絵のための短編集

六角

1 I am I.




 目を開けると、水へ沈んだようだった。青年はぽこり、と空気を吐く。


〈転送プラグラム正常、再構築正式承認完了、システムオールグリーン。転移、終了しました〉


 機械的な女性の声に、ああうん、と頷いて青年は歩み始めた。石ころが、いくつも転がっている。それは次第に大きくなり、岩となり、岸壁となり、あたりに様々な山を作り、麗しい魚が泳ぎまわっている。

 海の中だ。

 水の中なのか。

 それとも別のものなのか。

「……なんだろう、ここ」

 深い場所だというのは、よくわかった。

 青年の知識にもない、探索システムにも引っかからない、これ以上の検索となると≪全能なる記録≫アカシック・レコードへのアクセスが必要となる。それを考えると、考えない方がいいと、青年は思った。これまでの経験上、そうなのだ。

 しばらく歩くと、宝石に遭遇した。

 美しい、多角面、しかもよく成長している。ここまで成長するとなると、アージストなどの石の名が思い浮かぶ。しかしそれ以外の可能性もある、と思い、そっと触れた時だった。

「こんにちは」

 はにかんだような声が聞こえ、青年は上を見上げた。

 誰かがいる。しかし、姿は見えない。

「こんにちは」

 青年が、返す。

「すみません、この近くの人ですか」

「ええまあ、近くの人です」

 声からして、女性のようだった。

「さっき来たばかりなのですが、この石の名を知っていますか?」

「ああ。そうですねぇ……しいて言えば、夢でしょうか」

 青年は、首を傾げた。夢、というものは、もっと荒唐無稽で、あるいはあいまいで、人によっては確信だ。このように、形をもったものではない。場所によっては、夢が結晶化して力となるところもあったのだが、こういう宝石となるのは珍しい。

「あなたが名付けたのですか?」

「さあ。名付けるのは私ではないので」

 不思議な言い方に、青年は首を傾げた。

 岩の上にいる人物は、何かを想っているらしい。ぷかぷかと、美しい虹の輝きを持つ球が、ふわふわと落ちてくる。

「これはなんですか」

「これ? ああ、それはですね……諦めです」

 美しい姿には似つかわしくない名前に、青年は余計首を傾げた。

 その崖の上へと、とん、とん、と足を進めていく。岩の上、魚が泳ぎ、水面は近づく。あたりに、がれきが散らばっている。岩は積み重なり、それは年月の様で、と感じたとき。 

 青年はふと、顔を上げた。

 誰もいない。

 ただ、そこに、薄紅の花が残されていた。

「……それは、羞恥です」

 心底恥ずかしそうに告げられた言葉に、青年はかりかりと頭をかくと、そこにすとんと腰を下ろした。無粋な真似をした、と思ったのだ。

「ここは、あなただったのですね」

 一人きり、青年はそこに腰かける。静かに、ふう、と口をとがらせ、煙草のようにそれを口にした。


 シャボンの泡が、ぽこりと浮かぶ。

 水が揺れている。

 海が、ある。

 青年は一人、岩の上で、考え事をしていた。


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