lesson 3

向日葵side

11

 クリスマスの夜、桜乃宮財閥主催のクリスマスパーティーに、私は二人の姉と一緒に出席した。


 招待客は、政財界の重鎮、大企業の会長や代表取締役社長。桜乃宮グループ企業の関係者や、有名人、文化人。


 私は大勢の人が集う華やかな場所は苦手。煌びやかな光の下は嫌い。だけど、蘭子姉さんの命令には逆らえない。蘭子姉さんは私の姉であり、父亡き今は私の保護者なのだから。


 ーー私は二年前、この桜乃宮家に引き取られた。


 二年前、母が病気で他界し、葬儀に桜乃宮創士という人物が突然現れ、私の実父だと名乗りを上げた。


 母一人子一人の母子家庭。実父の顔も実父の名も知らずに育った私は、実父の存在に地球が崩壊するくらい衝撃を受けた。


 葬儀の翌日、築年数の古い都営住宅の前に黒光するリムジンが停まり、住人が目を丸くし驚愕する中、私は浚われるようにリムジンに乗り込む。


 貧しい暮らしから一転し、私は桜乃宮家に引き取られた。


 実父と名乗った人物のお屋敷は、この高級住宅街でも一際目を見張る白亜の大豪邸。まるでお伽の国に迷い込んだみたいに、私は一夜にして桜乃宮財閥会長、桜乃宮創士の娘になった。


 桜乃宮家にはすでに二人の娘がいて、一人っ子で育った私に突然二人の姉が出来た。


 二人の姉は実の姉妹ではなく、蘭子姉さんは一番目の奥様、百合子姉さんは二番目の奥様の連れ子で、父とは血の繋がりはなかった。


 けれど、二人は正妻の子供に違いはない。私がここに引き取られた時には、百合子姉さんのお母様も健在で、愛人の子供である私は肩身の狭い思いをした。


 セレブな生活は、私には相応しくない。『お嬢様』と呼ばれ持て囃されることにも抵抗はある。この環境になかなか馴染めない私に、お父様はとても優しく接してくれた。そして、二人の姉も実の妹のように接してくれた。


 緊張し『蘭子お姉様』と呼ぶ私に、『堅苦しいから蘭子姉さんでいいよ』と微笑み、百合子姉さんも『お姉様ってガラじゃないしね』と、笑った。


 実母を亡くし、ひとりぼっちになった私に温かい家族が出来た。


 ーーそう思った矢先……

 不幸な事故が起きた。


 父と義母百合子の母が旅行先のフロリダで亡くなった。

 自家用ヘリが悪天候により山中に墜落し、無念の死を遂げた。


 この屋敷に来て、僅か一ヶ月のことだった。


 私は二ヶ月の間に、実母と実父を相次いで亡くした。

 そして……義母も……。


 泣き崩れる私に、二人の姉は涙を堪えこう話した。


『向日葵、ここはあなたの家なのよ。だから、ここを出て行かなくていいの。向日葵はずっとここにいなさい。あなたはお父様の実子なのだから、誰が何と言ってもここにいる権利はあるの』


『そうだよ。私と蘭子姉さんはお父様と血の繋がりはないけれど、私達は桜乃宮家の三姉妹なの。お父様が巡り合わせてくれた姉妹なんだよ』


 まだ十五歳だった私は、姉の言葉に嗚咽を漏らし泣いた。

 一人で生きて行くには、私はまだ未熟だったから。


 でも、二年経っても私はまだ精神的に成長していない。桜乃宮家のお役に立てるほどの働きも出来ず、この家の居候だという意識も拭えない。私は愛人の子供、正妻の子供である二人の姉とは立場も環境も明らかに異なると思っていた。


 容姿端麗で才知に長けた二人の姉のように、桜乃宮財閥に貢献出来るほど華やかさも才能もない私は、毎日お屋敷を掃除することしか、恩に報いる方法がない。


 姉も菊さんも『そんなことはしなくていいのよ』と言うけれど、何かしていないと居た堪れない。


 ◇


 クリスマスの翌日、私はいつものように玄関フロアの掃除をしていた。


 お父様と義母様の死後、他人が屋敷に立ち入る事を極端に嫌った蘭子姉さんと百合子姉さんは、この屋敷に長年仕えていた執事もメイドも、私達の身を守る警備員すらも屋敷から排除した。


 この屋敷に出入り出来るのは、食事の支度を整えてくれる一流ホテルのシェフとクリーニング店のスタッフや宅配便業者、桜乃宮家の専属運転手だけ。菊さんが雇う家政婦さんはすぐに逃げだし、私達姉妹と菊さんの4人暮らしが続いた。


 菊さんと二人で広いお屋敷の掃除をすることはとても大変だったけど、もともと人と接することが苦手な私は、この生活が苦ではなかった。


 でも、そんな状況がクリスマスを境に一変した。

 菊さんが蘭子姉さんと百合子姉さんの許可を得ず、一人の男性を家政夫として地下室に住まわせた。


『君も……この屋敷のメイドさんなの?』


 少しウエーブのあるやわらかそうな髪、長身で整った顔立ち。初対面の朝、私を見つめ驚いていたが、次の瞬間優しい眼差しに変わった。


 女性しかいないこの屋敷に、若い男性がスクッと立っている。

 この屋敷に他人が住んでいることに、内心ドキッとした。


 人見知りの私は、緊張のあまり声は掠れ彼と上手く話せない。

 二人の姉も屋敷に侵入した異物を排除しようと、彼に敵意剥き出しだった。


 でも……彼が作った朝食は、外見からは想像つかないような優しい味がした。

 懐かしいお母さんの……ハンバーグ。


 ーー学校に向かうリムジンの中、百合子姉さんが私に耳打ちをした。


「ねぇ、向日葵、アイツどう思う?」


「アイツ?」


「生意気なアイツだよ。菊さんはどうしてアイツを、雇ったのかな」


「……わかんない」


「しかも、家政婦なのにどうして男なの。若い男が地下室にいたら、蘭子姉さんがお酒飲むたびに大変だよ」


「そうです……ね」


「菊さん、ことの重大性わかってんのかな。所詮男はオトコ、地下室に檻がないと肉食獣を飼ってるようなモノでしょう」


 肉食獣って……?

 それは……蘭子姉さんのこと?それとも木村さんのこと?


「でも、菊さんには逆らえないしね」


「……うん」


 そう、菊さんには逆らえない。


 このお屋敷で一番大きな力を持っているのは、蘭子姉さんでも百合子姉さんでもなく、菊さんだから。


 ◇


 私は二人の姉とは異なり、いつかこの桜乃宮家を出て行くつもりだ。


 実父が桜乃宮創士だと言われても、十五歳まで父親を知らずに育ったため、いまだにその実感はない。母を亡くし天涯孤独の私を引き取ってくれたお父様には恩を感じているけど、生まれてから十五歳までの間、お父様に疎外されていたことに変わりはない。


 外の世界に憧れる籠の鳥のように……。

 私はいつか、鳥籠の戸を開け自分のいた場所に舞い戻る。


 桜乃宮財閥も……、膨大な遺産も……、私には必要ない。


 私が欲しいのは、こんな私でも受け止めてくれる寛容な無償の愛……。

 親鳥に包まれ眠る雛鳥のように、温かなぬくもりが……恋しい。


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