第7話信心と二名花

 明日から長い長い夏休みに入る今日は期末試験の最終日だ。隣を歩く岩水寺は日程が進むにつれてどんどんやつれていき今日は朝から憔悴しきっていた。

 僕は彼を励ますように肩に手を乗せて「あと一日乗り切れば夏休みだ」と言ってやる。

「必修の授業は試験に合格しないと来年また受講しないといけないんでしょう」

「来年も忙しいみたいだから全部の講義を合格しておきたいな」

 岩水寺は肩をがっくりと落とした。

「単位がほしいです」

「求めよさらば与えられん」

 僕の言葉で何か閃いたのか岩水寺は地面に膝をつき空を仰ぐような恰好をした。

「ああ神よ、我を思うのならばこの試験合格させてもらえないでしょうか」

 あいつ何をやってるんだ、周囲からの冷ややかな視線もなんのその岩水寺はひたすらに神に願った。

 中々立ち上がらない岩水寺を無理矢理立たせる。

「何をやっているんだ」

「求めよと言ったので求めてみたんですよ。あとは与えられるのを待つだけですかね」

 そんなに世の中そんなに甘くないと言おうとしたが彼が憑きものが落ちたようにどっしりと構えていたため口にはしなかった。なんとかなるんじゃないか、とそんな予感がした。

 テストが終わっても岩水寺の調子は変わらなかった。

「今回のテストの出来はよさそうじゃないか」と聞くが彼は首を横に振った。

「出来は良くないけれど大丈夫です」

 明日にはケロッと忘れていそうなのに今だけは信心深い奴である。

 岩水寺がトイレに行っている間、木陰のベンチに座って待つ。テストから解放されて精神的な負担が減ったことで気が抜けた。風の通り道なのか心地の良く、微睡んでいると声を掛けられた。

「岩水寺がテスト出来たとは思えないのだけれどなんであんなに機嫌がいいの?」

 うっすらと目を開けると眼前に西ヶ崎が立っていた。

「テストが始まる前に神に合格できるように祈ったから大丈夫らしい」

 彼女は意味が分からないと訴えるような顔をした。

「それだけ?」「それだけ」

 憐れむような目を僕に向ける。その目を向ける相手が違うんじゃないのかと言いたかったけれど心境を察して口には出さない。

 ゴールデンウィークから同じサークルに入って西ヶ崎と岩水寺が会話する機会は増えたけれど一向に進展した様子が見られない。

 僕と美園さんは西ヶ崎の気持ちを知っている分、もどかしく思いながらも静観しつつ見守るという形をとることで合意している。他人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死ねばいい。

 八幡じゃないか、馴れ馴れしい声で話かけてきたのは西ヶ崎にピクルスをプレゼントした先輩だ。ピクルス先輩のピクルスは僕の家で全く食べられず、未だに深く眠っている。

 僕が美園さんや西ヶ崎と同じサークルに加入しているせいかあれから何度か会話する機会があった。どうやら彼は地域文化研究会に入りたいらしい。芝本さんと美薗さんはこれ以上サークルの人数を増やすつもりがないために冷徹ともいえる態度で門前払いしているのに懲りない人だ。

「やあやあ、西ヶ崎さんも一緒かい」

 今気づきましたと言わんばかりのリアクション。新歓の時に金色だった髪も今は薄い茶色に落ち着いている。

「今日はどうしたんですか。またサークル加入への口添えの頼みですか」

「それはもういいかな」

 どうやら今まで失くしていた学習機能を取り戻したらしい。鶏程度の記憶力かと思えばあながちそうでもないようだ。手放しで喜びそうになるのを抑えた。

「今日は何用で」笑みを堪えつつ声を出すのは思ったより難しい。

「夏休みに遊びにでも行かないかと誘いに来たのさ。どう西ヶ崎さん一緒に行かないかい、美園さんも誘ってさ」

 僕をだしに西ヶ崎を誘おうという計画らしいけれど彼は根本的な誤りをしている。僕という餌では西ヶ崎を釣ることはできない。この高級魚は偏食なのだ。

「申し訳ありませんけどお断りします。多分と言ったらまだ希望があるように聞こえますので絶対と断言して言いますけど美園先輩も行かないと思います」

 また後でサークル室で会いましょうか、僕にそう言って西ヶ崎は離れていく。僕と先輩がその姿をぼうっと眺めていると彼女は最後に振り返って「八幡は笑い過ぎ」と言い残した。

「それにしてもずるいよな」

 西ヶ崎が見えなくなった後もその方角を向いたまま先輩が言う。何がですか、と問うと溜息をついて僕を見た。

「地域文化研究会の二名花と言ったら有名だぞ」

 初めて聞く通り名に顔が引きつる。二名花とはなんとも大層な呼び名だ。

「綺麗な華には棘があると言うでしょう。彼女達は棘だらけですよ」

 二人がいないのを良いことに出過ぎたことを言っていると自覚はあった。

「その棘すら知らないんだよ俺は」

 先ほどより大きなため息をついて先輩は去って行った。

 意気消沈した所でようやく岩水寺がトイレから帰ってきた。

「テスト終わりだったせいか意外とトイレが込んでましてね。やっぱりみんなお腹を壊すもんなんですね。あれ、八幡どうかしたんですか」

 邪気のない声で言われ、神経を逆なでされる。

「なんでお前がいなくなるとこうも諍いが起こるんだ。もう二度と僕から離れるな」

 あまりにも強く言い過ぎたためか岩水寺が下を向いてしまう。考えると岩水寺は何も悪くないなと反省した。

「こんな公衆の面前で大胆すぎる告白。でも俺には好きな人がいますから君の事を友達としてしか見れません」

 ごめんなさい、そう言って頭を下げたため、そのまま頭を思い切りはたいてやった。

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