〈17〉昇段試験

 翌日、会場に着いた良助は、自分から西崎を探した。


 狭い試験会場で彼を見つけるのに、さして時間はかからなかった。


「西崎さん、ですよね?」


「……君は……良助くん?」


「そうです。昨年、決勝で尾崎とやりあった篠原良助っす。直接お話しするの、初めてっすね」


 そう言って西崎の隣に腰をかける。


「どうしたんだ、その体。空手やってないのか?」


「はい、あの決勝の後、やめましたから」


「おいおい、冗談だろ? 高橋さんに何か言われたのか?」


「いえ、オレ1年ダブりなもんで、今年出る気なかったんっすよ」


「ああ、そういうことか」


 そう答えながらも西崎は、少し惜しそうな表情を見せた。良助は会場に目を向ける。


「西崎さんは、今日はお弟子さんを見にいらっしゃったんっすか?」


「弟子なんていないよ。僕まだ中2だよ?」


 そう言って笑う西崎に、良助は眉をひそめた。


「じゃあ、なんで? 西崎さんは今日の試験、受けてないっすよね?」


「そうだな……なんでかな……」


 良助の言葉に目を伏せる。


「かすみんに会いに来たんじゃないんすか?」


「いや、違うな。彼女、昇段試験なんか受けないだろうし」


「じゃあ、オレ?」


「……そうかもな」


 軽い良助の口調に西崎も冗談めかして答えた。


「西崎さん」

「ん?」


「オレのこと、知ってるよな?」

「…………」


一昨年おととし、あんたとかすみんが一緒にいるのを偶然見かけちまって、結構親しいのかな、って思ってたんだ。去年の春もここに来てたっしょ。かすみんとちょっと話してたよね?」


「…………」


「でも気になってたんだ。あのかすみんがオレ以外の男と親しくしてるのって、あんまり想像できねーし。ってことは、ひょっとしてあんた、オレの過去のことも知ってるんじゃね?」


「まあ、多少は知ってる」


「そーなんだ。じゃあ――」


「君に教えるかどうかは別として、だが」


「どうしてだよ?」


 問い詰める良助に西崎は興味深そうな笑顔を浮かべた。


「なぜ僕に聞こうとする? 他の人は教えてくれないのか?」


「誰も教えてくれない。オレが何者なのか――」


「勝手にそう思うのは構わないが、仮にそうだとしても、それには教えられない理由があるとは思わないか?」


「だからこそ知りてーんだよ。それを理解しねーと、オレはこの先、前へ進めない気がするんだ」


「知らぬほうが良いこともあるぞ」


「そういうわけにはいかねー。教えてくれ」


 真剣な良助に西崎は少し考え込み、そして言った。


「……条件がある」


「なんだ」


「一つは、僕から聞いたということを誰にもしゃべらないこと」


「それはもちろん約束するよ」


「もう一つは、今から僕に挑んで勝つことだ」


「は? なんすか? それ」


「知りたいんだろ? 自分の過去を」


「でもそのためには今日、あんたと勝負しろってことっすよね?」


「怖いか?」


「いえ、受けます」


「ほう」


「道場行きましょう」



 ◆◇◆



 他に誰もいない道場に秋空から西日が差しこんでいた。


 胴着に着替えた二人は距離を取って柔軟体操を始める。澄んだ空気の中に緊張感がみなぎり始めた。


(オレはブランクがある分、スピードもスタミナも落ちてる。そもそも簡単に勝てるような相手じゃねーし、何発入れられても踏みとどまるしかねー)


 そう思いながら良助は畳の上にあがる。


 そして、西崎と向かい合って礼を交わした。


「行くぞ」

「お願いします!」


 西崎は最初の構えから良助のブランクを突く形で積極的に攻めに出てきた。対する良助は防戦一方。


(どうした? こんなものか?)

(くそっ、隙がねえっ)


 真剣な中にも余裕を見せる西崎。攻撃の後の動きが速く、反撃の余地がない。それどころかブランクのせいで気ばかりあせり、体がついていけない。力んでばかりで足が出ないのがもどかしい。


「……ハァ、ハァ」


 西崎のプレッシャーと打撃に体力を削られ、次第に息が上がってきた。そして、鋭い蹴りが良助の軸足に直撃した。


(マジでやべえ)


 倒れまいと踏みとどまりながらも痛みに顏をゆがめた瞬間、西崎が決めにかかる。下がれない良助のみぞおちに向け、腰をおろして突きを繰り出したそのとき、その西崎の先の動きが良助には見えた。


(次にくる蹴りの前、ここで止めるっ!)


 がちっ と鈍い音が響く。


 良助は自分の腹の前30cmのところで、左のこぶしを合わせ、西崎の拳を打ち砕いた。


「ぐっ!」


 予想外の反撃にうめき声をあげる西崎。その足が止まった一瞬を良助は見逃さなかった。


「ぬぅぉおおおおっ‼」


 渾身の右の拳が彼のガラ空きの腹に突き刺さり、西崎はもんどりを打って倒れた。


「ハァ、ハァ……大丈夫っすか?」


「…………」


 西崎は信じられない、という表情を崩さない。良助も信じられなかった。だが昨年、尾崎対策で動画を何度も見直していた良助は、無意識のうちに西崎のリズムとクセを見抜いていたのだ。


「誰にも言いませんよ。約束します」


 その言葉に西崎は起き上がると、良助に向けて礼をした。あわてて良助も礼を返す。


 彼は何も言わず、道場の隅に歩いて行った。


 良助もついていき、二人で座り込む。


「デックの突きと同じだった」


「?」


「尾崎だ。僕らはデックって呼んでいた」


「あいつの突きは重いっすからね」


「君の突き、あいつと同じだけの威力があった」


「そうっすか? あいつ、今どうしてるんすか?」


「……死んだよ」


「え! なんで?」


 その問いかけに西崎が顔をあげる。


「まっすぐな奴だった。君みたいに。なんで殺されたのか、不明なままだ。大学病院からの帰り道で血まみれで路上に倒れていたらしい。だが誰にやられたのか、まったくわかっていないんだ」


「喧嘩か何かで恨みを買ってたとか?」


 西崎は首を振った。


「あいつに限ってそんなことはない」


「…………」


「今日はあいつのかたきの手掛かりを探しに試験会場に行ってみたんだが、何もわからなかった」


「そうだったんですか」


 良助の言葉とともに再び顔を落とす西崎。


「君のことだが、落ち着いて聞け。君と高橋霞は実の姉弟、双子だ」


「……マジかよ」


 それっきり良助は黙ってしまった。


「聞かないほうがよかったか?」


「いえ……教えてくれて、ありがたいっす。いろいろと踏ん切りつきました」


「ほかのことは聞かないのか?」


「それだけわかれば、もう十分っす」


「そうか……」


 そう言って西崎が目をむけると、うつむく良助の横顔に、しみじみとした笑顔が見えた。


 その良助が顔をあげる。


「西崎さん」


「ん?」


「やっぱり、もう一つだけ教えてください」


「なんだ?」


 良助は一呼吸おいて聞いた。


「西崎さん、かすみんのこと、好きでした?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る