第7話 断崖絶壁スカイダイブ

「失敗したかも……」


 崖に掴まりながら、ショウはうめいた。

 今、彼とモエカは崖から命綱無しで降りている最中だ。

 ショウにしっかりと負ぶさったモエカ。そして彼女の存在感のある二つのクッションの感触が、彼の背中の形そのままに密着する。

 ショウの右手は自分達を支えなくてならず、左手はモエカの体を支えなければならない。彼女の尻を支え得れば安定するがそういう訳にもいかなかった。彼女の両足はベルトのようにショウの腰に絡み、膝裏に手を回すことも難しく、消去法で彼女の張りと弾力のある太股を手で押さえることになった。

 彼女の女性らしい柔らかい感触が、中学生男子の理性をジリジリと焼き切ろうとしていく。


「だ、大丈夫か? やはりその……重かっただろうか……」

「い、いや! 重さは感じません! やり方を間違えたかなと……」


 こんなことなら、先に降りて崖から飛び降りるモエカを受け止めた方が早かったのでは……と彼は思ったが、果たして人一人ひとひとりの落っこちる速度に反応して上手くキャッチ出来るのかとか、キャッチ出来たとして、自分自身やモエカ自信への衝撃がどうなるのか、なんて事を考えても上手く行く保証が見いだせなかった。

 この方法が、まだ自分の出来る最も安全な方法だと彼は思ったのだ。


「私もしっかり君に掴まらないと不安定で、ショウが動き辛いかもしれないな。少し、強く抱きしめるぞ」


 そう言って彼女は、彼の背中に胸を押し当てた。


「ふあぁ!?」


 暖かくて心地の良い感触が背後から押し寄せて来た。あまりの刺激的感触にショウは、脳から幸福度に満ちた声を上げてしまう。


「ど、どうした変な声を出して!? もしかして痛かったのか!?」

「な、何でもありません!!」


 耳まで赤くするショウは、急いでこの理性の危機から脱するため這い降りていく。



 地面がそこまで見える程度に近づいた所で、森林の向こうからテレビウサギと耳に掴まったエリが飛び出して来るのが見えた。

 崖に出たテレビウサギは速度を落とし、壁に当たらないようUターンしながら減速していく。


「やはりエリだ! おーい! エリー!」

「エリちゃーん!」


 二人が下に向かって叫ぶと、エリは右に左に首を振る。どうやら声に反応して探しているように思える。

 もう一度声を掛けようとしたその時だった。木々を薙ぎ倒しながら、大きな髪も髭もの生えていない男の顔が鼻息を荒げ、黒いティラノサウルスの体をユラリユラリと木の割れる音と共に姿を現した。


『ヤット、オイツメタゾォ』


 ニッと白い歯並びの悪い歯を剥き出し、目を見開いて不気味な笑みを浮かべていた。テレビウサギから降りたエリは、ウサギと共に後退りする。


「ダメだ見てられん! 私をここで降ろしてくれ!」

「ええ!? な、何を言っているんですか! この高さはさすがに危ないですよ! 何をしようとしているんですか!」

「あの気持ち悪い男の顔に着地して、奴の脳天をカチ割る!」

「危な過ぎます! そのまま地面に落ちたらタダじゃ済みませんよ! 上手く着地したって……」

「エリが危ないんだ! そんなことを言っている場合か!!」


 こんな所で喧嘩をしている場合ではない。ショウも早くエリを助けたいのだ。

 考える……

 どうやって早く下に降りるのか……

 死ぬかもしれないし、本当に良くて骨折だろうか……

 あの人面恐竜の上に、上手く着地出来たとしても相当の衝撃が体の芯まで襲ってくるだろう。


「……よし!」


 ショウは決意する。

 どうせこれは夢なんだ。

 彼は、考えるの止めた。


「モエカさん! 僕が飛び降ります!」

「何を言っているんだショウ! 君は無理しなくても……」

「モエカさんは、そこの飛び出した根っ子に掴まっていて下さい! 僕が先に降りて、アナタを受け止めます! 僕が死んだら……申し訳ないけど自分で頑張って下さい!」

「お、おい!?」


 体にしがみついていたモエカを無理矢理引き剥がし、近くの崖から伸びた太い根っ子に引っかける。そのまま彼は崖を蹴った。





『クヘッヘッヘ! サア、ソノコヲハヤククワセロ! クワセロ!』

「き、キモイ!」


 人面恐竜は息を荒げ、その様子にエリは罵倒する。

 テレビウサギのブラウン管画面は砂嵐を巻き起こした後に、栗色の髪を一つに束ねた白衣の女性が映し出される。白衣の女性は人面恐竜を睨みつけた。


「……アナタ、もしかして……上野公園連続通り魔事件の南方みなみかたダイチ!?」

『ヒッヒャッヒャッヒャッヒャア!』

「答えなさい! 何故よりにもよって、アナタがまたここにいるの!」

『ヒッヒッヒ……ウルセエヨ、クソババ』


 笑いを止め、人面恐竜はギロリとテレビウサギを睨む。


『ヤッパリ、ココハ夢ノナカナノカ。シカモ、ソノカワイイロリッコノ夢ノナカナンダロ?』

「……」

『ダマッテタッテワカル。ナゼダカオレニハ、ソイツノ夢ノナカニイルコトガワカルノサ。アンタラハ医者カナニカカ? オレハソノコヲ殺シソコネタカラナ。覚エテイルゾ』


 人面恐竜の言葉に、エリは硬直する。彼女はいつもと様子が違い、脂汗を垂らし、手の震えを押さえようとしていた。

 その様子を見たウサギの画面内の女性は、彼女を庇うように前へと立ちふさがる。


「……アナタに情報を与える訳にはいかないわ。早くここから出て行きなさい」


 女性の言葉を人面恐竜は嘲笑う。


『マア、イイサ。オレノヤルコトハ変ワラナイ! ソノロリヲクラッテ、ノットル! 人生ヤリナオシテヤル! ジャマヲスルナアアアアアアアア!!』

「いったい何を言って……エリちゃん、逃げなさい! ここは私達が……」


 大口を開けて襲いかかろうとする人面恐竜。それを阻止しようと前に出るテレビウサギと硬直するエリ。

 大きく剥き出しになった歯が、一人と一匹に迫り来る。

 その時だった。


「うわああああああああああああ!!」


 叫び声と共に、人面恐竜の頭上に何かが落下した。

 ズドンという鈍い音と共に、人面恐竜は白目向きゆっくりと崩れ落ちる。崩れ落ちたと同時に土煙が舞い上がり、恐竜の上に一人のシルエットが立ち上がった。


「……おお! い、生きてる! 右手から着地したら行けるかなって思って行ってみたら何とかなったよ! 結構ごり押しというか融通が利くんだなこの夢世界。これからももう少しこの右手のことも考慮しないと……」


 土煙が晴れ、一人でブツクサ言っているシルエットの正体がハッキリ見えてくる。それは水瀬ショウであった。


「……アナタは」

「お兄!?」


 ブラウン管の中の女性とエリは驚き呆然とする。


「エリちゃん、それとウサギさん? 二人とも怪我はない?」


 彼の問いかけにエリは頷き、画面の中の女性は無言でショウを見つめていた。

 とりあえず、怪我は無いように思える。ショウはホッと一息吐いた所で、モエカの存在を思い出した。


「そうだ! モエカさんを崖に置いたままだ! おーいモエカさーん! 受け止めますから降りてきてくださーい!」


 ショウは、崖の上に向かって大きく両腕を振る。しばらくすると彼は「おっとっと」と左右に落下地点を見定め、やがて一人の女性を受け止めた。上手い具合にお姫様抱っこをするよう綺麗にキャッチする。


「な、何か、こんな感じで受け止められると恥ずかしいな!」

「え? そ、そうですか?」


 妙に照れるモエカをすぐにショウは降ろしてあげる。

 すると、すぐさま彼女はショウの頭を小突く。


「い、痛!?」

「何を無茶なことをしているんだ! 死んだらどうするつもりだったんだ!」


 彼を叱るモエカ。ショウは素直に謝る。


「す、すみません。心配をかけてしまって……」

「まったくだ……今回は上手く行ったものの、失敗したらどうするつもりだったんだ」


 ショウは反省しながらも、自身の言い分を伝える。


「でもモエカさんだって、僕と同じ事をしようとしましたよね? 同じ無茶な事じゃないですか」

「私は、君達より年上だ。君やエリを守る義務と責任がある。私が無茶なことをするのは当然だろ?」

「……」


 言いたいことが多々あったが、言い争いをしても仕方ないと口をつむぐ。

 そこで、モエカは申し訳なさそうな表情に変え、新たに話題を振る。


「それと、すまなかったな。受け止めてもらった身で、早く降ろしてくれなんて変なことを言ってしまって……重くはなかったか?」

「え? あ、いえいえ、それは大丈夫ですよ!」

「そうか! さすがショウ! 心強いな!」

「い、いや! そんなことないですよ! はは……ははは……」


 今度は突然誉められ、ショウは頬を掻き満遍ない表情を見せる。


「お兄、照れ過ぎ」


 彼等のやり取りに、エリは呆れたように口をへの字にした。彼女の掛け声を聞き、モエカはゆっくりとエリの方へと向く。


「エリ! 良かった、無事だったんだな!」


 すぐさまモエカはエリに掛けより、抱きつくとまでは行かないが側まで近寄る。エリも警戒することなく、彼女のこと見上げた。


「モエカさん? 何でここに?」

「エリ!? どうしたんだその目は!? 怪我でもしたのか? それよりちゃんと見えているのか?」

「だ、大丈夫だよ……」

「そ、そうか! なら良いんだ。さっきは怖かっただろ? だが、もう大丈夫だ! 私と君の頼れる兄が来たからな! 安心してくれ」

「うん……ありがとう、モエカさん」


 先ほどまでショウが聞いたことを続けてモエカも聞き直す。エリは冷めた返事をするが、口元には小さく笑みを浮かべており安心している様子が窺えた。

 そんな様子を眺めていたショウは、ふとテレビウサギの様子が気になった。テレビウサギの方を見てみると――


「(・×・)」


 画面にウサギの顔文字が浮かび上がっていた。


「あの……」

「(・×・)」


 声を掛けるが、返事して来なかった。めげずにもう一度声を掛けてみる。


「あのー……もしもし?」

「(・×・)」

「えっと……聞こえてますか?」

「(・×・……は、はい!? ごめんなさい、ちょっと話していました」


 ウサギはようやく反応を見せた。画面の中には以前の夢の最後、ショウに話しかけていた栗色の髪の女性が慌てた様子で映し出された。


「す、すみません。取り込み中でした?」

「だ、大丈夫よ! もう、終わったわ」

「そ、そうですか。とにかく、また妹を救っていただき、ありがとうございました」


 ショウは、ウサギの前で深く頭を下げる。

 女性は驚きつつ、彼の態度に思わず優しい笑みを浮かべる。


「良いのよ、頭を上げて。私達は研究で彼女のことを探していただけだから」

「研究で探していた? エリちゃんを?」


 そう訪ねると、彼女はゆっくり頷く。


「アナタは……水瀬ショウ君……で良かったわよね?」

「はい、そうです。覚えていてくれたんですね」

「ええ……まあ、君のことは少しこちら側でも調べている所だから……」

「調べている? 僕を?」

「ええ、あまり深くは話せないけど、いろいろと……もし、良かったらアナタに少し聞きたいことが……」


 女性が話だそうとした途端、画面の右側から色白でポッチャリとした顔に黒縁眼鏡を掛けた見覚えのある顔の男がデカデカと割り込んできた。


「へへへ! よう、元気かジャップボーイ! 今回もお手柄だったな!」

「あ、アナタは!?」


 ショウが名前を言おうとした時には、男は両親指で自分の顔を指し示し、白衣を翻しと見事なビール腹を前へと突き出す。



◇◇



「そう! 天才エンジニアであり、FPSランカーで最高にクールなデーブ様だ! まさか、忘れてたなんて言わねぇよな?」

「はい! 覚えてますよ! この前は本当にありがとうございます! デーブさん!」

「今、デブって言ったよな?」

「……え?」


 先ほどまでノリノリだったデーブは急に真剣な表情を見せ、さらに声を荒らげる。


「今、俺のことデブって言ったよな!」

「ええ!? い、言ってませんよ! 僕はデーブさんって……」

「また言いやがったな! もうゆるさねぇ! この改良したウサテレを使ってテメェの顔を脳髄ごとニンジンミサイルで吹き飛ばしてやラァああああ!」


 顔を真っ赤にしたデーブは、ドタドタと画面の右側へと戻って行く。彼の図体で見えなかった栗色の髪の女性は、呆気に取られていた表情だったが――


「ちょ、ちょっと、ごめんなさいね!」


 と、ショウに向かって謝りつつ、急いでデーブが消えた画面の右側へと走っていく様子が見えた。


「うおおおおおおお! 離せ、ミス・ユリエ! アイツは殺す! ブチ殺す!」

「止めなさい、ブラウン! いい加減、自分の名前と太っていることを聞き間違える癖は直しなさいって言っているでしょ!」

「ちげぇ! アイツは言ったんだ! 俺のことをデブさんって、嬉しそうな顔で言いやがったんだ! ゆるせねぇ!」

「言ってないでしょ! そんなに自分の太った体がコンプレックスなら、少しは痩せる努力をしなさい!」

「ミス・ユリカ! 今、アンタも太ってるって言いやがったな! ゆるさねぇ! ああああああああ!」

「きゃあああああああああ! ブラウン何するの!? ヤメ……止めなさい!!」

「ぎゃああああああああああ!!」


 画面の向こう側から電気の走るバリバリとした音と共に、テレビウサギがその場でジタバタと左右に転がり始める。


「あ、あのー……」


 どうしたら良いものかアタフタしていると、エリを連れたモエカが近づいてくる。


「どうしたんだショウ?」

「い、いや……このウサギにお礼を言おうと思ったんですけど、途中で喧嘩し始めちゃって……」

「喧嘩?」


 そんな説明をしていると、ウサギはピタリと動きを止め元の位置に戻る。画面の右側から白衣のよれた栗色の髪もボサついた女性が息を切らしながら戻ってきた。


「ハァ……ハァ……」

「だ、大丈夫ですか?」

「……ええ、大丈夫よ。ごめんなさいね、お見苦しいところを」


 白衣と髪を直しつつ息を整える彼女は、一通り作業を終えた後に真っ直ぐショウ達に顔を向けた。

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