16.10.31-02

家にノートが1冊もなかったので買いに行った。

これだと思うノートはあいにく見つからなかったのだが、

愛用していたタイプのルーズリーフが売っていたので、

代わりにそれを買ってきた。


学生時代にノートがルーズリーフへと変わったのは、

確か高校時代からだったように記憶している。


中学生の時はまだノートを使えと教師に言われていて、

それでもルーズリーフを使っていた生徒は、その都度リングファイルを

用意して提出していた。高校時代はノート提出が殆どなかった。


初等教育の場では、未だに鉛筆を使えという指示が出ているのだろうか。

少なくとも私が小学生の時は、シャープペンシルは教師に好かれていなかった。

教育上な指示なのか、教師の趣味なのかはわからない。


同じようにランドセルも小学校の6年間は使い続けなさいと言われていた。

私は6年間同じランドセルを使い続けたが、一部の女子などは5年生ぐらいから

ショルダーなどで登校していた。

教師も口には出さないが気にしているようだった。


話を戻して、私が愛用しているルーズリーフは、

C罫という罫線の間が狭いタイプの物だ。

大学の購買で初めて目にしたのだが、細かくびっちり書き込みたい私には

うってつけの狭さだった。


高校時代はB罫のルーズリーフを使っていて、日本史や世界史の授業で登場した

人物の似顔絵を行間に書き込んでいた。今ではB罫ですら幅があり過ぎると感じる。


パソコンやタブレットを所持しているので、メモなどもそちらに保存すれば場所も

取らないのだが、どうしても紙に書くという行為を手放せないでいる。

ノートなりメモ帳なり付箋なり、メモ書きにまで魂が宿るとまでは言えないが、

直筆の文字は不思議な想像力を呼び出したりする。活字もまた然り。


文字を書くという行為には文化的優越が存在する。

体系を持った文字があったからこそ、記憶は記録となり、

過去と現在を結ぶ懸け橋となった。


文字の上ではいつも同じ時間が流れていて、それらは平然と時を超えてやって来る。

活字とデジタル双方の文字が、これからどう伝わっていくのか、

楽しみなところである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る