第25話褒美と蓑亀
半刻ほど経過しただろうか。突然黒い雲が竜巻の様に渦を巻いて海に吸い込まれていく。轟々と唸り声を上げて空の暗雲がどんどんと無くなっていく。渦は段々と細くなり最後には腕の中に納まりそうなサイズとなって立ち消えた。
黒い渦も消え、雨脚も弱くなり風も肩を撫ぜる程度のものとなった。荒れ狂っていた海は嘘のように穏やかになり、残った雲もゆっくりながらも散らばりつつある。微量ながらも隙間から太陽の光が漏れ始めた。天からの梯子のような幻想的な風景が空と海に広がる。
目の前の光景に呆けていると漏れた陽光からぺんぎんがふわりふわりと降りてきた。これまでの異常な経験のせいか重力を無視していることも気にもならなかった。ただぺんぎんの無事に安堵した。
「街を救ってくれてありがとうございました」
ぺんぎんが砂の上に着地したのを確認してから礼を述べた。これだけのものを見せられて龍も神もどちらの存在も認めないわけにはいかない。
「礼を言われるようなことではない。八幡が人間としての役割を果たした、だから私も神としての役割を果たしたまでだ。それに今まで言ってなかったが八幡には褒美があるぞ」
ぺんぎんのつぶらな瞳が怪しく光る。褒美をくれるというのに素直に喜べない自分がいた。
「他の人間の為に自分を犠牲にして龍と戦った者の願いを叶えてやるのが伝統なんだ。何でも一つ願いを言うといい」
降って湧いたような話に慌てる。今まで必死に海を目指して頑張っていただけで、突然願いを言えと言われてもそう簡単に思いつくはずもない。
「例えば大金持ちにしてくださいと言うとどのくらい大金持ちになるんですか」
「過去にそう願った奴がいたな」面白い者を思い出したとにやにやする。
「そいつには百万両ほど手渡してやった」
「その後はどうなったんです」
百万両渡しただけでぺんぎんが笑うはずもない。薄ら寒さを感じながら答えを待つ。
「大泥棒として投獄されたよ。最後は打ち首だ」
全く笑えず悪い予想が的中した。願わずに良かったと思う一方で悪趣味な話を笑って言う所に神の神たる所以を感じた。
「でもどうして投獄されたんですか。他のお伽噺とはオチが全く違うじゃないですか」
笠地蔵や花咲か爺さんを思い浮かべて不平を漏らす。
「お伽噺では、だろう。現実はそれほど甘くはない。どんなに力の強い神であったとしても無から有は作り出せない。それは世界の原則だ。前も言ったろう、神の力はこの世界では異質なんだ。だから私は別の場所にあった百万両をそいつの手元に移動することで願いを叶えてやったのさ」
おそらく城の倉庫にでもあったものをこれ幸いと持ってきたのだろう。倉庫から金が大量に無くなったすぐ後、突然裕福になった者がいたならばそれは泥棒と疑われて当然だ。
「欠陥能力じゃないですか」
「理に適っていると言ってもらいたい」
しかしそれを踏まえて考えると中々難しくなる。ほとんどの願いが窃盗罪となってしまうから大変だ。そこでふっと数日前の記憶が蘇った。
「誰かと誰かを恋仲にしたりもできるんですか」
無論、ぺんぎんは自信満々に答える。それならばと一案だけ浮かんだ。
「同じサークルに岩水寺と西ヶ崎って人がいるんですけどそいつらをくっつけてもらえませんか」
それは勿論できるが、本当にそんな願いでいいのかと首を傾げる。僕本人が全く関係していないのだから当然の疑問だ。
「ぜひともお願いします」
「承知した」ぺんぎんは少し間を空けてから答えた。
それから何が起こるのかとわくわくして待ったけれど何も起こらない。失敗したのかとぺんぎんへ顔を向けると呆れたように頭を振られる。
「そんなすぐに人と人が恋仲になるわけないだろうに。恋を甘く見るな」
恋愛についてぺんぎんに説教されるとは思いもしなかった。
「それでも八幡の願いはしっかり叶えてやろう。神は約束を破ったりしないからな」
叶えてくれるならそれでいいと僕はぺんぎんを抱え帰路につこうとした。しかしぺんぎんが僕の手から逃げるように遠ざかる。
「八幡よ、他に何かやるべきことがあるんじゃないか」
ぺんぎんにそう言われるが何も思いつかない。それからはっとして土下座の姿勢を取る。
「この地を救ってくれてありがとうございます」
砂に頭を擦り付けて感謝の意を示した。
「そうじゃないでしょう」
怒声と共に尻を蹴られて飛び上がる。はっとして振り向くと美園さんが仁王立ちしていた。
「どうしてここに」
僕の問いに彼女は冷徹な笑顔を返す。
「遠くから様子を見てれば全然封印しようとしないじゃない。八幡君やっぱり封印する気ないんでしょう」
なぜ美園さんが封印のことを知っているのか、状況が掴めなかったが応戦する。
「封印はちゃんとしましたよ。その証拠にほら」嵐が去り、雲の切れ間から陽光が射す空を指さす。
「龍の話をしているんじゃないの。そっちの話をしているのよ」そういって彼女が指さしたのは空ではなくぺんぎんだった。
この人は一体何を言っているんだ。急転直下の切り替わりに頭がついてこない。
「龍を封印しなくても最悪この地が海に沈むだけよ」
自分も住んでいるこの町が海に沈むことをなんとも軽く言う。
「神を封印しなくては日本が沈むことになるわよ」
何を馬鹿なことをと思い、ぺんぎんを見ると何も言い返さずただ俯いている。
「ぺんぎん一匹くらいで日本が沈むなんてそんなバカげた話があるわけがないでしょうに」
「その子が本当にただのぺんぎんならね」美園さんは溜息をついて僕を見る。
「本当に何も聞かされていないのね。本来は私の口から話すべきじゃないのだけれど」
そう言って彼女は語りだす。
「日本が年に数センチずつハワイの方向へ進んでいることは知っているわね」
「プレートが少しずつ動いてるって話ですか」
なんの話かさっぱり見当がつかない。
「そう、原因はプレートにあると言われているけれど本当のところは違うの。実は亀の仕業なのよ」
何を馬鹿なことをとせせら笑おうとするけれど美園さんの顔は真剣そのものだ。
「
そして彼女はぺんぎんを見た。
「今は普通の状態の蓑亀も自分の甲羅の上の大きな力に気づけばいやでも意識してしまうわ。そうなれば興奮して今までとは比べ物にならないくらい動くことになる。土台である蓑亀が激しく動けば甲羅の上に乗っているだけの私たちはいとも容易く振り落とされてしまうでしょうね」
そんな馬鹿げた法螺話があってたまるか、と以前は考えただろう。しかし、今の僕はそんな話を簡単に切り捨てることが出来ないほど超常的な体験をしすぎてしまった。ぺんぎんに疑問をぶつけようとするとぺんぎんは僕を見て黙って頷く。
「この話はもっとずっと前に聞かされるべき話だったの」
そう言ってから美園さんはパーカーのポケットから布袋に包まれたリンゴほどの大きさの物を取り出した。僕はそれを知っていた。
「それはうちに置いてあったはず」
「そう、これは八幡君の家に置いてあったもの。君が忘れていたようだから、ちょっと入って持ってきてあげたの」
住居侵入罪の言質が取れた所で一つの疑問が解決する。
「Ms小野って美園さんのことだったんですか」
「ピンポーン。正解のご褒美としてこれを渡そうかな」手に持った物を僕の方へ放る。空中で袋から中身が飛び出る。青々とした球が僕の手へ収まった。
「本当は神の封印もこの玉の使い方も幻の池で教わるはずだったんだけど。岩水寺君が君を見つけるなんてね。彼には本当に驚かされるわ。まあ、物事には不測の事態がつきものだからね。臨機応変に対応しないと」
ちゃっちゃと始めちゃいましょう。僕に近づき背中を押す彼女に不信感を抱かずにはいられない。
「さっきの話も本当かどうか分からないのに友達を封印なんて出来るわけありませんよ」
「龍の存在は信じたのに蓑亀の存在は信じられないの」
「僕は僕の目で見たモノしか信じない主義なんですよ」
「とんだリアリストが隠れていたものね」
彼女から離れてぺんぎんの元へ馳せる。僕が近づくとぺんぎんはゆっくりと頭を上げて嘴を開いた。
「そこの女の言うことは真実だ。蓑亀は存在し、私がいると危険なことも確かだ」
ほらねと美園さんが言うのも気に食わない。
「蓑亀がいるとかいないとかそういうことはもうどうでもいいんですよ。君は封印されるともう僕の近くにはいられないんだろう」
「神はいつでも傍にいるし、傍にいないのよ」分かったように口をきく美園さんに怒りが沸く。
「そういう曖昧なものでは我慢できないんですよ。実物として僕の目に映る姿で傍にいるかが重要なんです」
「無理だ」ぺんぎんは強く言う。
「それなら僕も無理だ、せっかく面白い友達が出来たのに失うなんてやっぱり無理だ」
「駄々を捏ねていい場面じゃないでしょうが」
「案外振り落とされないかも知れない、それにさっきみたいな神の力を使わなければいいんだろう」
「神は存在するだけで周囲に強い影響を及ぼしてしまうんだ。長期間現世に留まることは人間的に良いものではない」
玉をぎゅっと握りしめ一歩二歩と後ずさる。玉を持って逃げ切れば僕の勝ちだ。素早く体を回転させる。砂場であろうと関係ない。全力を賭して逃げ切る。
僕が走り出そうと踏み出した瞬間に視界が一転する。手から玉が離れ、体は砂に倒れる。足元を見ると美園さんが足を掛けていた。
「なんてことするんですか」「それはこっちのセリフよ」
玉の行方を追うとぺんぎんのすぐそばだ。
「私の最大の過ちは八幡と出会ったことだ」そう言ってぺんぎんは玉を器用に咥える。涙を流さないはずのぺんぎんの目に涙が浮かんでいるように見えた。
待ってくれと制止する暇もなくぺんぎんは玉を呑み込んだ。ぺんぎんの中心に渦が出来たかと思うとぺんぎんの体全体が渦に巻き込まれて数秒もしないうちに後かたもなく消えた。
波の音を打ち消すほどの男の慟哭が砂丘を包んだ。
それから数時間後、涙も声もかすれ、砂浜では波の音だけが聞こえる。あれほど厚く空を覆っていた暗雲もとうに消え去り、陽光が容赦なく僕を照りつけた。
「私は帰るけどどうする八幡君も一緒に帰る?」倒れたままの僕の横にずっと座っていた美園さんが立ち上がる。美園さんが悪者なわけではない、そう自分に言い聞かせる。これはずっと昔からの伝統なんだ。
「尻を蹴りあげたことを忘れたわけじゃありませんからね」
鼻をすすり僕も立ち上がった。
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