2-2

 いつものように、鳥たちの囀りを目覚ましに……起きるつもりだったのだが。

 どうやら随分と寝坊したようだ。

 理由は……恥ずかしながらいい年して、まるで誕生日前日の子供のように、今日と言う日のプレゼントが待ち遠しくあまり寝付けなかったからだ。

 枕元の懐中時計を手に取り時間を確認する。時刻は既に十時三十分を回っていた。

 私は急いでベッドから跳ね起きる。

 勢いを付けすぎて、足をベッドの縁にぶつけてしまったが、今はそんなことお構いなしだ。

 しかし――――。


「あれ。そう言えば、今日何時に迎えに行くんだったか?」


 窓の外を眺めて、しばしの間考えてみるものの思い出せない。

 数回の瞬きの後、枕元の手帳を取り、今日の日付を確認してみる。そこには『火曜日迎え』としか書いていなかった。というより、そもそも時間の約束はしていなかったことに、今更ながら気が付いた。

 ……どうする? 何時に迎えに行こうか。

 出来れば長い時間、彼女と過ごしたいとは思うけれど、果たして会話が続くだろうか。

 いつになく緊張を。いや、それ以前に彼女を招待したのは、ドールたちを見せてあげたいと思ったからで……。そして、私のことを知ってもらいたくて招待するのだ。

 だから――――。


「よし、一時三十分くらいにしよう」


 おそらく、昼食は食べ終えたであろう時間帯だからな。

 さあ、そうと決まれば、早く身支度を整えなければ。

 洗面所へと向かい、顔を洗い髭を剃り、そして髪を整えた。その後リビングへ行き、昼食も兼ねた朝食を摂る。

 食事をさっさと終えた私は厩舎へと向かい、クラウスのブラッシングをする。

 いつも以上に念入りにブラシをかけたせいもあってか、愛馬の毛並みは普段の倍はツヤツヤと輝いて見える。丹念に行った甲斐あって、約束の時間も大分近くなってきた。

 あと一時間。だがその一時間がとても長く感じたり……。

 なにをしていようか。掃除は終わっているし、とりあえずは花もリビングに飾った。ドールたちの手入れは普段からやってるし、馬車も……。あ、馬車の掃除がまだだったな。

 私は急いで馬車まで走りドアを開ける。そしてマットに付いた土埃や、座席の埃を綺麗に払い、車体をスポンジで優しく磨き上げる。最後に窓を丁寧に拭き、全ての準備は完了だ。


「よし。これで大丈夫なはず」


 ポケットに入れた懐中時計で時間の確認。……まだ四十分もある。そう言えば……。

 自らの格好を見て今更気付いた。まだパジャマのままだ。

 朝食を食べてからというもの、バタバタしていたからな。とりあえず屋敷に戻るか。

 そうして寝室まで戻ってきたが、そのクローゼットの前で私は悩んでいた。


「どんな服で迎えに行けばいいだろう」


 やはりパキっとキメたほうがいいのかな? だがしかし、あまり気合を入れ過ぎてもな……。

 う~ん。なかなか着ていく服が決まらず、ただ時間だけが刻々と過ぎていく。そうして三十分ほど経過し、ようやく着るものが決まった。


「まあ、これでいいか」


 私が手にしたのは、あまり着ていない濃紺のストライプのスーツだ。

 これならあまり地味すぎることも、派手すぎることもないだろう。

 今思えば、あまり派手な服自体持っていないな。

 操演の時はもちろんドールたちが主役だ。だから操者は一歩下がった感じで、あまり目立たぬように。だから自然と私服などもそうなってしまったんだろう。

 私はスーツを着て、スタンドミラーで今一度確認してみる。


「……こんなものかな」


 鏡に映った自分自身を見て、可もなく不可もなくといった感じで納得する。


「さて、そろそろだな」


 白い手袋を手に取り玄関へと向かう。玄関へ着くとスリッパを脱ぎ、備え付けのシューズボックスから、普段履きではない革靴を取り出しそれに履き替えた。

 屋敷を出ると、少し興奮気味に鼻を鳴らすクラウスを外へ出す。そしてハーネスで馬車と繋ぎ、全ての準備は整った。


「よし。行こう、クラウス」


 馬車に乗り込み声を掛け、彼女の店へと馬車を走らせる。

 門をくぐると、しばらくして並木通りに差し掛かった。鮮やかな新緑の葉っぱが風に揺れて踊っている。さらさらとした音が耳に心地良い。

 彼女も、気に入ってくれるだろうか。私の好きな、この並木道を。

 やがて馬車は森を抜ける。日差しもやわらかく温かくて、今日一日はとても過ごしやすそうだ。しばらくすると、見えてきた。彼女の店の看板が。

 花屋の前までやってくると、私は馬車から降りて玄関へと向かう。


「すぅー、はぁ~」


 ドアの前までやってきた私は、一度大きく深呼吸。そして再度、身だしなみをチェックする。

 恐らく大丈夫だ。おかしなところは特にない……と思う。


「よし!」


 意を決して、呼び鈴に繋がっている紐を引っ張り鈴を鳴らす。

 …………あれ? 出ないな。

 しばらくしてから、私はもう一度呼び鈴を鳴らしてみる。――が、反応はない。


「おかしいな」


 もしかして外出中かな? まあ時間を決めていなかったから、外に出ていても仕方がないけれど。

 再度、呼び鈴を鳴らそうと指を紐に添えたその時――――。


「いったー!!」


 大きな声と同時に、ドスンッと盛大な物音が聞こえてきた。まるで高いところから、何か重たい物が床に落ちたような音。

 それから階段を駆け下りる騒音が聞こえ、


「ちょっと待っててください」


 店の奥から声が聞こえた。

 そして再び、セリーヌは階段を駆け上がっていったようだ。慌てた様子の忙しない足音が煩いくらいに響いている。


「もしかして、今起きたのかな」


 僅かなカーテンの隙間から見えた彼女の髪は、多少寝癖っていたような気がする。


 それから数十分が過ぎた。

 待っている間、家の中から物音が止むことは、ほぼなかった。

 ようやくドタバタとした物音が止んだと思った丁度その時、彼女は階段を下りてきた。そうして店の入口まで歩いてくると、カーテンを左右に開く。

 ガラス越しにまみえるその姿は、「風の妖精シルフ」を想起させた。

 ドレスのような、淡いブルーのワンピースに身を包んだ彼女はとても綺麗で、瞬きすら忘れてしまうほど、私の視線は釘付けだ。


「あのー……」


 まるで時が止まったようだ。しかし、それに反して私の心臓は鼓動を加速させていく。自分の顔がだんだんと熱くなるのに気付いた。


「あの、クリストファーさんっ!」

「ぅえ?」


 それにしても、なんて情けない声をあげてしまったのだろう。油断していた自分が恨めしい。ハッとして彼女を見やると、頬は薄っすらと赤みを帯びていた。


「あまり見つめられると、その、恥ずかしいです」


 照れくさそうに下を向いては身をよじるセリーヌ。


「あ~いや、すまない……その、あまりにも綺麗だったから……」

「そ、そんなことないです」


 謙遜してか、そう言って彼女は熱にでもうなされているかのように、さらに頬を紅に染める。

 ……しばらくの沈黙。なんか、前にもこんなことあったような気がするな。どうしよう、ちょっと気まずい空気になってしまった。なにか話さなければ。


「あ、そう言えば……さっき凄い物音がしたけど、大丈夫だったかい?」


 とりあえずこの場の空気を変えなければと思い、私はとっさに話を切り替えた。


「聞こえて、ました?」

「ああ、盛大だったが、どうしたんだ?」


 そう訊くと、髪をクルクルといじりながらセリーヌは話し始めた。


「ベルが鳴ったのが聞こえて、それで時計を見たらもう一時半を回ってて……慌てて起きようとしたら――」

「――ベッドから落ちたと」

「そう、です」


 身の置き所がないといった様子で、彼女は少し身を縮めた。


「ぷっ、ははははっ!」


 私は私でそのシーンを想像してしまい、少し笑ってしまった。人前でこうして笑うのは、どれくらいぶりだろう。


「あっ、ひどいです」


 セリーヌは自分の失態を笑う私に対し、ふくれっ面で抗議の意を現す。

 その表情が可愛くて、愛しくて――――。


「いやー、すまない。ぷくく……。笑うのは久しぶりで、ははははっ! あ~あ」


 涙目になりながらも、少し自分を落ち着かせる。その間、彼女はむくれ顔をやめてはいなかった。


「ふー、ごめんごめん。……でも、なんでこんなに遅く? いつも休みはこんなに遅いのかい?」

「ッ! それは……昨日、ぜんぜん眠れなかったから」


 セリーヌは子供みたいに少し口を尖らせ、視線を横へと逸らした。


「私と同じだな」

「えっ!?」

「実は私も、あまり寝付けなくてね。楽しみだったんだ、君と会うのが」


 そう言うと、驚く彼女は少しはにかんだ。初めて会った時と同様、またもや二人して沈黙……しかし――――。


「こうしている時間もいいけど、そろそろ屋敷へ行かないか? みんなが君を待っているよ」


 手を差し伸べながらそう言うと、セリーヌは小さく頷き私の手をとった。

 その手は小さくて暖かく、でも植物を扱っているからだろうか。所々に引っかき傷のようなものも見え、彼女の大変さが撞き鐘のように私の胸を打つ。

 二人で店を出ると、彼女は「CLOSED」の掛札を掛けて店の両開きのドアに鍵をかけた。

 彼女の手を引いて馬車までエスコートし、その座席に座らせる。ドアを閉め、私は御者席に乗り込み手綱を握りしめた。


「行こう、クラウス」


 声をかけて手綱を引き、屋敷へ向けて馬車を走らせる。

 手綱を握る手に自然と力が入っている。なんだか、いつも以上に緊張しているようだ。

 しばらく馬車を走らせると、やがて森の入口が見えてきた。


「わたし、なんだかドキドキしてきました」


 座席から身を乗り出してセリーヌは言った。


「その胸の高鳴りは屋敷までとっておくといい」


 私は笑顔でそう返すと、薄暗い森の中へと馬車は進入する。

 カラカラと車輪の回る音、そして蹄鉄をパカパカと路上に響かせ、やがて並木通りに差し掛かった。

 ――と、セリーヌはそれらに視線を移し、あることに気付く。


「あれ? あの木だけリンゴですね」

「さすが花屋だね」


 そう。ここの並木通りは通称『もみじ通り』と名付けられているにもかかわらず、たった一本だけリンゴの木が混じっている。


「でも、どうしてですか?」


 セリーヌは不思議そうな顔をしている。

 それはそうだ。たった一本だけということを不思議に思わないわけがない。私も秋の実りに気付いた時は、どうしてだろうと疑問に思った。


「それは、私には分からないな。でも、ここのリンゴは甘くて美味しいんだ。秋になったら一緒に採りに来よう」


 そしてもう一つ不思議なことに、このリンゴの木には二つしか実が生らない。

 何故かは分からないが、この森に住むようになってからというもの、三つ以上実を付けているところを私は見たことがないのだ。

 試しに採って食べてみたところ、すごく甘くてみずみずしく美味しかった。店に売っている物とは比べ物にならないくらいだ。彼女にもぜひ食べてもらいたいな。

 そうして並木通りを抜け視界が開けると、屋敷の門が徐々に近付いてくる。

 門扉までやってきたところで私は馬車を降り門の鍵を開ける。クラウスを引き、敷地内に入ると馬車を定位置に止めた。

 セリーヌの座る後部座席側のドアを開き、扉が動かぬようにロックをかける。馬車から降ろすために手を差し伸べると、座席に座る彼女は私を見つめ、照れ笑いをした。

 そっと手を取り馬車から降りるセリーヌ。

 地に降り立つと同時に、ワンピースの裾がふわっと揺れ広がる。少し恥ずかしそうに裾を直す彼女は、とても可憐で可愛らしかった。

 セリーヌは屋敷の全景が見えるであろう正面位置まで歩いていくと、そこから屋敷の外観を眺める。


「なんだか、童話に出てきそうなお家ですね」


 そう言って振り向く彼女は、目を爛々と輝かせている。


「はは、屋敷の中には、きっと恐ろしい老婆がいるんだよ」


 微笑した後、まるで怪談でも話すかのように少しだけ凄みを持たせ、私はそう冗談めかす。するとセリーヌはクスクスと笑いだした。


「本当にいるかも?」


 悪戯そうな顔で私を見返すと、どちらからともなく笑いがこぼれる。


「あ、少し待っていてくれ。クラウスを厩舎へ入れないと」


 私は馬車と繋がっているクラウスのハーネスを外し厩舎まで引いていく。小屋の中にクラウスを繋ぎ直すと、その鼻筋を優しく撫でた。


「今日もお疲れさま、今はゆっくりと休んでくれ」


 私はクラウスに労いの言葉を投げかけ、好物であるニンジンを食べさせた後、厩舎を離れた。

 その間もセリーヌは屋敷を眺めてはため息を漏らし、終始感激しているようだった。


「さあ、屋敷へ入ろうか」


 ポーっとしている彼女に声を掛け、一緒に玄関まで歩いていく。植物をイメージして彫られた、幾何学な装飾のついた鉄扉が私たちの前に佇んでいる。

 ポケットから屋敷の鍵を取り出し、鍵穴に差込み手をひねる。するとカチャッ、という音がして開錠された。ドアを引き開け、彼女に振り返る。


「どうぞ」


 そう促すと、


「あっ……お、おじゃまします」


 と少し緊張気味な様子のセリーヌは、身を縮ませながらゆっくりと屋敷の中へと足を踏み入れた。

 人形師という職業の人の屋敷に招かれ、そしてその中へと入った彼女は、いったいどのような印象を受けただろうか……どう思っただろうか。

 玄関を入ってすぐから、もう既にそこは人形たちの空間だ。

 天井から糸で吊るされていたり、家具の上に座らされていたりと、人形それぞれが様々なポーズをとっている。

 ふとセリーヌを見てみると、屋敷を見ていた時よりも一層その瞳は輝きを増していた。彼女にとっては、この屋敷そのものがまるで夢のような空間なのかもしれない。


「これらはまだまだ序の口だよ。さあ、奥へ行こうか」


 スリッパを用意し、玄関で靴を脱ぐと私たちはそれに履き替える。

 廊下を案内し、次はリビングへ連れて行くことにした。

 廊下を歩いている間もセリーヌは、壁際に設置された棚の上の人形たちや、吊るされた人形たちを見ながら歩く。

 すると突然、彼女は歩く足を止めた。どうやら気付いたようだ。

 視線の先、廊下の壁に沿わせるように設置された長い棚の上。数々の容姿端麗、眉目秀麗な人形に紛れるように置かれている一体の人形。


「いましたね。お婆さん」


 そう言うセリーヌは私を見て笑っている。先程の会話が瞬時に思い返された。


「ああ。この老婆は魔女のつもりで作ったんだよ。言ったろう? 恐い老婆が住んでいるって」


 そう言って私も微笑み返す。すると彼女は訊いてきた。


「まだ全部を見たわけじゃないですけど、お婆さんって少ないですね。どうしてですか?」


 そうだ、彼女の言う通り。老婆はこの魔女一体しかいない。別に老婆を作りたくないわけじゃない。老いたキャラクターが出てくる物語も、繰演の内容としてはありだろう。

 しかし――――、


「老婆の出てくる話を、あまり思いつかないからさ。それに主役、ってわけにもいかないだろう?」


 問いにそう答えると、老魔女へ視線を戻した彼女は寂しそうな瞳をして呟いた。


「……それもそうですね」


 私も同じ方へ視線を移す。二人して、同じ人形に囲まれながらも孤独な雰囲気を醸し出す、老魔女のドールを見つめる。

 老婆が主人公、か。童話ならどういったキャスティングをするだろう。老執事は作ったことがあるが、それはまだ一般的だ。老婆のキャラ性から言うとやっぱり魔女が……ん? 何か、アイデアが思い、浮かんだ。


「そうだ! すまない、少しここで待っていてくれ!」

「えっ!? あ、あの――」

「新しい作品が閃いたんだ。あとでリビングへ案内しよう。君は廊下のドールでもしばらく鑑賞していてくれ、すぐに戻る」


 何があったのかと慌てふためく彼女を後目に、私は書斎へと走っていく。セリーヌはその場に取り残され、一人呆然と立ち尽くしていた。

 私は私で、盛大な足音を響かせながら回廊をひた走る。書斎へ入るや否や、作業机の二番目の引き出しを開け、中からスケッチブックを取り出した。そしてたった今の閃きを紙に書き起こしていく。キャラクターと物語の設定、キャラクター同士の関係などを簡潔にまとめ上げる。


「よし、これで忘れないだろう」


 書き終えた後、スケッチブックを元あった場所に戻し引き出しを閉めると、私は書斎を出た。そして彼女のいる廊下へと走って戻っていく。

 廊下の角を曲がると、セリーヌの姿が見えた。なにやら天井を見上げているようだ。


「はぁ、はぁ、はぁ……。疲れないかい」


 少し息を切らせながらも歩み寄り、首が痛くなりそうなほどの高角度で天井を見上げるセリーヌに声を掛ける。


「上からも吊るしてあるんですね」

「そうだね。如何せん、屋敷があまり広くないせいで、この子達全員を座らせて飾る場所がないからなあ。ちょっとあの体勢は苦しいかな?」


 重力に逆らうことなく、四肢を垂れ下げるドールたちに向かってそう呟くと、


「でもみんな、なんだか嬉しそう。きっと、クリストファーさんに愛されているからですね!」


 彼女はこちらへ目線を戻し、きらきらと輝いて見える笑顔でそう言った。

 愛されている、か……。


 ――君だって、愛してくれているじゃないか。屋敷の空気が張り詰めていないところを見ると、みんな君の事を気に入っているんだよ。

 まだ会って間もないけれど、君がみんなを好いてくれていることを、ドールたち自身感じているんだ――


 私は心の中で彼女に感謝を述べた。


「さあ、リビングへ行こう。お茶を入れるよ」


 満面の笑みを浮かべるセリーヌにそう言うと、「はい」と小さく頷いた。そうしてリビングへと続く回廊を、二人並んで歩いた。

 廊下を歩いている途中も、彼女は人形たちから目を逸らさない。

 私の説明を横目に聞きながら、見上げたり見渡したり、驚きの声を上げたりと忙しそうだった。

 そうしてしばらく歩いた回廊とは、リビング前へと来た事により、彼女のドール見物という楽しげな時間とともにしばしの別れをすることになる。

 しかし安心していい。何故なら、ドールたちはこの中にもたくさんいるのだから。


「さあ、着いたよ。ここがリビングだ」


 言いながら、両開きのドアを押し開けた。

 先を歩き、私はセリーヌへ振り返る。そして感激した様子の彼女に声をかけた。


「どうかな? 自慢のリビングは」

「すごく、素敵です」


 セリーヌの瞳は、まるで宝箱を開けた子供のように濡れ、差し込む陽の光を反射して輝いていた。

 自慢、と言ったのには訳がある。

 家具にはもちろんこだわりがあるが、この屋敷にゲストルームはない。客人はこちらに全て通すため、リビング兼客間のここは特に人目に触れる。

「置き場がないから」といった理由でドールたちを様々な場所に安置してはいるが、そういった事情から、リビングに飾る人形は服飾が凝ったものや、貴族風な子たちをメインに置いている。

 だからか見ていて華やかなのだ。そう。言ってみれば、まるで屋敷の中でもここだけが香りの違う異空間。そこに迷い込んだような、そんな錯覚に陥るのだろう。

 部屋を隈なく見渡すセリーヌを、とりあえずリビングテーブルの椅子に座らせると、私は紅茶を入れることにした。

 一人キッチンに向かい、買い物ついでにと新しく買っておいたティーセットを、キッチンに併設された食器棚から取り出す。そして水を入れたやかんを、ガスコンロの火を強火にして温める。

 湯になるまでは少し時間がかかるため、私はその間キッチンから離れることなく、彼女の様子を窺った。

 一体一体を、まるで研究対象を観察する科学者のように注視する彼女は、その口元に優しい笑みを称えていた。そこから発せられる柔らかな雰囲気からも感じ取れる、彼女の心情。

 やはり彼女は今までに出会ったことのない人間だ。私のドールたちを心から愛してくれている。商品としてではなく、私が彼らに抱く、「家族や友達」そういった心持ちを彼女からも感じるのだ。きっとそれは気のせいではないと思う。

 つい嬉しくて、私は室内を見渡すセリーヌの横顔を、知らず知らず口元を緩めてじっと見入った。

 ――――優しい時間だ。

 そんな意識を無理やり引き剥がすように現実へと引き戻したのは、温めていたやかんが噴き出した音だった。それは彼女も同じだったようで、驚きの表情とともにこちらへ振り返ると、目を丸くしてしばらくの間固まっていた。

 コンロの火を止め、沸かしたばかりの熱湯をポットとカップに少し注ぎ、素早くそれらを洗い流す。これは温度の低下による香りや風味を損なわせないためだ。

 この日のために少し高めの茶葉を用意したからには、普段よりは美味しく淹れたいものだろう。

 ポットに茶葉をティースプーン大盛り二杯分入れ、沸騰したてのお湯を注ぐ。そうしてティーセットをトレイに乗せ、女王も食すと言われているヴァン=クライクの銘菓。

『ラ・フルール』の焼きチーズケーキを皿に盛り、テーブルへと運んだ。


「熱心に見入っていたみたいだけど、気に入った子はいたかな?」


 そう訊ねながら彼女の席へカップとケーキ皿を並べる。

 そうして対面に位置する席に腰掛けると、彼女は一度頷き笑顔で答えた。


「全部、ですかね」

「そうか、それはよかった。君を招待して本当によかったよ。今一度、自分の作った子供たちが、人に愛されているという事を改めて実感出来た」


 その瞳を真っ直ぐに見つめ返して私は言った。


「それは、クリストファーさんが愛を込めて作っているからですよ。みんな、幸せそうな顔に見えます。それはやっぱり、製作者であるあなたが心から人形を愛し、真心をこめて作ったから」


 そう言いながらセリーヌは室内を見渡し、人形たちに視線を投げかける。

 その言葉に、心に温もりが燈るの感じた。


「……ありがとう」


 言葉は自然にこぼれていた。


「え?」


 驚き振り返る彼女に対し、続けて声が押し出される。


「君に出会えてよかった。あの日、私の操演を見に来てくれて、本当にありがとう」

「そ、そんな。畏まられると、少し照れくさいです」

「はは、そうだね」


 俯きながらもじもじしているセリーヌに微笑むと、ちらりとこちらを見やった彼女と目が合った。すると彼女は気恥ずかしそうにサッと目を逸らす。さらに視線を泳がせ、まるで助けでも求めるかのように、チェストの上に飾られる人形たちへと目線を送った。

 可愛らしい女性だ、とくすりと笑い、部屋の置時計へと視線を移す。

 そろそろ三分くらい経つな。茶葉の蒸らし時間は短すぎてもいけないし長すぎてもいけない。基本的に茶葉の小さめであるブロークン・オレンジペコーは、三分から四分ほどの蒸らし時間でいい。長すぎると今度は苦みやえぐみが出てきてしまうため、時間はきっちりしておかなければ。

 頃合を見計らい、私はティーポットを持って立ち上がった。セリーヌの座る対面の椅子まで歩いていくと、カップへと紅茶を注ぐ。


「あ、ありがとうございます」


 彼女の言葉にふっと微笑みを返すと、私は自分の席に戻り、同じくカップへと紅茶を注ぐ。量はちょうど二人分きっかり。

 滅多に買わない最高級の茶葉は、場の雰囲気と相まって、それは美味しい風味を味合わせてくれることだろう。


「さて、食べようか」

「はい」


 小さく頷いた彼女とともに、今しがた淹れたばかりの紅茶を啜る。やはり高いだけあってその香りと味は格別だった。セリーヌも満足してくれているようで、茶請けに出したチーズケーキを、「美味しい」と一頻り感激した様子で食べている。


「ここのチーズケーキ、前から食べてみたかったんです」

「ラ・フルールは有名だからな」

「クリストファーさんは、よく買いに行かれるんですか?」

「たまに、だけどね。特別なことがない限り、頻繁には行かないさ」

「そうなんですね」

「ああ。今日は君が来てくれた、“特別”な日だから用意したんだよ」


 その言葉に、セリーヌははにかむ。

 談笑しながら人とお茶をする、なんてことはいつ振りだろう。随分と昔のような気がするし、そもそも女性と談笑したことなどあっただろうか。

 思い返してみても記憶にあまりいないことに気付く。それと同時に、彼女が特別な存在のような気がしてならなかった。

 やがてケーキを食べ終えると、セリーヌは唐突に話題を振ってくる。


「ところでクリストファーさん、昨日言っていたお話って……?」

「ん? ……ああ、そうだったね」


 うっかり忘れていた。彼女を招待したのは、人形を見て欲しかったからだけじゃない。自分のことを、知ってもらいたい。誰よりも、彼女に……。

 咳払いを一つすると、セリーヌの瞳を真っ直ぐに見据える。彼女もそれを見返すと、真剣な眼差しを送ってくれた。


「君に聞いて欲しいんだ。私の……過去を」


 彼女は何も言わず、静かに頷いた。


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