聖剣は要らねぇからスコップで

神楽 つむぐ

一章 姫とスコップ

第1話 前世の記憶は遠く

 今日もいつもと同じように、食べるために、生きるために、少年は汗を流していた。

 16歳の少年ユウトは、この世界のどこにでもあるような土木会社に勤めて、もう10年になる。相も変わらず昇進などほとんどなく、重労働に明け暮れる毎日だ。


「ユウト、あとはやっとくからもう帰って大丈夫だぞ!」


「あ、本当ですか! ありがとうございます!」


——やったぜ、久しぶりの早上がりだああひゃっほおおおおうっ!! 家帰ったら何しよっかなーー。


 剣も魔法も出来ない。文字だって難しいのは駄目だ。生業は土木。何一つとして普通の庶民とかわらない生活をユウトは送っている。平凡で、凡庸だ。


 ただ、一つだけ他の人と違うところがあるとすれば、それは——



——彼には前世の記憶がある、というところだけだ。



 とは言うものの前世の記憶がある、なんて大げさな表現だとは誰もが思うことだろう。というのも、彼の前世の記憶というのはかなり朧なもので、どこで何をしていたのか、自分は何者だったのか、何もわからないのだから。ただ、ふとした瞬間に前世の記憶が垣間見えるときがある。そのくらいだ。


 前世の記憶を思い出したという度に、そんなユウトを見て、周りの大人たちは笑う。当たり前の反応と言えば当たり前の反応だが、その度にユウトは主張を強めるのだ。


「家帰ったら何するかなー。久しぶりにすごいことやりたいな。だってまだ5時になってないんだぜ、笑いが止まらん」


 ユウトはだぼっとした作業着に身を包み、布を帽子のように頭で結び、スコップを肩に担ぎながら、帰り道の街を闊歩していた。土木作業員にしてはそこそこ若いな、くらいのものであって、その格好には誰もが見慣れている。

 独り言をそこそこ大きな声で垂れるその少年には、毎度のことながら奇異の目がもれなく送られる。


「あ、俊足蛙の一夜干し買ってこーっと」


 街の商店の並びにボロッと佇む老舗。その老朽加減故に、悪目立ちすらしている。干物専門店だ。ユウトはお気に入りのその店の前で本日も立ち止まった。


「今日も相変わらずぼろぼろだなー」


 隣の情報屋のほぼ新品の看板と、干物専門店の看板を交互に見比べてみると、もはや笑えてくるくらいの差があった。

 いくら老舗とはいえ、看板や外装くらい変えてみればいいのに、とユウトは思った。外見のせいかそうでないかは定かでないが、この店は商品の質の割に客の入りが悪い。


 ユウトは薄汚れた看板の下にある、薄汚れたのれんを潜り抜ける。薄い明かりに包まれていて、もあっとした空間に足を踏み入れる。


「こんちゃーっす、ブリアさん」


「うーす、ユウトじゃねぇか。まいど」


「ほとんど毎日来てますね、俺そういえば。ていうか、思ったんですけど看板とか変えてみたらどうですか? 隣の情報屋と比べたら笑えてきますよ」


 笑いを堪えるように、ユウトは口元を手で押さえて見せた。動作はわざとだが、笑いを堪えているのは本音だ。


「んー、とは言ってもなぁ」


 店主のブリアは、ゴツゴツとした太い指を、長く伸びた白い髭にあてがった。悩んでいるのだろう。


 確かに、老舗には老舗の良さがあるというものだ。内容や接客の仕方などももちろんだが、外見は特にそうだ。レトロな感じを良しとする人もいるはずだ。

 やはり人間というのは外見を重視したがるものなので、老舗だとすぐにわかるほうが、それを推している側からしたら都合がいいのだろう。


「ブリアさんよぉ、外見がそんなにゴツいってのに、思い切りが足りねぇよなぁ」


 挑戦的な目線で、ユウトはブリアを見上げる。ユウトの身長も小さくはないが、ブリアが大男すぎるが故に、見上げざるをえない。

 高すぎると言ってもいいくらいの身長に、がっしりとした肉付き。ワイルドにカットされた髪型に長い髭。どこからどうみても豪快な人物にしか見えないが、意外とナイーブなのだ。心配性というのかわからないが。


「んん、やっぱり先代から続いてきたこの店だ。あんまし弄るのも気が進まなくてよお」


「まあ、老舗には老舗の良さがあるからなぁ。でもブリアさん、あまりも原型とどめすぎじゃないですかねぇ」


「他のお客さんにも言われるんだがなあ。これじゃ入る客も入らねえって」


「そーですよ、こんなボロい店。俺もなんで常連なのかわからないですよほんと」


 ありがとよお、とため息混じりに言うブリアの声を耳だけで聞きながら、ユウトは干物を物色していた。


 ユウトがこの干物屋に一番初めにきたのは、6歳の頃だった。土木作業員としての初任給をもらい受け、なにか買いに行こうとしたのはよかったものの、綺麗な店に足を踏み入れるのはなんとなく敷居が高かった。仕方なくぼろい店にしようと、足を踏み入れたのがここだったのだ。

 

「まあそういう俺も、この店に入った理由はボロかったからだしな。いいのかもしれませんね、このままで」


 結局いつも通りの結論に落ち着きそうだった。幾度となく、店の改装の話にはなったものの、こうやって毎度のことながら結論を迎えるのだ。

 

「この店の商品は逸品ですしね」


 にやりと笑いながら、ユウトは干物が入った木製の箱をカウンターの上に乗せた。


「ありがとよ。えっと、550キーテ……って、今日は俊足蛙じゃないのか? 珍しいな」


「たまには鏡烏賊とかもありかな、なんて。いいことありそうじゃないですか、変えてみたら」


「かもしれねえなあ」


 ブリアはふっ、と軽く笑って見せた。

 ぼろくさい店の割に、商品は良いし、接客は落ち着くな、とユウトはいつも満足して帰る。この適当な接客がなんとも言えない居心地の良さを生み出しているのだろう。


 店を出ると、少し沈みかけの太陽の光が眩しくて、思わず目を細めてしまう。

 ユウトは光に慣れてきて、目を開いた。店から出てみると、あそこがどれだけ薄暗い空間なのかわかる。せめて照明くらい……とまた同じようなことをブリアに言いたくなった。


「ありがとうございました。またきます。来週にでも」


 隣の情報屋から女性の声が聞こえた。

 声の主が店から出てきたようだったので、ユウトはちらりとそちらに目をやった。

 揺れる茶色のポニーテール。キリッとした目つき。堂々とした佇まい。神々しくもある真っ白なローブ。そんな女性がそこには居た。年齢はユウトと同じくらいだろうか、歳の割に雰囲気がある。

 

——この子……もしかして……。


 少女が首を横にひねり、ユウトを見た。

 ユウトは彼女に見覚えがあったので、まじまじと見つめてしまっていた。大人たちが嘘っぱちだ、とバカにする前世の記憶というやつだった。どこで見たのかなんてものはわからないが、直感というやつに他ならなかった。


 見つめてすぎているせいか、少女もまたユウトのことをまじまじと見つめかえしている。眉間に皺を寄せているから、なにかおかしなことでもあるのだろうか。あるいは、ユウトが凝視しすぎで、気分が悪くなったのか。


 体感的には長くすら感じる、無言の見つめ合いの後、少女は言葉を発した。


「……なんで、泣いてるんですか」


 泣いている? 誰のことを言っているだろう。ユウトはそう思いながら我にかえると、自らの頬に涙が流れているのがわかった。

 涙の道筋を遡るように、ユウトは指で涙をぬぐった。

 いきなり見つめられて、その男が泣き始めたら妙な気持ちにもなるだろう。どうりで顔をしかめていたわけである。


「え、え?」


 勝手に溢れてくる涙のわけもわからず、ユウトは一人で戸惑いを隠せないでいた。


——あれ……。なんで……。この子はなんなんだ……?


 自分のことなのに、自分のことでないような感覚に、ユウトは陥りそうになった。人格が二つあるような、自分が分離するかのような感覚だ。


 突如、ユウトの耳にけたたましい金属音のようなものが響く。耳だけでなく、頭をつんざくような高音だ。

 ユウトは割れそうになる頭を押さえた。耳が張り裂けそうになる音は、これが初めてではなかった。この音が頭に鳴り響いた後は、決まって危機感と焦燥感に襲われる。今回も例外ではなく、強烈なそれに襲われた。

 持っていた木箱を力なく地面に落とし、しゃがみ込むユウトを見て、少女は動揺した。


「ちょ、大丈夫……ですか?」


 泣きだしたと思ったら突然頭を押さえてしゃがみ込む少年。目の前にいる少女からすれば、気味が悪くて仕方がないはずだ。にもかかわらず、少女は慈悲を見せる。なんとも優しい心の持ち主なことか。


「だい、じょうぶ……」


 制御できない感情の波に蝕まれて、ユウトの意識は朦朧としていた。いままでもこのような現象はあったが、今回は特にひどい。意識が遠のくことなど過去にはなかった。

 深呼吸をして、平常心平常心、と自分言い聞かせながらユウトは立ち上がった。立ち眩みがしたが、少しの間深く息をしていると、なくなった。


「すみません。いきなり」


「い、いえ。少し驚きましたが」


 泣いたり苦しそうにしたり、いきなり立ち上がったり、目紛しく変わる目の前の少年に少女は戸惑いを隠せない様子だ。


——これじゃあ完全に不審者だな、俺。


 少女を無言で見つめ始めたところから少し不審だと言えるのに、さらに独りでに泣き始め、しゃがみ込んだ。自分の行動を振り返って、ユウトは恥ずかしさで顔を埋めたくなった。


「いきなりなんですけど。あの、名前を教えてもらっても——」


「帰りますよ」


 ユウトの言葉を遮るように、情報屋から出てきた男が言葉を発した。

 腰に剣を差していて、白くて優美な衣装に身を包んでいるその男は、ユウトを流し目で一瞥した。蔑むような、細長い眼を光らせて。


「少し脅しに近くなってしまいましたが、情報はやはり持っていないようでした。一旦戻りましょう」


「……はい」


 緑色の髪を風に揺らし白い服の男は少女の手を引いた。

 手を引かれながら歩き出す少女は、どこか憂いを帯びた表情をしているように見えた。


 ユウトは少しずつ遠くなっていく少女と男を、黙って見送った。街の景色に溶けていくのを確認してから、少年も歩き出した。

 結局少女が何者かも、名前も、ユウトにはわからなかった。前世の記憶というやつが反応したのだから、何かあるに違いないはずなのに。


 ユウトは、憂いを含んだ少女の横顔が脳裏に焼き付いて離れなくなっていた。無関係なはずなのに、何者かもわからないはずなのに。

 

——次会った時は、名前聞いてみるか。会えるかわかんねぇけど。


 鏡烏賊の干物が入った箱を拾い、抱き抱えるようにしながら、少年は再び帰路についた。



 



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