01-7

 学校では、制服の上を脱ぐことはない。もちろん前を開けて羽織るようなこともない。冬服の間はそれでも良かったが、夏になると上を着続けるのが難しくなるので、しばらくるみなシャツ、略してるみしゃつはしばらくお預けだ。

 もうすぐゴールデンウィーク。そうなればいやでも夏服となる。一応夏冬両方を着用して良いことになっているが、それでも黒い長袖を着ているのは辛い。

 夏でも肌寒い日があるが、そんな日も昼を過ぎれば暑くなってきて結局は脱ぐ羽目になるのだ。

 一年のある日、涼しかったので嬉々としてるみしゃつを着ていって、地獄の暑さに耐えた経験は忘れられない。もう少しで熱中症で保健室に運ばれかけたのだ。そうなっていれば、汗で透けたるみなが衆目に晒されていただろう。想像するだけで恐ろしい事態だ。

 そんな経験を元に、次の日の天気のチェックは欠かさない。

 冬はもちろんのこと、突然やってくるゲリラ猛暑に対しても一分の隙もなく制服を着る。そんなだから、鋼鉄の学生服と呼ばれる羽目になるのだ。るみしゃつを着ていてる日は絶対だ。

 今日はそんな日だった。北なのに東京より気温が高くなることが年に何回か起こる。少し蒸し暑い程度だが、周りは自由に上を脱いで、ささやかな春の風に身を晒してる。

 わずかにうらやましいとも思ったが、そんな誘惑に負けるようでは鋼鉄の学生服とは言われない。

 だが、四月の下旬に入ったばかりというのに、二十五度くらいありそうだ。先日まで、まだまだ一桁だったのに。ここはそういうところだった。

 さすがの鋼鉄の学生服もきつい。だが、るみなとの関係は結婚を機に深まり、その程度では動じない精神力を手に入れている。

 席が窓際で、常時熱せられる状態にあるとか関係ない。心頭滅却すれば火もまた涼しだ。――そんなわけもなく。

 暑いものは暑い。ようやくの昼休み。一日のターニングポイントだ。

 本来なら、屋上にでも行くところなのだが、北は雪の関係もあって、屋上を開放しているところは少ない。嘉寿の学校も例に漏れずそうだった。

 校舎の横に、校舎、グラウンドから死角になる場所がある。欠点は直射日光があたる点だ。その代わりこういう日は人がいない。悪いことも起こらないし、実に良い場所だ。

「くわぁあ、暑い!」

 そういって鋼鉄の学生服を脱いだ。

「さすがの鋼鉄の制服様もこの暑さには耐えられへんか」

 嘉寿はびくりと、身をすくませる。まだ背中だ、腹は隠せる。そう思って、学生服を着直す。そして、声をかけてきた人物を見やる。

「ゆう……おまえだったのか。言葉のイントネーションおかしいからわからんかった。関西弁か?」

 ゆう、五行裕哉。オタクにして、実は嘉寿の幼なじみ。小さいころはよくマンガやアニメの話をしたものだった。だが、歳をとってもその世界から抜け出せない裕哉に対して嘉寿は次第に距離を置くようになった。

 小さい頃は、もう一人、別の高校に行ってしまった加納 愛華かのうまなかという女の子と三人でよくつるんでいたものだ。愛華は、嘉寿の初恋の人でもある。今は、るみな一筋だが、昔はまっとうに三次元の女の子が好きだったのだ。

 言い訳をすれば、別に二次元だからるみなが好きなわけではない。たまたま好きだった相手が二次元だっただけの不幸。そう、ちょっと複雑な家の事情を持っているようなものだ。

 今だってたまに、メールが来るし、長い休みには遊ぶことだってある。大切な人間という意味では今でも好きだ。

 裕哉の顔にはいつも浮かべている、昔から変わらないにこにことした表情がそこにはあった。

「関西弁ちゃうよ? 関西弁っぽいなんかや」

「またか、好きなキャラがそんな口調だからか?」

 忌々しそうに吐き捨てる。

「ご名答! その子がつこうてんのも、怪しい関西弁らしいものやさかい、シロウトのわいでも安全安心でつかえるっちゅうわけや」

 以前なら、ここでいい加減卒業しろと言えたが、今の嘉寿にはそんな資格は微塵もない。下手をすれば裕哉より深いところにいるからだ。

「もう言わへんのな?」

「なにをだ?」

「いい加減そういうの卒業せえって。そういえば口利いたのも高校入ってから初めてちゃうか?」

「言いたい分は、言い尽くしたさ。それでおまえが変わらないなら仕方ないだろう?」

「でも、わいらの仲はそんなに甘うないで? 要はあれや、おまえが変わればすむこっちゃ」

 嘉寿は答えられなかった。確かに、丸二年話してないから変わるような関係でもない。それに、確実に裕哉なら、自分の趣味を理解してくれるだろう。そして、良き理解者になってくれるに違いない。

 だが、オタクは好きではないと言う自分がいる。裕哉がオタクであろうとするなら、自分は頑なな態度に出ると決めたのではなかったか。

 その相反する思考に挟まれ、言葉を失っていた。

「このゲーム面白いさかい、貸したるわ」

 そう言って、着直した学生服のポケットに小さなディスクを押し込んだ。

「ほなな」

 手を振って去ろうとする裕哉に、嘉寿は一言だけ声をかけた。

「その言葉は、似合ってないから止めろ」

「おまえが変わるなら、考えたるわ」

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