第110話 紡ぎの言葉【1】

「ホーク!」

 フィシュアは皇宮の外廊を駆け抜けながら、併行して飛ぶ茶の鳥に命じる。

「シェラートか、……もしくはイオル義姉様を探せ」

 ホークは了承の代わりに、フィシュアを一気に追い抜き空へと舞いあがった。

 フィシュアは北西の賢者の塔へと足を向ける。

 テトが学校にいる時間帯の今、普段通りであればシェラートは塔にいる可能性が高い。

 でなければ、本当にイオルの元にいるのだろう。

 期待に反して、フィシュアは賢者の塔よりもずっと手前で足を止めざるをえなかった。

 帝国における政務のほとんどが執り行われる中央棟。外廊から応接間へ抜ける階段前に彼はいた。

 現在、この皇宮内にいる黒髪の異国人はただ一人。

 見間違えたくとも間違えようがない。

「シェラート!」

 振り返ったのはやはりシェラート以外の誰でもなかった。義姉と話し込んでいたシェラートが、わずか目を見開く。

 むしろ義姉のほうがフィシュアが来ることを予想していたらしかった。シェラートの影から顔を覗かせたイオルが「あら」と晴れやかに微笑む。

「フィシュア。今日の会議のことはもう聞いた?」

「……ドヨムから聞きました」

 フィシュアは息を吐き、乱れたままだった呼吸を整え抑える。足早に彼らの元へ向かったフィシュアを、シェラートが驚いたように迎えた。

「どうかしたのか?」

「どうかって——!」

 混乱したまま叫びかけ、フィシュアはイオルの視線を前にほぞを噛んだ。

 それでも気持ちを堰き止められず、「シェラート」とフィシュアは声を落として彼の腕を掴む。

「どういうことなの。どうしてシェラートがイオル義姉様と契約しているの?」

 フィシュアが来た理由を悟ったのだろう。シェラートは寸の間、かすかに息をつめた。

「なんだ。そのことか」

「……どういうことか説明して。私は何も聞いてない。断れたでしょう? 私の時は断ったじゃない」

「だからだ。フィシュアは契約者じゃない。お前に窺いをたてる義務も俺にはない」

「だけど!」

「誰と契約するかは自分で決めることだ。フィシュアには関係ない」

 シェラートの言い分は正しかった。部外者であるフィシュアは反論する術を持たない。

 憮然と顔を背けたシェラートの表情からは何も読み取れない。

 それでも強い言葉の割に、覗き見あげた翡翠の双眸はいつになく凪いでいた。当惑するフィシュアを受容し、否定も拒みもしない。

「契約を、……破棄することはできないの?」

 フィシュアは振り払われない腕に縋る。

五番目の姫フィストリア。これ以上は見逃してやれないわよ?」

 イオルは冷ややかに忠告した。

 こつり、と踵を鳴らして歩み寄る皇太子妃に対し、フィシュアはシェラートから力なく手を離した。自ら距離をとり、そっと目を伏せる。

「申し訳、ありません」

「あなたがこれと仲がいいのは知っているけどね、フィシュア。わがままも大概になさい」

 フィシュアの前に立ち、イオルは美しい指先で悔しげに顔を下げた義妹の顎を引きあげる。

「そんな方法があったとして、契約を破棄させるわけがないでしょう? 魔人ジンがこちらにつけば都合がいいとわかりきっていたはず」

 そもそも、とイオルは口角をあげた。

「はじめに巻き込んだのはフィシュア、あなただわ。今もロシュが生きているのはなぜ? せっかく一度は見逃してやったのに、わざわざ連れ出したのは? 皇宮に連れてくるべきではなかったわね。おかげでこちらは探す手間が省けたけど。その辺のこと、あなたならよくわかっていたでしょうに、五番目の姫フィストリア?」

「——イオル」

 シェラートが非難めいた硬い声で、イオルの腕をひいた。

 うるさいわね、とイオルは煩わしそうにその手を払う。

「シェラートはしばらくそこで黙っていなさいな。別にこのに何かしたわけでもないでしょうに」

 まったく、と魔人ジンに命じた皇太子妃は腕を組み、唇を尖らせた。

 口を引き結んだまま踏みとどまるフィシュアを、イオルは眇め見やる。

「ねぇ、聞きたいのだけど。そんなにこれの傍は心地よかったの? だから、まだ離れたくなかったのかしら?」

 なら、よかったわね、とイオルはくすりと笑った。

 瞬間、果敢に睨みつけていたフィシュアの瞳が、軋みをあげて揺れた。

「ほら。おかげで、これはここから離れられない」

 目の前の現実はお前がもたらしたものでしかない、と花色の唇が告げる。

 フィシュアはその事実を認めることしかできなかった。

 歯噛みしたフィシュアの真横をホークがすり抜けた。止める間もなく、ホークが一直線にシェラートへと向かう。

 強靭な羽を持つはずの鳥は、突如、掴むべき風を失って落下した。

 石床へ墜落する直前、風がふわりとホークの身をさらって、ゆっくりと着地させる。

「ホーク! もういい」

 フィシュアは甲高く威嚇の声をあげ続けるホークの傍らに膝をついた。羽をばたつかせるホークをなだめる。

「イオル義姉様たちは悪くない。正しい」

 皇太子妃の選択は、今のこの国には有益だ。

 魔人ジンの力は、常人が太刀打ちできるものでは到底なかった。

 魔から護ると授けられたラピスラズリが役に立たなかったことを、一番痛感したのはフィシュア自身だ。

 契約が取り交わされた以上、フィシュアには受諾するしかない。

 そう理解していても、胸はどうしようもなく軋んだ。

「私は納得した。ホークも行け」

 フィシュアはホークの背を押し促す。ホークは羽を広げただけで、一向に飛ぶ気配を見せなかった。

 溜息を吐いてフィシュアはホークを抱きよせ、立ちあがる。

 ばたつく鋭い鉤爪が、腕をかすった。気付いたのか、すぐさま脚は羽毛の内へ引っ込められる。過ぎた痛みは変わらない。

「それでも私は、勝手に探すから」

 フィシュアは、シェラートを見据えて宣言した。

 各地をまわっている最中、くだん魔人ジンの情報を集めるのとは別に、話題を広げて尋ねてきた。

 解決に繋がりそうな目ぼしい情報はまだひとかけらも見つかっていない。だからと言って、これを機にやめるつもりもフィシュアには毛頭なかった。

 イオルが目を瞬かせて、意外そうにシェラートをちらと見やる。

 口を閉ざしたままのシェラートの表情は揺るがない。

 ホークを抱きしめたままフィシュアは、二人を残して階段へ向かった。

「どこに行くの、フィシュア?」

 階段に足をかけたフィシュアは義姉の呼び声に立ち止まり、イオルを見つめる。

「先に行きます。また会議室で」

「ホークも?」

「気がたっているようなので、上階から放ちます」

「ついに私まで嫌われちゃったかしらね?」

 フィシュアは苦笑するイオルの疑念を否定しようとし、その先を他でもないイオルに阻まれた。

「フィシュア。ヌツデラが来ているわ。昨日、駄目だったでしょう? 二番目の姫ネジュトゥスの招客だから、うまくやりなさいね」

 イオルはこれまでと変わらぬ調子で、フィシュアに命じた。

 気品のある微笑にはまるで裏がない。

「……義姉様、本当に容赦ない」

 フィシュアは、ほろ苦く笑みを口元にひらめかせた。

「承知しました」

 皇太子妃に目礼したフィシュアは、今度こそ階段へ足を進めた。

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