02-6
喉の痛みがほぼなくなり、だるさも動き始めに感じるくらいになった。そうなると、次に来るのは空腹である。昨日の晩は結局なにも食べずに寝てしまった。朝ご飯は裕哉の来襲によって阻害されていた。
まず、今着ているパジャマを脱ぎ、親の買ってくれた部屋着に着替える。廊下にそば耳を立て、近くに対象がいないか確認。しかる後に、鍵をもって退室。きちんと鍵をしめて階下へと歩を進める。
「おはようって、もうお昼過ぎか」
リヴィングに入ると、テレビを見ている両親に挨拶した。
「おはよう、嘉寿くん。お腹空いてるんじゃない?」
「うん、かなり」
そういうやいなや、母親は席を立ち、手早く準備をし始める。
食卓には、風邪薬と体温計が置かれていたので体温を測る。そして、少しテレビに目を向けると、テレビでは日曜日の昼間によくやっている討論番組をやっていた。
そして、今の政権が云々、金と政治の話が云々。この場では、喧々諤々とやっているのに、それを政治の場本番にもっていくと結局は数によって強行に決まってしまう。そこが根本的におかしい気がするのは知識不足だからだろうか。
話題が変わって、番組が一時静かになる。それを機にテレビから目を離す。すると、焼きそばが盛られた皿が母親によって運ばれてきた。もう、もたらされたといっても過言ではあるまい。
忘れず、体温計を懐から出す。完全に平熱だ。いける。この天の恵みをむさぼれる。なんの支障もない。最後の敵は潰えた。
ソースのにおいが鼻孔をくすぐる。昨日までは、食べ物をみてもなにひとつおいしそうに思えなかったのに、凶暴で暴力的なまでに焼きそばソースは嘉寿を食への欲求に駆り立てる。
「おいしそう……」
思わずそうこぼした。
「ふふふ、嘉寿くんがお腹空いているだろうと思って、大盛りよ。たくさん食べて早く元気になってね。あ、多かったら残していいから」
「いただきまーす」
だが、このとき嘉寿は大事なことを見落としていた。腹が減っているのも事実だが、喉も渇いていたのだ。からからになってしまっていた。
一口、二口。至福の時だ。うまい。だが、自覚のないところで焼きそばソースは嘉寿の喉から水分を容赦なく吸い取っていった。
からからの喉に焼きそば。これは、嘉寿に深刻なダメージを与える結果となる。せっかく、良くなっていた喉に時間のおかれた焼きそばはくっついてくる。痛みが減ったとはいえ、喉へのダイレクトアタック。これは、たまらない。最後の敵はやっぱり喉だった。
「~~~~!」
声にならない悲鳴に似たものをあげて、嘉寿は台所に走った。み、水。水がないと無理だ!
母親はその様を見て、心配そうにしている。
「大丈夫? 喉に詰まったの?」
嘉寿は水を飲んで、一息ついた。
「い、いや、喉が良くなっていたと思ったんだけど、めんが張り付いて、さらにソースが染みてきて、痛かった」
「そうなの、じゃあ、先に薬飲んでから後で食べたら?」
「うん、そうする」
嘉寿は、水を持って食卓に戻り、体温計と一緒においてあった薬を飲んだ。
「薬が効いてくるまでに、まずは服取り替えてらっしゃい」
「うん、わかった」
これまた汗などほとんど吸っていない服を取り替えに脱衣所に向かった。脱衣所で青くなる嘉寿。
今普通に部屋着の上を脱ぐと、下にはるみTが顔を覗かせた。ばっと、部屋着の上をもう一度着直すと周囲を警戒した。
案の定ラスボスこと、母親が接近していた。というかすぐ後にいた。見られたか? だが、背中にはプリントしていないタイプだ。見られても白いシャツということぐらいしかわからないだろう。
「どうしたの?」
母親が同じものを着直した嘉寿に怪訝な声をかけてくる。
「いや、なんでもないよ、着替えを部屋に忘れたなと思って」
ここは、一時戦略的撤退だ。いや、別に逃げるでもいいけど。後ろに向かって大前進せねばならないときなのだ。だから、そこを通してください、お母さま。
「着替えなら、昨日洗濯したやつの中に乾いたやつない?」
そういって、洗濯物が干してある一角をさす。北の地では、洗濯物を部屋で乾かす装置がついていても不思議ではない。湿度が低い分、部屋干しでも充分対応できるのだ。
恐る恐る触れてみる。大方乾いているように感じられる。だが、今その事実を受け入れるわけにはいかない。
「うん、ちょっと湿ってるかな?」
「そう? 乾燥機にかけたからもう乾いたと思うけど」
ラスボス撤退せず。
それどころか、洗濯物を確認に来る。ああ、どうしよう。このままではるみTが衆目にさらされる目に遭いかねない。
考えろ、考えろ。今まで幾度となくこういうピンチを切り抜けてきたじゃないか。
……。
…………。
全能力を、思考にまわして考える。
ぴーんと来た。要は着替えるのを回避するのではなく、着替える姿を見られなければいいのだ。
「あ、うん。じゃあ、それに着替えるね。あと、パンツも取り替えたいから、ここ閉めるよ?」
浴室は洗濯室と繋がっているのでここには一応の仕切りのアコーディオンカーテンがあるのだ。その中でもぞもぞとやればいい。ナイス自分!
そうして母親の追い出しに成功したので、ほうっと息を吐く。
堂々と、部屋着を脱ぎ、上着を全部脱いだとき。
「あ、そうそう」
ラスボス再臨! いきなりカーテンが開けられる。
「な、なに?」
声が裏返るほどびっくりした。るみTは、部屋着の上と重ねて脱いだので隠れているから大丈夫だろう。ものぐさな性格が功を奏したようだ。
「あら、ごめんなさいね。着替えのTシャツはそこに畳んであるからね」
「うん、わかったよ、ありがとう。次はパンツ脱ぐから覗かないでね?」
「はいはい」
「絶対だよ?」
「わかったわよ」
念には念を押して、カーテンを閉め直す。
そして、本当にパンツを脱ぎ、畳まれた洗濯物の中からパンツを引っ張り出すとそれを履いた。次にTシャツを引っ張り出すとそれに袖を通す。さらに上からるみTを着る。それから、まだハンガーに掛かっている部屋着を下ろし上に着込む。
それから、もう一度上だけを全部脱ぐ。そして、今着たばかりのTシャツを洗濯かごに入れる。それは、今まで着ていたと言うフェイクである。
脱いだTシャツがないと、今まで着ていたものは? となるため、それへの対抗手段だ。一度袖も通したし、まさか息子がそんなことをしているとは想像してないだろうから、これでいい。同じようなTシャツが多いのも作戦の速やかなる進行に一役買っている。
もう一度、るみTを着て部屋着を上に着る。そして、洗濯かごにはパンツ、Tシャツ、部屋着の上下と入れていく。
そして、脱衣所を出ると、二階へと向かった。もうそろそろ着替えなくては、いくらるみTといえど汚い気がしてきたからだ。
鍵を開けて部屋に入ると、鍵を閉めてほっとする。
ここからは何事もなく、つつがなく着替え終わり下に戻り、腹一杯に焼きそばを堪能した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます