第18話バタフライと風呂

 髪、紙、神、いくつか浮かんだ漢字はどれも相応しくないように思えた。それでもこの異常な状況を全て解決するとしたら神しかない。

「神というとゴッドですか?」

 その通り、発せられた言葉は威厳たっぷりだったが立ち上がろうと必死になっている様は可愛さがあるだけで威厳などまるでない。

「神なんてそんなものいるはずがない」

 ペンギンはプルプルしながらもようやく立ち上がって僕と向かい合う。

「自分の目で確認するまでは過信しない、確認したものも過信しない。それはとても良いことだ」

 教師が生徒を褒めるように僕はペンギンに褒められた。

「私が本当に神であるかないかは差し当たって重要なことではない。神を起こす祭事が行われその場に八幡がいた、そっちの方が重要なことだ」

 神を起こす祭事とは一体何のことだと少し考えるとすぐに答えが浮かんだ。おっさんたちが伝統として行っていたあれのことだ。

 なんて傍迷惑なと思う半面、意味の分からないように思える伝統にもちゃんと意味があるのだなと感心する。

「知りたいのはあの中から八幡が選ばれた理由だろう。答えは祭事の最中に結界を張っていなかったのが八幡だけだったからだ」

 僕がまだ思いついていなかった質問をペンギンは先読みして答える。結界とはなんだと疑問が浮かぶ。ペンギンは先読みして答えてくれない。

「あの人たちは実は凄腕の術者だったんですか」

「違う違う。あやつらが何か口に含んでいただろう、あれはただの塩水だが一応結界の役目を果たしていたのだ」

 自分たちだけ結界とは卑怯だと恨むがおっさんの連絡先はおろか名前すら知らないために手の打ちようがない。

「百歩譲ってあなたが神であるとしてなぜペンギンなんです?」

「人の前に姿を現すときはその人の最も敬愛する動物の姿になるのだがこんな姿は初めてだ。いつもは犬や猫になるが八幡はペンギンを敬愛しているのか」

 原因である男の顔が浮かぶ。ペンギンペンギンと楽しそうに連呼する彼の姿がとても憎らしい。どうやら僕はかなり岩水寺に影響を受けているようだ。

「友人に一人ペンギン愛してやまない男がいまして、たぶんそいつの影響ですよ」

「本当にその者の影響だけで私がこのような姿となっているのならばそれは凄いことだ」

 このペンギンは何を言っているんだと首を傾けてペンギンの話を聞く。

「普通の人間は身近にいる動物を可愛がる。だから私も犬や猫の姿で人の前に登場することが多いのだ。にも関わらず今回これだ。他人にそこまでの影響を与えるその者は一角の人物に相違ない」

 わずかでも岩水寺に嫉妬しそうになりふるふると頭を振る。相手は神を自称するペンギン、どれだけ喋ろうと形は鳥類なのだ。鳥類に褒められるというのは嫉妬の対象に入るのだろうか、いや入らないはずだ。

 このペンギンは岩水寺とグルなんじゃないか。じーっとペンギンを観察する。

「まだ私の存在を疑っているのか。本当は神の力を見せつけて無理矢理信じ込ませてもいいのだが」

 そう脅すペンギンの口調は嬉々としたものだ。

「ぜひとも神の力を見せてもらいたいですねえ」自称神に挑戦的な口調で返す。

「お前のような不埒な輩は有無を言わせない力で信じ込ませた方がいいと思うが、人間界ではあまり不用意に神の力を使ってはいけないんだ。どんなに小さな力でもそれは人間界の法則を無視した異常な力だからな。どんな影響が出るか分からん」

 それは単なる言い訳ではなく本当に使えなくて憎々しく感じているようだった。

「バタフライ効果みたいなものですか」

 まあそんな所だ、ペンギンは分かった風に頷く。本当に言葉の意味を理解して頷いているのだろうか。ペンギンも知らないようだったし、意外に無知なのかもしれない。

「これで大方の説明は終わったな」

 ペンギンは体を左右に揺らしながらよちよち廊下の方へ歩いて行く。

「まだ一番重要なことを教えてもらっていないですよ。どうして僕の元へ訪れたのか」

 右の羽を掴んで歩みを止めた。ペンギンはため息交じりに僕を見る。

「龍を止めるためだ」

 さあ離せ、右羽をぶんぶんと振って僕の手から逃げようとした。喋るペンギンが神を名乗ったと思えばそれも全て龍を止めるためとは。妄想だとしても失笑するほど低レベルなものだ。ペンギンから手を、羽を離す。

「神の次は龍ですか」

「どうせ信じないだろう。この話はこれで終いにしよう。私が神であることも龍が存在することも時が来れば嫌でも理解できるだろう」

 時とはいつのことで何が起こるのか、疑問は尽きないがペンギンはもう答える気はなさそうだ。

「私は疲れたぞ、風呂はどこだ」廊下に出てキョロキョロと辺りを見渡している。ペンギンが風呂に入っても良いのだろうか。

「水風呂ですか」

「風呂と言ったら熱々の湯に決まっているだろう、常識だ」

 ペンギンに常識を教えられる現実から目を逸らしたくなる。喋るペンギンは非常識じゃないのか。常識とはなんだと考えだしたら切りがない。思考を停止する。

「廊下を進んで玄関の右です」丁寧に風呂の位置を教えた。

 うむと貫禄たっぷりに言うが外見が愛らしいために恰好はつかない。

「なんだこの姿はうまく歩けやしない」

 廊下をちょっと進みようやく気が付いたようだ。ゆっくりな上に歩幅が小さいために全く進んでいない。

 よちよちと歩くペンギンを見て記憶が呼び起される。ペンギンの移動方法にトボガンと呼ばれるものがあったはずだ。岩水寺が西ヶ崎のパンツを覗いたことを思い出していた。

「多分腹で滑った方が早いですよ」

「それは本当か」

 僕の助言に訝しみつつも前傾になり前方にゆっくりと倒れた。ペンギンは左右の羽を器用に使い滑るように進む。歩くよりも大分早い。

「確かにこちらの方が早く動けるな」

 そう言ってどんどん加速する。玄関が近づいても減速する気配を見せない。

「これはどうやって止まるんだ」

 ペンギンの焦った声が廊下に響く。余裕綽々だったペンギンが助けを求める様子をにやにやと楽しむ。

 玄関にぶつかりやっとペンギンが止まった。笑みを隠し急いで駆け寄って抱え起こす。見るとホコリが腹いっぱいに付着している。その姿は自動お掃除ロボットを連想させる。

「私は練習、八幡は床掃除。これからの課題だな」ペンギンが呟いた。

 ペンギンの為に浴槽を洗い、僕の脛の辺りまで湯を張ってやる。なぜ世話をしてやっているのかは自分でも分からないため考えないことにする。ペンギンの体格では浴槽に自分で入ることが難しいらしくさあ入れてくれと両羽を広げて僕に催促した。両手をペンギンの両脇に入れる。ざらりとした毛の感触が手のひらに広がる。持ち上げてみると意外に重く二リットルペットボトル二本分くらいの重さを感じた。

「ようやく人間界に来た実感が湧いたわい」

 ふー、とおっさんのように息を吐く。

「ペンギンだから気にしていなかったけれど全裸でしたね」

「それはそうだろう。八幡は犬や猫の前で裸になることを恥ずかしがるのか」

 ぺんぎんから見れば確かに僕は犬や猫と同じかと納得する。湯船に優雅に浮かぶペンギンはとても気持ちよさそうだ。一人暮らしをしているとシャワーが多くなり湯船に浸からなくなる。久しぶりに入ろうかと悩んだ。しかしペンギンの後というのはどうなのだろう。毛が浮いていそうだし良くない寄生虫がわんさかいそうだ。この浴槽はもう使えないとがっくりと肩を落とした。

「何を落ち込んでいる。八幡も入って気持ちよくなればいいのに」

 浴槽の端でゆっくりと旋回する様子が憎たらしい。

「さすがにペンギンと一緒の風呂には入れませんよ」

「私はペンギンであってペンギンではないのだ」唐突に哲学的なことを言いだす。

「外側はペンギンであっても内側は神である」

「仮に中身が神だったとしても外がペンギンなら駄目でしょう」

 ペンギンは僕を煽るように体を一回転させる。

「いいか、神は必要以上に人間界に干渉してはならんのだ。本来ペンギンはこの家にはいないものだから毛一本でもこの家に残してはならない。その一本がどんな影響をもたらすか分からないからな」

 それっぽい理屈を言われ、少し納得してしまう。確かに湯船にはぺんぎんの毛らしきものは見当たらない。

「立つ鳥跡を濁さずというやつだ」

 ペンギンのくせに中々上手いこと言う、いやペンギンが言うから上手いのか。

 ぷかぷか浮かぶペンギンを見ながら考える。入浴しても大丈夫なんだろうか。常識で考えるとノーだ、しかし喋るペンギンの存在も常識ではノーだ。つまり大丈夫だ。あまりにも雑な論法で入浴を決定する。言い訳しながらも風呂に入りたかっただけなのかもしれない。

 湯を足し、服を脱ぎ、ペンギンを横に追いやり入水する。

「これが裸の付き合いというやつか」僕が入ったことで起きた波に揺られながら嬉しそうに言う。

「これからよろしく頼むぞ」

 風呂の気持ち良さも相まっておうよと答えそうになる。

「これからってどういうことです」

 ペンギンへ大きな波をぶつける。ザブンザブンと音を立ててペンギンは呑み込まれた。

「そりゃあここに住むしかないだろうに。野良ペンギンなど日本には生息していないだろ」

 街中をポテポテ歩くペンギンを想像する。オフィス街、商店街、農村、背景をいくら変えても違和感しかない。野良ペンギンでさえ異常なことなのにそれが喋るとなれば好奇の目に晒されるだけでなく実験場に連れて行かれる絵も浮かぶ。

「それはそうかもしれませんけれど、いつまでですか。僕はいつまで我慢すればいいんですか」

 ペンギンはムッとしたのか既に尖った口をさらに尖らせる仕草をする。

「我慢とは無体なことだ。それにさっきも言ったろうに、龍を止めるまでだ」

 また龍かと呆れてしまう。顔の半分を湯につけてブクブクと口から空気を漏らす。風呂に飽きたのかもう出るから扉を開けろと命令され、渋々ながら風呂場と脱衣所の扉を開けて、湯船に戻った。ペンギンは一度潜水し勢いをつけて浴槽から洗い場へ飛び出す。

 ぶるぶると身震いして体から水を飛ばす。動きだけ見ればただのペンギンだ。

「それにしても八幡、小さいな」

 ペンギンはチラリとこちらを見てから悠々と歩きだす。僕は恥ずかしくなりブクブクと頭を全て湯船に沈めた。

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