ナツコイ物語

kikuna

第1話 恋なんてさ風邪を引くようなもの 1

  蝦方義三(えびかたよしぞう)35歳。不覚にも目の前の女性に気を引かれています。


 そこはかとなく不機嫌丸出しで、友の会話そっちのけで、ひたすらにグラスを傾ける姿。誰もが敬遠したくなるような雰囲気を丸出しで、隣で粳泰一(うるちたいいち)など、眉間に皺を寄せ、なんだ、あの女。と耳打ちをしてきたぐらいです。


 でも俺、嫌いじゃないです。無理して面白くなくもないのに、へらへらと笑いを浮かべられるよりよほど、腹の中身が見えていいです。白い肌にキュッとすぼめた赤い唇。あなたは俺の花です。蝶です。女神です。天使です。とにかく俺、ひとめぼれです。


 これほどまでに義三を唸らさせた女性、城ヶ関(しろがせき)みなとがこの物語の主人公。


 今、あどけないその顔をツーンと澄まさせているのは、新たなターゲット、基、恋のお相手を見つけてしまったからである。


 みなとは恋をしていないと、窒息死してしまうと豪語するほど、恋多き女。実は義三と知り合うきっかけとなったのは、会社の上司である、村上との交際が発覚してしまい、島流しの刑、いやそうではなく、千葉の小さな営業所へ移動することで、一件落着させられた送別会の席、これもいささか疑問符をつけなくてはならないのだが、そこで二人は引き合わされたのである。


 さぞかし、傷ついているのだろうと思いきや、見た目とは違い、みなとはドライな性格で、むしろ相手の村上のほうが、妻と別れるから。などと未練がましい言葉を連ねていた。


 「いいえ、それはできません。係長の家庭を壊すなんて、私にできません。それに……」


 言葉をいったん切ったみなとは、悲壮感たっぷりの目で見つめている、村上から視線を外す。


 「それに、何なんだ。はっきり言ってくれ。俺はまだ、君とつながっていたいんだ」


 真っ平ごめん。あんたみたいな早漏、利用価値がなくなれば、願い下げだって言うの。


 などとは口にできないみなとは、涙を手で拭いながら、ごめんなさい。と言い残し立ち去る。


 渾身の演技で、村上の手から逃れたみなとは、慌ててトイレに駆け込み、メイクが落ちていないか入念にチェックを入れる。


 大体は、これで何とか片付く。


 中には、そう簡単にはいかないケースもあるが、そのための保険で、警察官や医者にも少々のコネは作ってある。


 それで事件になってしまったのなら、それはそれ。


 髪を整えているみなとを個室から出てきた女子社員が、威嚇するような眼差しで見て出て行く。


 「好かれていないなぁ、私」


 そう言いながら、赤い口紅を引き直した口元が緩んでいる。


 本気で誰かを好きになる。そんな面倒なこと、頼まれてもしたくないのが、みなとである。


 だから今回の件も、別に引きずるつもりなどなかった。別れろと言われれば、二つ返事で別れられる。その程度のものだった。


 さて、この問題だらけのみなとのことを、もう少し、ここで説明しておこう。


 色白でぽっちゃりした彼女は、甘ったるい喋り方をする。


 語尾を上げ、鼻にかけたこの喋り方。女性社員たちには鼻につくと言われがちなのだが、男性社員への効果は抜群で、これに粒らの瞳で見つめれば、大概は落ちる。


 このみなと、頼まれたことは嫌がらずに熟すし、すべてが完璧なのだ。バカっぽい口調だが、これでなかなか頭がよく、自分をよく見せることには長けているのだ。だからこそ、女性からは反感を買い、浮いた存在になる。


 嫌味たっぷりのスパイスを掛けられ、相当な嫌がらせをされていたと思われるのだが、みなとは平然としていた。


 これは強がりでも何でもない。興味がないことには、とことん無関心なのだ。


 敵ばかりの職場だったが、こんなみなとにも、親身になってくれる奇特な人物の一人や二人は……、いやいやたった一人だが居る。


 「ねぇ、みなと。大丈夫?」


 やっと周囲に人がいなくなり、話しかける成瀬初音(なるせはつね)を一瞥したみなとは、面倒くさそうに、うん。と答える。


 黙々と片づけをしているみなとに、初音がいよいよ手を休め、話しかける。


 「今日、飲みにいかない?」


 「行かない」


 即答するみなとに苦笑いを浮かべ、初音は負けじと続ける。


 「私と二人きりじゃないよ。高校の時の悪友が、どうしても飲み会、開きたいって言うんだよね。一度くらい付き合ってあげないと、しつっこくて仕方がないからさ」


 冷ややかな目で、みなとは初音を見る。


 「だから何?」


 「一緒に行こうよ」


 「嫌だ」


 荷物を抱え、歩き出したみなとを追いかけ、初音はなおも、言葉を投げ掛ける。


 「いいじゃん。あっちも友達連れて来るって言うしさ」


 みなとは急に立ち止まり、呆れ顔で初音を見る。


 「それはあんたが、誘いに乗らないから、そう言うしかなかったんでしょ? どうしてあんたの恋の手助け、しなきゃならないの? 私、失恋したばっかりで傷ついているって、ご存知?」


 「傷ついているの?」


 不思議な物でも見るように首を傾げる初音を見て、みなとはいよいよ言葉荒くする。


 「もうずたずた。血がドロドロ流れ落ちているのが見えない?」


 「全然。て言うか、傷ついていないよね。むしろ平然過ぎて恐ろしいわ」


 「あっそ」


 荷物で手がふさがっているみなとの為に、ドアを開けてやりながら、初音は顔を顰める。


 唯一の友、成瀬初音はみなとより3年も先輩にあたる。


 初音は小柄で、大柄のみなとが並ぶと、どっちが上なのか分からなくなる。


 常にオドオドしていて、仕事のミスも多い。何をするのもおっとりで、観ているだけでイライラさせられてしまう初音に比べ、甘ったるい口調ではあるが、貫録があるのはみなとの方だった。


 「そんな値踏みしている場合じゃないでしょ。そいつがどんな奴か、知らないけど、貰ってくれそうなら、がむしゃらに飛びつきなさいよ。こういっちゃなんだけど、あんた、私に負けないくらい、皆に、よく思われていないんだからさ。さっさと寿退社して、みんなの心の平和、取り戻させてあげないと、あんた、確実に刺されるよ」


 泣き出しそうな初音を見て、フンと鼻を一回鳴らしたみなとは、いつ? と聞く。


 そうなのだ。みなとは実は男勝りで、さっぱりとした性格をしている。影に回って悪口を言うのも苦手で、はっきりとものを言ってしまうあたりが、女性陣に嫌われる要素にもなっている。


 この性格の故、きついことを言いながらも、初音を突き放すことができないでいるのだった。

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