第48話 テトの試練【3】

「ホーク、いるか?」

 静かな羽音と共に、ホークが地面へと舞い降りた。

 ホークは、一部始終を木の上から見下ろし聞き知っていたかのように首を傾げる。フィシュアはふっと苦笑を洩らした。

「私は大丈夫。ありがとう」

 フィシュアはテトの家を出てすぐ、今しがた書きつけたばかりの一枚の紙きれを折りたたみ、ホークの脚に結びつけた。

 そこには、エルーカ村で流行している病はミフィア病が変質したものであるという現在把握できている情報と、対処薬に必要なズイの葉とイーラの根を可能な限り多く大至急に届けてほしいという旨が書かれている。事情が変わって、荷物を転移できないことも端的に説明していた。

「帰って来たばかりで悪いが、これをバデュラの詰め所に届けてくれ。場所はわかるよな? 東にある大きな木造の建物だ。ホークがいてくれて本当に助かった。私がバデュラまで戻っていては時間がかかりずぎてしまうから。物資を揃えて、バデュラからここまで運ぶには数日かかってしまうだろうが、シェラートの力に頼れない今、その手段を取らざるをえない。頼めるか?」

 フィシュアの頼みに答えるように、ホークは一声鳴くと、さっと舞いあがった。一度頭上を旋回してから迷いなくバデュラの方角へと飛び去る。

 ホークを見送った後、フィシュアは傍近くの木に繋いでいた馬の手綱をほどいた。素早く馬に飛び乗り、隣村への道を急ぐ。

 エリアールの話によると、エルーカ村での感染者は住民の九割を超えていた。そして、その半数以上がすでに亡くなっていて、現在の感染者のうち七割は熱が出てきており、最終段階へと移っているというものだった。

 もしエルーカ村と同じ状況が他の村でも起こっているとしたら大変な事態となる。村の患者に深く接する前に確認しておかなければならなかった。

 幸いなことに地図やエルーカ村へ向かう途中に上空から確認してきた限り、エルーカ村の周りの村々は馬で数時間というほど距離が離れていた。一番近い村でも一時間はかかる場所にある。

 希望が確信になるのを祈りつつ、今はただ馬を走らせるしかなかった。



 シェラートは眠りについたテトを見ながら、自分の無力さを歯がゆく思った。

 フィシュアは「自分にはテトを支えられない」と自嘲し託していったが、はたして自分はテトを支えることができているのか疑問だった。

 テトの傍にいてあげて、というフィシュアの言葉通り、今日一日シェラートは、ただテトの傍にいることしかできなかったからだ。

 テトはあれから、泣き喚くことも、怒ることもせず、あらゆる感情をなくしたかのようにぼんやりとしていた。

 どこを眺めているわけでもなく、ただ空っぽな闇の瞳は空中のある一点から目をそらそうとしなかった。

 別にそこに何かがあるわけではない。

 けれど、見つめることが義務かのように、ただ一点を凝視していた。

 テトが初めてそこから目をそらしたのは、テトの様子を見にきたエリアールが、持ってきた昼食を食卓に並べ、食べるように促した時だった。

 テトはエリアールに背を押されるがまま歩き食卓に腰をおろした。目の前に並べられた料理に言われるがまま手をつけはじめた。

 機械的に手を動かし、料理を口に運んでいるにすぎなかった。

 そこにテトの意思があるわけではない。食べるように言われたから、食べているだけであろう。味も温度も感じていないように見えた。

 シェラートは、そんな状態のテトに声をかけることなどできなかった。ただ、目の前で手を動かす契約者の少年を見ているだけしかできなかった。

 テトは黙々と昼食を食べ終え、夜になれば夕飯を食べ、促されるまま湯に入り、眠りについた。

 眠ってしまったテトを見ながら、シェラートは、やっと息をつく。

 せめて眠りの中だけでは穏やかな夢を見て欲しいと願いながらも、眠っている姿さえ苦しそうに見えて、シェラートはテトの寝顔に溜息を落とした。



 かすかに部屋の扉が開く音が聞こえ、シェラートが顔をあげた。いつの間に戻ってきたのかフィシュアが部屋の入り口でこちらの様子を伺っていた。

「テト、どう?」

「相変わらずだ。そっちは?」

「割とよかった、かな。離れているせいか他の村には今のところ影響がないみたい。それぞれの村の手前でとりあえずのことを聞いた限りだし、まだこれから症状が出だす可能性は捨てきれないけれど。もしも症状が出たら連絡を寄越すように、そうでなければこちらに寄り付かないように警告できた。ただし、エルーカ村の状況は最悪ね」

「……そうか」

 相槌を打てば、フィシュアは「ええ」と頷いた。

「大丈夫? シェラート、ひどい顔してる」

「お前もな」

 お互いの顔を見合わせ、二人はどちらともなく苦笑した。

「そっちに行ってもいい?」

「ああ」

 そろりと扉を閉め部屋の中に入ったフィシュアは、テトの寝台の前に辿り着くと膝をついた。横の棚にひとつ置かれたランプの灯芯が、眠るテトの顔を照らしだしていた。

 強張ったテトの表情をほぐすように、フィシュアはテトの頬をさする。

 寝台の端に腰かけていたシェラートは、その様子を眺めていた。

 どのくらいたったのか。テトの頬から手を離したフィシュアと目があったのがわかった。

 立ちあがったフィシュアの右手が伸びてくる。動けないままでいるシェラートの頬に、指先が戸惑いがちに触れた。

「やっぱり……自分を責めているんでしょう?」

 今しがたテトにしていたように、フィシュアはシェラートの頬をなでてくる。シェラートが答えを出せずにいるその先で、フィシュアはついと眉根を寄せた。

「こういう結果になっても誰のせいでもないって、前に私が言ったの忘れちゃった?」

「いや、……覚えている。だけど、もう少し早くテトに声をかけてれば、って、どうしても後悔してしまう。テトがあの街に来て、あの場所で泣いてたのをずっと……、きっとはじめから知っていたんだ。それでも、声をかけたのは随分日がたってからだった。あまりにも毎日泣くからいったい何なんだろうと思ったんだ。……遅すぎたけど」

「でもそれは、仕方のないことでしょう?」

「ああ、わかってる。考えても仕方がないことだ。何も変わらない。もう間にあわない。だけど、考えてしまう。後悔してしまう」

 悔恨を宿した翡翠の双眸に、フィシュアは悲しげに笑いかけた。

「そうね、それがシェラートなのかもね……。辛かったら泣いてもいいわよ? なんだったら胸も貸してあげる」

「それは断る」

 おどけた調子でかけられた申し出に、シェラートは即答した。

 いつものように怪訝な顔になったシェラートに、フィシュアは「失礼ね」と笑う。

「じゃあ悪いけど、私がシェラートに抱きついてもいい?」 

 言うが早いかフィシュアはシェラートの答えも待たずに両手を伸ばし、彼の肩へと顔を埋めた。

 シェラートは寄りかかって来た重みに驚きつつ受けとめながら、フィシュアに問いかける。

「どうした?」

 膝の上で「ううん」と唸るフィシュアの頭をシェラートは、ぽんぽんとなでてやった。

 促されるかのように、フィシュアが口を開く。耳に届く声は、顔を伏せているせいかいつもに比べくぐもって聞こえる。

「さっき墓地を見てきたんだけど、新しい土の山がいっぱいできてたわ。たくさんの人が亡くなったってこと身に染みて感じた。人の死って、いっぱい見てきたけど、諦めてる部分もあったんだけど、目の当たりにするとやっぱり少し辛いわね。それに、テトが……、テトがこんなふうになっちゃうなんて思ってもみなくて、それも……辛い。思ってた以上に堪える」

 重ねられた吐露に、シェラートは声なく頷いて、天井の暗がりを仰いだ。

「大丈夫か?」

「うん……、まだ、大丈夫。シェラートは?」

「あぁ、まだ、大丈夫だ」

 言い返すと、かすかにフィシュアが身じろいだ。苦笑したのかもしれないと思う。

 シェラートはフィシュアが膝から落ちてしまわないよう抱え込む。一日中出まわっていた彼女からは、馬と土の香りがくゆった。

 シェラートはもう一度慰めるようにフィシュアの頭を撫でた。

 結局フィシュアが眠りに着くまで、彼はそうしていた。

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