなと言ったり、部屋に連れて来いと言ったり、勝手なんだから。もうお客様は帰ったの?」


「はい」


 木村さんが私を真顔で見つめている。

 マネキンのように着飾った私は、今すぐ消えてしまいたい。


「向日葵さん、結婚前提で石南花財閥の御曹司と交際するって本当?」


「……は……い」


 どうして知ってるの?

 蘭子姉さんが話したのかな。


 木村さんの口から『結婚前提』という言葉を聞き、なぜか胸がキューッと痛んだ。


「その御曹司は素敵な人なんだろうね。向日葵さんはまだ高校生なのに、もう将来の結婚相手を決めるなんて凄いな。運命の恋ってあるんだね」


「……違います」


「え?違う?」


「恋なんて……してません」


「その人と恋をしてないの?向日葵さんは好きでもない人と結婚前提で交際するの?それって、俗に言う政略結婚てやつ?」


「……お父様のお決めになったことだから。私はご恩に報いたいだけ……」


「報いたいって?お父様はもう亡くなってるんだろう。死んだ人の決めたことに従わなくても……。向日葵さんの人生はお父様や桜乃宮財閥のものじゃない。向日葵さんのものなんだよ」


「……私はいいの」


「よくねぇよ。政略結婚しても向日葵さんは幸せになれないよ。父親が愛する娘にそんなことをさせるなんて信じられない」


「……木村さん。お父様のことを悪く言わないで」


「向日葵さんはこんなに綺麗なんだ。今からいくらでも恋が出来る。向日葵さんは自由なんだよ。桜乃宮家に恩を感じるあまり、自分を犠牲にする必要はない」


「……犠牲」


 お父様や蘭子姉さんの決めたことに逆らうつもりはない。何の取り柄もない私が、桜乃宮財閥のお役に立つのなら、それで構わないと思っていた。


 それなのに、木村さんの言葉に心が掻き乱され、頭は混乱し涙が溢れる。


 グスンと鼻を鳴らしたと同時に、木村さんが私を優しく包み込んだ。


「向日葵さんは、自分の思うままに生きればいい。一緒にいるだけで胸がときめくような相手と結婚すればいいんだよ」


 一緒にいるだけで……胸がときめく?


 私は今……

 呼吸が止まりそうなほど、ドキドキしてる。


 ……恋をすると、こんな風にドキドキするの?


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