第7話 笑顔の理由
もう辺りは暗くなりはじめていた。
唯の親御さんが心配すると思い、唯を家まで送っていった。
「あら、瑞希くん。久しぶり」
「お久しぶりです。こんな時間まで唯のこと連れ出しちゃってすみません。」
「いいのよ、むしろ瑞希くんとだったなら私も安心よ。」
唯のお母さんとは幼いころから面識があった。この親あってこの子あり、と言えるほど親子で性格がそっくりで、とても明るい人だった。
しかし、愛娘が死ぬことになってしまったこの状況で、明るい自分を保っているのはさぞかし辛いことだろう。その表情は疲れ切っていた。
僕はそんなお母さんに、どんな言葉をかけていいか分からず、ただ頭を下げて自分の家へ帰っていった。
家に着くと、父も母も仕事を終えて家に帰っていた。
「おかえり、今日から学校無かったんでしょ?」
「うん。・・ごめん、今日夕飯いらないから。」
家族はこんな僕を心配そうな目で見つめているのは分かっていた。
だけど、申し訳ないけど今僕は家族に気を遣えるほど余裕はなく、黙って部屋に戻った。
唯には連絡が出来ずにいた。
後悔しないように、とあれだけ思っていたはずなのに、実際に唯がいなくなってしまう現実を間近にしてしまった今、心は身動きの一つも取れずにいた。
今日唯と会うまであったはずの大きな確信とか、覚悟とかっていうものが、崩れかけていることが分かった。
それほどまでに唯が死んでしまうという現実がショックだった。
真っ暗な部屋の中、机の引き出しを開け、以前裕がうちに置いていった煙草を取り出した。
窓辺に座り、煙草に火をつけた。
「ゲホッ、ゲホッ」
喉が焼けるように痛いし、口の中は気持ち悪いし、煙が目に染みて涙が出た。
痛みが。苦しみが。・・・・欲しかった。
この現実で僕の心はとてつもなく痛んでいたし、苦しかったけど、それは精神的なものだ。
何か体で感じる痛みがないと、ひとり悲しんでいる唯に置いて行かれる。
僕が痛みを伴うことで、やっと唯は一人じゃない。と言える気がしたんだ。
こんなことしても無意味だということもわかっていたし、普段の僕は無意味だと思うことはやらない主義だったけれど、体が勝手にそうしていた。
唯が違う世界に行ってしまうような気がして、
僕だけ取り残されてしまう気がして、
とてもこわかった。
煙草を飲みかけのペットボトルの中へ入れると、頭がくらくらしてきてその場に倒れこんでしまった。そしてそのまま眠りについた。
翌日、床で寝ていたからか頭と体に鈍い痛みを感じていた。
そこに一通の着信が入った。
「もしもし、瑞希?昨日はありがとうね。昨日家に帰ってから急に倒れちゃってさ、夜中救急車で運ばれちゃって、また今日から入院することになっちゃったんだ。」
電話は唯からだった。
耳から入ってきた情報がなんなのか頭で理解出来ず、混乱していた。
「え・・。だって唯は・・・。」
「うん。だからね、それはお医者さんと家族と相談してこれからのことは決めることになったの。」
唯に病院名を聞くと、新幹線が止まるような大きな駅の近くにある有名な大学病院だった。
この時は、とにかく唯の元へ急ぐことが最善だと思い、病院に向かった。
うちの最寄りの駅から30分ほど電車に乗った先にその駅はあった。
病院の受付に唯の名前を伝え、唯のいる病室へ向かった。
ノックをすると扉の向こうから唯のお母さんの声が聞こえ、扉を開けてくれた。
「あ、瑞希くん。心配ばっかりかけちゃってごめんなさいね。」
「いえ、こちらこそ突然お邪魔してしまってすみません。」
「うぅん、そんなことないわよ。唯は瑞希くんが来てくれるって嬉しそうにしてたもの。」
「ちょっとお母さん!余計なこと言わないでよもう。」
あはは。と笑いながら唯のお母さんは売店に出かけて行った。
とりあえず二人とも見た目は元気そうで安心した。
「ありがとね瑞希。来てくれて。」
「ううん。そんなことより体調は?」
「うん。正直あんまりよくないみたいでさ。」
「そうなんだ。っていうか僕、唯が何の病気かっていうのも知らないんだけど。」
今までずっと唯の体が丈夫じゃないことは知っていたけど、その詳細までは聞いたことがなかった。今まで何度も聞いていたけれど、その度に唯にはぐらかされていた。
「そんなことはいいの。どうせもう死んじゃうんだしさ。」
いやにその表情は明るかった。
強い光はそれに比例して影も濃くなる。なぜだかそんなことを考えていた。
そして彼女は自分のあまりに短すぎる余生を笑って過ごそうとしているということが伝わってきた。
そんな笑顔で見られたら、もう僕は君の前で悲しい顔はできないじゃないか。
心の中でそう呟くと、さっきまで崩れかけていた覚悟を、より一層強く固めた。
唯の余命は今日を入れて残り4日、下を向くのは唯が居なくなってからでいい。
お母さんも病室に戻ってきて、3人で他愛もない話をしていた。
唯は昔から高いとこが好きだった。とお母さんが言うと、
それは唯がお馬鹿さんな証拠ですよ。と笑いながら僕が言って
そんな僕にチョップしてくる唯。
とても温かい、優しい時間だった。
あっという間に面会が終了の時間になっていた。
「瑞希、今日はほんとにありがとう。なんて言っていいのかわかんないけどさ、瑞希がいてくれてあたし良かったよ。ほんとに」
少し恥ずかしそうに、だけどまっすぐ僕の目を見てそう言った。
その言葉でまた泣きそうになってしまったけど、歯を食いしばり、涙を堪えた。
「大袈裟だよ唯は。また明日も来るから。」
「うん、待ってる。早く来てね。」
満面の笑みを浮かべた唯がとても愛らしかった。
お母さんに挨拶をして、僕は病院を後にした。
帰りの電車から見えた夕焼けが、昨日唯と見た景色と重なってまた悲しくなった。
けれど、僕は最後まで彼女の横で笑っていようと誓った。
部屋から持ち出した煙草を握りつぶし、駅のごみ箱に捨てて帰った。
町を眺めていた太陽はゆっくりとその姿を海の向こうへ沈めていった。
そしてこの日が、僕が唯と居ることが出来た最後の日となった。
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