試し読み。
闇の彼方―――
無音であり虚無の世界。暗黒に染まっている空間は、無数の点群に満ちている。大地はでこぼこだらけで、いっそ石ころだらけのこの大地は一塊の岩のようにさえ見える。そんな地球と異なるこの場所では、あらゆる光が固定されていた。
「そうですか……眠っていたのですね」
そっと呟いた声と同時に一人の少女が光から現れた。
彼女は覚醒してすぐ、自分がどんな状況に置かれているかを理解できていた。その青い瞳に映る、青く丸く、途方もなく巨大な球体が全て解説してくれたのだ。
ここは月。空は宇宙であり、無数の小さな星々が光っている。星そして、かの青い球体は惑星。いわば地球であった。
それが彼女の置かれた状況の全て。背後にあるのは白く荒涼とした大地。
髪は黄金に輝き、瞳は深淵な海のようにミステリアスな青色をたたえ、月光を思わせる透き通った肌を持つ。彼女は人間に似ていたが、たった一つだけ異なっていた。それは、背中に大きな翼が生えていた。そう、彼女は天使だった。
宙に浮く彼女は優しく微笑みながら、地球に向かって、語りかける。
「お久しぶり……じゃなかったおはようだね」
そして満足そうに見つめていた数秒後、なにかを思い出したように、あっと呟く。
「そうだ、そろそろ行かないと」
ひらっと身体を翻す。同時に、背中の大きな翼が広がった。長いさらりとした金色の髪が、交差しながらこぼれるように光を放つ。白いワンピースの裾が風にあおられて、ひらひらと舞う。翼はみるみる広がり、やがて彼女の身長の倍以上の大きさとなった。その姿は、まるで奇跡を起こそうとする神の啓示のようでもあった。
「600年ぶりだね……また役目を果たさなきゃ」
青い瞳に映る青い惑星に飛び込む。彼女はまるで、天国から落ちた神からの授かりものだった。大気圏へ突入し、やがて青い彗星となって大地へ降り立つ。
「前世は羊使いだった。今度はどうなるんだろう」
自分の運命を楽しそうに予想しながら、彼女は子供の様に微笑みながら、世界へと降り立った。その先に何が待っているのかも知らずに。
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「ふあ……」
カーテンの隙間から差し込む朝日が、いつもより眩しくて目が覚めた。目覚めは最高でもなく、最悪でもない。それ以外は少しだけ早く目が覚めてしまっただけの普通の朝だった。
寝ぼけ眼に、白い天井と部屋の蛍光灯が飛び込んでくる。今日も一日が始まると観念し、ベットから起き上がって伸びをする。そのまま少年は枕元にある携帯電話を手に取り、時間を確認した。
午前七時 四月十日……。
画面を閉じた携帯を机に置きなおし、カーテンを開く。しかし今日もいつもと変わらないだろうと思っていた朝の光景は、一変していた。
「え?」
瞬間、彼は目の前の光景に声を奪われた。そしていつもより朝日が眩しく感じたのは気のせいではなかったと思い知らされた。
ひらひらと舞う淡い色の花びらが、空を一斉に埋め尽くす勢いで、無数に降り注いでいた。その花びらに朝日が反射し、光量を増して輝いている。少年は無意識にゆっくりと唇を開きその乱れ飛ぶ花の名をつぶやいた。
「桜……」
季節的には春であるが、桜は先週の大雨ですでにほとんど散っていた。それなのに、もう一度こんな風に桜が狂い咲くのはまるで怪奇だ。異常な光景を目の当たりにして、少年は慌ててベッドサイドへと引き返す。先ほど机に置いた携帯電話を飛びつくように手に取り、日付を確認した。
午前七時 四月十日。
表示されているのは先ほどと同じ時刻。だが、目の前の信じがたい現象が、
少年に、普通では起こり得ない何かが起きていることを告げていた。
生まれた初めて出会った怪奇現象に、少年は立ち尽くす。その少年の名は、赤羽神器といった。
なぜ? 先週桜が散ったはずなのに、なぜまた咲いた? なぜこんな奇跡が起きた? それともこれは呪いなのか……。
神器は自問自答する。しかし、答えは出ない。
―神は死んだはず。なぜなら、「俺」が殺したのだから。
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朝、神器は母と一緒に赤羽家を出た。神器の母は電車で三十分ほどの場所にある会社で社長秘書をしている。また神器は、徒歩で十分ほどの、駅の反対側に位置する千版高校に通う高校生だった。
足早に駅へと向かう母親を見送って、神器は戸締りをする。重い責任を伴う仕事との両立で忙しく、疲れているだろう神器の母親は、そんなことをおくびにも見せず、毎日朝食を作り、食卓を囲むのを欠かさない。だから神器はそんな母親に感謝し、支えていこうと決めていた。そしてそれは、十年間に亡くなった父親に託されたことでもあった。
母親の後ろ姿が見えなくなるのを確認して、神器は学校へと歩き始めた。なんとなく気分が向いて、今日はいつもと違う道を使い登校する。
桜がうるさい―――
狂い咲きの復活桜の話題で、テレビ番組はもちきりだった。道端ではそこかしこでアナウンサーがレポートし、女子高生が写真を撮っている姿もあり、通りがかった公園では、早起きの老人集団が花見に興じていた。
だがそんな桜に誰しも強い疑問は抱かず、再びのんきに楽しそうに歌ったり酒を飲んだりする口実にしているように見える。
そんな光景ですら、神器に取っては、不気味だった。むしろ散った後に何事もなかったかのように再び咲く桜は、呪いのようにさえ感じられた。
公園を抜けた交差点の向こうには、物心ついた頃から建っている古くて大きな教会があった。六年前に大規模な修繕が入った時にささやかに話題になった、石板が埋め込まれたフランスゴジック様式の珍しい外観は、カトリック系キリスト教会としての荘厳さをこれでもかと見せつけてくる。
中でも特徴とされているのが、青いローズウィンドウ、円形のステンドグラス「薔薇窓」。太陽の光を反射し青く光輝く円形は、まるで神が啓示した奇跡の一つとさえ称された。ゆえに美しいこの教会は町の象徴となっている。
しかし神器に取っては、この教会はあまりいい思い出がある場所ではなかった。だから特に教会脇の道はいつも嫌々通っているのだが、特に今日は「あの日」であるため、機嫌が優れなかった。
信号が変わるなり、さっと横断歩道を渡ってしまおうと足を踏み出す。
ヒュウーーーー。
「……く!」
しかし運悪く、正面から吹き付けてくる強風に、足止めされた。両足が重りを付けたように重く、前に進むことが出来ない。その上桜の花びらが顔面に叩きつけられ、張り付いて視界が遮られる。神器の不快感が頂点に達した。
憎悪さえ沸いた。憎むべき日、呪いの花、怨むべき場所。
こんな世界なら、いっそ無くなってしまえばいい。
欝々とした感情を胸に押し込め、花びらから手で顔を隠す。
すると突然風が弱まり、止んだ。ほっとして手を下すと、神器はほんの数メートル先に、一人の見知らぬ少女が座り込んでいることに気が付いた。
「……にゃんにゃん猫さん。あなたは幸せですか?」
最初に神器が目を奪われたのは、ゆらゆらと揺れ、まるで桜と交差するようにキラキラと輝いている彼女の長い髪。猫に語りかけているのはまるで西洋絵画から抜け出てきたような金髪碧眼の美少女であった。
彼女は神器と同じ学校の制服を身に纏い、しゃがみこんだまま、目の前にいるシャムネコに話しかけていた。その猫は首輪をしていない。だがその白い毛並みは美しく、一見野良には見えなかった。
「あなたは幸せですか? 今日はいい天気ですね」
「にゃー」
「そうですか。幸せなんですね」
シャムネコも彼女の話に応じるように楽しそうに鳴き、見つめ返す。
―変な女。
だが神器は少女に興味を覚えた。彼女のしゃべり方には訛りがなく、とてもきれいな発音をしている。だが神器が興味を覚えたのはそこではない。
この女子生徒にまったく見覚えが無かったからだ。
これほどの金髪碧眼の美少女が入学したら、普通はその途端に、学校中の噂になるだろう。けれど学校中の人物を概ね把握していると自負している神器ですら、彼女の事を一切知らなかった。
……これは、どういうことだ
疑問がわいた。だがなぜか、それ以上彼女のことに、踏みこんではいけない。と神器の直感が、そう警鐘を鳴らした。
神器は即決した。そのまま何も知らないふりをして、立ち去ろう。踵を返した瞬間だった。
「ん?」
ある交差点の向い側、たった今神器が渡ってきた場所に、何か妙な胸騒ぎを感じる。振り向くと、一台の小型トラックがこちらに向かって走ってきていた。
車体がふらついている。まさか、居眠り運転……!
「クソ!」
神器は飛び出した。すぐそばまでトラックはせまってきている。
だが少女は猫とじゃれるのに夢中で、まだこちらにまったく気が付いていなかった。
駆け寄る神器の気配に驚いたのか、猫が少女の腕をすり抜けた。
「あ、ネコさん……」
少女は残念そうな顔をして、立ち尽くす。そんな彼女を全力で突き飛ばそうとする。
ドーン!
轟音と共に、トラックが電信柱にぶつかる……。
だが、車と電信柱の間に、神器の姿はない。
その代わり車から少し離れた所に、二人は重なって倒れていた。神器がかばうように、少女の上に覆いかぶさっている。
「大丈夫か?!」
神器は慌てて、腕の中の少女の無事を確認する。
「きゃ!」
「え?」
しかし、体の下の彼女は素っ頓狂な声を上げた。その声にぎょっとし、同時に右手の違和感を自覚した。
彼の右手は、ずっと柔らかい何かをつかんでいた。手のひらにすっぽりとおさまったそれは、肉まんのような柔らかさと、瑞瑞しい弾力を存分に伝えてくる。
「まさか.……」
自分がつかんでいるそれが何であるのかを理解した神器は、慌てて手をどけた。冷や汗を掻きながら、必死に謝る。
「ごめん!」
彼女は神器の腕の下で、黙ってそれを聞いていた。
息が届きそうなほどの距離で見ると、彼女は予想以上の美少女だった。
蒼穹の瞳に蜜のような黄金の髪、陶磁のような肌……調和された至上の美。
そのうえ、花のように甘い香りが鼻をくすぐってくる。
まるで女神だ……。
神器は言葉を失った。
「あのー、体の上から退いてもらえますか」
「すまない!」
ぽそりと呟いた彼女の声が耳に届いて、ハッとした神器は跳ね上がるように起き上がる。
少女は神器を一瞥すると立ち上がり。両手で自分のスカートの埃をパンパンと叩いた。
いろんな意味での危機の連続に、神器の鼓動は、はちきれそうだった。
気まずさをごまかすように、神器は彼女から目線をずらし、トラックへと向ける。
トラックは、ついさっきまで彼女が居た場所に突っ込んでいた。教会の壁にめりこみ、白い煙が巻き起こっている。どうやらエンジンを直撃したようではあったが、幸い炎上はしていない。
運転手がよろよろとトラックから出てくる。怪我もないようだ。
衝撃音が教会の中まで響いたのか、教会から数人、飛び出してくる。警察を呼んでいるらしき怒号も、遠くに聞こえる。
「やばい、かな。これは」
面倒なことになる前に、長居は無用かも。神器はちろりと舌を出した。
第一事情聴取なんて巻き込まれたら、間違いなく遅刻だ。
「じゃあ、ここで。後は頼む!」
しゅたっと右手を上げ、あっという間に逃げを決め込む。
「え?」
少女がびっくりして聞き返した時には、神器の背中は彼方に走り去っていた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
いったいこの状況をどうしろと。
しかしそんな彼女の困惑にこたえるものはおらず、桜の下、少女はただ、神器の背中を見送ることしかできなかった。
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「なんとか逃げ切った……」
教室に着いた神器は、机の上に乱暴に鞄を置くと、椅子にドカッと腰を下ろした。はーはーと息を整えながら、天井を見上げる。
いつもなら、あの道は通らなかった。たまたま今日はいつもより早起きしたため、桜の怪奇について考えたくて、遠回りした。ただ
まさか朝から、あんな騒動に巻き込まれるなんて。
置いてけぼりにしたあの子に悪いことをした。どうもあの場所だと調子が狂う。
やっぱりあの道を取ったのは失敗だった。結局あの事故を避けて登校したせいで、早起きしたのがチャラになるほど遅刻ギリギリになってしまった。
それとなく、周りを確認する。よかった、まだ今朝の事故は噂にはなっていないらしい。
彼が所属する千版高校2年A組の教室では皆、桜の話ばかりしている。
でももう油断しないようにしよう。同じように見逃されることが、次回もあるとは限らない。
「もうあの道は使わない事にしよう……」
「何ぶつぶつ言ってんだ、ヒーローさん」
不機嫌な神器に向かって、いきなり背後から肩をめ一杯叩く男子高生がいた。
「朝からなんだよ、もう」
神器がぶすっとして振り返ると、尖った前髪と少し吊り上がった目で、人懐っこく笑う男子が立っていた。
「いやー、見たよ。朝から相変わらず大活躍でございますね、旦那」
「ほっといてくれ。あと、あんまりそういうことを、むやみやたらに広めるなよ。遊朝」
「大丈夫だって。俺だって頼まれたって、そんなことやるメリットねえよ。なにせ、お前のネタは売れないからな」
そしてカラカラと笑ってみせた後で、そっと神器の耳元にささやく
「だけど教会の人は、相当お前のことを気にしてた。探してたみたいだったぞ」
「そうか……」
だがその反応に、神器は少しほっとした。この調子じゃ、今朝の一件は、あまり拡散していないかもしれない。
有名人にはなりたくない、静かに学生生活を送りたい。平和が一番というのが彼のモットー。
称えられ、祭り上げられるのは好きではない。徳は徳のため、善は善であり、この世のものであり、来世なものではない。
ちなみにさっきから神器に色々と世話を焼いているこのクラスメイトの名は、浅井遊朝。神器の数少ない友達である。
新聞部の副部長であるため、いろんな情報が雷鳴より早く手に入るといわれる。当然のことながら神器の朝の出来事ももう、登校した時点で、既に彼の耳に入っていた。
「いつも思うんだけどさ。お前って、あんなに色々と目立つようなことしているのに、どっからも話題にあがってこないのは不思議だよな」
「大げさだよ。実際、オレはそんなに目立ってねえもん」
「ま、そういうところがお前らしいんだけど」
遊朝は肩をすくめ、やれやれと言う。
そんな他愛もない会話をしていると、また別のクラスメイトの少女が神器に向かって、声をかけてきた。
「じんくん! おはよう! 今日も同じくよろしくね!」
「ああ、了解。おはよう。莉子」
神器は肩をすくめて、いつも通りの挨拶を返す。するとそれを見て、莉子と呼ばれた少女は微笑んだ。
ちなみに彼女、佐久間莉子はこのクラス、2年A組のクラス委員長だ。肩まで伸びたオレンジ色のさらさらのストレートヘアが特徴的な真面目女子。もちろん制服は厳密なまでに校則準拠だ。それどころか毎朝、誰よりも早く登校し、教室を軽く掃除さえ自主的に行う今時珍しい女子学生であった。
そして彼女は十二年来の神器の幼馴染でもあった。幼い頃から近所で、幼稚園から中学校に至るまで、ずっと一緒に通っている筋金入りだ。
「で、今日はなんの活躍したのかな? じんくん」
興味津々に詰め寄ってくる莉子に、神器はふいと視線を逸らす。
「別に……」
「そう? 教会では少し話題になってたよ?」
「へえ……」
ポーカーフェイスを保ちながら、舌打ちしたい気分で、神器は莉子を見る。どうせこの時点で、なにか勘付いていて、探ってきているところがとても癪だ。こういうところは、だてにつきあいが長くない。
するとそんな二人の様子を見て面白がった遊朝がダメ押しをした。
「ああ、まだ知らないのか。今日の神器様の活躍を」
「なに?それ」
「今朝は外国の人が軽トラが突っ込まれるところを、さっと助けたらしい」
「やっぱり何かしたんじゃない!」
「少しな」
大げさにはしたくない神器だが、それだけ莉子は眉を顰め、ぴりぴりと神器をにらむ。とても不満そうだ。
「何でいっつも、そんな無茶するの」
「……目の前で、人が車に引かれそうになってるんだ。そのまま見過ごしたら、後味が悪いだろ」
「そうじゃな……そこじゃない!」
神器の答えに、莉子が頭を抱えながら、疲れ切った声で返す。
「じんくんっていつもそうだね。風みたいに来て、風みたいに去る。今回の手柄だって名乗り出て、きちんと感謝されればいいのに……」
「そんなのいらないから。俺はむしろ静かに暮らしたい」
「……だったら人助けしすぎだよ。じんくんはもっと、自分のことを大事にして」
莉子が低い声で諭す。抑えた口調は、悲しげな響きを含んでいた。
神器は深いため息をついた。
「ごめん」
神器自身も謝っている理由はよくわからない。だがこれ以上莉子につらそうな顔をさせたくなかった。
すると、神器の謝罪を聴いた彼女は軽く息を吐き、思い直すように苦笑した。
「わかればよろしい!」
ぺしっと神器の頭を軽く叩き、明るくへへと笑う。
いつもながら、めんどくさいやつ。
神器は頬杖をつき、黙って莉子が絡んでくるのをやり過ごした。
実はこう言った莉子の心配は、昨日今日で始まったものではない。ほぼ大きな出来事が起きるたび、いつも莉子が一方に神器へ詰め寄り、そのたびに神器は謝罪して受け流している。
「えっと。お二人さん。オレッチもいるんですけど?」
「あ。そうだ、じんくん。今日は新しい転校生が来るんだって」
「うわ、相変わらずのスルー!」
ちなみに遊朝は、完全に莉子からあしらわれている。
しかしこれが神器の望んだ日常だった。
少なくても気の置けない友人に囲まれ、他愛もない事を話して過ごす。
できるだけ集団に迎合しないで、しかし最低限は周囲と自分でささやかな役割を分け合い、平和を保ちたい。
ずっとそう願ってきた。
「それで、転校生の事なんだけど……」
「どうやら外国から来た女生徒らしいぞ」
「遊朝……あなたに、個人情報ポリシーと言う物はないの?」
「それ以上知らないし。知っても公開しないからセーフだろう?」
キーンコーン、カーンコーン
言い争っている二人の間に授業開始5分前のチャイムが鳴り響く。二人はお互いの主張を一時中断し、自分の席へと戻った。神器の意思を置き去りにして
ざわめく教室に、一喝するような声を張り上げ、美人の女教師が入ってきた。
「席に付いて!」
タイトスカートに、ボディラインぴったりのスーツを着こなし、髪は腰までのセミロング。五センチはあろうかというハイヒールを履いている。
彼女の名前は斉藤 真理。通称まりちゃん先生。彼女の声は大きく、厳しい時は厳しいことをみんな知っているため、クラスは一瞬にしておとなしくなる。
しかし、みんなそわそわしていた。やはり転校生の噂は気になるのだった。
第一、新学期始まってから二週間ほど経つこの時期に転校生というのは、どう考えても中途半端だ。なにかワケありなんじゃないかと勘繰りたくなる。
クラスは固唾をのみ、教壇に立つまりちゃん先生の次の一言を待った。
「はい。今日はみなさんにお知らせがあります」
ざわざわ……。ざわめきが教室に淀む。
しかし神器はそんなことに興味などなかったので、ただ窓の外を見つめ、ぼんやりと桜の怪奇現象について考えていた。
この季節外れの桜は、目障りでしかない……と。
「今日から、このクラスに転校生が来ます」
まりちゃん先生の宣言に、気の早い男子生徒がヒャホーと歓声をあげた。
うるさい……
神器はそっとため息をつく。もともとお祭り騒ぎは好きじゃない。
転校生だか、何だか知らないけど、さっさと紹介して終わらせてくれないか。……今日も無事に一日過ごしたいんだから。
彼が内心で毒づいた。その時だった。
「どうぞ、入ってきてください」
ガラガラガラ。まりちゃん先生が促して、ドアが開く。
クラスの視線が、教室の入口に集中する。
転校生は楚々と、まりちゃん先生の横に立った。
「初めまして。ダルク 卯月と申します。フランスからやってきました。よろしくお願いします」
その涼やかな転校生の声に、軽い衝撃を覚えた。その発音、訛りのない流暢な日本語と柔らかな音。
ハッとして振り向く。そこには、朝助けたばかりの少女がいた。
―転校生は、彼女だった……。
深い海のような青い瞳と流れるような琥珀色の髪。ネコとじゃれあっていた少女がそこに立っていたのだ。
彼女は呆然とする神器と目が合うと、にこりと微笑みかけた。
「これからもよろしくお願いします。赤羽 神器さん」
それは神器の日常を、非日常へと変える合図となった。
いや、二人が出会った時から、すでに非日常が始まっていたのかも知れない。いずれにせよ、彼が望んだ平穏な毎日はこの時失われてしまったのだ。
続きは冬コミ(C91)へ……
天使と可能性 ういんぐ神風 @WingD
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