さまよいジャック

いぐあな

第一夜

 ゴポリ……やけに大きな音を響かせて、最後の息が口から、ゆらゆらと秋の日が揺らめく水面に上がっていく。

 もう、水の冷たさも感じない。顔の周りで海草のように揺らぐ髪も。

 目の前が段々暗くなっていく。

 ……助けてよ……母さん……父さん……。

 淀んだ沼の水にたぶん、オレの目の縁から溢れ出ているだろう、涙が混じっていく。

 ……ああ、オレは死ぬんだ……。

 ……山ぶどうなんて探さなければ良かったな……。つい、意地を張って、普段は入らない森に入って……。

 ……なんで、あのとき、山ぶどうの房を見つけてしまったのだろう……。

 ……ツタが絡み付く、木に登って房に手を伸ばしたら、枝がポキリ……と……。

 ……秋で、周りの木もほとんど茶色で、枯れ木だなんて思わなかったんだ……。

 沼に落ちる前の光景が、走馬燈のように蘇り、目の前が更に暗くなる。

 そのとき

「何回、死ねバ、気がすむんダヨ!」

 ふざけた声がして

 ザパリ。

 水面を叩く音と共に、オレの目の前にオレンジ色の顔を現れた。

「……何回って?」

 目の前の顔はアレだ。ジャック・オ・ランタン。ハロウィンで飾る、オレンジのカボチャに、目と鼻と口をナイフで、くり抜いて作ったものだ。それは、くり抜かれただけのはずの目をすっと細くした。

「ボクガ気付いテカラ、もウ十回目だネェ~」

 同じく、くり抜かれただけの口元がヒククと震え、ケタケタと勘に障る高い笑い声が水中のオレの耳に響く。

「は?」

「ウっとおしイかラ、今、そコから出しテあげルヨォ~」

 何かがワサワサと腕や足に絡み付き、沈むだけだった体がぐっと持ち上がった。

「たっ! 助けてくれるのか!?」

「マっさかァ~」

 ザパリ、どうしても届かなかった水面を割って、オレの体は秋のオレンジ色の夕日が差す沼の上に出た。秋風が沼の面に小さな波を立て、周囲の木々の枝を揺らし、赤く色付いた葉を散らす。

「ア、アレ?」

 オレが、ここに山ぶどうを採り来たときは、まだ日も高くて、空も真っ青……だったん……だけど……。

「ダ~かラ、言っタデショ」

 正面を見ると、大きな広いギザギザの葉っぱ……カボチャの葉が付いた太いツルが、くるくる渦巻いた上に乗った、あのカボチャ頭がいる。白いシャツに、紫の蝶ネクタイ、黒いベストと上着を着、ズボンを履いている。

 オレは自分の身体を見回した。オレの身体にも、何本ものカボチャのツルが絡まっている。ヤツはこれで、オレを沼から引き上げてくれたらしい。

「キミは死んデいルんだカラ」

 三角の目と、大きな口がきゅうっと閉じて、愉快そうな曲線を描く。

 その言葉に、オレはようやく気付いた。さっきから、冷たい秋風が吹いているのに、ズブ濡れのはずのオレは、ちっとも寒くないことを。



 ドサリと、地面に放り投げられるように落とされて、オレの身体が、沼の岸辺の枯れ草の上をバウンドする。

「おい!!」

 でも、痛くはない。大きく跳ねて、地面をずずっと滑ったはずなのに、オレの身体は怪我もしてないし、ちっとも痛くなかった。

「これって、本当にオレは死んでいるのか?」

 手を握ったり、頬を叩いたりしてみる。ピシャピシャと音がするし、ちゃんと握った感じがする。でも、オレの服はこんなピューピュー風の吹く肌寒い……はずの……秋の夕暮れにも関わらず、もう綺麗に乾いていた。

「死ンでるネェ~。ア、キミの身体ハ沼の底。もウ白イ骨になっテイルヨ」

 カボチャ頭が、クククッと楽しげに喉を鳴らす。

「子供ダからネェ~。記憶ガ鮮明だカラ、生きテいるトキト、おンなじ形で、オんナジに感じルダ。こレが、年寄リだト、ボケて身体ガ崩レちゃってイルかもネェ~」

 ケタケタと何がおかしいのか、今度はツルの上で腹を抱えて笑う。

「……ってことは、今のオレは……」

「幽霊ッて、ヤツだネェ~」

 カボチャ頭の三角の目の奥が、怪しく黄色く光った。思わずぞっとする。オレは慌てて話を変えた。

「十回目って……」

「あア……それネ」

 カボチャ頭は、目の奥の光を消して、ぽりぽりと、オレンジの頭のヘタの部分を掻く。

「ボクの知ル限り、キミはこノ時期ニなるト、沼の底カら出て来テ、溺レるんダネェ~。そシテ、キっちリ溺れ死ンだら、マた沼の底ニ戻るンダヨ」

 ……聞かなきゃ良かった。オレは思わず、自分の身体を抱き締めた。毎年毎年、沼の中で溺れ死ぬ瞬間を繰り返すオレ。それを想像してしまって、気分が悪くなってくる。

 ガクガク震えているオレを見て、カボチャ頭はカクンと首を傾げた。

「ナ~にヤってんノ~」

「……なんでもない」

「ア、そウ」

 またケタケタと笑い声を上げる。

「ネェ、この先ノ村ニ、一緒に行こウよ。今夜ハ、ハロウィンダヨ」

「ハロウィン?」

「Trick or Treat!!」

 カボチャ頭が陽気に叫ぶ。そう、オレの村でもハロウィンの夜は、子供達が仮装して、村の家々を回り、お菓子を貰う。

「でも、カボチャ頭、この先の村って……」

 この森を抜けた先はオレの村だ。

「カボチャ頭は失礼ダヨ~。ボクにハ、ジャックとイう名前ガあるネェ~」

 カボチャ頭……ジャックは白い手袋に包まれた手の指を立てた。

「うわっ!!」

 ザワザワザワ……。地面からカボチャのツルが生えてきて、オレの身体を包む。ツルから垂れ下がったカボチャの葉がオレの視界に入る。

「カボチャのミイラの出来上がリダネェ~」

 ジャックはケタケタ笑うと、オレの手を引いた。

「Trick or Treat!!」

 暮れなずむ森にジャックの陽気な声が響く。ジャックはオレの手を引いて、枯れ草を踏みながら、飛ぶように森の中を駆け抜けて行った。

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