第2話 プロローグ(2) 進化した巨鳥

 ウェルズは詳細を語り出した。

「ああ、ドクタードイルにもわかりやすくお話ししましょう。僕は小説を発表しましたが、あえて怪奇小説という形式をとり、ここの秘密については考慮したつもりです。しかし、現にこうしてドイル氏が来られたことから、やはりあの小説は発表すべきではなかったと反省しています。

 もちろん、潔く実験には協力しました。滞在時間は三十分。これは以前の可動実験から正確に指定できます。問題となる移動先の時間と場所は自己責任で、僕自身がその場で操作しました。

 到着した時代は、はっきりしませんが、少し先の未来でしょう。場所は建物の中で、時刻は夜が開け始めたばかりの早朝です。


 海の上やヒマラヤ山脈など、人跡未踏の地ではなかったことにほっとするのもつかのま、僕の目は床に眠っている人物に向かいました。寝具も使わずうつぶせで眠るとは、奇妙な習慣のある地域だと最初は思いましたが、身体の下の床に血がたまっているのに気づきました。

 僕は、慌てて床の人物をかかえ起こしました。若い女性です。身体はまだ柔らかいですが、顔がまっすぐ前を向いたままなので、首の辺りに死後硬直が起こっているようです。派手な模様の入ったシャツの前は、血みどろでした。顔は中国人のようですが、髪の色は赤く、西洋人のようです。

 違う国の違う時代に来たばかりの僕には、どうすることできません。当地の警察の捜査を邪魔しないように、死体を元の体勢に戻すと、本来の目的である調査を開始しました。


 その部屋は、大きな棚がおいてあったり、箱がたくさん積んであることから、物置として利用されているようです。女性の頭の近くの壁に、板の引き戸がありましたが、わざわざこちらからダックボード(スノコ板)を戸の横に置いて、向こうから開けられないようにしてあったので、行かないほうがいいと判断しました。

 他に透明なガラスの窓がひとつあり、中央部には錠と思われる機械もありましたが、使い方がわからず開けられませんでした。窓から外を見ると、見たこともないような色の道路に街灯が建っています。不思議な色の明かりでした。

 引き戸と反対側の壁際に、テーブルに椅子が積んでありました。奥に扉があるのがわかり、順番に障害物をどけました。ドアノブは金属製で、中央に錠と思われるつまみがありました。ノブもつまみも回りましたが、長い間使っていないのか、ドアは開きません。滞在時間の関係で、僕は部屋から出るのをあきらめて、部屋にあるものの中から、持ち帰る品を選別しようとしました。


 そうこうしているうちに、僕の移動した部屋の中央付近の空間が、赤く変色しはじめました。制限時間が訪れたのです。僕は近くにあった壺を持って、その赤い空間に入りました」

 ウェルズはそこで話を終えた。

 それを教授が補足する。

「現地人の不可思議な死に遭遇したわけだな。話を整理すると、その部屋は中から施錠されていて、被害者が死んでいるのに、他に人がいない。奇妙なことだな」

「東洋では自分で腹部を刺す自殺の習慣がある、と聞いたことがあります。おそらく、女性が自殺を図ったのでしょう」

 それなら凶器がそばにあるはずだ。話を先に進めたいドイルは、自分でも思っていないことを口にした。


 ウェルズは反省した様子で、

「女性の死に恐れをなして、戸を開けることができませんでした。転送先の時代と場所を知るのが目的でしたが、役に立ちませんでした」

「もし、彼が勇気を奮い起こし、戸を開けて先に進んでいたら、今ここにいないかもしれん。それに役に立たなかったと言うが、私は彼の証言だけで、およその時代と場所の検討はつけておる。壺のデザインや女性の顔立ちから考えて、場所はおそらくチャイナのどこかだろう。外の街灯はおそらく電気を使用したものと思われる。数年前からこのロンドンでも電気の街灯が使われておる。

 チャイナに電灯が普及するとなると、時代はおよそ百年後くらいだろう。これだけでも大成果かもしれんが、できれば同じところにもう一度行って、正確な情報を集めたい。ただし、ウェルズ君ではだめだ。もっと勇敢でたくましい冒険家が必要だ」

「百年後では今日と生物の姿は変わらず、生物学上の重大な発見は難しいのでは」

 とドイルが聞くと、

「物事は順序だって進める必要がある。せっかく彼が危険を冒して、近未来の東洋へ行ったからには、そこを足がかりに、今後の大冒険に必要な情報を集めたい。きっとその時点ではアフリカ、南米などの現在未開の地まで探検調査がすんでいることだろう。

 詳細な世界地図は必ず持ち帰ってもらいたい。地形だけではなく気象などの情報も今後の移動に必要だ。もう一つ重要なことは未来の医療だ。我々の今後の冒険に伝染病は大きな障害になるに違いない。未来の特効薬を持ち帰ることができれば、必ず役に立つ。医学部出身者ならそれも可能だろう」


 そこまで言うと、教授はドイルの顔を見据えた。

「数年はかかるが、偉大な仕事だとは思わんかね。出版社からの情報によると、ドクター・ドイルは歴史にこのうえなく興味がおありだとか。アフリカや北極旅行も経験された。鯨やワニと戦うほど勇敢で、ボクシングとフェンシングの達人と聞く。ドクターなら病気になっても自分で治せばいい。マラリアに罹ったり、マラリアを治した経験も役立つに違いない。それにまだ二十代とお若く、失礼じゃが経済的に裕福とはいえない。まさにうってつけではないか」

 ドイルが無言でいたので、教授はさらに強く探検を勧める。

「考えてみたまえ。人類の歴史の上で、これほどの体験をする者がこれまでいただろうか。このチャンスを逃せば、一生後悔するに違いない。大切なのは知識ではなく行動することだからな」


 ハクスリー教授は、自分を近未来の東洋に送ろうとしている。それも出版社と同じ様に金で釣ろうとしている。しかし、たとえ金銭的報酬がなくても、時間を超えた旅行が実現できるとなると、自分の性格からして必ず引き受けるであろうことはあらかじめ予想していた。

「私ごとき者をそこまで高くかっていただいて光栄です。喜んでお引き受けします。つきましては具体的な質問をしてよろしいでしょうか」


 ドイルが承諾したことを知ると、教授は満面の笑みを浮かべた。

「おう、そうかそうか。我々の研究の価値がおわかりいただけたか」

「時間移動した人物は、移動先で指定した滞在時間をすごすのですが、こちら側の時間進行はどうなるのです?」

「ほんの数分というところかな。装置はこちらからの転送、こちらへの転送を行うだけで、合わせても五分程度だ。本人からすれば非常に長い夢でも見た感じだろうな。ただ、向こうで過ごす間も生物としての老化は避けられない」

「たった数分で済むんですね」

 妻に寂しい思いをさせることはないようだ。

「こちらの時間は問題ないが、向こうでの滞在時間はそうはいかない。前回ウェルズ君の時は下見程度で時間も短かかったが、次の調査はより本格的なものにしたいと思っておる。実際言葉も通じない地域での調査となると、やはり何年かは覚悟しないといけない。できれば三年ほど滞在してもらいたいのだが……」

「三年ですか……」


 北極海の捕鯨は半年、アフリカ航路は三ヶ月だった。二つを合わせた四倍の期間、見知らぬ土地ですごさねばならない。だが、彼の意志はもう固まっていた。

「結構です。問題ありません」

「さすがここまで訪ねてきただけの人だ。わかりがいい。ウェルズ君、早速準備だ。用意しておいた荷物を持ってきたまえ」


 それから旅支度に入った。ドイルは旅行鞄から必要なものを取り出し、あらかじめ用意されたバックパックに詰めこんだ。ウェルズと教授は、操作盤のレバー設定をしている。

「場所は物置ではまずい。ほんの少しずらさねばいけない」

「では、時間はこの程度で……教授、そこまで進めますか」

「あれがもし殺人事件であってみろ。君と同じ時期に見知らぬ外国人が突然現れたら容疑者として疑われるかもしれん。ある程度は先にしたほうがいい」

 などという、二人の会話が聞こえた。

 教授達の用意した荷物の中には、中国語会話集もあったので、二人が準備している間に、ドイルはそれを読んでいた。


 準備はすぐに終わった。彼の気が変わることを恐れて、急いだのだろう。

「これで必要なものはひととおりそろった。まだ袋に余裕があるから、他に持っていきたいものがあったら入れてもいい。なんなら乾燥プラムも入れておくが。優れた保存食だからな。なにしろ食べる気がおこらんから、いつまでも保存される」

 教授は自分のジョークに笑った。

「いえ、たとえ餓死しようと、あれだけは二度と口にしません」

「では、ここで言い残しておくことはないかな」

「もし、私が帰ってこなかった場合は、妻にはこう伝えてください。全ては運命だと」

「わかった。なんらかのアクシデントで戻ってこれなかった場合は、残されたご家族には、できるだけのことをしよう。ただ、それが必ずしも死を意味するとは限らない。転送先での生活があまりに素晴らしくて、以前の生活に戻るのが嫌になるかもしれんし」

「誓ってそのようなことはありません。仮にそうだとしても、もう一度この装置を使えばいいので、一度は必ず戻ります」

「あるいは、三年後。こちらへの転送のタイミングを逃してしまうことも考えられる」

「その点は特に注意します」

「では、気をつけて」


 ドイルは袋を背負うと、金属板の上に立った。

「幸運を祈る」

 教授は、操作盤のスイッチを入れた。金属板が赤くなったかと思うと、蒸気が出てドイルの姿は消えた。


 教授は、ドイルの消えた金属板を見つめながら、弟子に言った。

「なかなか条件を満たす人間が見つからんと覚悟はしていたが、すぐに適任者が見つかったな。いろいろと顔の利く出版関係にまで手を回したのが功を奏した。最初にホワイトから話を聞いた時点で、有望な候補者とは思ったが、これほど適任とは思いもよらなかったわ」

「逆に利用されるともしらず、スパイに来たんですね」

「彼の立場からすれば、二重に報酬を得られるんだから、同情するに値せん。それだけの報酬にふさわしい仕事だからな。今後は彼の持ち帰る詳細な地図に基づき、遠い過去、未来の調査を進めていく。アルゴノーツは経験を積んだ生物学者となるから、もう彼のような部外者に頼むことは少なくなる」

 

 そして数分が経った。果たして無事帰還はされるのだろうか。そう心配するまもなく、時間移動装置は移動先の三年後の空間を転送してくるのだった。

「あっ、反応が始まりました」

 ウェルズは、赤く輝き始めた金属板を注意深く見つめた。それからすぐ赤い蒸気のようなものが、金属板から天井に向けて立ち上ってきた。よく見ると蒸気の中にひと型のものがある。

「成功のようじゃな」

 教授はうれしそうに叫んだ。


 出かけるときは旅行用の外套だったが、未来で三年を過ごしたドイルの姿は、灰色の柔軟な素材でできた上下お揃いのスポーツ服だ。その右手は球状の物体を抱え、顔は別人のように深刻で、三歳以上も老けてみえた。


「おめでとう。ドクタードイル。さあ、ゆっくり休んで後で貴重な体験談をゆっくり聞かせてくれたまえ。その前にそのみやげは何か教えていただきたい」

 教授が両手を差し出すと、ドイルは放心したかのような表情で、その物体を渡した。球体の表面を白と黒の五角形が覆っている。白い五角形の部分は、謎の文字で埋め尽くされている。


「一体、これは何かな?」

 教授は、涙を浮かべたまま無言で立っているドイルに訊ねた。

「フットボールです」

 一八八八年といえば英国フットボールリーグが設立された年である。サッカーボールの量産はまだ始まっていなかったが、素材が豚の膀胱から硬化ゴムに変わり弾力があった。形状も球体であることが義務づけられ、今日のボールにより近いものになっていた。

「フットボール?」

 教授が床にぶつけると、思いの他勢いよく跳ね返った。

「今のものより弾力はあるようだな。ところでこの謎の文字はどこの文明のものだね。やはりチャイナのものかな」

「百二十年後のジャパンです」

「ジャパンか。行ったことはないが、チャイナの端の方にあると聞いたことはある。とするとこれはやはりチャイニーズキャラクター(漢字)だな。ウェルズ君、わかるかね」

 教授はボールをウェルズに渡した。ウェルズは顔に近づけると、

「たしかにチャイニーズキャラクターのようですが……おや、アルファベットもあります。MAKOTO。人の名前でしょうか。いかにもバーバリアンの名前といった感じですね」


「彼らはバーバリアンじゃない。大切な仲間です」

 ドイルはウェルズに向かって、きっぱりと言った。

 ウェルズの手から奪うように、ボールを受け取ると、そこに記されているサインや別れのメッセージを見つめ、腕で涙をぬぐった。

 そして、教授に向かって、

「教授。ありがとうございます。大変素晴らしい体験ができました」

 と感謝の意を述べ、

「もう一度同じところに行くことはできないでしょうか?」と頼んだ。


「それは私にとって問題はないが、奥さんにとってはゆゆしきことだよ。何しろ朝でかけた夫が、夜になって老けて帰ってくるのだからな。これ以上はやめたほうがいい」

 ドイルは冷静になったのか、教授の言葉を聞くとあっさりとあきらめた。

「すいません。まだ頭が混乱しているようです。ああ、こちらの時間からいうと、私はトイレに行って戻ってきたようなものですよね。ですが、私にとってこの三年間は、第二の人生を送ったようなもので、今ここに立っていることに、すごく違和感があります。旅の詳細は後日お話しします。今はゆっくり休みたいです」

 教授は理解を示した。

「そうだろう。なにしろ三年振りだからな。ここでゆっくり休んでから、ポーツマスに帰られるがいい。そうだ、久しぶりにコーヒーはどうだね。ウェルズ君、コーヒーを用意したまえ」

 ドイルは遠慮した。

「それは結構です。コーヒーは向こうにもありましたから」

「ジャパンにもコーヒーがあったとはな。まあ、未来のことだから驚くことでもないが」


 教授とウェルズに再会の約束を交わし、ドイルは旅行鞄とフットボールを手にその場を去った。

 三年振りの祖国の首都が懐かしいのか、その足は直接地下鉄の駅に向かうことはなかった。かわりに、ケンジントンのすぐ北側にある広大な公園ハイドパークの土を踏みしめていた。一面の緑に囲まれていても、彼の心が癒されることはなかった。


 彼は、両手でボールをしっかりとつかみ、そこに書かれているメッセージを見た。ほとんどは漢字とカナ文字だが、その中にTHANK YOUや GOODBYEなどの簡単な英語も混じっている。そして「TEMEHRA KILL」と、意味不明の和英混合文に目がいくと、彼は微笑みを浮かべた。


 それからある名前に目がいくと、悲しみがこみ上げてきた。そこにあったのは殺人犯人の名前だったからだ。彼とその人物との友情は本物だった。だから彼があることから、その人物の犯行に気づいたとき、そのことを誰にも告げず、本人にのみ直接確認した。


 驚いたことに、その人物は犯行当時の精神状態がまともでなく、夢の中での出来事のように認識していた。事件はすでに過去の出来事で、再犯の危険もない。幼い頃から身に付けてきた騎士道精神は、その人物の罪を許した。


 そして彼は、過去と決別するかように顔を上げ、ボールを目の前の地面に置いた。それから半歩下がり、思い切り蹴りあげた。


 ボールは高く遠く飛んでいく。遠い未来に異国の地でプレーした、あの試合のゴールキックのように。


 ボールを眺めながら、彼はあるアイデアを思いついた。あの装置を使い、犯行直前の時間に移動すれば、あの忌まわしい犯罪を阻止できるはずだ。彼は、ボールが落ちた地点まで走ると、それを拾い上げ、再びハクスリーとウェルズのもとに急いで向かった。

 

 ある研究によると、一八八八年は「恐怖の谷」、「四つの署名」、「バスカビルの犬」などの大事件が立て続けに起きた年であり、うち後ろの二件は九月中の出来事だという。

 ということは、ホームズが大活躍していたちょうど同じ頃、作者のドイル自身も難事件を解決することになるのだが、(転送元からすれば)ほんの数分で解決したとも、(転送先では)三年の月日を費やしたともいえ、作者と探偵のどちかが優秀かは意見が別れるところである。


 前置きはともかく、この不思議な装置の働きによって、ドイルが体験した未来の冒険物語を順を追って説明しよう。

 ハクスリー教授の誘いで、金属板の上に乗り、装置が作動すると、体の周りの空間が赤く染まって、実験室の様子が不明瞭になっていく。そのうち赤一色になり、体が宙に浮き上がって、上下や左右の感覚が消え失せた。何十秒かその状態が続くと、急にトンネルのような狭いところに出た。


 頭の上に生暖かい障害物がある。きっと巨大な生物の下に移動してしまったに違いない。それで咄嗟に身体を四つんばいの体勢にした。

 巨大生物は、彼の出現に驚いたのか、「オー」という奇声を上げている。不思議なことに、その声は複数箇所から聞こえる。敵をより強く脅すため、巨大生物は、数カ所から声を出せるように進化を遂げたのか。だとしたら、とんでもない遥か先の未来に来てしまったのかもしれない。


 すぐ下の地面には、茶色っぽい楕円形の球体が転がっている。おそらくは巨大生物の卵だろう。するとこの生物は、鳥類の可能性が高い。メス鳥が卵を孵化させている真下に移動するとは、何とも運が悪い。

 彼は前方に這って、生物の下から抜け出ると、その姿勢のまま、後ろを振り返った。


 そこには進化した巨鳥の代わりに、何人かの東洋人の男達が、呆けた表情で自分を見ている。

 皆がっしりした体格で、同じ横縞のシャツを着ている。一人がユーレと叫ぶと、彼らは一目散に逃げていった。

 その場所は民家の庭程度の広さの空き地で、三方を西洋風とも東洋風ともとれる建物に囲まれている。遊具と思われる器具が隅に置いてあることから、小さな公園のようだ。

 肌で感じる季節は夏、暑い日差しが照りつける。太陽の位置から午後三時頃と思えるが、緯度情報がないので正確にはわからない。


 ドイルは球体をつかむと立ち上がった。

 卵でないとすると、球技に使うボールのようだ。形状からしてラグビーボールだろう。素材は、牛の膀胱なのだろうか。どうやら、東洋人達がラグビーのスクラムの練習中をしているところに移動してしまい、彼らを驚かせてしまったようだ。

 こんな狭いところで練習するとは、よほどの人口密集地に違いない。チャイナの大都市か。チャイナにラグビーが普及しているとなると、数十年から百年ほど先の未来であると思われる。彼はハクスリーの慧眼に感服した。


 道路との境にフェンスがある。紺色の素材が敷き詰めてある道に出て振り返ると、フェンスに金属製のプレートが張ってある。「日出公園」という謎の文字の下に「HIDE PARK」とある。HYDEPARKの万分の一の大きさもないが、これも公園なのだ。


 しばらくそこに立っていると、前方から一人の小柄な青年が歩いてくる。先ほどの男達同様、東洋人の容姿をしているが、服装は西洋風だ。

「やはり、未来のチャイナか」

 そう思い、声をかけてみた。

「ニーハオ」

 相手は驚いた表情をして、彼を見上げると、

「ハ、ハロー」

 と、微笑みながら返事をした。それで英語が通じると思い、話し続けると、

「プ、プリーズ」

 と言い残し、走り去っていった。


 最初のうちはそんな感じだったが、その日のうちにここが二〇〇三年のジャパンで、英語がほとんど通じないことがわかったが、西洋人やその他の外国人も大勢いて、彼らの多くは英語が通じた。それでも「ここはどこ? 今何年だ?」などの非常識な質問に怪訝な顔をされた。

 そのうちの何人かと懇意になった。さらに危険な組織を紹介され、この国で生活するためパスポートと外国人登録証を偽造するにいたった。明らかな犯罪だが、科学技術の発展という大儀のためならやむを得なかった。


 もちろん、ドイル家の名誉にかけて本名は使えない。但し、全く別名も不便なので、同じファーストネームのアーサー・エドワード・ホワイトと名乗った。彼をここに送り込むきっかけになった出版業者の名前だ。

 言葉が不便なので、仕事は肉体労働に限られる。力仕事ならお手の物だ。


 ネットカフェという奇妙な空間では、未来の科学技術の結晶ともいえるコンピューターネットワークも手軽に利用でき、情報の収集も容易だった。そこで知り得た人類の進歩は驚くほどで、うれしいことに時間旅行の主たる目的である進化論の証明もほぼ定説となっており、ハクスリーらの時間旅行による進化論証明計画も無意味に思えた。大英帝国の没落は悲しかったが、英語が事実上の世界公用語になっているという事実は、彼を満足させた。


 最も驚いたことは、ベル教授をモデルに彼が創作したシャーロック・ホームズが世界的に有名となり、いまや探偵の代名詞となっていることだった。作品も緋色の研究のみならず、短編を含めると何十作品もある。そのうえパロディやパスティシュ、ホームズもどきまで含めると大変な数になる。


 その姿は、先の大きく曲がったパイプと虫眼鏡、おそろいの鹿撃ち帽とインバネスコートと決まったイメージに固定されているが、緋色の研究をどう読んでも、そんな格好にはならない。以降の作品でそう描かれているのか、作者の彼にもわからない。それで、「シャーロックホームズの冒険」を読もうとした時、彼は考えた。

 もし、自分が今ホームズの活躍する小説の原書をこちらで書き写して、時間旅行を終えた後、それをロンドンやニューヨークの出版社に持ち込んだ場合、誰がそれらの作品を創作したことになるのか。それで宇宙の運行に矛盾が生じ、様々な災厄がおきないともいえない。彼は、決してホームズものを読まないことに決めた。


 元々社交的な彼は、イギリス時代同様、スポーツを通して交友関係を広げた。イギリス系ハーフのウィリアム・ランスと知り合ったのは、年があけた二月のことだった。ランスは年齢(生まれた年は百年以上違う)も身長も彼と同じくらいだが、恐ろしくやせていて日本語が堪能だった。

 二〇〇一年の夏に、母親の故郷日本に単身渡ったランスは、ALTと呼ばれる公立学校の英語助手をつとめてきた。

 首都東京に遊びに行ったとき、モデル事務所からスカウトされ、学校側に内緒で休日などにそちらの仕事をしてきたが、雑誌などで顔が売れ始め、ALTは三月で終了する予定だという。そこで自分がやめるかわりに、現在所属しているALTの事務所をドイルに紹介してくれると言う。採用するしないは学校側が決めるが、僕が後任に推薦しておくからまず大丈夫と受けおってくれた。


 さらに現在の狭いアパート(のくせに豪邸という意味のマンションを名乗っている)から、一軒家で格安の賃貸物件に引っ越そうと思うが、一人で住むには広すぎるから家賃を折半する相手を探しているので、君はどうか、と誘ってくれる。ドイルは話にのった。


 それからすぐ、建築現場でトラブルを起こし、仕事を解雇された。運がいいことにすぐにALTの採用が決まり、契約したばかりの空き家に引っ越した。但し、その空き家で二年前に殺人事件があったことは、同居人のランスから聞かされていなかった。

 それも、ポーの「モルグ街の殺人」や、後年彼が著すことになる「まだらの紐」に勝るとも劣らない、密室空間での殺人であった。


 本事件の解決にホームズの観察眼やデュパンの演繹法は必要ない。気高き騎士道精神とがむしゃらな冒険心、それに並はずれた腕力があればいい。なぜなら本物のコナンは、熱血体育会系怪力バーバリアンだからだ。


 それではコナンドイル・ザ・バーバリアン(邦題コナンドイル・ザ・グレート)、始まり、 始まり……。


 なお、以降の文章は、彼が勤務した学校の生徒によるものである。もちろんその生徒は、彼の正体を知ってはいない……。

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