歌と水の街
@ekunari
第1話 鎮魂歌では届かない ――フィネ・ロウスロウの暁
ある川の下流で、漁師の網に、小柄な死体がかかった。
死体が着ている煌びやかな少女服は、上流にある『歌と水の街』の歌い子の衣装と知れた。街を流れる水路に落ちたらしい。
これが直接の死因なのか、胸にボウガンの矢が突き刺さっている。
漁師は物騒な遺体をいぶかしみつつ、ひとまず村の駐在へ届け出た。
■
『歌と水の街』は、石造りの水路が縦横に走る、水上都市だった。最大の名物は、美麗な衣装をまとった、歌い子と呼ばれる少女達の合唱団である。
麗しい少女達は、観光資源として多くの耳目を集めた。しかし彼女達は例外なく過酷な講演で喉を使い潰し、やがては団を追い出されて路頭に迷うのが常だった。
僻地の没落貴族の末娘、フィネは、十四歳の時に歌い子になった。家族からは祝福されたが、実質は口減らしに過ぎない。
華やかな外面と裏腹に、新入団員は過酷な下働きで過労に陥ることも多い。だが、フィネは気丈に勤めに励んだ。
やがて持ち前の容姿と歌の才が開花されると、その名が街の中に響き出したが、それはフィネが必ずしも望む事ではなかった。
売れっ子になる と、出資者の夜の相手をすることもある。破格の代金を得られるそうだが、御免だった。
フィネはよく、講演後の夜、劇場の裏の水路の袂にぼうっと座った。
自分には、帰る場所はない。いずれ送るであろう悲惨な日々を想像し、つい嘆息する。
「お嬢様」
懐かしい声が物陰から聞こえた。
「カリウ!」
闇の中にいたのは、実家で下男をしていた同い年の少年だった。一番の遊び相手で、フィネが昔与えた羽帽を今も愛用している。
「お嬢様、街を出ましょう。ここに救いはありません」
「今更、どこへ」
「西の都に、評判の良い聖教歌劇団があります」
「駄目だわ。自分から団を抜けるには、退団金がいるもの」
一考して、カリウが言った。
「ご用意します」
どうやって、と言おうとした時、既に少年の姿は消えていた。
フィネは、カリウと共に脱走する事を考えた。どの道、喉が潰れる前にどこかで逃げ出せないかと考えてはいた。
リスクは高い。単に逃げ出せば、団の私兵に追われる。
恐らくカリウは、今や若き花形のフィネの退団を劇場と交渉するのではなく、まとまった金を劇場に置き残し、フィネを連れて逃げるつもりだ。それなりの額を供すれば、執拗には追われないかもしれない。
しかし、今の彼に大金を得る方法があるとは思えない。
フィネが自力で大金を稼ぐ方法は、ある。ただ、それでも一朝一夕で稼げる額ではない。
カリウが、早まらなければいいのだが。
翌日の夜、フィネは劇場の客間で、肥えた男爵へ酌をしていた。例えばこの男に身を任せれば、さほどの日数をかけずに大金が手に入るだろう。
だが、そう簡単に踏ん切りはつかない。今日明日脱走する必要がある訳でもない。
その時、男爵の召使が客間に飛び込んで来た。
「男爵様、屋敷に泥棒が。金貨袋を盗まれ、現在追っています」
「犯人は見たのか」
「羽帽を被った子供とか」
フィネが、葡萄酒の瓶を取り落として絶句する。それを見咎め、
「心当たりがあるのか」
鷹のような、男爵の目。
今が、決断の時だ。フィネは劇場を飛び出した。
街の構造には、フィネもそれなりに詳しい。男爵と団の私兵の騒ぎを聞きながら見当をつけて、月明かりの中でカリウを探した。
街の大水路の傍で、彼を見つけたのは奇跡に近かった。
「怪我は無い?」
「申し訳ありません、騒ぎになって」
「もう劇場へは戻れないわ。このまま、逃げよう」
「僕は囮になって、人目を引き付けてから逃げます。南門の越境馬車へ、運び賃はこの金貨袋から渡して、それに乗ってください。このメモ、僕の実家の場所です。ここで落ち合いましょう」
そして二人は、それぞれ南と北の門へ向かった。
兵士のボウガンの矢が石畳を跳ねる音が、幾度もフィネの耳に響いた。
二日後の朝。
カリウの実家は、牧場の端にあった。
その窓から外を眺めている少女に、男が声をかけた。
「お嬢様。金貨を持って、西へお行きなさい」
「いいえ。ここで会うと、約束したのです」
男はタブロイドを広げ、静かに、歌い子の衣装を着た死体のニュースを告げた。
「服を替えようと言ったのは、息子ですか」
フィネは、体を震わせながら、
「はい。目立つ方が囮に良いと。私のせいで……」
「いえ。息子は愚かですが、信念を通しました。お嬢様も、どうか」
男はそう言って、部屋を出た。
フィネは少しの間目を閉じ、やがて空へ向かって穏やかに歌った。
昔、カリウと歌い合った誕生日曲。
涙声は、かすれても、途切れない。
私はきっと、有名な歌姫になる。
あなたが救った歌声で、あなたの意味を証明する。
叶うなら、この声よ届け。
せめて一筋の光明のような慰めに。
窓辺に置いた羽帽を、風が撫ぜた。
終
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