第13話 好きなもんは好きなんだ 1
ナンセンス。
忌忌しき事態。
いったいこの怒りをどこへ当てればいいのだ。
怒りに任せて歩いていく、みなとの腕を初音が取り微笑む。
ウザ過ぎるだろう。
目を細めて見るみなとに、まるで関心がない初音は、一人盛り上がりを見せていた。
「ね、本屋へ寄ってもいい?」
「寄りたければどうぞ。私は先に」
「ダメ。みなとも一緒じゃないと困る」
語尾を上げた喋り方に、イラッとしながらみなとは訊き返す。
「なぜです。一人で行けるでしょ」
「だからダメなんだってば」
少し俯き加減で言う初音の顔が、みるみる赤く染まる。
「私、あっちの方の体験とかないから、少し勉強をね」
はい?
口ごもる初音の顔を、みなとはまじまじと見てしまう。
この人は、本気でバカではないだろうか。
「あっ。今バカにしたでしょ」
「あのですね先輩、そういうのって勉強とかするもんじゃなくって」
「だって、怖いじゃない」
怖い? いい年をしたあんたが言うのか……。って、本当の本気で未体験ってわけ?
みなとの腕を握っている手に力を籠められ、初音は乞うようななまなざしを向けるのであった。
「だったら、ビデオを借りるとか、ネットでそういう類のものを読み漁るとかしたらいいんじゃないかなぁ。結構えぐいのあるみたいだし、私は必要じゃないから、行ったことはないけど、うん、そうしましょう。そうすれば心置きなく、自分の部屋で盛り上がれますよ」
「だったら、みなとも一緒に見てくれる? って言うか、みなとが手とり足とり私を導いてくれればいいのよ。私って、頭いい」
いや、頭悪いだろう。
目を輝かせて言う初音に、みなとは苦笑してしまう。
仕方なく寄った本屋で数冊の官能本を手に入れた初音はすっかり興奮しきっていた。
バスの中、何を思ったのか、義三にメールを打ち終わった初音が、満面の笑みをみなとに向ける。
「頼んじゃった」
「何を?」
「ビデオ、借りて来て欲しいって」
こいつはやっぱりバカなのか、バカなんだろうな。
絶句である。
一分一秒でも早く、この場から立ち去りたいみなとへ、メールが入る。
樫野からだった。
先ほどの謝罪と、そのお詫びがしたい旨が懇々と書き連ねられていた。
「誰から?」
「樫野さん」
「何だって?」
「今晩、食事を一緒にしないかだって」
「タイミング悪っ。もう家に着くし、そんなの断わっちゃえば」
初音に言われなくたってそうする。
妙に初音の言葉が腹立たしく感じてしまったみなとは、プイと顔を横へ逸らす。
ついていけない。
べたべたと離れたがらない初音の手から何とか逃れたみなとは、ぐったりとベッドに倒れこむ。
樫野へ返事を打たなければと思いつつ、携帯を握ったままついうとうとしてしまっていたみなとは、窓に何かがぶつかる音がして、ハッとなり起き上る。
「樫野さん? 何してんの?」
「迎えに来た」
「迎えって?」
「今、ロープ投げるから受け取って」
え?
有無なしに投げられたロープの端を何とか捕まえたみなとに、樫野はそれを伝って出て来いと言うのだ。
「こういうのって、高校生ぽくっていいと思いません?」
「思わない。何で私がそんなこと、しなくっちゃいけないのよ」
「なんか、困っているようだったから」
渋るみなとへ、樫野は満面の笑みで手招く。
ドアがノックされ、初音が食事を誘う声が聞こえ、みなとは次の瞬間、自分でも驚くほどの素早さで、ロープに身を任かせていた。
「脱出成功。さぁ行きましょう」
手をグイッと引っ張られ、
「ちょっと、素足で痛いんですけど」
不満を言いきらないうちに、樫野はひょいとみなとを抱え走り出す。
何なんだこの熊男は……。
車へ駆け込み、急発進させる樫野の横顔を、まじまじとみなとは見入ってしまう。
かっこいいには程遠い男。
利用価値も利益もない、ただの熊男。
「何が目的なんです?」
何の躊躇いもなく聞くみなとに、樫野はゲラゲラと笑い出す。
「だから、一緒に食事をしたかっただけです」
「食事したら、おとなしく帰らせてくれるんでしょうね」
「当然です。でも、みなとさんが望むならそれ以上のことも」
「ないです。あなたとは絶対にない」
「きっぱり言い切りましたね」
きつい目つきで睨むみなとを見て、樫野はますます嬉しそうに笑い声をあげたのだった。
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