指先
陸上部の早朝練習に参加している。
朝走るというのは気持ちがいいものだ。
まだ空気は澄んでいて誰のものでもないようだし、遠くまで見えるような気がする。
「降田先輩頑張ってくださーい」
京子ちゃんの声援に目じりが下がる。
俺だけに声援を送っているわけじゃないことはわかっているけれど、それでもかわいい後輩からの応援というのは嬉しいものだ。
そんな京子ちゃんからの声を受けて少しだけ速度を上げる。
朝の陸上部ではだいたいがこうやって長距離を走っている。
所謂体力づくりというやつで短距離走専門の藤崎冬弥や、中距離走専門の笹井祥子先輩も同じように走っていた。
体育の授業とは違い部活動中なので仲のいい連中とつるんで走ることはしない。
基本的に陸上部員はストイックな連中が多く、みんなで仲良くみたいな雰囲気がない。
そういうところを俺は気に入っていた。
とはいえ休憩になればそれなりに雑談も発生するし高校生の男女が入り混じっているのだから恋愛話もある。
だから冬弥が笹井先輩のことを好きなことも、笹井先輩に憧れて陸上部員が増えていることも周知の事実なのだ。
とはいえ先ほどのとおり、ストイックな部員の多い陸上部である。
笹井先輩ファンで、同じ部活に入ってちょっと仲良くなっちゃおうかな、くらいの考えでやっていけるわけもなく。
結局それなりの素質か、そもそも体を動かすことが好きなメンバーしか残らないのであった。
「お疲れ様でした」
校舎の周りをぐるぐる走ること1時間半。
汗をびっしょりかいて校庭に戻ると、すかさずマネージャーが駆け寄って来てタオルと飲み物を手渡してくれる。
もちろん京子ちゃんである。
あえて京子ちゃんのいる方に足を進めたという意見は却下だ。
たまたまである。偶然である。何らかの宇宙的法則によるなにかがだな……。
「なにぶつぶつ言ってんだ直哉」
「お、おう、冬弥。いや、偶然って怖いなって」
「なにが偶然だよ。一目散に相内さんの方に走っていったくせに」
「そんなことねえよ」
冬弥ははいはい、と失笑している。腹の立つ野郎だ。
「そんなことはどうでもいい。それより今京子ちゃんが俺にタオルを渡した時指先が触れ合ってだな、想いが通じ合ったと思わねえか?」
「思わねえよ。馬鹿じゃないのか」
「馬鹿じゃねえよ。これだから万年片思いは」
「直哉には言われたくないんだけど」
俺は別に片思いなんかじゃ……。いや、片思いなのか。
誰にでも同じように優しく接する京子ちゃんに腹が立つときもある。
だってそうだろう。
その優しさは俺だけに向けてほしいのに。
そういえばこの間啓介のこと気にしてたよなあ。
あいつだけは本当にやめてほしい。俺が京子ちゃんが好きなことを差っ引いてもやめてほしい。
あいつの毒牙に京子ちゃんをかけてはいけないのだ。
「冬弥もさあ」
「ん」
「祥子先輩のこと独り占めしたいって思う?
自分だけのものにして他の人とは関わらないようにして、自分好みの服装させて連れて歩いたりしたい?
手足べろべろ舐めたり噛んだりしたい?」
「そこまでは思わねえよ」
なんだか冬弥が絶句している。わざとらしくため息をついてジト目で俺を見てから視線を外した。
なにか変なことを言ってしまっただろうか。
でも誰かを好きならそれくらい思ってもいいと思うんだがなあ。
「直哉ってヤンデレかなにかなわけ?」
「やんでれ? なんだそれ」
「いや、知らないならいいわ。なんにせよそこまで独占欲が強いとちょっと引く」
「ちょっとか?」
「いやだいぶ」
「そっか……」
これくらい普通だと思ってたんだけど違ったらしい。
じゃあ普通の好きってなんだよなあ。
そんなことにまで定義はないと思いたいし、あってたまるかって感じだし。
「好きかどうかはさ、一人でいる時に一番考えてるこの子とらしいよ」
「へえ」
「直哉はそれが相内さんなの?」
「逆に聞くが、冬弥にはそれが祥子先輩なのか」
「うん」
「そっか。俺はどうだろうなあ」
一人でいる時、俺は誰のことを考えているのだろう。
少なくとも今日は先ほど触れた京子ちゃんの細い指のことを考えているんだろうな。
あの指を、あの手を、思いっきり握ることができたら俺はどうするだろう。
いや、握るだけならさっきできたんだ。
でもそうしなかったのはびっくりしたからってのもあるし、周りに人がいたからってのもあるし。
「うーーん、やっぱり京子ちゃんのこと考えちゃうかなあ」
「なら、そういうことなんだろうさ」
唐突に冬弥がひどく大人に見えた。
同い年なのに、ただの馬鹿で調子のいい友人だと思っていたのに。
こんなに大人っぽい顔するんだ。
なんかおいて行かれたような気分で面白くない。
それだけ冬弥は祥子先輩について本気なんだろう。俺では考えが及ばないくらいにきっと。
「冬弥は祥子先輩に告白しないの」
「するよ。でも今じゃないかな。今は先輩、俺のこと全然見てないから」
「そういうのわかるんだ」
「わかるよ。直哉だってわかるだろ、そういうの」
それはつまりきっと、京子ちゃんがみんなに優しくて俺だけに優しいわけじゃないっていうのと同じなんだろうな。
俺だって今、京子ちゃんに告白するかっていったらしない。
「でも俺はこのままじゃ嫌だ」
「どうするんだ?」
「教えない」
冬弥にはまだ教えてやらないけど、でも触れた指先を握るために、今一歩前へ進んでみてもいいんじゃないか。
集合の合図が鳴る。
立ち上がりながら作戦会議を開始した。
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