第9話 番外編 カミツレとジギタリス

 辺境の女子孤児院を、リラの花弁が彩る季節が来た。

 十年前の革命暴動の際の孤児が多く居るこの施設で、私とフラヴォアは七歳の時に出会った。今年、お互いに十七歳になる。

 フラヴォアは貴族の血を引く端麗な容姿の持ち主で、その金髪碧眼は院内でも目立っていた。毅然とした立ち居振る舞いに憧れている子も多く、彼女と友達であるということは私の自慢でもあった。ただ、友情と言うよりは、憧れに近い感情ではあったが。


 しかし、時にフラヴォアは嘲笑の対象にもなった。

 安息日の度に、誰かを待つ様子で朝から孤児院の門に立つという奇癖のせいだった。

 その理由を彼女は言わない。

 しかし、本当は誰もが気付いていた。彼女は、自分を迎えに来てくれる貴族の馬車を待っているのだと。


 孤児院の裏庭の物陰で、私とフラヴォアはよくハーブを摘み、その場で火を起こしてお茶にして飲んだ。 この裏庭で彼女と過ごす時間は、私だけの特権だった。

 彼女の細い指が汚れるのが嫌で、専ら私が草を手折った。

 勉強では彼女に敵わなかったが、野草の中からハーブを選り分けることに関しては、私の方が優れていた。口にしていい葉と悪い葉の見分け方をフラヴォアにも教えたが、

「よく区別がつくわね」

と溜息をつかれた。

 この日はミント茶を淹れ、二人で飲んだ。彼女の気高さを造形した様な横顔はいつ見ても綺麗で、細い金色の髪が霧の様な湯気と共に陽光に輝くのを、私はぼうっと眺めた。

「私、ばかみたいね」

 唐突に、フラヴォアが言った。

「来もしない救済を待っていると、皆から思われてるんだわ」

「やっかんでるだけよ。あなたが、とても、」

 私は少し言い淀み、赤面を自覚しながら、

「……綺麗だから」

と続けた。

 しかし彼女は首を振り、

「分かってるの。いつか迎えが来るかもしれないなどと思っていたら、正気でなんていられない。決して来ないと分かっているから、ただ待つなんてことが出来るのよ」

 思いつめた表情のフラヴォアの、小さな肩を押えて、私はそのまま唇にキスをした。

 彼女は拒まなかった。でも、受け入れもしなかった。

「私があなたを連れ出せる、誰かだったらいいのに……私、……何もしてあげられないなんて」

「同情はよし て。誇りを失うくらいなら、死んだ方がましよ」

「同情で、キスをしないわ。ただの友達にも」

 私の頬に涙が流れる。

「でも、私は、無力なの……」

 そう言った私に、今度はフラヴォアがキスをした。雫を拭う様に、頬に。

「私も、……あなたが大切よ。無二の親友だわ」


 その日は、突然に来た。

 フラヴォアに引取り手が現れ、今日も今日、孤児院を出て行くと言うのだ。

 私は院内の廊下で、院長が一人になった処を見計らって、訊いた。

「彼女の引取り手は、どんな人です?」

「なぜ訊く」

「友達なんです」

 元々無愛想な院長が、目を伏せながら、

「尚更知らない方がいい」

「街で、聞いたことがあります。孤児院の器量良しは、革命軍の兵士の為に『出荷』されるって」

 窓からの逆光で、シルエットになった院長が硬質な声で答える。

「美しいことは才能だが、幸せになれるとは限らない」

「……フラヴォアは、そのことを」

「知らせてやるな。どの道、逃げられやしない」


 その日の午後、馬車に乗ったフラヴォアは余所行きを着て、普段以上に輝いて見えた。

 引取り手のことは、遠縁の貴族とでも説明されたのだろうか。

 私は馬車のドア越しに、彼女に小さな布袋を渡した。

「干したハーブよ。飲みたくなった時、飲んで」

 フラヴォアは袋の紐を腕にかけ、

「ありがとう。収穫休みには、必ず戻るわ。……あなたも必ず、出て行ける」

 馬車が動き出し、柔らかな日差しの中、救済と祝福を信じて、フラヴォアは道向こうへ消えて行った。


 数日後、フラヴォアが引取り先で死んだという報せが届いた。

 死因は不明だったが、私にだけは判った。

 あの袋には、カミツレと共にジギタリスを一房入れてあった。裏庭で、後者は猛毒だと教えたことがある。それを飲むべき場面に陥ったので、飲んだのだろう。


 願わくば、あなたが尊厳を奪われる前に旅立てたことを。

 生きるよりも、私と再会するよりも、誇りに殉じたいと願うなら、私はそれに手を貸そう。

 あなたが、あなたの望むあなたでいようとすることを、私は否まない。

 それで例え、あなたを失うことになっても。

 最後にあなたを満たしたのは、私の、あなたへの肯定なのだから。


 それ以来、私は安息日に門に立つようになった。

 並の器量でフラヴォアの真似か、と笑う人もいた。

 違う。

 私は迎えを待っているのではない。見送っているのだ。何度も、何度も。

 もう二度と帰り来ぬ、美しく気高い友人を。


 名残のリラが舞う中、馬車の音と彼女の手を振る姿が路上に浮かぶ。

 来る日も来る日も鮮やかに、あの日のままの輝きで。


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