第3話 ブラッディ・メアリー号
全長数百mにも及ぶ平均的な蒸気船がイエローカームの横合いに停泊していた。蒸気動力によって無限軌道を稼動させるそれは、この世界ではごく平均的な船であった。異色なのは、その船が数隻の船を継ぎ接ぎしたキメラだったことだろうか。前半分は戦闘船のそれであり大口径砲が乗っているのだが、後部は客船を装甲化したような船なのだった。
掲げる旗は七つの☆が円陣を組んでいるというものだった。
そして今まさに後部の客船を改修したオア・レリック搭載場所に、四本足のヘキサグラムがクレーンで運ばれている真っ最中だった。六角形もとい六芒星型の異色な胴体に足が生えているお世辞にもかっこいいとはいえないそれは、クレーンで空中に運ばれていることが気に食わないのか足をばたつかせていた。犬の胴体だけ掴んで持ち上げたようだった。
少女はフードを深く被って作業を見守っていた。右手を掲げ、掌を開いてみせる。
「落ち着いて欲しい。暴れると落ちて痛いぞ」
するとヘキサグラムは足をくの字に折って大人しくなった。静かに格納庫へと運ばれていく。
少女は船には乗ったが、同行するつもりなど無かった。男の発言がなければとっとと退散していたであろう。
あの男。アイザックという名前の男を、仮面の男は知っているらしいのだ。
「あの男は私の主人でした。脱走してやりましたがね」
「……お前奴隷だったのか」
エツは、船内の一室に通されていた。調度品の類の少ない質素な部屋だった。あるのは机と椅子くらいなものだった。
男が言った。
「よくある話じゃないですか。人ではないものは人ではなく犬畜生として扱えばいいと。魂があろうとなかろうと」
この世界において奴隷制というものはまだ残っている。人ではない特徴があるから。ケモノに近いから。肌が黒いから。そんな理由だけでも、人は人に近しく知性がある生き物を、ものとして扱っている。いつか等しく知的生命体に権利が与えられる日が来るのだろうが、今は、そのときではなかった。
男の仮面の奥で瞳がきらりと光った。
「あの男がこの大陸に渡ってきたと聞いたときは歓喜しましたよ。本土で殺せば罪に問われることは間違いないですからね。この混沌とした大陸ならば、どさくさに紛れて殺害することも難しくない。あなたも、そのつもりでやってきたのではないですか?」
「………端的に言え」
エツは男の無遠慮な物言いに苛立ちを隠さなかった。腕を組み、足を組み、口をへの字に曲げていた。
あの男を殺す。そのためならば手段は問わないが、死ぬつもりは無かった。本土で殺せば間違いなく追っ手がかかるが、治安不安定な新大陸ならば殺害は容易かった。大陸を渡ってきた理由のひとつがそれだったのだが、図星であることを悟られたくは無かったのだ。
男が人差し指を立てた。続いて握手を求めた。
「協力することであの男を殺す可能性が高まります。人間を皆殺しにするなどと大それたことは考えていません。あの男を始末できればいいのです。我ら“第七旅団”率いる“ブラッディ・メアリー号”に乗りませんか」
「わかった。ただし指図は受けない」
エツは男が差し出した手を無視して席を立つと、振り返らずにいった。
「私の機体を船に乗せる。クレーンを貸せ」
男は椅子から腰を上げると、演技臭い仕草でその場で一回転して見せた。
船に乗って思ったのが、人間がいないということだろうか。
獣人もいれば、植物人もいる。妖精もいた。エルフもいた。オア族だけがいなかったが、エツを含めれば揃っていることになる。人間に対し恨みを持っている連中ばかり集めているらしい。聞く話聞く話人間に対しいい感情を抱いているようではなかった。
エツは、人間に対して恨みがあるわけではない。アイザックという男に恨みがあるのだ。人間への復讐だの、権利だの、そんなものはどうでもよかったのだ。
機体が格納庫に吸い込まれていく。エツは艦尾で一人地平線を眺めていた。背中の剣は横に下ろし、街並みが夕闇に溶けていくのを見つめていた。街の灯りに混じってオア・レリックが闊歩していた。荷物を運搬するもの。荷車を引っ張っているものもいた。
ふと、妙な気配を感じ取ったエツは振り返った。クレーンを操作していた獣人がこちらを見つめてきていた。歳にして同年代程度だろうか。灰色と銀色交じりの長髪を背中まで垂らした細身の男の子だった。エツとは対となる赤い瞳が特徴的だった。
「……名はなんと言うんだ?」
エツが問いかけた。これより男の船と組織――男曰く第七旅団――と共に、アイザック率いる蹄鉄の傭兵団を追跡するのだ。コミュニケーションをとっておいて悪いことは無かろうと思ったのだ。
男の子はびくびくしつつ物陰から出てくると、エツの隣に座った。鼻をすんすんと鳴らし、口元を曖昧に引き上げる。
「クラウン。はじめまして。エツちゃん」
「ちゃんは余計だ。エツと呼べ」
エツはふくれっつらだった。別に男を気取っているわけではない。女性としての面が不必要であると判断しているから、男のように振舞っているだけだ。ちゃん付けされる覚えはないのだ。
クラウンと名乗った獣人は耳を垂らし、俯いてしまった。
「ごめんね」
「謝るな。お前何しに来たんだ」
「あまいにおいがした」
クラウンが鼻を鳴らし、エツの首元に顔を寄せる。エツがクラウンの首根っこを捕まえると膝に抱え込み、頭に指で作った架空の銃を突きつけた。ばん、と口で言ってのける。なまじ腰の四連装式散弾銃のグリップがクラウンの首にかかっているだけに笑えなかった。
エツはもさもさとした髪の毛をどけると、顔を露出させてやった。
「愉快な奴だな。殺すぞ」
「ご、ごめんね! 悪気は無かったんだよ」
「獣人は鼻が利くからな……クラウンといったな。この船で何してる」
クラウンはエツの膝から頭を上げようともがくも、エツが首根っこを保持したまま影のかかった笑顔を投げかけてくる為に動けなくなった。狼族の獣人というのに、馬車に轢き殺される寸前の猫のようにびくびくとして頭を守っていた。
「整備をやってる。機械弄りくらいしかできないから……」
「そうか。私の機体はヘキサグラムというんだが。整備の腕前はどうでもいい。必死にやれ。やらないとどうなるかわかるな」
こくこくと頷くクラウンに、エツはぽつりと問いかけた。
「お前も人間に恨みがあるのか。この船の連中人間が憎い憎いって言って聞かん。最初はいいが永延言われてみろ。流石に辟易とする」
「……ほんとうはね」
クラウンがエツの腿の上からどこうともがきつつ言った。なにを思ったのかエツはクラウンの頭を掴んだままだった。
「恨みなんてないんだ。おれもむかしは奴隷だったけど」
「なぜだ?」
「だってさ……そういうもんなんだろう」
「……そういうものと決めて……いやなんでもない。現実主義なんだな」
エツは一瞬反論しようと口を開けたが、すぐに考えなおしたらしく、喉を鳴らした。奴隷として扱われていたことに憎しみを感じるでもなく、状況として受け入れているのだろう。この第七旅団が所有する船に乗り込んだいきさつは分からないが、もしかすると他に食べる手段を知らないだけかもしれなかった。
エツはやっとクラウンの頭を解放すると、地平線を眺め続けていた。船の煙突が濛々と蒸気を吐く。出発進行を意味する警笛が鳴り響くと、無限軌道が軋みをあげて船体を前へ前へと運び始めた。イエローカームの街並みが遠ざかっていく。荒涼とした大地。サボテンや、枯れた木を引き倒しつつ、船が進んでいった。
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