猫はついてくるのかな?

信号が青に変わった。

ゆるやかな坂道を自転車はカラカラと軽い音を立てて下っていく。

オレンジ色の街灯が薄暗く道を照らす。

対向車線を上ってくる車のヘッドライトが明るすぎて目がくらむ。

「そんなにスピードを出さなくても」

振り返るとその車は黄色信号へと突っ込んで行った。

視線を前へと戻すと、対向車線の路上の真ん中で白いものがひらひらと動いた。食べた後の弁当のゴミが入ったコンビニエンスストアの袋か、持ち主が拾うのを諦めた洗濯物か。

自転車は軽快に坂を滑って行く。その白いものがどんどんと大きくなってくる。やがて、それがなんなのか見えた。


猫だ。


ひらひらと動いていたんじゃない。

横たわり、宙に上げた右脚がピクピクと痙攣していたんだ。

頭がガクガクと動いていたんだ。


「あぁぁぁぁ」

  瞬時に何が起こったのか理解できる。嗚咽にもならない声が漏れる。死神が抜き去ろうとしている魂が、かろうじて右脚にまだ留まっていたんだ。まだ生きてる。どうすればいい?


どうせ野良猫だ。誰かが行政に連絡すれば片付くだろう。俺じゃなくてもいい。飛び出すお前が悪いんだから。

でも、どうする?どうする?と自問自答を繰り返す。自転車で走って通過する、ほんの三秒間にいろんな思いがよぎる。


自転車は止まらない。止められない。

どんどんと遠ざかっていくのは止まりたくないのか。

引き返すべきではないのか?

前の車のテールランプが赤く強く光って、慌ててブレーキレバーを引く。赤信号で止まらなければいけなかった。


横を車が坂を上って行く。

「轢かれる」

その車はスピードを落としてハンドルを大きく切って障害物を避けた。


お袋の言葉を思い出す。

「猫はついてくるからね」


悲しい場面を見て、可哀想だと思う優しい人には、ついてくると言ってた。

胸になにかがつっかえていて、大きく呼吸ができないから、三回くらいに分けて空気を吸い込む。迷った。でも、信号が赤になり止まってしまったんだ。

坂を登り始めた。戻ってどうする?まだ決めていない。


しっぽは黒くて、身体も顔も白い。手入れをされた綺麗な猫ではないし、子猫ではない。

宙に浮いていた脚はもう下がっていて、頭も動いていない。幸いなことに内臓は飛び出していないし、頭部に薄っすらと血が見て取れる程度の汚れ具合。


先ずは道路から動かさないといけない。

でも、素手では触りたくない。タオルは持っていない。どうすればいいんだ?こうしている間にもその猫のそばを車が通り過ぎる。これ以上、悲惨な状態にはさせたくないから、早く動かさないとと焦る。ビニールでもなんでもいいからと、ある程度の大きさがある何か落ちていないかと探すが、暗いこともありなかなか目に入らない。停めてあった誰かの自転車にくくられている白いタオルを見つけた。まだ毛がふかふかした新しいタオルだった。それを手に取り、猫へと向かう。歩道を女性二人が歩いてきて、猫に気がつくと

「あー、嫌だ」と足早に去っていく。


猫を覗き込むとまったく動く気配がない。また人が歩いてくる。なぜか、悪いことをしているわけではないのに見られたくなくて、その場を少し離れる。暗がりに消えていく背中を見送り、辺りを見廻し、人がいないことを確かめる。すっと近づいて、もし、もしも生きていて動いたら怖いので、一度、靴で押してみる。動かない。

黒いしっぽをタオルで巻き込むように包んで持ち上げる。だらっとした力のない重さが腕にかかる。ぐにゃりとした首は、ありがたいことに、しっかりついてきた。

歩道に設置してある緑色のゴミ捨て場の脇へと置いて、そのまま白いタオルを猫を隠すように被せた。

僕は右手を顔の正面に立て、軽く目を閉じて、頭を垂れた。


誰が悪い?はねた車の運転手か?いや、違う。じゃあ、どうしてこんなことになる?

この、やるせない、悲しい気持ちはなんだ?

自宅へと向かって自転車を走らせながら、ずっと考える。

すでに命が尽きている猫なら、同じ状況を何回も見たことがあるから、通り過ぎたのではないか?

生きていたらどうすればよかったのか?病院へ連れて行くのか?その費用はどうするんだ?その後の面倒は誰が見るんだ?

内臓が飛び出していたら触れたか?

それが愛犬なら、気が狂うだろうか?


いいことをしたって自己満足してるのかと思うこの感情は必ずついてまわる。猫のためか、 自分のためか。どうして単純に猫のためだと思えないのか。


猫はついてくるのかな・・・。


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