(72)時の軌跡

 三人が研究室に到着すると、涼音はすでにプレゼンの準備を終えていた。


「……システムの……ロックが外れ……今後二年……記録できてる」


「おお! やったか!」


 円卓に座った良助が喜びながら横をちら見する。


 雅也の表情は沈んだままだった。


「だが、なぜだ? 予定ではもっと時間がかかったはずだが」


 腕を組んだ玲がたずねる。


「……ロックが……解除……された段階で……演算が……終了してる」


「まさかその結果、システム全体に公開されているのか?」


「……ううん……演算室……だけ」


 涼音は首を振った。


「ん? オレらだけがこの情報にアクセスできるってことか?」


 良助が口をはさむ。


「……うん……精査は……まだだけど……量的に……想定内……この中」


 涼音が手にしたメディアカードを示した。


「なぜロックが外れたのか、わかるか?」


 もう一度玲が確認する。


「……わからない……外れたのは……昨夜……1時4分……みたい」


「昨日俺たちが博士の家を出たのが確か10時ごろ。ということは……霞?」


「……かすみんには……連絡した……けど……知らなかった……みたい」


「なに? じゃあ、いったい誰が?」


「……私たち……以外の……誰か……かも」


 突然、これまで黙っていた雅也が顔を上げ、自分の端末を開いた。


 みんな固唾を飲んで動向を見守る。


 だが、履歴を確認した雅也はかぶりをふって端末を閉じた。


 そのとき、


「いったい何があった! いいかげん教えろ!」


 隣に座っていた玲が雅也の胸ぐらを掴んだ。


「お、おいおい! やめろよ」

「うるさい、お前は黙ってろ!」


 あまりの剣幕に、さすがの良助も手が出せない。


「……席……外すね」


 立ち上がった涼音がドアを開けて出ようとしたとき、雅也が口を開いた。


「ありがとう……すべてが……つながった……」


「どういうことだ?」


 掴んでいた手を玲が放す。


 開いた入口から涼音が心配そうな表情を向けていた。


「まなみんの……最後の……メッセージ……」


 雅也の目に涙が浮かぶ。


「マジかよ……」

「…………」

「…………」


「どうしても……信じたくなかった……信じられなかった……今でも……」


 震え声のまま顔に腕をあて、席を立つと、雅也は涼音が開けたドアをふらふらと出て行った。



「ってことは、つまり?」


「あいつの仮説が当たってたってことだ。悪い方にな」


 その玲の言葉とともに、涼音がその場にへたり込んだ。


「……まなみんが……アシュレイだった……なんて……」





「ははっ、まいったよ。俺なんかよりよっぽど人間らしいじゃねーか‼ なんなんだよ、システムさんよ‼ あんた最高かよ! 最後まで俺らバカにされっぱなしかよ! ちきしょう、ちきしょう……」


 その玲の言葉は途中から涙声に変わった。良助も頭を抱える。


 絶望的な感傷と過去の思い出とが入り混じった空気が研究室を支配した。


 

 ――リリリリリン♪


 突然、玲の端末が鳴った。


 白衣の袖で顔をこすり、相手を確認すると、ふた呼吸置いて応答する。


「霞か? いまどこに――」


 その後の妙な沈黙の横で良助が顔を上げた瞬間、


「えっ?…………うそだろ!?」


 声をあげた玲がいきなり立ち上がった。


「な、なんだ?」


「大学病院だ。まなみんが……いる……らしい」


 通話が切れ、良助に答えた玲の声は、何か信じ切れていない様子だった。


「……生きて……るの?」


「わからん。ただ、急いで雅也を連れて行けと――」


 その言葉が終わらないうちに涼音は立ち上がると、自分の端末を開いた。


「あ、雅也にはまだ――」


 言いかけた玲を涼音がにらみつける。


「……今呼ばなくてどうする! ……くっ、つながらない……雅也くん、みんなで探すよっ!」


「「は、はいっ‼」」


 大声ですごまれ、玲と良助は走って研究室を出て行った。



 ◆◇◆



 中庭の木陰のベンチに座り、雅也は一人、うつむいていた。

 

 これまでの思い出が頭に浮かぶ。


 最初に出会ったあの日のこと。

 真奈美の話に乗って勉強し、研究員になったこと。

 博士が消えた時の情けない自分と泣き続けた彼女。

 地震後に歩いた大学までの道。

 

 そして、昨日の言葉。

 

 ――あたしたち……ずっと一緒にいられるかなぁ?



 それらすべてがアシュレイによるものだとわかった今、信じられるものってなんだろう?


 両親か? 玲たちか?


 いったい僕は、何のために生まれて来たのか?


 すべてはアシュレイの盛大な実験だったんだろうか?


 道化として動かされ、心の動きをサンプルにされただけなんだろうか?


 そのためだけに僕は、生まれて来たんだろうか?



 笑えない……。


 笑えないよ……。


 ……なんなんだよ。


 これで僕、お役御免なのかな?


 さみしいよね。


 僕がバカだったんだけどさ。




 父さんの気持ち、わかる気がする。


 なんだろうね。これが絶望?


 他人のために生きる、その気持ちを折られるのって、つらいね。


 僕がバカだったんだけどさ。


 どの面さげて帰ったらいいんだろ?


 こんな姿、父さんにも母さんにも見せたくないよ。


 存在意義? そんなもの、あるわけないのにね……。


 夢みたいなこと、考えてたんだね。



 ◆◇◆



(どこ行ったんだよ! まさかまたレーザー砲か?)


 走る良助が突然、足を止めた。


(んなわけねーよな? だが、マジでどこだ?)


 少し考える。


(今さらあの家には行かねーだろーし、やっぱ構内か? でもどこだ? 植物園か? いや待て、最近あいつが一人で行った場所は? 確かサーバーケースを拾ってきた……カフェテリアの中庭か?)


 あわてて引き返す。


 誰もいない廊下を走り、角を曲がってカフェテリアを通り抜け、ドアを開けたその先に、ベンチに腰かけた所在無げな白衣の姿があった。


「おい行くぞ! 大学病院だ!」


 息を切らして駆け寄るが、雅也はうつむいたまま。何も答えない。


「アシュレイなんかじゃねえ! リアルホロでもねえ! 本物のまなみんがいるんだ!」


「僕は……何者なんだろう」


 つぶやいた雅也は、死んだ魚のような目をしていた。


(くそっ! やりたかねーがっ!)



 ――バッチーン‼



 良助のビンタで雅也が地面に転がった。


「いーかげん目を覚ませや‼ 行くぞおら!」


 だが雅也は起き上がろうともしない。


 らちが明かないと見た良助は、端末を開けた。


「涼音、雅也が見つかった!」

『……タクシー押さえてる! 早く来て!』

「待て! お前からこいつに言ってくれ! ほら雅也、お前も顔上げろ!」


 そう言って端末モニターを渡す。涼音は雅也の暗い表情を見てとると、一呼吸おいて口を開いた。


『……雅也くん、私たち……間違ってた』


「…………」


『……まなみんね、きっとまだ、生きてる』


「…………」


『……彼女、ずっと私たちを……守ってくれてたの』


「……………………え?」


 雅也が一瞬、顔を上げた。


「ほらよ、これがあいつがアシュレイなんかじゃねー証拠だ。さっき言いそびれたが、こんなもの置いてったら大変なことになるぜ」


 良助は白衣のポケットから青いネックレスを取り出すと、雅也の手ににぎらせる。鈍い色をしたそれは、確かに重量を感じた。


『……まなみんを……助けて……あげて』


「……どうやって?」


『……あの子を……一人に……しないで』


 涼音の涙声を受け、雅也の目に、生気が戻ってきた。


『……お願い……勇気を……出して……』


「わかった……行くよ」


 雅也が立ち上がった時、裏から玲がやって来た。



 ◆◇◆



 正門に向かって走るその先に、涼音がタクシーを停めて待っていた。


 良助と玲が雅也をタクシーの後部座席に押し込むと、すぐに発車する。


 息を整える暇もなく、玲は端末で霞を呼び出した。


「霞か、雅也に代わる」


 そう言って雅也に端末モニターを渡す。


 画面には何も映っていなかった。


「霞さん、どういうことですか?」


 横から玲が耳をそばだてる。


 映像送信は遮断されており、彼女が今、どこにいるのかわからなかった。


「え? じゃ、じゃあ、僕らと一緒にいたまなみんは?」


 霞の話を聞いていた雅也の声が裏返った。


「……そうだったのか」


 そのつぶやきに、助手席の良助も後ろを向く。


「行きます! 僕が……背負わなきゃ……」


 そう言って連絡を切った雅也の目には強い意志が戻っていた。



 ◆◇◆



 大学病院付近まで来ると、人だかりができているのが見えた。

 院内で何かが起きたのか、避難した患者を警察官があわただしく誘導している。


 複数の警察車両が目の前の道に横づけになっている。交通整理が行われているようだ。


 その近くまで来ると、タクシーは急にスピードを落とし、警察車両の前で止まった。


「大学病院に行きてーんだが、何かあったのか?」


 タクシーの中から良助が顔を出して警察にたずねると、車両から出てきた警察官が言った。


「君たちニュースを見てないのか? 現在閉鎖中だ。中には入れん。怪我や病気ならほかの病院をあたってくれ」


「え? マジで? なんとかなんねーの?」


「だから一般人は進入禁止だ!」


 隣に座ってやり取りをじっと聞いていた涼音は、しばらく下に目を落としていたが、おもむろにタクシーの非常時ボタンを押すと、手前にハンドルを引き出して、良助に言った。


「……シートベルト……してね」


「は?」


 涼音がハンドルを握り、シフトレバーを引き込むと、タクシーが少し後退した。


「……しっかり……掴まってて」


 そう言って涼音はギアチェンジする。


「え?」


 タクシーが一瞬止まったかと思うと、急発進した。


 ほかの三人があっけにとられる中、助走をつけたタクシーがバリケードの継ぎ目をぶち破った。


「うわっ!」


 良助があわてて目をつぶる。


「……大丈夫! 落ち着いて」


 そう言うと涼音はそのままフルスロットルで大学病院までの混雑の中をうようにタクシーを走らせた。S字カーブをドリフトで切り抜け、三人の絶叫が響くなか、クールにハンドルを転がす。


 最後にサイドブレーキを引くと、タクシーはスピンターンで病院玄関の前にピタッと止まった。


「……雅也くん、早く!」


 涼音が後ろを振り返って叫んだ。


「わかった!」


 タクシーから雅也が飛び出していった。


(……頼んだよ、雅也くん)


 涼音が雅也の後姿を見送った。



 ◆◇◆



 病院の中は警察と医療ロボットでごった返していた。


 合間を縫いながら受付に辿り着くと、真奈美の面会を申し込む。




「それじゃあ、まなみんは――」

『意識はまだ、回復していません』


 受付ホログラムがそう告げた後、目的地が表示される。


 それと同時に雅也は隔離病棟に向かって走り出した。





 ――ガチャ


 病室のドアを開けると、個室のベッドで女の子が眠っていた。

 髪はおかっぱに切りそろえられていたが、その顔は間違いなく、真奈美だった。


 彼女のベッドのそばで立ちつくす雅也。






 窓の外は夕焼け空。

 病室の外には誰もいない。


 雅也は椅子に腰かけ、真奈美の手を握っていた。

 彼女は静かに眠っている。






 夜になった。雅也は部屋の明かりをつけず、真奈美に寄り添う。


 暗がりの中、雅也は彼女に、そっと口づけした。




 雅也が眠りに落ちるころ、夜が明けようとしていた。

 椅子に座ったまま眠るその顔は、穏やかだった。





 ほおからしずくが一滴、こぼれ落ちる。























 同じ時、大学病院の別の部屋に、もう一人の意識不明者がいた。






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