道化師は発狂不可能(何故なら既に彼は)。
音羽
第1話 ただの廣見 拓
息子を寝かしつけ、冷蔵庫からいつもの缶ビール……とイきたいところだが発泡酒、を取り出し、廣見 拓は毎週恒例のハッピーアワーを堪能すべくパソコンに電源を入れた。
『おこんばんバーーン☆毬(まり)だよ、今日もオツカレサマっ!だね☆』
見慣れた動画サイトから時間ピッタリに放出される
総天然色のキラキラ癒し電波が、遠い町からケーブルを通じて拓(たく)の耳を侵食する。
この時間の為に残業を早めに切り上げ、先輩の小言無視して帰ってきたのだ。
――「オイっオマエ先輩より早く帰れる身分かよ!!」
……拓の脳裏に数時間前のイラついたその声がぼやぼやキンキン聞こえてきて、慌てて歯を噛み締めて打ち消した。
そもそも、今残っている仕事の残業なんて本来しなくても良いことなのに、先輩たちは家庭の不和から自宅に帰るのが嫌だという理由で会社に居残り、DSで同僚たちとゲームに興じている。
そのせいで、仕事が滞り下の人間がその処理に追われるのだ。
拓は、胃の痛みを打ち消す効力が毬の声に有るかのように、ヘッドホンを耳へ押し付ける。
今は全てを忘れたかった。
『――という訳で、あたしもアイドルアニメは大好きです!
あ、今出演している『メロウラバーズ!シーズン2』もよろしくねー。』
名は体を表すと言うが、まるで毬をぽんぽんと弾ませるような軽快で華やかな声は
その名にぴったりだ、と拓は改めて思う。
『ウラバズ』も勿論一話からちゃんとHDDに予約録画しているし、メインでは無いものの彼女の発する声質にマッチした元気でお転婆な女の子キャラ(ミリカ)は人気も高い。
拓は夕美 毬に思いを馳せるファンの一人だった。
初めて彼女を知ったのは、息子の敬(けい)がまだ3歳だったころ。
当時、画面に穴が開くんじゃないかと思えるくらい敬がハマっていた幼児向けアニメ映画のゲストキャラクターの吹き替えを担当していたからだ。
「誰かあ!!オタスケ―!!オタスケしてクレンショーーーー!!」
間の抜けたその声を聴いた瞬間、死んだ沙里のことを思い出した拓。
驚いて画面を凝視しても、勿論亡き妻の姿はそこに無い。
代わりにいたのは顔の半分を口の面積が占めるあまり可愛いとは言えない出目金みたいな怪獣の坊やで、途轍もなくデッカイ岩石の山に身体を挟まれている姿(どうしてそうなった)。
エンドロールに記されていたのは"夕美 毬"という名前だった。
急いでネットで調べると、どうやら新人声優、だということ。
顔も経歴も非公開で、それが今の"アイドル"としての売り出し方に反している姿勢も拓は気に入り、以後すっかり毬を応援する立場になっていた。
敬は2年経って5歳になった今、そのアニメをスッパリ卒業して買い集めた玩具も処分し、今は日曜日の朝に放映している『デスメタラー♦スラッシュV』というヒーロー戦隊に夢中だ。
父親の甲斐性が無い分すっかり大人びてしまったが、まだまだこういう所に子供らしさが残っている事に拓は安心する。
『ではでは、フツオタ紹介のコーナー!!
あー、京都府のネコッコネームロミタクさん、いつもアリガトー。』
毬がラジオの向こうから、自分のラジオネーム(この番組内ではネコッコネーム)を呼ぶ声がして、拓は思わずガッツポーズをする。
取り敢えず、このラジオ番組存続の願いをかけて週一回はメールをするのを自分への課題としている拓は、何度か読まれたこともある常連リスナーの一人だ。
『えっと、マリーヌおこんばんバーン☆…こんばんバーン☆
今日は久しぶりに学生時代の仲間と家族で集いバーベキューをしました。
家族ぐるみの付き合いなので、メンバーの子供等が増えていき、どんどん大所帯になって、それぞれの成長を見るのも楽しみになっていたりします。
マリーヌは普段、どんなお友達と集まったりしますか?
……という質問ですー。
うーん、周りが子供産んだりして、ってのは良いですね☆おめでたいです!
…けど、あたしのまわりにはまだあんまりいないかなー。
質問の、お友達だけど、この業界は休日とかも関係ないから、うーん
どうしても同じ声優同士で集まったりとか。。。
あ、でも!この間、前にあたしが出演させていただいた『Waltz For Emily』の作者、江波先生とご飯に行きましたー』
拓はうんうん頷いて耳を傾けていた。
ツイッターをしない毬のプライベートな情報は貴重だ。
そして江波先生は有名な売れっ子女性ライトノベル作家で、どこの書店に行っても平積み必至、絵描きさんのポップと出版社が作った派手な筐体と共に陳列されている。
そんな原作者の先生と仲良くしているという事は、今アニメ化計画が進行しているらしいと噂の新作にも、毬が出てくるかもしれないと期待できそうだ。
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