第9話 時そば

冬の寒い日に、誰もいない屋台に男がやってきた。


「いらっしゃい。なににしますか?」


「こんなに寒い日は天ぷらそばがいいね。

 天ぷらそばをひとつ頼むよ」


「わかりました。天ぷらそば一丁」


屋台の店主はそばを手際よくゆで始めた。

待っている間、男は箸を持ち出してじろじろ見ている。


「お客さん、そんなに箸がどうかしたんですか?」


「いやぁ、この箸すばらしいなと思って」


「ふふ、そうですか。ありがとうございます」


「それにこの屋台のたたずまいもいいよね。

 つい惹かれて入ってしまうような入りやすさがあるよ」


「お客さん、ありがとうございます。

 さあ、天ぷらそば、あがりましたよ」


店主はアツアツの天ぷらそばを客の前に出した。

男は天ぷらをほめたり、麺をほめたりしつつそばを食べ進める。


「っぷはぁ。ごちそうさま、おいしかったよ」


「いいえ、こちらこそ。

 お代は900円になります」


「900円ね。あーー悪い。

 100円玉しかないよ」


「ええ、かまいませんよ」


「100円玉を間違えちゃいけないから、

 数えながらでいいかい?」


「はい、わかりました」


男は100円玉を1枚ずつ店主の手に載せていく。


「いーち、2、3、4、5、6、7……」


男はそこで手を止めてふと顔を上げる。


「ところで、今何時だったっけ?」


「8時ですよ」


「9、と。はい900円ね」


「まいどありがとうございます」


男はそっと屋台を去っていった。


※ ※ ※


「……というのが、時そばって話なんだ」


「つまり、どういうこと?」


「気付かなかったのか?

 時間を尋ねたことで、100円ごまかしてたんだよ。

 ほら、男は"8"を数えてなかっただろ?」


「ああ、ああ! すっごいなぁ!」


納得した彼はこれが別の所でも使える気がしてならない。

もとは落語だかなんだか知らないが、

ネタを知らない奴が大多数なんだから通用するに決まってる。


「ちょっと、そば食いに行ってくる!」


「ええ、今から!?」


彼は試したくなって家を飛び出した。


そば屋に誰もいないのと、

時計がないことを事前に確認してから店に入った。


「いらっしゃいませ」


「天ぷらそばを1つ」


「はい、天ぷらそばですね」


席についた彼はセオリー通り、男の行動を再現する。

おもむろに箸を取り出してまじまじと見つめる。


「お客さん、箸ばかり見てどうしたんです?」


「いやぁ、この箸はいい出来ですねぇ。

 なんかこう……漆がうまく塗られていて最高だ!」


「100円ショップのやつですけど……」


「あ、ああ! そっそうなの!?」


まずい。

出鼻をくじかれてしまった。


「そ、それよりこの店の内装もいいね!

 なんか……こう、すごくいよね!」


「全店舗同じですよ。チェーン店ですし」


「…………」


彼はもう黙るしかなかった。



「はい、天ぷらそば」


やっと出てきたそばを彼は食べ始めた。

味なんかもうわからない。

会計をごまかすことで頭はいっぱいになっていた。


「ごちそうさま、いくら?」


「900円です」


「あーーそうですか。

 1000札もなくって500円玉もないや。

 ぜんぶ100円玉でいいですか?」


「ええ、かまいませんよ」


「間違えちゃいけないので、数えながら渡しますね」


彼はどや顔で100円玉を取り出した。


「1、2、3、4、5、6、7、8……」


そして店をきょろきょろと見回す。


「ところで今何時?」


「午後4時です」


「4、5、6……えっ? 今何時?」


「4時ですってば」


「4、5、6、7、8……9」


「まいどありがとうございます」




彼は、カウントを折り返したぶん

余計に支払った金を思い出して凹んだ。

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