〈54〉まなみん、ピアノ弾いてよ

 キッチンで三人が片づけにかかる。


「ごめんね、手伝ってくれて。ありがとう」


「そんな、料理はほとんどまなみんに作ってもらったんだから、これくらいしなきゃ」


 そう言って笑いながら霞は、慣れない手つきで食器を洗った。


「あたしも料理作るのは好きなんだけど、お片づけはめんどくさいのよね~」


「あれ? 自動食器洗い機とか、ないの?」


「なにそれ?」


 真奈美が真顔で聞きかえす。


「いやさ、うちもないけど、それはうちが料理しないからないからであって、料理する家のキッチンにはそういった家電があってもおかしくはないんじゃないかな? と思うんだけど」


「あ、そうか!」


「作ってもらったらいいじゃない、雅也くんに」


「えっ? なんで?」


「雅也くん、まなみんの手料理食べたんでしょ?」


「うん」


「……どうだった……の?」


 横でゴミを片付けていた涼音がすかさず聞いてきた。


「なんか、ほめてくれた」

「……おおー!」


「いや、あの時はあたしが落ち込んでたから、励ましてくれたんだと思う」


「そんなことないよ。雅也くん、そういう意味ではまったく気が利かないと思うし」


「……私も……そう思う」


「というか、今の雅也くん、絶対まなみんにぞっこんだって」


「いやー、それはないでしょ」


「涼音はどう思う?」


「……私も……そう思う……雅也くん……優しいけど……恥ずかしがりや……だし」


「は? そうなの? まったくそうは思えないんだけど」


「……だから……食器洗い機……私も……作れるけど……雅也くんに……嫌われるから……やめとく」


「そんなところまで気を回さなくてもいいです」


「けど、まなみんすごいよね。ほぼ毎日自分で料理するなんて。男の妄想の世界の話みたいよ」


「いやいやいや、かすみんこそなに言ってんの。このご時世でもあんたをほっとく男なんて、絶対いないよ~。頭脳明晰、美人でスタイル抜群、おしとやかなお嬢様って感じで……それに比べたらあたしなんか、がさつだし、本当になにもないし」


「またそんな嫌味を。あなた、スタイルすごいじゃない」


「……まなみん……さわっても……いい?」


「えっ?」


「……おっぱい」


「あ、まあ、いいわよ」


 涼音が真奈美の胸に手を当てる。


(涼音にさわられると、なんだか、だっこしてあげたい気分になるな……)


「……いいなー……おっきくて……」


「本当、うらやましいわ」


「……かすみんも……いい?」


「え、ああ、いいけど」


 涼音の腕が伸びて霞の服をたくし上げる。そこには割れた腹筋があった。


「……あ」

「か、かすみん?」


「はい」


「アニキって呼んでいい?」


「それだけは勘弁してよ」



 ◆◇◆



 応接間で霞と涼音がジュースを飲んでいると、真奈美が入ってきた。


「お風呂沸いたよ~。二人からどうぞ」


「じゃあ、お先にいただくわね」


 霞がお風呂に行く。ドアが閉まると、涼音がはにかみながら聞いてきた。


「……まなみん」

「なぁに?」


「……どうしたら……おっきく……なるのかな……おっぱい」


「そ、そうね。あたしは……なにもしなかったから大きくなったのかな」


「……牛乳は……飲んでるん……だけど」


「涼音が心配する必要ないよ。あんた十分かわいいもん」


 その言葉の途中で涼音が真奈美にすり寄ってきた。


「……顔……うずめて……いい?」

「え? いいけど……」


 真奈美の胸に顔をうずめる涼音。

 真奈美の手が自然と抱きしめる。


((涼音)……ああ……これだわ……この幸福感……)

((真奈美)……ああ……これだわ……この幸福感……)


 ――ガチャ


「お先にお風呂……って、あなたたち、何してるの?」



 ◆◇◆



 風呂上がりの真奈美が応接間に戻ってきたとき、


「まなみん、ピアノ弾いてよ」

 霞が言った。


「えっ、今から?」

「うん」


「……私も……聞きたい」


「いいけど、長いこと練習してないから自信ないなぁ〜」


「とかいいながら上手なんでしょ? 聞かせてよ」


「しょうがないなぁ〜」


 真奈美は立ち上がると、ピアノの前に座り、弾き始めた。彼女の優しい指先がつむぐ旋律が応接間に流れる。


  🎼.•*¨*•.¸¸🎶🎼.•*¨*•.¸¸🎶


 前奏が終わった直後、


(あれ? この曲、どこかで聞いたことが)


 霞はなぜか、遠い昔の記憶を掘り起こされていく気がした。


 小さい頃の家族の記憶……確かお母さんがいた時の思い出……


(そうだ。私にもお母さんがいた)


 静かでもの悲しい真奈美の演奏が、かすかな霞の記憶をなぞる。



 ――ぱちぱちぱち


 曲が終了し、涼音の拍手で霞は我に返った。


「あれ? かすみん、どうしたの?」


 霞がなぜか目を潤ませているのに真奈美は気付いた。


「ううん、なんでも。なんか、こういうのいいなって、ちょっと思ったの」


「そっか、なんかしんみりさせちゃったね。もう寝よっか」


「そうね」



 ◆◇◆



 ベッドに真奈美と涼音が入り、床に敷いた布団に霞が横になる。


「おやすみなさい」


 そう言って真奈美が電気を消した。


「こうして三人でいると、なかなか寝つけそうにないわね」


「zzz……」


「……かすみん……もう……まなみん……寝ちゃったよ?」


「(早っ!)そ、そうみたいね。わたしたちも寝ましょうね」


「……何か……お話……して」


「えっ?」


「……かすみんの……お話……聞きたいな」


「お話かー、うーん、じゃあ、一つだけ」


「うん」


 暗がりの中、霞が語り始める。


「昔、耳の聞こえないナミという女の子がいました。声を出して話すこともできず、体も弱く、病気がちでしたが、強い姉と賢い妹と一緒に、助け合って生活していました。


 ある日、ナミの妹が嫁に行くことになりました。姉は妹に両親から譲り受けた家を与えました。ナミは妹のために、愛情を込めた料理を作りました。


 結婚式の後、ナミは姉と家を出て二人で生活していましたが、今度は姉が嫁に行くことになりました。妹は姉に、新しい家を与えました。ナミは姉のために花嫁衣裳を仕立てました。


 そして、ナミが嫁に行く時が来ました。姉と妹はナミに何をしてあげられるのか考え、最高のプレゼントを用意しようとしました。でも、ナミは二人に伝えました。


『わたしは何もいらない。二人はこれまで、自分の身を削ってでも、わたしに生きる力を分けてくれた。わたしの耳になってくれた。わたしの声になってくれた。わたしはこれまで、二人からたくさんの思い出をもらった……』」


「……それで……どうなった……の?」


「ごめん、忘れちゃった。えっと、なんだったかな」


「……でも……優しい……悲しい……話……だね」


「そう?」


「……かすみん……私……かすみんの……妹に……なってもいい?」


「え?」


 この子は突然何を言い出すんだろう、と霞は思った。


「わたし、涼音のこともまなみんのことも妹のように思ってるわよ。こうやって一緒にいると、すごく楽しいし」


 涼音は何も言わない。

 次の言葉を霞が考えていた時だった。


「……例えば」


「あ、うん」


「……私が……デックの……お嫁さんに……なったら……」


「…………」


「……私……かすみんの……妹……だよね?」


「(こっ、この子、あなどれなさすぎ!)えっ? 涼音、良助のこと、好きなの?」


 予想だにしていなかった質問に、霞は内心うろたえながら無理やり話をそらした。


 黙った涼音に対し、言葉を選びながら続ける。


「あいつ本当にいい奴だよ。涼音が良助のことを好きなら、わたし、応援するよ」


「……本当?」


 涼音の声がはずんだ。


「もちろんよ!」


「……もし……かすみんが……反対だったら……どうしようかと……思ってた……」


「良助には自分の気持ち、伝えているの?」


「……ううん……まだ」


 涼音の声には戸惑いの色が見えた。

 霞は目をつぶる。


「もし涼音が、妹になってくれたら、わたしもうれしいな」


「…………」


「涼音、良助のどこが好きなの?」


「……うーん……全部……かな」


「(うっわ!)そ、そうなんだ」


 霞はなぜか自分が恥ずかしくなるのを感じた。元々普通の姉弟以上に仲がよかった上に、良助の成長を一番近いところで見てきたせいか、涼音にそこまで言い切られてしまうと、妙に気恥ずかしくなったのだ。


「……かすみんは……誰が……好き……なの?」


「えっ? わたし? わたしは……そうね」


 自分の話を振られ、霞は目を開けた。


「……デックの……ことは……好きじゃ……ないの?」


「あの子はそもそも、恋愛対象じゃないわね」


「……そうなんだ……よかった……」


 涼音にたじたじになりながらも、彼女が知りたかったのは、最後のところだとわかり、霞はほっとした。自分のことはまったくわからないけれど、良助と涼音の、仲むつまじいところを想像すると、子を嫁に出す親の気持ちって、こんなものなのかな? と、ちょっとだけ思った。


 気がつくと、涼音も可愛い寝息を立てている。霞も再び目をつぶった。

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