歌と水の街

@ekunari

第1話 鎮魂歌では届かない ――フィネ・ロウスロウの暁

 ある川の下流で、漁師の網に、小柄な死体がかかった。

 死体が着ている煌びやかな少女服は、上流にある『歌と水の街』の歌い子の衣装と知れた。街を流れる水路に落ちたらしい。

 これが直接の死因なのか、胸にボウガンの矢が突き刺さっている。

 漁師は物騒な遺体をいぶかしみつつ、ひとまず村の駐在へ届け出た。



 『歌と水の街』は、石造りの水路が縦横に走る、水上都市だった。最大の名物は、美麗な衣装をまとった、歌い子と呼ばれる少女達の合唱団である。

 麗しい少女達は、観光資源として多くの耳目を集めた。しかし彼女達は例外なく過酷な講演で喉を使い潰し、やがては団を追い出されて路頭に迷うのが常だった。


 僻地の没落貴族の末娘、フィネは、十四歳の時に歌い子になった。家族からは祝福されたが、実質は口減らしに過ぎない。

 華やかな外面と裏腹に、新入団員は過酷な下働きで過労に陥ることも多い。だが、フィネは気丈に勤めに励んだ。

 やがて持ち前の容姿と歌の才が開花されると、その名が街の中に響き出したが、それはフィネが必ずしも望む事ではなかった。

 売れっ子になる と、出資者の夜の相手をすることもある。破格の代金を得られるそうだが、御免だった。


 フィネはよく、講演後の夜、劇場の裏の水路の袂にぼうっと座った。

 自分には、帰る場所はない。いずれ送るであろう悲惨な日々を想像し、つい嘆息する。

「お嬢様」

 懐かしい声が物陰から聞こえた。

「カリウ!」

 闇の中にいたのは、実家で下男をしていた同い年の少年だった。一番の遊び相手で、フィネが昔与えた羽帽を今も愛用している。

「お嬢様、街を出ましょう。ここに救いはありません」

「今更、どこへ」

「西の都に、評判の良い聖教歌劇団があります」

「駄目だわ。自分から団を抜けるには、退団金がいるもの」

一考して、カリウが言った。

「ご用意します」

どうやって、と言おうとした時、既に少年の姿は消えていた。


 フィネは、カリウと共に脱走する事を考えた。どの道、喉が潰れる前にどこかで逃げ出せないかと考えてはいた。

 リスクは高い。単に逃げ出せば、団の私兵に追われる。

 恐らくカリウは、今や若き花形のフィネの退団を劇場と交渉するのではなく、まとまった金を劇場に置き残し、フィネを連れて逃げるつもりだ。それなりの額を供すれば、執拗には追われないかもしれない。

 しかし、今の彼に大金を得る方法があるとは思えない。

 フィネが自力で大金を稼ぐ方法は、ある。ただ、それでも一朝一夕で稼げる額ではない。

 カリウが、早まらなければいいのだが。


 翌日の夜、フィネは劇場の客間で、肥えた男爵へ酌をしていた。例えばこの男に身を任せれば、さほどの日数をかけずに大金が手に入るだろう。

だが、そう簡単に踏ん切りはつかない。今日明日脱走する必要がある訳でもない。

 その時、男爵の召使が客間に飛び込んで来た。

「男爵様、屋敷に泥棒が。金貨袋を盗まれ、現在追っています」

「犯人は見たのか」

「羽帽を被った子供とか」

 フィネが、葡萄酒の瓶を取り落として絶句する。それを見咎め、

「心当たりがあるのか」

 鷹のような、男爵の目。

 今が、決断の時だ。フィネは劇場を飛び出した。


 街の構造には、フィネもそれなりに詳しい。男爵と団の私兵の騒ぎを聞きながら見当をつけて、月明かりの中でカリウを探した。

 街の大水路の傍で、彼を見つけたのは奇跡に近かった。

「怪我は無い?」

「申し訳ありません、騒ぎになって」

「もう劇場へは戻れないわ。このまま、逃げよう」

「僕は囮になって、人目を引き付けてから逃げます。南門の越境馬車へ、運び賃はこの金貨袋から渡して、それに乗ってください。このメモ、僕の実家の場所です。ここで落ち合いましょう」

 そして二人は、それぞれ南と北の門へ向かった。

 兵士のボウガンの矢が石畳を跳ねる音が、幾度もフィネの耳に響いた。


 二日後の朝。

 カリウの実家は、牧場の端にあった。

 その窓から外を眺めている少女に、男が声をかけた。

「お嬢様。金貨を持って、西へお行きなさい」

「いいえ。ここで会うと、約束したのです」

 男はタブロイドを広げ、静かに、歌い子の衣装を着た死体のニュースを告げた。

「服を替えようと言ったのは、息子ですか」

 フィネは、体を震わせながら、

「はい。目立つ方が囮に良いと。私のせいで……」

「いえ。息子は愚かですが、信念を通しました。お嬢様も、どうか」

 男はそう言って、部屋を出た。

 フィネは少しの間目を閉じ、やがて空へ向かって穏やかに歌った。

 昔、カリウと歌い合った誕生日曲。

 涙声は、かすれても、途切れない。


 私はきっと、有名な歌姫になる。

 あなたが救った歌声で、あなたの意味を証明する。

 叶うなら、この声よ届け。

 せめて一筋の光明のような慰めに。


 窓辺に置いた羽帽を、風が撫ぜた。


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