第36話 宵闇の姫【10】

 乱入してきたのは、どれも同じ黒っぽい隊服に腰に長剣を履いた武人たちだった。

 数は把握できるだで三十前後だが、扉の向こうにはまだいるらしい。

 広くはない酒場に突如現れた異様な光景にシェラートとテトは目を瞠った。

「……警備隊」

 店主だけが、呆然としながらも歓喜の呟きを漏らした。先程まで怯えていた顔が喜色に溢れている。

「警備隊ってことは、こちらに危害がないと考えてもいいのか?」

 いまだ警戒の色を崩さないシェラートに店主は「当然です」と請け負う。

 それを証明するかのように警備隊の中央に位置する男が片手をあげ、命を下した。

 呼応するように警備隊がその場に転がっているエネロップの者たちを縄で縛り、捕らえはじめる。

 その間を縫って、先ほど号令をかけていた人物はシェラートたちの方に走り寄ってくると一礼をし、膝をついた。

 シェラートの腕の中で横たわっているフィシュアを見留めると眉間に少し皺を寄せる。

「そのラピスラズリ、やはり宵姫様であられましたか。宵姫様のご容態は?」

 宵姫――聞かぬ呼び名ではあったが、恐らく宵の歌姫であるフィシュアのことを指しているのだろうと察して、シェラートは肯く。

「カルレシアの毒にあてられた。一応解毒はしてあるが、まだこの通りだ。安心できる状態じゃない」

 端的に語られたシェラートの言葉に、警備隊の男は苦渋の色を濃くした。

「……カルレシア。申し訳ございません、私たちの到着が遅れたばかりに。ピット――この酒場の前で見張りをさせていた部下から宵姫様らしき方が入って行かれたと報告を受け、慌てて皆を引き連れて出向いたのですが。言い訳にしかなりませんが、警備隊の詰め所からここまでは東と西。全く反対の、街の端から端ですから、なにぶん時間がかかってしまいました」

「東? フィシュアが言っていたのは警備隊の詰め所のことだったのか?」

 シェラートの問いに警備隊の男の方が首を傾げた。

「ご存知ではなかったのですか? 失礼ですが、あなた様は宵姫様の護衛官様ではないのですか?」

 警備隊の男の問いに今度はシェラートとテトが首を傾げる番だった。

「何だそれは?」

「フィシュアは僕たちと会ってからずっと一人だったよ?」

「おかしいですね。宵姫様には専属の護衛の方が一人付いていらっしゃると聞いたのですが……」

 考え込もうとした警備隊の男は、しかし、目の端に汗を滲ませながら横たわっているフィシュアを捉えて、考えることをひとまず中断した。

「今はまず、宵姫様をお運びしましょう。詰所にはいくつか部屋があります。医者もすぐに手配いたしますから」

 フィシュアを運ぶため抱え上げようとした男の手をシェラートは制した。

「いや、俺が運んだ方が早い。詰所の正確な場所を言え」

 訳のわからぬことを言い出したシェラートに、怪訝そうな顔を向けながらも、男は律儀にその問いに答えた。

「先程も言いましたように街の東にあります。この大通りをまっすぐ東に行ったところにある木造の三階建ての建物です」

「もしかして、その向かいには宿があるか? 近くに“バデュラの東”と書かれた看板も」

「そうです。やはりご存知だったのですか?」

 平然と返された肯定に、シェラートは腕の中にいる人物を睨みつけた。

 東の宿を嫌がったのわけを知る。

 あの時はエネロップの存在をまだ知らなかった。だが、どういう理由かはさておき、フィシュアはどちらにしろはじめから夜抜け出して警備隊の詰め所に行くつもりだったらしい。

 どこに行ったのか気づかれないよう、わざと離れた位置に宿をとったのだろう。

「シェラート、そこって」

 同じくその場所がどこを指しているのか気付いたらしいテトがシェラートを見あげてきた。

「ああ、夕に通ったとこだな」

 やっぱり、とテトはフィシュアを見つめる。

「テト。とりあえず聞くのはフィシュアが目を覚ました後だ。そのためにもちゃんとしたところで休ませてやろう」

 頷くテトの頭をぽんとなでると、シェラートはフィシュアを引き寄せ、立ち上がった。

「よし、じゃあ行くか。……っと、お前も連れて行った方がいいよな。いきなり俺たちだけで行ったら混乱するだろうし、説明するのが面倒だ」

 よくわからないが、自分のことらしいと認識した警備隊の男が口を開こうとした。瞬間、彼の眼前には見慣れた建物と景色が広がっていた。

「――!?」

 今まで自分がいたはずの西の酒場からその全く逆の東の詰所へと突然移され、男はこのありえない事態に混乱した。

 だが、シェラートの「早くしろ」という言葉に、彼はひとまず我を取り戻すと急いで中へと案内した。



 詰め所内の寝台に下ろされたフィシュアのもとへ、すぐに医者が呼ばれた。

 傷の具合と、身体の様子を診察した医者は、脈をとったフィシュアの腕を掛布の中へ戻す。

「ずいぶん脈が安定してきました。この様子なら大丈夫でしょう」

 振り返り微笑んだ医者に、テトとシェラートは胸をなでおろした。

「いや、しかし、カルレシアにあたって、これとは……正に奇跡です」

 感慨深げにフィシュアを見ながら医者は目を細めた。

「ここまで毒に耐性を作られるには相当な苦労と苦痛が必要だったでしょう。それを年若い彼女がなさなければならなかったというのは悲しいことです」

 医者は一度顔を伏せると、着替えをさせてよく身体の汗を拭いてあげること、急変したらすぐ呼ぶように、と申し送りをして部屋から出て行った。

 ここまで案内した警備隊の男はそれらを救護室担当の看護師に任せるとテトとシェラートを階下の部屋へと案内した。書類と本が立ち並ぶその部屋はどうやら彼の執務室らしい。

 男は手ずから三人分の茶を用意すると長卓の上に置いた。二人に席を勧め、彼自身も向かいの椅子に腰を下ろす。

「申し遅れましたが、私はヴェルムと申します。現在はここバデュラ警備隊隊長を勤めている者です」

 それに相槌を打とうともせず、シェラートは茶に口をつけた。

 テトはそんなシェラートの代わりに簡単ではあるが自分はテトで、こっちはシェラートだと紹介した。

 ヴェルムはシェラートの態度に怒りもせず、テトに笑みを向けた後、真面目な顔をして二人に正面から深々と頭を下げた。

「このたびは宵姫様を助けていただき、感謝いたします」

 ヴェルムの言葉に、シェラートはぴくりと眉を動かす。

「それだ。宵姫っていうのは、いったい何だ。フィシュアは何者なんだ?」

 翡翠の双眸に射られたヴェルムは、わずか身を竦めながら口を開いた。

「本当に何もご存知なかったのですね。いえ、私たちも宵姫様について知っていることなど、たいしてないのですが。それでも構わなければお話しますが?」

 問いかけにテトとシェラートは同時に頷き、先を促した。

 部屋の外からは酒場から引き揚げてきた警備隊が騒がしい。

 喧騒が気にならないのか、あるいは、そんなもの今は耳にも入らないのか。真剣な表情をする二人を前に、ヴェルムはまず確認をとる。

「宵姫様、……フィシュア様が宵の歌姫様であられることはご存知ですよね?」

 目の前の二人が首肯したのを確認するとヴェルムは先を続けた。

「宵の歌姫様は、代々この国中、時には諸外国まで足を延ばして各地をまわり歌を披露します。そのため、間接的にその土地の実情を見ることができるのです。それがいつの間にか皇帝からの命となり、使命になってしまったそうです。つまり、表の顔としては舞台で歌う歌姫として、裏の顔としては各地の実態を直接皇帝へ伝える者として。

 しかし、やはりそのうち、それをよく思わない者が出てくるわけです。宵の歌姫様の使命までは知らずとも、探られたくはない話を聞かれる者も少なくない。そこで、時の皇帝は宵の歌姫を守るために専属の武官をつけることにしたのです。これが先ほど私が話していた護衛官のことです。結果、死人が出ているなど急を要する事件等があった場合、皇帝に伝えるよりも早く武官が事件を解決できるようになりました。

 宵の歌姫様、そしてその護衛の武官がどのようにして選ばれるのかは知りません。ですが、御二方が各地をまわり問題ごとを解決し、各地の警備隊の詰所の視察をもしてくださっているのも事実です。地方に配属されている私たち警備隊は御二方をどんな場合でも援護するようにと上から仰せつかっております」

 そこで言葉を切り、茶杯へと口づけたヴェルムに、シェラートは畳みかけるように言う。

「宵姫の話がまだだろう」

 そうでした、とヴェルムは茶杯を受け皿へと戻すと、膝の上で両手を組み、話を再開した。

「宵姫というのは、もとは“宵闇の姫”のことを指します。彼女の存在が宵の歌姫様と同じ者だと感づかれないよう、一致されないよう、呼び名を変えているのです。ですが、歌を披露された宵の歌姫様が私たち警備隊のところへ来られた時に私たちがうっかり宵闇の姫様などと呼んでしまえば、それは全くもって隠す意味をなしません。ですから、私たち警備隊の間ではもっぱら宵姫様、と呼ばせていただいているのです。そうすれば一般人に例えその言葉を聞かれたとしても宵の歌姫様のことを言っているのだろうくらいに思ってもらえますからね」

 シェラートは確かにそう思ったことを思い出し、頷いた。

 やはりそうでしょう、とヴェルムは笑みを返しながら、再び口を開く。

「しかし、この宵姫様は必ずしも宵の歌姫様と一致するものではありませんでした。と言うより、宵闇の姫が生まれたのはフィシュア様が宵の歌姫を継がれてからです。どのような経緯でそうなったのかはわかりません。ただ、武術にも秀でたフィシュア様が護衛官様と共に戦いはじめたのは確かです。のお方が盗賊や今回のような強盗団と交戦するのは大抵、陽が落ちて辺りに闇が満ちた頃。それと歌姫の称号である“宵”がついていつの間にか宵闇の姫と呼ばれるようになったと、聞いています。

 いえ、お恥ずかしい話なのですが、私たちだけではエネロップの者を捕らえるには力が及びませんでした。酒場の店主を人質に取られていましたし、機会を練るために常に見張りは置いていたのですが、なかなか難しく。ちょうどその頃に街に宵の歌姫様が現れたと騒ぎになっていたので、きっと視察に来てくださるだろうと、その時に相談を持ちかけようと待っていたのですが、まさかお一人で乗り込まれるとは思ってもおりませんでした。知らせを受けて駆けつけた時にはエネロップは壊滅された後。あとは、あなた方がご存知の通りです」

 ご理解いただけたでしょうか? と尋ねるヴェルムにテトとシェラートは静かに頷いた。

 ヴェルムは少なく冷たくなった三つの茶杯へと新たな茶を注ぐ。

 一息つくと、朗らかな顔でシェラートに話しかけた。

「そういえば、さっきは突然、場所を移され驚いてしまいました。北東の賢者はもっとお歳を召した方だと聞いています。もしかしなくても、あなたは魔神ジンではないですか」

 茶杯に手を伸ばしつつ、シェラートは頷く。

「宵姫様の解毒、あれもあなたの魔法なのですか?」

「いや、あれは魔法じゃない」

「毒の場合は魔法は使えないんだって。身体の中から中和しなくちゃいけないから」

 同じく茶を飲みながら説明するテトに、感心したようにヴェルムは頷く。

「それでは、薬草から解毒薬を作られたのですか?」

「そうだ。……ちょうどいい、俺たちの代わりに薬草代払っててくれないか?」

 突飛な話にヴェルムは首を傾げた。

「薬草代、ですか?」

「物を出せることはできるんだが、それはないところから作るわけではないんだ。ただ転移させるだけ」

 そう言うとシェラートは奥にある執務机に乗っかっていた書類を手の中に転移させた。

 驚くヴェルムに、この通り、と手を広げて見せる。

「だから、恐らくこの街のどこかの薬屋の薬草がなくなっているだろう。数枚と言ってもかなり値段の張るものだからな。明日になれば店主が盗まれたと血相を駆けて訴えに来るだろうから、その時は代わりに払っておいてくれ」

「わかりました」

 手渡された書類を受け取りながらヴェルムは快諾した。

 テトは、ほっと胸をなでおろす。



 話の終わった三人は揃って執務室を後にした。

 ヴェルムは宿へと戻ろうとしたテトとシェラートを「もう遅いからよろしければこちらにお泊り下さい」と引き留めた。宿へも伝えて、荷物を移しておいてくれるという。

 フィシュアはしょうがないが、明日は予定通り発つつもりだったシェラートはヴェルムの申し出をありがたく受け入れた。

 もちろんフィシュアを置いて先に行くことについてテトは反対したが、フィシュアがそう望んでいたというと黙って承諾した。

 部屋に着き早々とこについたテトは、きちんと寝るまで自分を見張っているシェラートに話しかけた。

「ねぇ、シェラート?」

「ん?」

「僕たちってフィシュアのこと、ほんのちょこっとしか知らなかったんだね」

「そうだな」

 テトの言う通り、宿屋でフィシュア自身が言っていた通り、自分たちはフィシュアのことをほとんど知らなかったのだ。

 きっと今日知ったこともほんの一部分なのだろう。

 出会って数日。フィシュアが自分たちのことをほとんど知らないように、自分たちもまたフィシュアのことについて知らないことがあるのは当然のことだった。

 ただ、ここ最近ずっと近くにいたから、いつの間にか親しい者のように感じていただけだったのだ。

 テトは眠さで重くなった瞼を落としながら呟いた。

「フィシュア、ちゃんと追いかけてきてくれるかな……?」

 独り言のような呟きはやがて規則正しい寝息へと変わる。

「フィシュアは追いかけてくるだろう」

 フィシュアのことは未だにわからない。

 けれど理由のない確信を持ってシェラートはテトの問いに答えると、テトの頭をなでた。

 シェラート自身も寝るかと立ちあがったが、いろいろあって目が冴えていた。

 結局、彼は寝台に向かわず、夜風にでもあたろうと廊下へと出た。

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