やくざを辞める

だざいおさむし

第1話やくざを辞める

 俺は中学校の頃、いじめを受けたことがある。友達がいじめられていたから「やめろ」と言ったら、次の日から標的が俺に変わったというわけさ。蹴るわ殴るわの暴力三昧が始まった。俺はいじめっ子が「悪」にしか見えなかった。当たり前だ。いじめることは悪だ。しかし、俺はその時からありとあらゆる「悪の思想」が信じられなくなった。悪を称賛する宗教本や思想本は数多くあるがあてにならない。俺はそれを身を持って知ったんだ。結局、俺は「善」というものしか理解できなくなった。いや、俺は「善の思想」にとてつもなく興味を持つようになって、惹かれていった。だから、俺はヤクザはやめる。足を洗って、娑婆に出るだろう。ヤクザの世界は善という考え方にはまだほど遠い。


「自分がそこにいると腐ってしまうので、身を引きます」私はドンにそう告げると、もう事務所に来なくてもいいということになった。ありがとう、親父よ。あなたがそこで輝いておられる時に、私は別の場所で、何かを始めているだろう。私は今でも、これからも「今にみてろ」という気持ちでいます。私は世の中に正義の理念が存在すると信じています。極道の世界も、それなりに正義心の使い道があることにはあったのですが、それでは足らないという結論に至りまして、辞退させて頂くことになった次第です。辞めて娑婆の巣へ戻ることが、まず私にできる第一歩なのではないかということです。


 そして、私は晴れてヤクザを辞めることができたのだ。

 私が自由の身になれたのは菜穂子の存在が大きい。

 菜穂子とはお付き合いさせて頂いている女性である。

 ぼくを好きになってくれてありがとう、と言うと、

菜穂子と付き合ってくれてありがとうねぇと言ってくれる。

 私たちはラブラブなのだ。

 私はいつも、この世界に住んでいる誰もが、私たちのようにラブラブなカップルであることを願っている。ピース。ピース。

 私たちはセックスのことを「愛の証」と呼んでいた。

 セックスは愛の証だ。

 僕たちはカラダだけの付き合いじゃない。

 カラダだけの付き合いなら、オナニーのほうがマシだ。

 しかし、恋愛は一人でするものではない。二人でするものだ。

 恋愛は一人がダメでも、もう一人がしっかりしていれば、ダメなほうも立ち直れる可能性がある。

 だから、僕たちはつねにお互いに感謝している。

 僕らは合言葉を「愛言葉」と呼び、「ありがとう」がそれだった。

 五十年後に私は菜穂子にありがとうと言えるだろうか。

 男はどうしてもやらなければならないことがある。

などと言ってるうちに、悪の猛者が何人と生まれている。

 私は「真面目」というものを尊敬している。

 私は友情も決して悪いものではないと思っている。

 戦う姿勢。

 ちなみに私はMcGREGORの服が気に入っている。

 さしずめ音楽は……クラブミュージックが好きだ。

 DJ動画はDOMMUNEで見るのが好い。

 人生は孤独との闘いである。吉本隆明だ。

 私にとって文学とは、治癒行為である。

 しかし、今回の作品もプロットも何もなしで書いてしまった。

 案外、エッセーというものはそういうものかも知れない。

 ちょっと話が逸れてしまった。

 ヤクザを辞めても、小指を切るようなことは一切なかった。

 昨今の組でエンコを強要したら、たちまち裁判沙汰だ。

 うちの組もそうだったが、組員の6割が暴走族上がりで、それは一般的な俺たちのエリートコースってわけさ。

 俺も族にはお世話になってたクチだなぁ。爆音小僧って族チーム名でね。

 俺たちは、いや、少なくとも俺は真面目にやってた。

 正義しか方法論が残されていなかったから。

 辞めて良かったんじゃないかな。そういう気がする。

 私は頭がおかしいと思われることはいいのだが、実際、言われると腹が立つ。

「頭がおかしい」とストレートに言ってくる奴は、性格が悪い。

 しかし、幸いなことに私の友人は性格がいいのだ。

 気に障ることは先ず言わないし、だから、楽だ。

 楽なだけが全てではないけど、それでも友情というものは楽だと良い。

 その友人は生きるのが嫌になって、自殺未遂を起こした。

 私は手に大やけどを負ったその友人に、

「生きてて良かったよ」と言った。

 帰り際に「お前は俺が見守らないとダメだから」と言ったら、

「ありがとう」と彼は言った。とても、美しい言葉だ。

 私は喧嘩はしない。暴力とは何の解決にもならないものだからだ。

 私は口頭で中傷されても、ぐっと堪えて我慢する。

 鬱状態になる時もあるが、そんな時は気分転換をして、落ち着こうとする。

 私はなにかと自分のことをバカだと思っているが、思ってない人たちはもっとバカだと思っている。私だって、嫉妬をする時もあることはあるが、そういう時は強引に発言に気を付ける姿勢を作ることを心掛けている。いわゆる、愛であろう。


 私は「善人正機」を夢見ているのかも知れない。

 私は中学時代は担任の先生の所で、ずっと一緒に会話をしていた。

 よくいる先生っ子のような感じだったと思う。

 私には少なくとも恩師が三人いる。

 私は同時代の生徒より、教師に興味を持った。

 教育大を出ておられるので、模範的だし、年齢もあるのだろうけど、すごく知的で、大人だった。

 私はこの教師たちのような大人になりたいとずっと思っていた。

 それは教師という職業とは全く関係がなく、そういう人間になりたいと憧れていたのだ。

 そして、とうとう私は納得のいかない大人になった。

 だけど、チンピラはもうやめたので、安心しているところはある。


P.S.チンピラどもに告ぐ。

 私はあなたがたが「悪い」人だと決めつけているわけではない。そんなの、差別だし、君たちの気持ちも十分に分かっている。しかし、私があなたがたの世界から足を洗うことに決めたのは現実のヤクザの思想が原因だった。実際の彼らは、まだまだ暴力に満ち溢れている。しかし、組長の恩だけは一生忘れない。ドンの愛あいには誰も勝てない。俺は本当に幸せでした。ありがとうございました。がんばって生きていきます。本当に、すみませんでした。失礼致します。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やくざを辞める だざいおさむし @geragetter

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る