(12)理想のコミュニケーション空間

「けど博士、なんで僕らの親が同意してくれるって、わかったんですか?」


 翌日、博士の自宅に集まった二人が、さっそく疑問をぶつけた。


「『子は親を写す鏡』っていいましてね。良い子供が育つ生活環境っていうのは大抵良い親子関係、良い夫婦関係が前提になっているものなんですよ。雅也くんも玲くんも、伸び伸びしているし、それは君たちのお父さん、お母さんの努力あってのことなんです。今はまだわからないかもしれないけれど、君たちにも人の心を拾える人間になってほしいですね」


 その言葉は雅也の心に重く響いた。両親の気持ちは今の自分にはわからないが、確かに昨日、救われた気がしたのは事実だった。


「ところで募集要項と試験要項には、一次試験と二次試験(実技面接)ってあったんだが、俺たち何をすればいいんだ?」


「二月の一次試験は専門分野と数学、社会学の筆記試験。その一か月後の二次試験は集団実技面接ですね」


 玲の質問に用意していたかのように博士が答える。


「あれ? じゃあ僕たちは物理学と数学、社会学だけでいいってことですか?」

「そうです」


「おい、まなみん、動物のなんとかが避けては通れないとか言ってなかったか?」

「あ、あれ? あたしそんなこと言ったかなー」


 冷ややかな視線の玲に、真奈美がとぼけて目をそらした。


「集団実技面接って、どんな面接なんですか?」


 空気を読んで博士に話をふる。


「一次試験の合格者がチームに分かれて何かをする、というイメージです。論文を発表してディスカッションするのか、何かを作るのか、その時になってみないとわかりません」


「合格率、というか倍率はどのくらい?」


「例年5倍程度。100名前後の受験者に対し最終的に20名程合格しているようです」


「そんなに受験者少ないんですか? もっと多いと思ってたんですが」


「年々、合格者の平均年齢が下がってきていて、大学を卒業してから研究員、という従来の流れも、かなり変わってきているんですが、受験者数は大幅に減っているんですよね」


「ということは、僕らくらいの小学生の受験者もいるんですか?」


「ここ数年の合格者は大半が高校生で、一部中学生もいるんだって。大学のカリキュラムがどんどん前倒しになっているのと、実力の世界だから点数さえ取れれば合格できるけど、あたしたちのような小学生の受験者は今年が初めてなんだってさ」


 真奈美が答えた。


「本当は大人になってから才能が開花するケースもあるはずなんですが、今の教育システムは若いうちに差がつきすぎちゃうから、多くの人があきらめちゃうんでしょうね。人間、やはり楽な方に流されやすいですから」


 頭をかきながら博士が言う。


「だから絶対にみんなで合格するわよ! そして最年少記録を塗り替えるの!」

「お前が一番不安なんだよ」


「あたしは大丈夫よ。だっておじいちゃんがいるもん。社会学だって満点とっちゃうわよ」


 玲に言われても余裕の真奈美。


「おいおい、私は専門じゃないよ」


「そこをなんとか博士、お願いします。社会学とか正直、よくわかりません」


 雅也が頭を下げた。


「まあ、すべて教えることはできないけど、過去と現在の違いについては話せるかな」


「ではそこから、お願いします」


「過去といっても、私が君たちくらいだったころの話です。どんな時代か想像できますか?」


「いや、まったく」

 玲が即答する。


「町に立ち並ぶ家やマンションなどの建物も人が作っていたんです。今と違ってみんな町を出歩いていました」

「それはなんとなくわかるな」


「ではなぜ出歩いていたと思いますか?」


「フードデリバリーがなかったから、ですか?」


「もちろん。だから食べるためには食材を調達しなければならないし、そのためには外に出て労働して、『お金』を稼がなければならなかった」


「労働――お金――」


 三人とも端末でキーワードを調べながら博士の話を聞く。「労働」も「お金」も初めて聞く言葉だった。


「世界にはたくさんの国と地域、それぞれの政府があり、一部の人間が管理していました。今はアシュレイがすべてを取り仕切っているわけだけど、昔は人による政治と経済という概念があったんです」


「そういえば博士、今の人工知能の基礎っていつごろできたんですか?」


「およそ40年前ですね。そこから10年間で社会をほぼコントロールするまでになりました」


「教育事情も全然違うって話だったが?」


「一番大きな違いは、君たちが嘘をつかないよう・・・・・・・・に教育しているところです」


「嘘?」

「ですか?」


 玲と雅也が目を丸くした。嘘をつく理由も必要性も思いつかなかったのだ。


「君たちの両親の世代までの話になりますが、人間同士のコミュニケーションは今と比べて非常に難しかったんです。多くの国、地域が異なる言語を使い、しかも同じ言語であってもコミュニケーションが上手くいかないことも多かった」


「僕、今でも下手ですよ。コミュニケーション」

「お前は人に何かを伝えたいという意識が低すぎるんだ。少しは相手のことを考えろ!」


「そうか? あ、すみません博士、続きをお願いします。特に『嘘』について」


「仮想世界に組み込んだ仕組みに『物事の本心を伝える』というものがありました。当時の人々の会話には、嘘や誤解、言い間違いが多く、それを精査する機能が必要だと考えたんです。君たちには理解できないかもしれないけど、昔の人は平気で嘘をついていたんですよ」


「でも、言いたくないことを言わないことはあるけど、嘘なんてついてもすぐバレるじゃないですか。『悪意センサー』だって反応するし」


「昔は悪意センサーなんてなかったんです。現代になってコミュニケーションツールが発達したせいで、それまで嘘をついて生きていた人は逆に、生きづらくなってしまった。ちょうど君たちのご両親の世代です」


 そう言われ、雅也は昨日の母の言葉を思い出した。父さんは「正直でまじめでまっすぐな子供だった」ということは、裏を返せば「正直ではない人」がいた、ということになる。


「とはいえ、言語以外の部分でのコミュニケーションに長けていたのも昔の人たちの特徴です。この映像がその証拠です」


 博士は話しながら端末にチャップリンのフィルムを映した。


「これ? なんですか?」


「私より数世代前に作られた、『無声映画』です。昔の娯楽だったのですよ」


 三人に見せながら博士が懐かしそうに目を細める。


「まったく理解できん」

 あきらめたように玲がこぼす。モノクロの動画に映るすべてが奇怪に思えた。


「……なるほど」

「は? 雅也、お前わかるのか?」


「いや、なんとなくなんだけどさ、これって、今と対極にあるコミュニケーションじゃないかな?」

「どういうことだ?」


「ほら、『ネットワーク概論』の授業で薄々感じていたんだけど、今のコミュニケーションって、わかりやすい言葉で瞬時に伝えることが優先されるじゃない? だけどそれには限界がある。前にまなみんが僕らの親は僕らのことが理解できないって言ってたけど、逆に僕も親を見て不安に感じることがあるんだ。仮想世界に行くとどうしても単純思考に流れてしまうんじゃないか、スピード重視で難しいことはすっ飛ばすくせがついちゃうんじゃないか、楽な方に流れちゃうんじゃないかって。だけどね、そんな簡単な話じゃなかったんだ」


「うーん……お前の言わんとすることはなんとなくわかるが、それがこの映像とどうつながるんだ?」

「つまり『単純か複雑か?』といった二元論じゃなくて『単純かつ複雑』なんだよ」


「やっぱりよくわからんな」


 玲が首をかしげる。


「おじいちゃんはこのフィルムの意味することがわかるの?」


「そりゃあ多少はね。私も小さいころに祖父となんども見ましたが、いつ見ても発見がありますよ。君たちもこの映像と作者について調べれば、昔のこともかなり理解できると思います」


「ふーん、おじいちゃんにもまだわからないことがあるんだ」


「人間が創った物について、それがどんな意味を持つのか? なんて創った者にしかわからないですよ。ひょっとしたら創った本人でさえ、わかっていないのかもしれない。真奈美だって自分の行動が何のためのものか、常日頃から考えているわけじゃないでしょ?」


「それはそうだけどさ」


「あの、博士。僕が感じたのはなんていうか、例えば今の教育って、確かにゲームみたいで楽しいけど、あまり奥の深さを感じないっていうか、簡単に終わっちゃうし、途中で結論が見えちゃうんだけど、この映像はそれとは真逆なイメージなんですが?」


「まあ昔の娯楽だからね。雅也くんが感じてるほどのメッセージがあるかどうかはわからないけども。それに君が今の教育についてそう考えたということは、システムが良くできている、という証拠でもあるんです。今の教育システムは『間違った知識は教えない』という前提で作られ、極力無駄を回避できるように構成されているからね。そのかわりその教育を受けた個人個人の世界観もかなり統一されますが」


「ということは、僕らの『深層心理』にもその教育・・が浸透して洗脳されている、ということですか? すでにそこから管理されているとか?」


「さすがにそこまでは行ってないな。意識と無意識の中間のあたりだね。決して教育で人間を一様にコントロールしようとしているわけではないんですよ。催眠でもトリックでも、教育における知識や理論をすべての人間に同じようにインプットできるわけではない。もしそれができたらその時点で人は人でなくなってしまう。さすがにアシュレイもそんなことは許さないでしょう」


「じゃあ玲ちゃんがシステムに騙されていた、って怒ったのと、逆に雅也が恐怖を感じた、って違いは、その『人』である部分ってこと?」


「そうだね。それがさっきの無声映画の本質だよ」


「言葉以外で感情を表しているってことかな?」


「そういうこと。昔は今よりたくさんのものであふれていたから君たちも一回見ただけではそこがわからなかったのかもしれないね。画面を大きくして俳優の表情を見るとわかるかな?」


 博士がモニターを拡大し、もう一度映像を流す。


「そう言われてみれば、なんとなくそんな気もするな」


 まじまじと見ながら玲が言った。


「だけどおじいちゃん、なんでこんなもの持ってるの?」

「これが仮想世界の原点だったんだよ」


「これが? どういうことなの?」


「君たちはまだ仮想世界に触れていないからわからないかもしれないけど、『理想のコミュニケーション空間』というのが仮想世界のテーマだったんだよ。それに影響を与えたのがこの無声映画なんだ。単純なコミュニケーションだけでは、理想に近づくことは難しいと当時の私は感じていたんだけど、その答えがこれだったんです」


「どんな答えだったの?」


「君たちもこの映像を見て、これが何か理解しようとしたよね? だけど難しかった。音が聞こえないだけでなく、当時の社会も時代背景もわからないし、どこに手掛かりを求めていいかわからなかったでしょ。コミュニケーションも一緒で、『相手の背景、歴史などをいかに読み取るか』ということが重要なんです。例えば君たちは同世代だからこうしてリアルの世界でも話しやすいけど、私とは話しにくいでしょ? 問題はそういうことだと気づいたの。だからそれを解決できるシステムを作ればよかったんです」


「どうやって解決したの?」


「初対面の相手であっても互いに共通する体験があれば、シンパシー共感につなげることができる。インターネットと呼ばれる仕組みが生まれた昔から、コミュニティとかフレームワークとか、多くの概念があったんですが、結局は「個人情報の共通項」で人はつながっていたんですね。そこで私は仮想空間に入った人の脳波を分析し、他の人との共通項を探すことで、互いに共感しやすい仕組みにつなげたんです。それが仮想世界の原点でした」


「ネットワーク概論の裏側の世界ってことですか? 仮想世界には参加者の表面的な言葉を、その背景とつなげる仕組みがある、と」


 聞きながら雅也は、何かの核心に触れた気がしていた。


「まさにそうだね。いずれにせよ、仮想世界を過度に恐れる必要はないってことです」


「実はコミュニケーションは人間だけのものじゃないんだけどね」

「アリとかミツバチとかイルカとかか?」


 真奈美の言葉に玲が反応した。


「あら、詳しいじゃない。玲ちゃんにもあたしとの共通項があったのね。じゃあ今あたしが何を考えているかわかるかしら?」


「いや、わかるがここでそういう話は勘弁してくれ」


「こらこら! 下ネタじゃないって!」

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