第6話サークル棟と歓迎会

 大学生になって初めてのゴールデンウィークは結局普通の休日と変わらずに終わりそうだ。確かに今までと大差ないなと悔しくも身に染みる。

 ゴールデンウィーク最終日。美園さんから連絡が入る。どうやらサークル部屋の案内とサークル長を紹介してくれるらしい。

 最後に首を長くして待っていてと書いてあっただけで何時にどことなどの重要な部分が記されていない。もしかしておっちょこちょいなのかと可愛く捉えてみたものの美園さんに限ってそれはないだろうと即座に打ち消した。

 詳細について問うために返信を書いているとピーンというインターホンの前半部分の音が鳴った。ポーンという音は待てど暮らせど聞こえてこない。消化不良ながらも玄関の鍵を開けるとそこには美園さんの姿があった。

「首が長くないなあ」と僕を見て溜息をもらす。

「本当に長くして待ってるわけないでしょうに」

 思わずツッコミを入れてしまい本題に入れない。

「さっきテレビで金属の輪っかを首に嵌めて伸ばしていく人たちを見たから八幡君も実践してくれてるかと思って」

 美園さんの顔からはその発言がギャグとして言っているのか本気で言っているのか判断できなかった。

「そんなことよりさっきの連絡で質問があるんですけど、あれいつの話ですか」

「今からに決まっているじゃない」

 今からですか、とごく自然な驚きを示すと美園さんは僕の手を取り、ほら早くと急かす。

 財布と携帯電話だけをポケットに突っ込み急かされるままに外に出た。

 部屋を出るときにインターホンを試しに押してみたがピーンポーンと間の抜けた音がなるだけで音が途中で止まることはない。

「ここのインターホンは連打すると途中で音が止まるのよ」

 美園さんがそう教えてくれる。もう一度インターホンを連打して試してみると確かにピーンの音で止まった。

「私が来るときはそうやって知らせるから覚えておくように」

 そう言ってから先にずんずんと歩いて行ってしまった。僕には犬の様について行くしか選択肢がない。

 大学までは自転車に跨って向かう。僕は懸賞で当たるような折り畳み自転車、美園さんは素人目にもただの自転車ではないなと分かるようなロードバイクにそれぞれ跨る。

「美園さんは自転車が好きなんですか」

 当然の疑問を投げかけると美園さんは前輪を持ち上げることで応える。

「私のスピードについて来られるかしら」

 先を走るスピード狂を追って僕は急いだ。

 僕らが大学の駐輪場に自転車を止めて正門に向かうと岩水寺と西ヶ崎が先に待っていた。

「遅かったですね」という岩水寺の言葉に反論したくなる。何も言わなかったのは美園さんが僕にごめんと手で謝っていたからだ。ここは紳士的な態度が吉だろうと溜飲を下げた。

「さあみんなついて来て。サークル室まで案内するから」

 サークル長は待たなくていいのだろうか。ずんずんと先に進む美園さんの後をカルガモのようについていく。

 サークル塔は大学敷地内の隅の方に設置されており、正門からそこそこ歩かなければならない。ようやくたどり着いた先で元来た道を引き返したくなった。さほど大きくない建物に様々なサークルがひしめき合っており、外観から既に馬鹿や阿呆を詰め込んだ様が見てとれた。二階建ての建物にはいくつかの幕が垂らされている。

『来たれ!麻雀確率論 君も今日から麻雀王』

『将来を決めるならここ 未来尋問党』

『地面から空へ 飛翔会』

『走れママチャリスピードスター』

 などなど高校の文化祭にもよく似た空気を醸している。垂れ幕でほとんど見えない一階も幕と幕の間に立て看板を置いて必死にアピールしている。

「ごめんね。夏休みまでには全部片付くと思うけどまだ勧誘期間中だから飾ってあるの」

 呆れた様子で美園さんが説明する。地域文化研究会の文字を探し、垂れ幕や立て看板の中にないことに安堵した。

 建物横に設置された古ぼけた階段をあがり二階廊下へ移動する。ずんずんと廊下を進んで行くと異臭漂う部屋があったり、おどろおどろしい呻き声のする部屋があったりと下手なお化け屋敷より不気味である。

 二階奥の突き当り、そこに地域文化研究会のサークル室があった。この部屋の前だけ垂れ幕が下がっていない。

「どうぞ入って」扉を開けて美園さんが言う。

 十畳ほどの部屋だろう。まず対面の窓が目に入る。すぐ外に並木があるせいか枝や葉といった景色しか見ることが出来ない。左右の壁には木製の本棚が数個配置されていて、右側には干からびたような色の古い本がたくさん並んでいる。左側にはマンガや雑誌、ボードゲームの類が並べられていた。部屋の隅に目を向けると小さめの冷蔵庫や電子レンジ、電子ポットが置かれている。中央には細長いテーブルとそれを囲う様にパイプ椅子が並んでいた。

 窓を背に奥のパイプ椅子には丸眼鏡を掛けた色白の男性が一人座っていた。祈るように手を組み口元を隠している。気難しそうな印象を受けそうになるが、彼の前に置かれた複数の紙コップと二リットルのオレンジジュースがそれを中和する。

 僕らが入室すると彼は立ち上がり両手を広げて歓迎の意を示した。

「ようこそ、地域文化研究会へ」

 その満面の笑みに対して僕らは揃って「はあ」や「どうも」と言った生返事しかできなかった。

「立ち話もなんだ、ぜひ座ってくれたまえ」

 そう言って彼は入って右側のパイプ椅子を二つ引いて僕らを促す。僕と岩水寺があたふたしていると光景をよそに美園さんと西ヶ崎は左側のパイプ椅子に腰を掛けた。それに倣う様に僕らも座った。彼は紙コップにオレンジジュースを全員分注ぎ、それぞれに渡してくれる。

「初対面の人とすぐに打ち解けるにはアルコールが必要だと言う人もいる」元の椅子に座り彼は言う。

 口元まで持ってきたコップを止める。それからごくりと言う音に気づく。見ると岩水寺は既に半分ほど飲んでしまったようだ。

「飲んじゃいましたよ」半泣きで僕へ訴えかけるけれど手の打ちようがない。

「そんな顔しなくても大丈夫。僕は反対派さ。これもただのオレンジジュースだよ」

「芝本さん、お酒全然飲めないですしね」そう西ヶ崎が茶々を入れると彼は身を乗り出して答えた。

「オレンジには様々な効果があることを君たちは知らないだろう。リン、鉄、ナトリウム、カルシウムやミネラル成分を摂取でき、中でもぺスぺリジンは血液の改善や美肌効果が期待できる。女性陣には嬉しいことだろう。それにオレンジの香りに含まれるリモネンは神経をリラックスさせ、橙色には親しみが生まれ仲間意識を高める効果がある。他にも」

「オレンジが凄いのは十分に分かったから先に進みましょう」手慣れているのか美園さんが口を挟み、怒涛のオレンジ押しを制止する。

「美園君もサプリメントを取るのではなくてオレンジを摂取すべきだ。古来から人間が一度に摂取できる栄養量は決まっているのだから人工的な栄養など高価な尿の素になるだけだと思うが」

「それ以上言ったらその口を縫うよ」

 部屋が凍えるような冷たい声で美園さんは言う。渋々ながら彼は頷き、僕らの方へ向き直る。

「まずは自己紹介から始めようか。何はともあれ名前を知らないと始まらない。僕は工学部三年の芝本、一応サークル長ってことになってる。よろしく」

 誕生日の主賓席のような位置に座る芝本さんは明るい口調で言った。さあ次は君の番だと言わんばかりに僕を凝視するので立ち上がる。

「一年の八幡です。学部は西ヶ崎と同じで」

 それ以降言葉が続かず、以上ですと座った。

 全く自己を紹介していないが、芝本さんはよしよしと言わんばかりに頷いている。

 次は岩水寺かと横を見ると既に立ち上がっていた。

「私は岩水寺、人呼んでペンギン君と発します。不思議な縁もちましてこのサークルに加入させてもらいました。西へ行きましても、東へ行きましても、とかく土地土地のお兄さんお姉さんに御厄介かけがちなる若造でござんす。以後、見苦しき面体お見知りおかれまして今日後万端引き立って宜しく御頼ん申します」

 そこまで一度に言い切ると一礼して席に着いた。あまりの出来事に唖然とし、部屋がシンと静まる。

 少し遅れて芝本さんは拍手をする。

「寅さんの口上だ。よく覚えているねえ」

「昨日丁度見ててこれだと思いまして」

「こんな鮮烈な自己紹介は生まれて初めてだ」

 芝本さんは褒めているが、他の面々はすべからく置いてきぼりだ。

「二人とも美園君と西ヶ崎君のことはもう知っているんだよね」

 僕らが揃って頷くのを確認してまた水飲み鳥のように首を振った。

「さて、ようやく五人揃ったことだしこれからの活動を発表させてもらおう」

 ややあって芝本さんが威勢よく言い放つ。予想だにしなかった言葉に驚きを隠せない。西ヶ崎も僕と同じ様子で目を見開く。

 特に活動はしないんじゃなかったんですか、美園さんを問いただそうと視線を向けると彼女も彼女で頭を抱えていた。

「活動とかするんですね」

 岩水寺も美園さんから同じように聞かされたのか疑問を投げかける。

「サークルなんだから当たり前だろう」

 当然だと言わんばかりに答えられたために岩水寺も何も言い返せない。

「もしかして活動しないと思っていたのかい」

 僕らは図星を突かれて揃って目を泳がせた。ちょっと考えてみれば当たり前のことだ。大学内に私室があるのだからその分しっかり活動していなければなるまい。

「ごめんなさい、私が特に活動なんてしないって言って勧誘しました」

 美薗さんが手を上げて正直に謝る。釣られた僕らも悪いためいささか居たたまれなくなる。

「美園君はそんなことを言ったのか」

 呆れてしまったのかそれとも僕らに失望したのか芝本さんはしばらく全体を見回した。

「新入生諸君そう心配するな。美園君の言うことは七割方正しい。年に一回か二回ほど活動するだけだ」

 力強く断言したのでなんだそうかと胸を撫で下ろした。

「それでは早速、一回目の活動について説明しよう」

 年に一回か二回しか活動しないと言っておきながら早くもその一回を使おうとしている。この人の言うことは一生のお願いと同じくらい信用できないのかもしれない。

 僕の不安を気に留めることなく芝本さんは話を続ける。

「諸君らは幻の池の話を聞いたことがあるかい」

 耳慣れない言葉だ。僕や西ヶ崎、美園さんが首を振る中、岩水寺だけは知っていた。

「たしか何年かごとに山の中にできる池のことですよね」

 芝本さんは珍しいものを見るように岩水寺を見る。

「よく知ってるじゃないか。岩水寺君はこの辺りの出身かい?」岩水寺は小さく頷く。

「岩水寺君の言葉を補足すると幻の池は七年に一度夏の終わりの二十日程度の間だけ亀の甲山に現れる池のことなんだ」

 あとは分かるだろう、芝本さんはそう言って僕らを見渡す。

「えーと、今年が前回の出現から丁度七年目に当たる年だからそれを見にみんなで行こうってこと?」代弁するように美園さんが問う。

「エクセレント」芝居がかった口調で美園さんを指差す。

 岩水寺に負けず劣らずの強烈なキャラクタが爆発している。

「サークルの継続申請には一年間行った活動を書かなくてはいけないんだ。去年のサークル長は嘘八百を並べて誤魔化していたそうだけれど僕はそう器用な人間じゃなくてね」

 だから幻の池というわけか。そこでやっと合点がいく。

「活動はその池に行くだけでいいんですか。もっと様々な事をしないと申請が通らないんじゃないですか」西ヶ崎は最もな疑問を口にする。

「そこからは僕が物語を紡いで波乱万丈、奇奇怪怪なスペクタクルにしておくよ」

「結局嘘を書くということですか」

 それでは去年と一緒ではないのか。僕の批判に芝本さんはにこやかに答える。

「ベースが真実であるかどうかは非常に重要な点だよ。まるっきり出鱈目を書くことと一つの小さな真実を誇張して書くことでは文章のリアリティがまるで違う」

 口からちっちっちっと音を出し指を立てて横に振る。五十歩百歩な気がしてならないが、さすがに何かしらの活動はしないとまずいと理解できた。

「それでいつの話なのそれは」業を煮やした美園さんがまた問う。

「出現したっていう情報がいつ入るか分からないから正確にはなんとも言えないけれど八月頭から九月終わりくらいの丁度夏休み間だと思うよ」

 平日や普通の休日でなくてよかったとホッと胸を撫で下ろす。

「じゃあ当分先の話ね」

 さっさと歓迎会を再開しましょう、そう言って美園さんは芝本さんに近づく。なんだなんだと様子を窺っていると芝本さんの椅子の下から大きく膨らんだビニル袋を取り出す。

 袋からはポテチやチョコレートなど種々雑多なお菓子が取り出される。これ全部芝本さんが用意したのかと思うと頭が下がる。

「それは後でどーんと見せるつもりだったのに」

「お菓子で釣ろうなんて甘い考えよ」

「チョコだけにかい」

 芝本さんの茶々は冷たい目線で制された。

 その後三時間ほどは雑談をしたりお菓子を食べたりといったまさしく歓迎会となった。個性の豊かすぎる面々が揃っているのに不快に思う人がいないというのは珍しいことだ。

 もしかしたら大学生活が面白くなるんじゃないか、そんな予感がした。

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