第44話 エルーカ村へ【1】

 テトはすでにシェラートに抱きあげられて待っていた。フィシュアはそんな二人の方へ歩きながら手を振る。

「フィシュア、もうお話終わったの?」

「うん、おまたせ」

 今は自分よりも高い位置にあるテトの頭に、フィシュアは手を伸ばし栗色の髪をなでる。

 次いで、ふわりとした浮遊感を感じたと思ったら、シェラートの横顔が近くに来ていた。さっきヴェルムに言われたことを思い出し、なんとなく眺めてしまう。

「……何だ?」

 じっ、と見られている視線を感じたのか、シェラートは腕に抱えたフィシュアを横目で不審気に見てくる。

「別に。ただ、本当に心配かけてたんだなぁ、と思っただけ。悪かったわね」

 フィシュアはシェラートの黒髪をぽんぽんと叩きながら苦笑する。テトが反対側から顔を覗かせた。

「僕もすっごく心配したんだから!」

「うん、テトにも本当にごめんね。大好きよ」

 フィシュアは向かいのテトへ両腕を伸ばす。ぎゅっと抱きしめると、まるい頬へ口付けた。

 途端「あーーー!!」という歓声があがり、警備隊の男たちがこちらを指差した。

 みるみる赤くなるテトを見ながら、シェラートは頭を抱えたかったが、テトとフィシュアを抱えあげている今、それはできなかった。代わりにフィシュアを呆れた目で見るにとどめる。

「フィシュア、お前なぁ!」

「あら。シェラートもして欲しい?」

 頬にフィシュアの手が添えられ、シェラートは溜息をついた。

 フィシュアはいたずら気に首を傾げてくる。絶対楽しんでるな、と思いながら二度目の溜息をつく。いらん、と断わろうと口を開いたが、こちらへと駆けてくる警備隊たちに驚き、彼の言葉が発せられることはなかった。

「何だ?」

 近づいてくる男たちに怪訝な顔をしたシェラートの横で、フィシュアが楽しそう笑った。

「ほら。だから、私の祝福は貴重なのよ。断るなんて相当恐れ多いことしたわね」

 フィシュアの言葉が示す通り、よく耳を傾ければ、警備隊員はテトに向かって「ずるい!」「羨ましい!」と口々に叫んでいた。

 照れて頬を擦っているテトに対し、もちろん本気で怒っている者などいない。どこか冗談交じりとあわいにある羨望は、旅立つ三人に対する賑やかな温度に満ちていた。



 テトとフィシュアを抱えたシェラートがふわりと空中へ浮く。

 フィシュアは下に集まっている警備隊たちへもう一度目を向けると微笑んで言った。

「皆、見送りをありがとう。これからも、これまで通りこの街を精いっぱい守るように。バデュラの勇敢な守り手たちに心からの敬意と栄光を」

 祝福の言葉に集まっていた全ての者が敬礼をフィシュアへと向けた。

 三人の身体がゆっくりと上昇する。テトは見送りの警備隊たちに向かって手を振り続けた。人々や街の建物がどんどん小さくなり、遂には爪先ほどの大きさになって、バデュラの街全体が視界いっぱいに収まってしまった。

 バデュラの街を離れはじめた頃、シェラートは「なぁ」とフィシュアに尋ねた。

「フィシュアのそれ、なんなんだ?」

「それって何が?」

「警備隊と話す時の口ぶりだ」

 あぁ、とフィシュアは呟くと続けた。

「これって、もう癖なのよね。ほとんど無意識だし。闇宵の姫の存在を知らなかった人に聞かれることなんて今までなかったから、私も少し恥ずかしいんだけど。そんなに気になる?」

「いや、気になるか気にならないかなら、そう気にするほどでもないけどな」

「テトは?」

「僕? 別に大丈夫だよ? フィシュアのあの話し方なんだかかっこよくて、おもしろいし」

「そう? じゃあ、二人とも、このことは見逃して?」

 わかった、というテトの元気な声が聞こえ、フィシュアは微笑んだ。

 眼下の景色が山間に入り木々の緑へと変わりだす。

 バデュラの街はもう石ころほどの大きさで遠くに見えるだけである。

 見渡す限りの緑。その間に思い出したようにぽつぽつと小さな村が見えたが、他には何もなくただ山並みが続いた。

 シェラートは時々現れる村や山を登る人々を避けながらテトの村を目指した。

 近づいているのがわかるのだろう。テトも山へ入ってから緊張しているように見えた。口数は減り、顔が少しこわばっていた。

 そんな一行の横をヒュンッと黒い影が横切った。

「――!?」

 再び向かって来た黒い影をシェラートがとっさに避ける。

 避けた勢いでぐらりと傾いだ身体に、テトとフィシュアが、「わっ」と小さな悲鳴をあげて、シェラートの身体にしがみついた。

 一体何なのか、と見極めようとしたシェラートの元へ再び黒い影が襲いかかって来る。

「ホーク! やめろ! 敵じゃない、仲間だ!」

 フィシュアが黒い影に向かって叫ぶと、それは、シェラートにぶつかる瞬間急に上向きに軌道を変え高く舞い上がった。そのまま空を旋回すると、高度を落としフィシュアの近くまで舞い降りてくる。

「知り合いか?」

 横を飛ぶ、鋭いくちばしと鉤爪を持った焦げ茶の鳥。美しい毛並みを持つその鳥に目を向けているシェラートにフィシュアが頷いた。

「そう。この子も仕事仲間なの。ごめん、なんか私がさらわれていると勘違いしたみたい」

 フィシュアは苦笑しつつ「お前は早とちりしすぎだ」とホークを鋭く睨んだ。

 ホークは素知らぬ顔で再び優雅に舞いがった。

 どうやらわざとだったらしい。フィシュアは溜息を漏らし、そういえばロシュとはじめて対面させた時も同じ反応だったな、とホークが飛んで行った方向を睨んだ。

「あの鳥、バデュラの街に着く前も僕たちの近くを飛んでたよね?」

 テトの言葉にフィシュアは目を丸くした。

「よく気付いたわね。あの時は遠くで舞っていただけだったのに」

 テトは「うん」と頷く。

「あの時は、ただ飛んでるだけだと思ってたんだけどね、きっとフィシュアのことを守ってたんだね」

 テトの言葉にフィシュアは微笑んだ。

 同時にホークが舞い降りてきて、今度はテトの横にピタリとついて飛びはじめた。

「ホークに認められたみたいね、テト。すごいわ。この子、なかなか人を認めようとはしないのよ?」

「それは、ただのやきもちじゃないのか?」

 その呟きに再びシェラート目がけて襲いかかって来たホークをフィシュアは呆れながらも、必死で呼び止めることとなった。

「ホーク、手紙を」

 フィシュアが手を伸ばすと、ホークはフィシュアの近くで羽ばたきながら脚をさしだした。ホークの黄色い脚には二通、手紙がくくりつけられている。フィシュアは素早くそれを取り外すと、手紙を広げた。

 一通は義姉からの手紙であり、もう一通はロシュからの手紙だ。

「ちゃんとロシュのところにも寄ったんだな。ありがとう。ご苦労だった」

 フィシュアが労うとホークが誇らしそうに一声あげた。

 フィシュアは手紙の中身を確認する。

 まずは義姉の方から、それからロシュのほうへ目を通す。二通を読み終わり、フィシュアはひとまず安堵した。王都では少し厄介事があったが、普段通りで大したことではないらしい。ロシュも無事のようだった。どうやらくだんの魔人ジンたちには遭遇しなかったらしい。ロシュが向かったところには事情を知る当事者や目撃者が誰もおらず調査しかできなかった、と申し訳なさそうに書かれていた。結果としては、最善だったことに胸のつかえがとれた心地がする。

「シェラート、これ燃やしてくれない? そういうのってできない?」

 フィシュアが差し出した二通の手紙を見て、シェラートが問いかけた。

「いいのか?」

 フィシュアが頷くとすぐ手紙の先端にぼっと火が灯った。

 テトが歓声をあげる。

 あかあかと燃えだした火は、白い紙を次々と舐め、灰へと変えてゆく。

 燃えつきる直前、フィシュアは指を放した。途端、火は勢いを増し、残っていた紙を食べつくすかのように纏わりついて消えた。

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