〈50〉コントローラー
「えっと、ここか…………って、あれ?」
霞は目を疑った。京子の調べた境井翔子の住所をたどると、大学だったのだ。
(どういうこと?)
個人の自宅住所として明らかにおかしいはずだが、行政システムは疑問を抱かないのか? それとも「来訪者」はシステムの情報を上書きできる、ということか? 博士や涼音の祖母のデータがおかしくなっていたこととも関係があるのだろうか?
しばらく考えた霞はもう一度京子に連絡しようとして、やめた。常識の通用しない来訪者を相手にする中で、既存の情報に頼っても意味がないと思ったのだ。
意を決した霞は、そのまま構内に入っていった。
◆◇◆
「おはよう。来ると思ってたわ」
カードキーで研究室のドアを開けると、中にはやはり翔子がいた。
「『思ってた』じゃなくて、『わかってた』じゃないの?」
嫌味っぽく言い返す。
「ううん、そんなこと予知しないもの。暇じゃないし」
「やっぱりあなたにも予知能力があるの?」
「まあね。といっても今は断片的にしか使えないけど」
「断片的?」
「そう、断片的。情報が統合されないと確実な答えは出せないじゃない? 高校で習わなかった?」
「悪いけどわたし、高校行ってないもので」
「あなたも? あの篠原良助って子と一緒?」
「(あ、良助のこと知ってるんだった)そうよ。で、教えてほしいことがあるの。わたしたちを狙う存在って、何者?」
「狙われてる?」
「うん、たぶん。昨日の窃盗犯の件と、わたしの記憶に何かを埋め込んだ相手の件、知りたいんだけど。それとあなたや博士のことも」
翔子が自分にとって敵なのかどうか確認すべく、霞は遠回しに聞いてみた。
「ごめん、いっぺんに言わないで、私CPUは優秀だけど、メモリが2bitってよく言われるの。ちょっとずつでお願いできないかな?」
「未来にもそんな比喩があるのね。だけどそれじゃ一文字も覚えられないわ」
冗談なのか皮肉なのかわからないが、博士の時とは勝手が違い、調子をくるわされる。
「えっと、最初はなんだっけ?」
「……じゃ、わたしの頭に何かが埋め込まれた件」
「ああ、あれね。あれはコントローラーの種」
「何それ?」
「あの種が脳内に埋め込まれて成長すると、植えた相手に操られちゃうの。リアルマルウェアって言えばなんとなくわかる?」
「気持ち悪いんだけど! けどそれって催眠とか暗示とかに関係あるの?」
「直接的には関係ないけど、脳のメモリ領域を使うから、間接的に暗示にもかかりやすくはなるわね」
「なんか辻褄が合うような、だまされてるような」
「なんで?」
「だって遠隔操作って、命令を電波か何かで飛ばさないといけないんじゃない? って昨日のわたしたちの会話、聞いたんじゃないの?」
「メッセージを送ればいいのよ。それを受信するのがあの種の役目なんだから」
「そのメッセージって何?」
「あなた昨日空間移動したでしょ? ダイレクトに物を送るって意味がわからない?」
「同じ原理なの? じゃあさ、埋め込んだコントローラー経由で脳を破壊することもできちゃうわけ?」
「もちろん。そのほうが簡単だし。窃盗犯が死んだのもそれで説明つくでしょ?」
「なんでそんなことが可能なの?」
「そりゃ未来の技術だもの。種が脳に同化していって、完全になじむまでの時間には個人差があるけどね」
「その種も空間移動で埋め込むってこと?」
「そう。だけど頭の中ならどこでもいいってわけじゃない。脳をスキャンして、埋め込める場所を特定し、そこに種をピンポイントで飛ばさないといけない。人をコントロールすることは殺すことよりも難しいのよ。だからある程度の設備が用意された場所で、ターゲットを固定してから埋め込む必要があるはず。そんなことをされた場所に心当たりはない?」
「例えば病院のようなところでグースカ寝てたら埋め込まれる可能性はある?」
「もちろん。それどこ?」
「この大学の敷地内じゃないよ。ここからタクシーで10分ほど行ったところ。そこで草吹っていう医師が脳波の研究をしてるの。きっと、そこでその種を埋め込まれたんだと思う」
「そっか」
うなずきながら翔子は何やら考え始めた。
「ところであなたはこの世界に何しに来たの? まさかわたしを助けに来たわけじゃないでしょ?」
「まあね。一言で言えば『時の正常推移』を監督するため」
「正常推移? どういうこと?」
「順を追って説明するわね。未来がいくつか派生する可能性があることは、理解できる?」
「えっと、まあ……」
「その多くは人間の意思決定のぶれによって生まれる分岐なんだけど、その一方で確定事項もあるの」
「確定事項?」
「生物や物体や空間の最長寿命って言えばわかるかな? 一般的な『命』の初めから終わりまでの期間のこと」
「よくわかりませんが……まあ、いいです」
「でね、今って私のいた時代に向かって――」
「あれ? そういえばおかしいな?」
「何が?」
「今は人口減少に歯止めかからなくて近々人類滅亡って言われてるの。なのに未来に人がいるの?」
「そりゃいるわよ」
「たくさん?」
「うじゃうじゃいるわ」
「女性もモテまくり?」
「うはうはよ!」
「……怪しい」
「なんでよ! 現代の尺度で考えないでよ! でね、その正常な未来なんだけど、過去、つまり現在のこれから先に変な展開を迎えると、段階を追って消えてしまう可能性があるの」
「わかるようなわからないような――」
「さっきの話のように、未来に誰もいなかったら、私もここに来れないわよね? だから私や木村先生は現在の人間、つまりあなたたちが正常な成長を遂げて、私たちの時代を迎えられるようにコントロールする必要があるわけ。あなたたちだって滅亡したくないでしょ?」
「そりゃまあ」
「でもさ、そんなに複雑に考えてなかったのよ。木村先生がおぜん立てしてくれてたから、このまま発展しさえすれば問題ないかなって。けど、そんなに甘くなかったみたい」
「どういうこと?」
「『私の他に、別の未来から誰かが来てる』ってこと」
「ふーん、それで?」
霞がほおずえをついて答える。
「私の説明、理解できてる?」
「いや、あまり理解してないし、まだあなたのことを信用したわけでもないけど話は最後まで聞こうかな、と」
「……どれだけやばい状況なのかわかってるの?」
「本当にあなたの言葉の通りだったらね。逆にあなたはどうしたいの?」
「競合する未来があるとわかった以上、正常推移を邪魔する相手は排除しなくちゃならないけど、情報を集めなきゃ。相手がどれくらいの技術力を持ってるのか判断できないもの。だからあなた、助けてくれない?」
「なんで? あなた未来が予知できたり空間移動できたりするんでしょ? 相手を特定すれば簡単にやっつけられるんじゃないの?」
「特定できたらの話よ。できたとしてもそんなに簡単じゃないんだけどね」
「なんで?」
「未来から来た私がこの時代に関与できることなんてたかが知れてるから。というか私が直接手出ししちゃいけないの」
「……あのさ、あんたいったい何しに来たのよ?」
「だから時の正常推移を監督するためよ」
「じゃあその監督権限を行使すればいいんじゃないの?」
「私にそんな権限ないもの」
「……意味わかんない」
「木村先生が何か大っぴらに活動してた? 違うでしょ? 私だって同じよ」
「それってつまり、現代に生きるわたしたちを使って何とかするってこと?」
「まさにその通り!」
翔子がにっこりと笑った。
「……わたし帰っていいかな?」
「あ、ごめんなさい。気に障ったなら謝るわ。だけど本当の事なの」
無視して霞が席を立った。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 行かないで! 私の話を聞いて!」
「どうにも信じられないんだけど‼」
言い放って霞がドアを開けた瞬間、翔子が飛びついてきた。
「ごめんなさい! 私、一つだけ嘘ついてた。それだけ聞いてよ!」
「ちょっ! わかった! わかったわよ!」
半泣きの翔子に抱きつかれ、しょうがなく霞は席に戻った。
「正直に言うと、未来で女性がモテまくりっていうのは嘘です」
「そっち!? 嘘ってそっち?」
「うん。男はみんな草食系。だから私、いい男を探しに時をさかのぼって来たの」
「…………」
「本当にごめん」
「……それはどうでもいいんだけどさ」
「もっと楽な仕事だと思ってた。まさかこんな大変なことになるなんて……」
円卓の上で頭を抱える翔子。
「あなたが使えないのはよくわかったよ」
霞は突き放して言ったつもりだったが、翔子は目を輝かせて言った。
「理解してくれてありがとう! 当然助けてくれるよね?」
「やだよ! なんでそうなるのよ! 未来人同士の争いに巻き込まれる義務ないし。勝手にやってよ」
「そんな! 未来がどうなってもいいの? 人類滅んじゃうんだけど!」
「だけどさ、相手の人間がいるってことは、人類滅んでないって事じゃない?」
「違うの。未来から来るのは人間とは限らないのよ」
「え? どういうこと?」
「競合する未来からこの時代に飛んでくるのが未来人なのか、エイリアンなのか、それとも人工知能なのかなんてわからないってこと。むしろ人間である可能性の方が低いし、何が目的でどうやって危機を回避すべきなのかも不明。だからまずは情報が必要なの」
「あー、そういうことか」
「私が強気に出れない理由、わかってくれた?」
「それはまあ。だけど結局はわたしを操りたいんでしょ? やってることは相手と変わらないじゃない?」
「そんなこと言わないでよ、子孫を見捨てる気?」
「博士に言われたらやる気にもなるけど、あんたの言うことを聞くというのはなんか嫌なの」
「ひどい! せっかくコントローラーはずしてあげたのに!」
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