星の砂

暴君A。

1章 始まりの合図

第1話

〝愛する″

〝愛される″

 そんなものはとうの昔に捨ててきてしまった。どこに捨てたのか、どうやって捨てたのか、覚えてなどいない。ただ一つ、私は一人で生きていける女になる、それだけだ。



「柴崎さん、これお願いね」

 少し憎たらしい声と一生懸命作り上げたような笑顔を向けながら、私の両手に収まるかわからないほどの大きなゴミ袋を渡した。

 街のどこにでもあるような歯科医院。そこに勤めて3年。歯科医師、歯科衛生士という資格の持ち主の下で細々と仕事をしている歯科助手。それが私、柴崎春香しばさきはるかの仕事だ。

 大学を卒業して何もやりたいことが見つからなかった時、偶然歯科助手の求人を見た。昔の苦い思い出がある私には、女だらけの職場は憧れでしかなかった。

 でも、実際はドロドロした真っ黒な世界。どこの歯科業界もそうだ、というわけではない。だが、私の働くココはそういう場所なのだ。

「資格持っていないんだから、できること限られてくるでしょう。もっと雑用くらいしっかりしてもらわないと」

 すいません、と一言返してゴミを捨てに行く。息苦しい。そう思ってもここを辞められずにいるのは、まだ1割も頑張ることが出来ていないからだ。


 休憩時間になるとすぐに外の空気を吸いに行く。私一人の時間だ。早起きして作ったお弁当の中身は昨夜の残り物。それを公園のベンチで食べることが私の日課になっている。

「うー、幸せ!」

 声に出す。そうするとなんだか幸せな気分になれる気がして、少し前から始めたことだ。

 資格がなくても大丈夫、頑張ることができれば大丈夫、そう何度も自分にエールを送りながら3年間働いてきた。仕事は覚えた。歯科のことにも興味持ったし、理解することもできてきた。でも。

「私がいなくても成り立つ仕事…そんなの、全部がそうだ」

 私の居場所は、どこにもない。この世界のどこにもない。時々、不安になる。そして問いかける私は誰だって。きっとその問いに答えなど、ない。

 突然携帯が鳴った。

《合コン!!いこうよ!》

 親友の本田みなみからの突然のメールだった。

 いつもなら断るはずの内容。だけど、その日の私はきっといつもと違かったのだと思う。




「歯科助手しています、柴崎春香です」

 拍手が聞こえる中、緊張でまだ手が震えている。

「歯科助手とかめっちゃ可愛いイメージなんすけど!俺の歯見てほしい〜!」

「春香は、大学時代も4年間彼氏がいませーん!彼氏募集中!」

「ちょっと!」

 親友みなみの肩をボンっと叩く音と同時にドアが開いた。

「遅れてごめん!内山和哉うちやまかずやです!」

 その時の私は思い切り目を見開いていたと思う。心臓がドクン、と鳴るのがわかる。彼が目の前に座るとチラッとこっちを見て軽くお辞儀をする。すぐさまお辞儀を返して目線はそれた。

 ああ、なんて整った綺麗な顔なんだ。だいぶ年上に見えるけれど、鼻筋は通っているし目はぱっちり二重の短い髪の毛。笑うと見える白い歯にクシャッとした可愛い笑顔。

 彼が来てからの合コンはほとんど顔をあげられなかった。いつ終わったのかもわからない。気づいた時には部屋のベッドで寝ていた。

 まだ、胸のドキドキが収まらない。

「また、会えるかな…」

 また、会いたいな…。

 男の人は苦手だ。4年間彼氏ができなかったわけではない。作るチャンスは何度かあった。でも、作らなかった。いつも恐怖心が勝ってしまう。なのになぜだろう。あの日を見た時、そういうものは何も感じられなかった。ただ、ずっと眺めていたいと思った。

 この感情を人は何というのでしょうか。

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