〈66〉入口と出口

 タクシーが大学に到着すると、


「ここでいいわ。また明日ね」


 そう言って玲と口づけをかわし、霞はタクシーを降りた。


(あなたみたいなどうしようもない不器用な子に頼れるわけないじゃない)


 タクシーが去るのを見送りながら、彼女は思った。



 そのままタクシーの影が完全に消えたのを確認し、大学に入る。


(カムチャッカの非常事態体制は今日まで。人工知能システムがこのままロックされていけば、明日には確実にパニックが起きる。それまでに、なんとかしなきゃ)



 ◆◇◆



「あら、こんな時間に来たの?」


 研究室には翔子がいた。


「今日でないとダメなの」


 自分の椅子に座ると、霞はコンピューターを立ち上げた。


「動物の飼育を許可した覚えはないんだけどね」


 そうつぶやきながら翔子は、ぐっすり眠っているアルジャーノンに目を細める。


「博士の教え子たちが手掛かりから『博士は未来から来たかも』って仮説立てているんだけど、大丈夫なのかしら?」


 モニターを眺めながら、他人事のように霞が言った。


「何が?」


「遺品は隠滅するんじゃないの?」


 そう話す霞の背中を眺め、翔子が微笑む。


「そんなこと気にしてたの? 大丈夫じゃない?」


「なんで? わたしは言ってないけど、博士の遺品から導き出したってことじゃない?」


「あなた、まだ理解してないようね。それを信じて彼らは目標を失うかな?」


「それはないな」


「やる気を失うかな?」


「それもない。むしろやる気になるタイプね」


「なら、なんの問題もないわ」


「ふーん」


 答えながらもモニターから目を離さない霞。


 ここ数日調べていたのは、真奈美の過去だった。これまで博士を中心に調査してみたものの、なんの手掛かりも見つからない以上、組織外のところで彼の親族を調べるしかなかったのだ。


 だがそこで見つかったのは、七年前のフードデリバリーの事故の記事だけだった。


(結局何もわからずじまいね)


 あまりにも現実とかけ離れた内容に、これ以上の調査をあきらめた霞は、検索したデータの痕跡をコンピューターからすべて消去した。


 翔子の方に目をやる。彼女は目を覚ましたアルジャーノンと遊んでいた。


「そうだ、一つだけ聞きたいんだけどさ、アシュレイがホログラムを『ヒト』と認定する可能性はあるかな?」


「ホロを? 子孫を残せない段階で生物ですらないと思うけど?」


「それはリアルでの話?」


「仮想世界で子供作ったってしょうがないでしょ? 不老不死なんだから子孫を残す必要もないけど」


「それもそうね」


 翔子の言葉にうなずきながらも、霞は玲の話が気になっていた。


(もしあの子の言うことが正しければ、アシュレイはタイムマシンの目途がつき、人間の存在意義が完全に失われた段階で、不老不死のリアルホロで人類を補完しようとするんじゃないかしら? 子供を産めるリアルホロができるのかなんてわかんないけど。もちろんそんなシナリオ、認めるわけにはいかないけどね)


 かぶりを振った霞は、立ち上がって白衣を脱ぎ、京子からもらったネックレスをポケットから取り出すと、しばらくそれを眺めてから自分の首に巻いた。そのまま白衣を椅子に掛け、ドアに向かう。


「聞きたいことは、もうないの?」


 立ち去ろうとする霞に翔子が声をかけた。


「そうね。今からわたし、大学病院の悪魔に会いに行くんだけどさ、餞別せんべつくれない?」


「証拠は見つかったの?」


「ううん。けど時間がないの。勝てると思う?」


「私にはわからないわ。それはもう、あなたの意志の強さ次第だから」


「それもそうね」


 霞は大きく息を吐き、再びドアを開ける。そのとき、思い出したように翔子が言った。


「いいこと教えてあげる。時空を超える場合もやっぱり入口と出口ってあってね、相手に弱点があるとすれば、それかもね」


「そうなんだ」


「それと玲くんだっけ? あのかっこいい子。もしあなたが帰ってこなかったら、私がもらっちゃうけどいいよね?」


「絶対にダメ!」

 


 ◆◇◆



 タクシーに乗ると、霞はカムチャッカ本部に向かった。


 ―― 時空を超える場合もやっぱり入口と出口ってあってね、相手に弱点があるとすれば、それかもね


(どういう意味かしら?)


 翔子の言葉の意味を考えながら、霞はふと、自分の手に握られたものに目をやる。


(結局、玲の前ではこれ、見せなかったな)


 首からさげたアメジストのペンダントをしばらく眺めた後、窓の外の景色に透けて見える自分の姿を目に映した。


(いまさらだけど、わたしって、美人よね? 性格はアレだけど)


 髪をかき上げ、窓を見ながら一人ほくそ笑む。もし自分が死んだら周りの人が悲しむんじゃないだろうか? などと考えていたことが遠い昔のように思えた。


(一人の男の心の中で生き続ける、っていうのも悪くないわよね?)


 そんなことを考えると、一人だけの車内でなんとなく大声を出してみたくなった。


「あなたって本当に残念な人よねーっ!」



 ◆◇◆



 タクシーを降り、組織本部に入った霞は、それとなく周囲をうかがう。灯りはついているものの、地震対応にほとんどの人員が駆り出されているせいか、内部ですれ違う人はいなかった。


 霞は飲水機でのどをうるおすと、自分の資料を整理して机にしまいこみ、IDカードで別室に入る。


 そして自分の棚から拳銃と弾薬、爆薬を取り出し、チョッキを着た。その時ふと、私物をしまっていた小箱に目が止まり、手に取って開けてみる。


(なんだろ? これ)


 記憶にないおもちゃが出てきた。きっと自分が幼い頃にこれで良助と遊んだのだろう。思い出せない自らの過去と葛藤しながらそれをしばらく眺めた後、再び箱に仕舞い込もうとした手が止まる。


(良助、今だけ一緒にいてね)


 思い出せない想い出をそっと自分の胸に仕舞い込み、手にしたシュシュで髪を後ろで束ねると、人に見つからないよう本部を抜け出す。


 そしてそのままタクシーに乗り込み、大学病院に向かった。













 ――ガチャ


 草吹の研究室のドアをノックせずに開ける。中には草吹がいた。






 

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