こちらに向かって降りてくるグレイアースの背後を見て、外延部のすぐそばにある展望場で待機していた轟は仕方がないな、とでもいうように苦笑しながら、


「おやおや……いらぬおまけがついてきてますよ、グレイアース君」


 そう言って、彼を追ってきた少年を一瞥した。

 金か茶か判断に迷う色の髪をした、黒衣に身を包んだやたら目つきの悪い少年だ。だが、どういうことだろうか。轟はその少年を見た瞬間、どうにも表現し難い感慨に見舞われた。

 地に降り立った少年は、グレイアースを見て、次いでその背の向こうに見える轟とベオルフを見て目を見開く。


「ほう……アシュリートか」


 隣に立っていたベオルフが、感心とも呆れともつかない嘆息を漏らした。どうやら顔見知りではあるらしい。


「もしかして……貴方の教え子ですか?」

「アカデミーで、少しな……」


 骨のある若造だよ、と続けるベオルフの声音は何処か楽しそうだ。が、それも一瞬のことで、彼はその厳めしい表情をまるで鋭利な刃を思わせるような気配を漂わせて、装柄を抜いて剣身を形成する。

 深紅に染め上げられた両手長剣が彼の手に納まると、ベオルフはグレイアースを押しのけて少年の前に立ちふさがる。


「どきやがれ!」


 少年は怒号共に飛び出した。思い切りのいい遠慮なしの踏み込み。ベオルフの眼前へと迫る寸前で身体を捻り、その長い剣の性質を生かした遠心力を乗せての薙ぎ払い。

 なるほど、あの剣にあれほどの速さと重さを乗せれば、一介の騎士であっても容易に退けることができるだろうと、轟は得心が言った様子で頷く。

 だが、それが一介の騎士であればの話だ。

 少年の一撃は、ベオルフがただ剣を構えるだけで簡単に弾かれる。少年の表情にわずかに驚愕の色が浮かぶ。

 しかし、少年は冷静だった。防がれた次の瞬間には剣を引き、その引いた際に生じる力を利用して飛び上がりながら上段蹴り。響素を集束し、威力を遥かに高めた蹴足を打つ。

 が、それもベオルフの持ち上げた左腕が受け止め、纏っていた響素はベオルフの束ねた響素によって相殺される。

 そして、


「――ぬうん!」


 ベオルフが裂帛の気迫と共に真紅の剣を少年目掛けて振り下ろした。

 大気はおろか、眼前の空間ごと両断するとすら思える神速の斬撃――少年は辛うじてそれを翳した剣で受け止めるが、剣圧と共に少年を襲う衝撃までは防ぎきれず、少年の身体は大きく吹き飛んで背後の外延部障壁に激突した。

 大量の粉塵が巻き上がり、障壁が凹んでしまっている。

 一切の遠慮のない一撃に、轟は思わず失笑する。


「いささか、やり過ぎではありませんかねー? 相手は一介の請負屋ですよ」

「そうであったなら、どれほどありがたいだろうな……」


 轟の言葉に、ベオルフは視線を逸らすことなくそう応じた。

視線を吹き飛ばした少年のいるであろう方向に向けたままのベオルフの様子に違和感を覚えた轟が、視線を彼から未だ晴れぬ粉じんの向こうに向けようとし――その粉塵を突き破るように飛び出してきた少年の姿に目を剥く。

 その動きがあまりにも早く、轟はおろか、ベオルフですらうめき声を漏らしながら対応しようとする。

 だが、少年の狙いはベオルフではなかった。

 少年は長剣を肩に担ぐように構えながら、ベオルフの脇をすり抜けてその背後で傍観を決め込んでいた轟へと襲いかかったのだ。



「斑目=轟ぃぃぃぃぃぃぃぃ!」



 鬼気迫る咆哮と共に振り下ろされた剣の一撃を、轟は寸での所で具現化した双剣で受け止める。

 重い――圧倒的な圧力の込められた渾身の斬撃。それを受け止められたのは運が良かったとしか言えないだろう。唯一響律式を使う間もなかった。本能に任せて抜剣しなければ、おそらく自分は真っ二つに切り捨てられていただろうと思うとぞっとする。


「ぐぅぅぅ!」

「らぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――があっ!?」


 そのまま轟の双剣ごと両断しかねない気合の声が途切れる。背後からベオルフが拳の一撃で少年を地面にたたき落としたからだ。

 少年が地面に叩きつけられるのと同時に、轟は飛び退いて少年から距離を取った。久しぶりに生きた心地がしない思いをした轟は、双剣を納めながら少年を見下ろす。


「まるで……獣のようなガキですね」


 轟が考えるよりも先に口にした言葉に、ベオルフは同意するように頷いた。


「違いないな。お前自身、そう思うだろう? アシュリート」

「ぐぅ……テメェ……俺のことを知ってるみたいに話してんじゃねーよ」


 もがきながらそう吐きだす少年に、ベオルフは失笑した。


「ついこの間もお前と顔を合わせていたではないか。分からぬのか?」

「なんのことをだ! 俺は死んだ英雄と顔見知りになった覚えは――」


 叫ぼうとした少年の言葉が、そこで止まった。振り返って仰ぎ見た先にあったベオルフの顔は、寸前までの灰色がかった髪のではなく、白髪の混じった金髪となり、顔立ちまでもがどこか別人へと変化していた。

 そして、その顔を見た少年はしばらく言葉を失ったあと、徳新が言ったという様子で歯をむき出しにして笑った。


「ああ、そうか……アンタの唯一響律式の本質は、幻を操る――ああ、そういうことか! ゼリク=アーミーレンド!」


 少年の言葉に、ベオルフは大仰に頷いて見せた。


「そうだ。ゼリク=アーミーレンドとは仮の姿。我らが大願のための核を見つけるための……な」


 彼の顔が、再びベオルフのものへと戻る。変化する瞬間は初めて見たが、なるほど確かに幻を見せられたようなものだと内心で轟も納得する。


「核……見つけるため……」


 不意に、少年が一人ぶつぶつと何かを呟きだした。轟もベオルフも、少女を抱えているグレイアースすらも彼を見下ろす中、彼は唐突に目を見開いてベオルフを見上げた。



「――あの【マモノ】も、全部そのためにあんたが用意したってわけか」



「なっ!?」

「ほう……」


 少年の発した言葉に、グレイアースがその表情を驚愕の色に染める中、轟は感心したように少年を見下ろした。まさかあれだけのヒントでその事実にまで辿り着くとは思わなかった。粗暴な見た目に反して、随分と頭も回るらしい。

 彼の指摘したことは事実だった。

 あの三十二階層の【マモノ】襲撃事件は、轟が提案し、ベオルフが実行したものだ。三年のうちに少しずつ【マモノ】を捕獲し続けていたベオルフは、轟の提案から大願の核となる《天使》をいぶり出すためにあれほど大がかりな事態を引き起こしたのだ。

 その際に生じる被害や、その後のTTBの治安の乱れなどは考慮していない。すべては自分たちの目的を果たすために必要なことだったのだから。

 しかし、まさかこんな粗野な少年にそれを看破されるとは想定していなかった轟としては、流石に驚かずにはいられない。

 隣で言葉を失っているグレイアースは、激怒した様子でこちらを睨んでいた。だが、あのヘルマという副官が人質となっている以上、彼が抵抗することはまずあり得ないので捨て置く。

 この少年に関してはどうしたものかと考えようとした矢先、轟の耳朶をその名が叩いた。


「よく分かったな……流石はあの剣の魔女の弟子のことだけはある――ニーア=ゲイル=アシュリート」


 ベオルフが何気なく口にしたその名を耳にした瞬間、轟の全身に戦慄が走り、その視線が少年――ニーアへと向けられた。

 轟は、その名を知っていた。

 今から五年近く前、まだ父である恭一郎が生きていた頃。彼の研究所の培養槽の中にいた幼子。

 白金色の髪に真紅の双眸――そしてニーア。

 それらのピースが符合し、轟は得心が言った。この少年は――


「……やはり、生きていたのか……人工生命ホムンクルス――出来そこないの人形」

「ああ、テメェをぶっ殺すために。博士の仇を取るためにな!」


 轟の言葉に、ニーアは這い出すようにそう返した。そして自分を踏みつけていたベオルフの足を振り払うと、手放さずにいた剣を握り直して轟へと斬りかかる。

 だがその剣捌きは先ほどと比べればはるかに遅い。すでにベオルフの剣を受け止めた時点で限界にきたしていたのだ。


「ならば、今度こそ死ね!」


 轟が双剣を抜き払い、ニーアの剣を左の剣で凌ぐと、右の剣で胴を払った。

 刃が肉を断ち、鮮血が吹き出す。

 そのまま声もなく倒れ伏したニーアに、轟は吐き捨てるように言った。



「所詮守られてばかりの人形。このまま何も守れぬという現実を噛み締めながら、惨めに死ね」



 そして値に横たわるニーアの身体を蹴り飛ばし、その動かなくなった身体を展望場のはずれ――外延部から蹴り落とした。


「これならば、たとえ人より頑丈な人工生命でも生きてはいられないでしょうね。さあ、引き上げましょう。あとは彼女を核として装置を起動させるだけです。

――急ぎましょう。これ以上の邪魔はごめん被りたい」

「うむ……ゆくぞ、グレイアース」


 轟の言葉にベオルフが頷きそう促した。見れば、グレイアースは怒りと憎悪と後悔と――様々な感情の入り混じった表情で自分たちを見ていた。

 そして、絞り出すような声で問う。


「貴方たちは……何処まで――」

「何処までも――ですよ。グレアース君」


 グレイアースがすべてを言い終えるよりも先に、轟はその問いに応えた。


「私の願いを成し遂げるためならば、どれだけの人間が死のうが、どれだけの人間が嘆こうが、私はやって見せますよ。ええ、それこそ、悪魔と契約を交わしてでも――ね」


 そう言って、轟は屈託のない笑みを口元に浮かべて歩き出す。ベオルフもそれに並んだ。

 その背中を、グレイアースは哀しげに見据え、悔やむようにうめき声を漏らしながら歩き出す。












 ――だから











 だから、誰も気づいていなかった。

 眠っているはずのシエラの手が、わずかに外延部のほうに延ばされ――その指先がほのかな光を放っていたのを……





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