ロックと金星人

木尾

第1話

「……続いてのニュースです。えー、十一月一日、O市の民家に空き巣目的で侵入したと見られる男が、一人で留守番していた四歳の男児と鉢合わせて何も盗らずに逃走、男児が驚いて転倒し軽い怪我を負う事件がありました。犯人は依然逃走中とのことで、警察では注意を呼びかけています。近隣の住民の皆様は戸締まりには十分注意をしてください」

「いやー、男の子が無事で良かったですよね。それでは谷口さんの発狂お天気のコーナーです。お天気の谷口さーん!」

「ヒッ! ヒヒーッ! た、たたた谷口です! でっ、ああ、電波! 電波を受信しました! ヒィーッ! ほぉ! ほほ! 北海道! 北海道からかっ! 関東! かあああんと、関東まで! 北海道からああああいいい関東までは、だいっ! だいたい! 晴れる。晴れるだろなァー! ヒッヒィー! はっ、晴れたら、せせせぇんたく! しぇんたく! 洗濯ができる! ヒィーッ! たまらない。はっはっ、ああ。西! 西日本! ああ、あああ! 許して! 酷い、許して! 許して! イイーッ! 西日本は! 見て! 雲が! くくくく雲すごいねェー! 雲ばっかり! ンムォー! 雨もふる。でっ、でも見て、鹿児島から南は、晴れェー! 晴れる! たまらないヒィーッ! アヘヘ、すごいなぁー。天気はすごいなぁ。電波! ウェェーブッ! アッアアアアア!」

「谷口さんありがとうございました。コマーシャルのあとは大変珍しいツチノコ発見のニュースです」


   第一話



「すみません! 急いでいるので!」

 学校の規定よりフライング気味に始まっている部活動勧誘を断りながら、山葉ハジメは走っていた。 この学校にハジメが入りたい部活動が無いことは、入学前にパンフレットですでに知っていたのだ。

 新品の教科書がギッシリ詰まったリュックサックが肩に食い込む。ギリギリ間に合うだろうか、何分おきだっただろうか。今朝見かけた時刻表を思い出しながら、ハジメは校門近くのバス停へと走る。

 目的のバスは既に学校最寄りのバス停、『御徒高校前』に到着し、今まさに乗車口のドアを閉めんとしていた。

「ちょっと待って! お願いします!」

 ハジメの叫びがギリギリ運転手に届いたらしく、閉まりかけたドアはハジメ一人ためにガタガタと騒がしい音をたてて再び開いた。

 ハジメは肩で息をしながら座席についた。ほかの多くの新入生はまだ校内を見て回ることに夢中らしく、楽に座ることができた。座席の隣にリュックサックをおろし、車窓からまだ騒がしい校舎を見ると、校門に立てかけられた『入学式』の看板が光を反射してまぶしく輝いていた。さっきまでハジメが出席していた入学式だ。


 山葉ハジメはこの日をもって御徒高校の一年生になった。


 しかし今のハジメはこれから自分が通うことになる学び舎よりも、これから学校生活を共にするクラスメートたちよりも、これから向かうところのことで頭がいっぱいだった。

 ハジメはリュックサックから茶封筒を取り出し、中身を確認した。一万円札が三枚。親戚からの入学祝いだ。ハジメはその三万円を、まるで自分の命でもかかっているかのような真剣な眼差しでで見つめ、今度は封筒ごと制服のポケットへとしまった。

 御徒高校前から二十分ほどバスに揺られたバス停から、さらに徒歩三十秒ほど歩いたところの、灰色の三階建ての建物がハジメの目的地だった。外から見えるショーウィンドウには、色とりどりのギターが所狭しと並んでいる。灰色の壁面を見上げると、真っ赤なゴシック体で『オオハマ楽器店』と書かれていた。

 ハジメは深呼吸して、もう一度ポケットから茶封筒を取り出し、中身を確認した。確かに一万円札が三枚入っている。三人の福沢諭吉たちが、新高校一年生はまぶしすぎる輝きを放っている。


 ハジメはロックバンドに憧れていた。中学二年生のある日、何気なく見ていたテレビに映し出されたロックバンドのライブ映像。それを見て以来ハジメはそのバンドの虜になった。動画サイトでライブ映像を見るだけでは飽き足らず、レンタルビデオ店でライブビデオを全てレンタルし、狂ったように繰り返し見た。初めて自分の小遣いでアルバム買い、ディスクがすり減るような勢いで聞きたおした。

 それから次第に他のロックバンドにも興味が湧いてきて、気が付いたらロックバンドそのものに憧れるようになっていた。

 なかでも憧れていたパートはやはりバンドの華、ギターボーカルだ。ハジメは高校に入ったらギターを始め、仲間を見つけてバンドを組もうと心に決めていた。そしてこの日、ハジメは憧れへの第一歩を踏み出すために、生まれて初めて楽器屋にきたのだ。

 ハジメは封筒をポケットにしまうと、意を決し店内へと入った。店内は薄暗く、所狭しと並べてある楽器のせいで外から見た印象よりもずっと狭く感じた。

 入ってすぐ右を見ると、まず大量のアコースティックギターが陳列されている。その奥にはエレキギター、エレキベースのコーナーがあった。左には二階への階段があり、階段の横の本棚にはギッシリと、楽譜や音楽雑誌が並べられている。そして左奥にはカウンターがあり、ハジメの入店に気がついた若い女性店員が一人、笑顔でハジメを見ていた。


「あ、いらっしゃいませー」


 若い女性店員はハジメを見つめながら言った。少し気の抜けたような、柔らかな笑顔だ。長い茶色がかった黒髪を一つ結びにしている。歳はおそらく大学生程度だろうか、お姉さんと呼ぶくらいが丁度いいような気がした。

「ど、どうも……」

 ハジメはお姉さん店員にぎこちなく会釈を返すと、おそるおそる目的のエレキギターが陳列されているコーナーへと足を進めた。

 目の前の壁や床に設置されたギタースタンドに、色とりどりのエレキギターが所狭しと陳列されている。ただそれだけなのに、ハジメは子供の頃ヒーローショーの後の握手会に参加したときのような、憧れが目の前に現実感を伴って存在する感覚に圧倒された。


「すっげぇ……」


「鞄」

 口を開けたまま立ち尽くしているハジメの背後から声が聞こえた。慌てて振り返ると、さっきのお姉さん店員がハジメを見て微笑んでいた。

「鞄、おろしたら? そこの机に置いときなよ。重そうだし」

「あ、はっ、はい!」

 ハジメは裏返った声で返事をして、新品の教科書でギッシリのリュックサックを背中からおろしてお姉さん店員に言われるがまま店の奥の机の上に置いた。

「面白いなあ、君」

 お姉さん店員はハジメを見ながら言った。

 ハジメはリュックサックを降ろして軽くなった肩を伸ばし、すぐにまたエレキギターのコーナーと向き合った。

 陳列されているエレキギターを端から一本一本、じっくりと眺めていく。ハジメにはそのどれもが痺れるほど格好よく見えた。そして何本か眺めているうちに、その中でもひときわ輝いて見える一本が目に入った。

 丸みを帯びた赤いボディに黒いピックガード。表面は平たく、ボディの上には小さな二本の角がはえている。SGと呼ばれるタイプのギターであった。ハジメの脳裏に一瞬、このギターを抱えて大観衆の前でライブをやる自分のイメージが浮かんだ。

 ハジメはおそるおそる手を伸ばし、そのギターに触れた。その瞬間、どういうわけかギターから鈴の音が聞こえた。驚いて手を離しギターを見ると、ヘッドの部分に鈴がくくりつけてあるのが見えた。

「ああ、それね、店長考案の盗難防止システムなの。変だよねー。そのギター、弾いてみる?」

 いつのまにかハジメの隣に立っていたお姉さん店員が、ギターを指差して言った。細長く、綺麗な指だった。

「うわっ、ああ、あの、俺ギター弾いたこと無くって、その、初めてで……」

 ハジメは驚いて数歩後ずさりながら、返事にすらなっていない言葉をしどろもどろに絞り出した。

「まあまあ、ギターってのは実際持って音出してみなきゃわかんないのさ」

 お姉さん店員はそういいながらギターを壁のスタンドからおろし、括り付けられた謎の鈴を外してエプロンのポケットにねじ込んだ。そして胸ポケットから音叉を取り出すと、自分の膝に打ち付けたのち口にくわえ、ギターのチューニングをはじめた。ハジメにはそのお姉さん店員の一連の動作が、痺れるほど格好よく見えた。


 お姉さん店員はギターを試奏用のアンプにつなぐと、しなやかな指で弦を押さえて二、三回かき鳴らした。アンプから少し歪んだ心地よい和音が鳴り響いた。

「よし。はい、どうぞ」

 お姉さん店員は柔らかな声でそう言うとギターをハジメに差し出した。

 ハジメは喉がカラカラに乾いていくのを感じた。そして喉とは逆にじっとりと汗ばんだ手を制服に擦り付けて拭い、おそるおそるギターを受け取って腰掛けた。

「あああ、こ、これがギター……」

 ハジメが初めて抱くギターの心地よい重さを太ももに感じていると、お姉さん店員はハジメの目の前にギターピックを差し出してきた。

「まあまあまずは適当にさ、ジャーンって。鳴らしてごらんよ」

 ハジメは黙ってコクコクと頷くと、左手は何も押さえないまま、言われた通りに六本の弦に向かって右手に握りしめたピックを振り下ろした。

 軽く歪んだ『ただ鳴らしただけの音』がアンプから飛び出し、ハジメの耳に突き刺さった。生まれて初めて自分で鳴らしたギターの音。この時ハジメは、その音楽ですら無い『ただ鳴らしただけの音』に、今まで自分が出してきたどんな音よりも興奮していた。


「どうかな?」

 お姉さん店員が笑顔で訪ねてきた。ハジメにはこのギターが良いものだとか悪いものだとか、そういったことはわからない。しかし確かにハジメはこの『ただ鳴らしただけの音』から、最高な何かを感じた。そして思ったままの言葉を口に出した。

「最高ですね!」

「でしょー、良いギターだよこれは」

 お姉さん店員はにっこりと笑うと、ハジメからギターを受け取った。

「あのっ! これいくらですか!」

 ハジメはポケットの茶封筒を握りしめて言った。

「えーとね、二十万円ちょいかな」

 お姉さん店員は笑顔のまま答えた。二十万円、今のハジメにはあまりにも非現実的すぎる金額だった。ハジメはついさっきまで腕の中にあったはずの、キラキラと輝く憧れの存在が猛スピードで見えないところまで飛んでいったのを感じた。

 そして二十万円というハジメには途方もない金額のものを、価値もしらずにかき鳴らしたことへの恐怖と緊張感が後から震えを伴ってこみ上げてきた。

「あ、ああ、じゃ、じゃあ、その、いいです。他のを……」

 ハジメは震えながら、喉から小さな声を絞り出して言った。お姉さん店員はその様子を見かねたのか、さっきよりも優しい声色で答えた。

「よしよし、大事な初めてだからね。お姉さんにまかせなさい。予算は?」

「あ、あああ、あの、さ、三万円です……」

 ハジメは予算を正直に言った。二十万円と比べたら端金だ。ハジメは、冷やかしだと思われないだろうかと急に不安になった。

「三万か……初ギターなら、本当はもうちょっと良いのをおすすめしたかったんだけど……まあ、無難にこの辺かなあ……あ、色は赤と黒どっちがいい?」

「あ、赤でお願いします」

「よし」

 お姉さん店員はブツブツ言いながら、床のスタンドに陳列された中から一本のギターを選んだ。 赤い、左右非対称のボディで白いピックガードが眩しいギター、ストラトキャスタータイプと呼ばれる形状だった。ヘッドには『Legend』とプリントされている。

 お姉さん店員は再び胸ポケットから音叉を取り出してチューニングをはじめた。先ほどのチューニングの時は気がつかなかったが、ギターのボディ上部のツノで押し上げられたお姉さん店員の胸と音叉をくわえた唇がやけに艶かしく思えた。ハジメは視線を悟られている気がして、おもわず目を背けてしまった。

 お姉さん店員はチューニングを終えると、ハジメの胸中を知ってか知らずかニヤリと笑った。

「まあ初心者向けの入門セットみたいなやつでさ、ギターとケースとシールド一本にストラップとチューナー。替えの弦一セットとミニアンプまでついて、なんと驚きの二万円! 教本買ってもおつりがくるよ……と、はい! 持ってごらん!」

 お姉さん店員は試奏用アンプにその赤いギターをつないで、ハジメに手渡した。

 ハジメは再び腰掛けて、そのギターをまじまじと見つめた。二万円、さっきのギターの十分の一だ。これならハジメにも十分手が届く。そう思うと、いくらか落ち着いてギターを抱くことができた。ハジメはひと呼吸して、今度はそっと弦を弾くとアンプからさっきと同様に軽く歪んだ『ただ鳴らしただけの音』が鳴り響いた。

「どうかな?」

 お姉さん店員がハジメの顔を覗き込んできた。正直、二十万円のギターと比べてどうだということはハジメにはわからなかった。だがそのおかげで迷う必要も無かった。『ただ鳴らしただけの音』がハジメに与えた感動は、このギターも同じだった。

 ハジメはこのギターのことが気に入った。

「これください!」

「まいどありー、ちょっと待っててね」

「はい! あ、教本もください!」

「はいよー、どれにする?」

「な、なんかわかりやすいので!」

 お姉さん店員は会計を済ませると、ギターを丁寧にケースに入れた。次に付属品一式を一つ一つハジメに説明しながらケースのポケットに入れ、最後にパンパンになったギターケースを優しくハジメに背負わせた。

「うんうん、ギタリストって感じだ」

 お姉さん店員は店の入り口近くの鏡の前にハジメを立たせた。そこには着慣れない高校の制服を着て、買ったばかりのギターを背負ったハジメの姿が映っていた。

 ただそれだけであったが、ハジメは声を上げそうなほど興奮していた。もうまるで自分がテレビのロックスターになれたような気分になった。

「面白いな君。よし、このピックはお姉さんからのプレゼントだ」

 食い入るように鏡を見つめるハジメの様子を見て満足そうに頷いたお姉さん店員は、エプロンのポケットから無造作にピックを二枚取り出すとハジメに手渡した。二枚ともなぜか、ウルトラマンの怪獣ジャミラがプリントされていた。

「それと、何かわからないことがあったらいつでもお姉さんの所にきなさい。メンテでも修理でも恋愛相談でもなんでも受け付けてあげよう」

「あ、ありがとうございます!」

「よしよし。あれ、そういえばその制服は御徒高校の制服だね。新一年生?」

 お姉さん店員はハジメの制服を見ながら言った。

「え? あ、そうです! 入学式終わってすぐ来ました!」

「やっぱりそうか。制服見て思い出したよ、ジロちゃんと同じだそれ。今そんなデザインなんだねー。ジロちゃんも今日それ着てたわ。同学年になるのかな」

「ジロちゃん?」

「うん、アタシの親戚の子。うちのスタジオによく来てるんだ。今日も君よりちょっと前にきてるよ。二階のスタジオにいるはず、ちょっと覗きにいこうか」

「覗きって……」

 ハジメが聞き返す間もなく、お姉さん店員は階段から二階へと上っていった。



 ハジメが慌ててお姉さん店員の後を追って階段を上ると、その先は二階の廊下に通じていた。狭い廊下の壁にはスタジオらしき部屋へのドアが二つあり、そのドア越しに歪んだギターの音色が聞こえている。

 お姉さん店員はギターの音が止まった瞬間を見計らって、手前のドアを勢い良く開けた。

「へいジロちゃん!」

 お姉さん店員は中の人物へ威勢良く呼びかけながら飛び込んでいった。ハジメもそれにおそるおそる続いた。

「ここがスタジオ……」

 ハジメは室内を見回しながら呟いた。部屋の中は思ったよりも広く、廊下にあった二つの扉は両方ともこの部屋へ繋がっていた。部屋の奥にはドラムセットやマイクスタンド、アンプなどが設置されている。そしてそのアンプの横には、ギターを抱えた身長の高い眼鏡の男が一人立っていた。

 ギターは黒く、形状は丸みを帯びており、一見レスポールというタイプのギターによく似ていたが、ボディには二つのf字状の穴が空いている。

「犬塚さん、特訓中に急に入ってくるなといつも……」

 ジロちゃんと呼ばれていた眼鏡男がお姉さん店員に文句を言う。

「あれ、客いないからってタダで使わせてやってるのにそんなこと言っちゃうのか。あーあーこりゃ次からちゃんと払ってもらわなきゃね」

「ぐっ……それで、なんですか? その人は……」

「ああ、この子はね、ジロちゃんと同じ……」

 お姉さん店員はハジメを眼鏡男に紹介しようとしたが、眼鏡男はそれを遮りハジメを睨みつけながら叫んだ。


「まさか敵か! クソッ、まだ特訓中だが一か八かだ! 食らえ!」


「は?」

 ハジメが呆気にとられていると、眼鏡男は急にギターを構えると、全身を揺らしながら大音量でギターの演奏を始めた。華奢な指が別の生き物の用に高速で動きメロディーを奏でている。聞いたことの無い曲だった。それでもハジメは初めて間近で見る生のギター演奏に、なぜか敵呼ばわりされたことも忘れて圧倒された。

「うるせぇー!」

「いってぇ!」

 お姉さん店員のローキックが眼鏡男のすねに直撃し、演奏を中断させた。

「何をする……まさか犬塚さんそいつに……」

 眼鏡男は蹴られたすねを押さえてうずくまりながら涙声で言った。お姉さん店員はあきれた顔で眼鏡男に言った。

「いや、何言ってるのさ。ほら、ジロちゃんと同じ高校の一年だってよ。今日からギター始めるんだって」

「高校? だからといって敵ではないとは……ん、ギターだと? そうか、その背負ってるのはギターじゃないか……」

 眼鏡男はハジメを見て言った。その目にはまだ痛みの涙がにじんでいた。

「あ、はじめまして! 俺、山葉ハジメって言います! 俺も御徒高校の一年で、さっきギター買ったばっかりなんです」

 ハジメは眼鏡男の言動に妙な違和感を感じながらも、あわてて眼鏡男に自己紹介した。

「疑って悪かった、オレは川崎ジロウだ。君も、ギターをやるのか」

 眼鏡男、川崎ジロウはいくらか落ち着きを取り戻した様子でハジメに質問した。ハジメは早速ギターの話題をふられて上機嫌になった。ジロウが何を誤解していたのかは気になったが、そんなことよりも早速ギター仲間ができたことが嬉しかった。

「ああ、まだ全然弾けないんだけどね。えっと、川崎君」

「ジロウでいいぜ」

「わかった、ジロウ……すごいね。えっと、さっきの曲。すごかったよ! 俺も、早くそれくらいできるようになりたいよ」

 ハジメはジロウに初めて間近で見た生演奏の素直な感想を伝えた。

「本当か!?」

 それを聞いたジロウはハジメの肩をつかみ言った。ジロウはギラギラと目を見開き、興奮気味な不気味な笑みを浮かべている。

 よほど嬉しかったのだろう。ハジメは少し戸惑ったが、そう解釈した。

「うん、メチャクチャかっこよかったよ。そうだ、よかったら俺に……」

「よかったら、よかったらオレが教えてやる! いや、オレに教えさせてくれ! 仲間が、仲間が必要なんだ!」

 ジロウはハジメの肩を掴んだまま興奮気味にまくしたてた。ジロウが肩から下げたギターがグラグラと揺れジロウとハジメの腹の間を往復した。ハジメにとってはこんなにありがたい申し出は無かった。入学早々バンド仲間候補とギターの先生が同時に手に入ったのだ。

「こっ、こちらこそ! 頼むよジロウ! 一緒にバンドやろう!」

 ハジメは右手を差し出し握手を求めた。ジロウはそれを無視してハジメに抱きついて答えた。

「ああ! よろしくハジメ! そして、オレと一緒に邪悪な金星人を滅ぼそう!」

「は?」

 ハジメは、最初にジロウの言動に感じた妙な違和感が、決して無視してはいけなかった物だったということにようやく気がついた。ジロウが何を言っているのかはわからないが、彼の表情から一つだけわかることがあった。間違いなく、ジロウは本気だった。

 ジロウは狂っていた。

 ハジメは腹にジロウのギターがガチガチと当たるのを感じながら、首だけでおそるおそるお姉さん店員の方を見た。お姉さん店員は声を殺して笑い転げていた。

「いかん、時間だ! すまんハジメ、また学校で会おう!」

 ジロウは急にそう言うと、ハジメが呆気にとられているうちに手早くギターをケースにしまって階段を降りていった。

「さて、アタシ達もいい加減に下に戻らないとね。ああ面白かった。お腹痛い」

 ハジメは何がなんだかわからないまま、お姉さん店員に続いて一階へと降りていった。すでにジロウの姿はなく、他に客もきていなかった。

 ハジメは呆気にとられたハニワ顔のまま、リュックサックを置いたままの奥のテーブルへ向かい、椅子に腰掛けた。

 入学式の日に憧れのギターを買ったら、たまたま同じ学校で同じ学年のギタリストと知り合って、バンドを組む約束までした。しかしそいつは何かが狂っていた。

 敵だとか邪悪な金星人だとか。もしかしたらギター用語かなにかだろうか。しかしギターと金星人という言葉がハジメの中でどうしてもつながらなかった。敵とはなんだ、ライバルということだろうか。いや、そんなはずはない。ハジメはハニワ顔のまま考えを巡らせたが無駄であった。

 いつの間にか店の外の自動販売機で缶のコーラを二本買ってきたお姉さん店員が店内へと戻ってきた。そして一本をハジメに差し出した。

「あ、ありがとうございます」

 ハジメはハニワ顔からもとの表情に戻り、プルタブを開けて口を付けた。

「どうぞー、お得意様だからお姉さんがおごってあげよう。ジロちゃんね、あの子両親留守にしがちだから、小さい頃からよく親戚のアタシが面倒見ててさ。だいぶ変わってるけどさ、悪い子じゃないよ。仲良くしてやってね。あ、アタシは犬塚っていいます」

 お姉さん店員、犬塚さんはそういうと、自分もコーラを開けて口を付けた。ハジメは先の疑問を犬塚さんにぶつけてみることにした。

「あの、敵とか金星人とかってなんですか? 何かギター用語ですか?」

「ハッハッハ、まさかー。なんだろね、学校でジロちゃんに会ったら聞いてごらん」

 犬塚さんは笑いながら答え、笑いながらコーラを飲み、その後酷くむせた。

 ハジメは再びハニワ顔になり、今日はもう考えるのをやめた。



 御徒高校新年度の登校初日は、それはそれは平和だった。

 一年A組の和やかな担任の和やかなホームルーム進行により、それぞれが和やかな自己紹介をし、それぞれが短時間で付近の席の人間と和やかな関係を築き上げた。ハジメも例にもれず、隣の席の小柄な男と和やかに打ち解けた。

 そして御徒高校新年度最初の放課後が訪れ、それまでの和やかだった雰囲気も教室になだれ込んできた上級生によって一気にかき消された。部活動勧誘が正式に許可されたのだ。

 入学式当日からすでに勧誘活動を行っている部活動は多かったものの、この時間からは入部届けをそれぞれの顧問に提出することが許されるため、上級生たちの勧誘の熱量は入学式当日の比ではなかった。

 しかしハジメはこの御徒高校に軽音楽部が無いことを知っていたため、それらを避けながらジロウの姿を探すことにした。入学式で気が付いていないだけで実は同じクラスだったというのを期待したが、残念ながらジロウは同じクラスではなかった。

 ハジメは手始めに隣のB組を覗いたが、ハジメのA組同様、部活動勧誘の上級生がなだれ込んでいた。これは探すのは骨が折れそうだと思ったそのとき、隣のC組からひどく間の抜けた会話が聞こえてきた。

「ギャハハハハじゃあな金星君!」

「オレを金星と呼ぶなァ!」

 後者は確かに聞いた事のある声だった。ハジメはおそるおそるC組を覗き、入り口付近にいた女子に話しかけた。

「あの、もしかしてこのクラスに川崎ジロウっているかな?」

「川崎ジロウ? ああ、金星君の友達? 金星くーん! 友達来てるよー!」

 女子は教室の奥に向かって叫んだ。教室の中からは沢山の笑い声とともに叫び声がかえってきた。

「だからオレを金星と呼ぶな! やつらは敵だ! おお、ハジメ! ハジメじゃないか!」

 ハジメは今すぐに逃げ出したくなったが、残念ながらジロウがハジメのもとに駆け寄る方が早かった。

 教室の中からは「金星仲間?」「金星に友達いたんだ」「金星人?」などと話し声が聞こえてくる。ハジメはジロウが初日から自己紹介で『何かやらかした』ことを察した。そしてジロウと同じクラスではなかった事に感謝した。ジロウはクラスから聞こえる声などおかまいなしに、ハジメをつれて歩き出した。

「どこいくんだよ」

 ハジメが質問するとジロウは笑顔で答えた。

「とりあえず、オレたちにはまだ仲間が必要だ。少なくとも、ベースとドラムだ。それをどうするか会議が必要だ。どこかで話そう」

「なるほど」

 まずハジメは、ジロウが何を考えているにせよどうやらバンドを組もうと考えているのは間違いないらしいことに安心した。よってもちろんこの提案にはハジメも賛成だった。ギターと一緒に買って熟読した教本にも、上達への一番の近道はバンドを組んで活動することだと書いてあったからだ。

 ジロウはすでにクラスで浮いた存在となっているようだったが、それでも貴重なギター仲間であったし、そのギター仲間がバンドを組むことに積極的なのはありがたかった。

「とりあえずオオハマ楽器にでも行くか……お、ハジメ! あれを見ろ!」

「え、どれ?」

「あれだ! あの女!」

 ジロウが指差す方を見ると、女生徒が一人歩いていた。御徒高校の制服を着て、二年生の靴箱へと向かっている。そしていちばんの特徴は、小柄な体に不釣り合いなほど大きなギターケースを背負っていることだった。

「お、ギターかな?」

「いや、あれは多分ベースだな。この学校に軽音楽部は無いはずだったな? とにかく、ベースを担いでいるということは間違いなく金星人ではない! 仲間になってくれるかもしれん! 追うぞハジメ!」

 言うが早いかジロウは靴箱へ駆け出した。

「なあなんなんだその金星人って! 説明してくれよ!」

 ハジメも慌ててその後を追った。

 ベース女生徒は二年生の靴箱から靴を履いてそのまま外へ出ると、校門ではなく校舎の裏の方へとむかった。部室として使われているプレハブ小屋が並んでいる方向だ。

 重たそうなケースを背負っているにもかかわらずベース女生徒は異様に足が速く、二人は追いかけるのに苦労した。ベース女生徒はハジメたちが追いつく前にプレハブ小屋の一つの部屋へと入っていった。

「どこに入ったか見たか?」

 ジロウが息を切らしながら聞いた。

「たしか、手前から三番目……だったかな?」

 ハジメは自信なさげに答え、おそるおそるプレハブ小屋へと近づいた。手前から三番目の部屋。引き戸の上には『映画研究会』と書かれたプレートが貼ってあった。

「本当にここか?」

 ジロウは疑いの目でハジメとプレートを交互に見た。

 ハジメが「多分」と言いかけた時、室内が明るくなったのが引き戸のすりガラスごしにわかった。中で誰かが電灯をつけたのだ。ジロウはもう一度ハジメの顔を見て、勢いよく引き戸を開けた。


 部屋の中は非常に狭かった。またお菓子のゴミやペットボトル、何に使うのだかよくわからないガラクタの山や、謎のオブジェで散らかり放題散らかっていた。

 壁には隙間無く古い映画のポスターが貼ってあり、そのどれもがすでに色あせている。床にはシミだらけの汚いカーペットが敷いてあり、その上には低い机が一つ置いてある。

 そして入り口から見て机を挟んだ向こう側に、先ほどのベース女生徒が一人、目を丸くして座っていた。身長はハジメよりも少し低く、華奢な体型をしている。制服のタイの色からは彼女がやはり二年生であることがわかる。そして何より目を惹いたのが、彼女に抱きかかえられた不思議な形のベースだった。

「な……なんですか? あ、あの……もしかして入部希望者? あの、ごめんなさい、この部、今全然活動してなくって、今年、私しかいないし……」

 ベース女生徒先輩は突然の訪問者に困惑しながらも、たどたどしく話し始めた。ハジメは直感で、彼女を仲間にするにはジロウより先にしゃべらなければならないと感じた。

「あ、あああの! 先輩、それ、ベースやってるんですよね! 良かったら、俺たちと……」

「オレたちと邪悪な金星人を滅ぼすのに協力してください!」

 ジロウが割って入った瞬間、ハジメは時間の流れがゆっくりになるのを感じた。ハジメの直感は間違っていなかった。だが無駄だった。

 机の向こうのベース女生徒先輩が困惑した表情のまま固まっている。驚いた拍子にベースを放してしまったらしい。不思議な形のベースがゆっくりと汚いカーペットに倒れ、太い弦が乾いた音を立てた。同時に、時間の流れが戻った。


「金星人……? 何? あ、映画?」

 ベース女生徒先輩は、ベースを抱き起こしながら聞き返した。その目はすでに不審者を見る目に変わっていた。ハジメは深く深呼吸して、ジロウに言った。

「ジロウ、ここは俺に任せてくれないか」

「……わかった」

 ジロウは何やら少し考えて、ハジメに譲った。

「あの、えーと、俺たち今年入学した新入生です! バンドがやりたくって、メンバーを探してたんです! それでたまたま先輩がベース持ってるのを見かけて、追っかけてきたんです!」

 ハジメは早口でまくし立てた。

「バンドか……まあベースちょっとはできるけど、でも……私そんなに上手くないから」

 ベース女生徒先輩は少し警戒を解いたらしく、苦笑いを浮かべながら言った。

「俺だって入学式の日に初めてギター触ったばっかですよ」

「え……それなのにバンドやるの?」

「上達にはそれが近道ですよ!」

「うーん……」

 ハジメは手応えを感じた。この人は頼み込めばやってくれそうだ、と、そんな気がした。ハジメはちらりとジロウの方を見た。ジロウもハジメと同様の感想をもったらしく、期待に満ちた笑みを浮かべていた。だがここでハジメがジロウを見たのにつられて、ベース女生徒先輩もジロウの方を見た。

 それがいけなかった。ジロウはニヤリと口角を上げると、ゆっくりと口を開いた。

「金星人について、お話ししましょう」


 再び、場が凍り付いた。

「まあ、座って」

 ジロウは部屋の主でもないのにハジメを座るよう促した。ハジメは言われるがままに、ベース女生徒先輩の正面に座った。ジロウはそれを見届けてから再び口を開いた。

「初めまして、川崎ジロウだ。ジロウでいい」

「あ、どうも……。鈴木ミツコです」

 ベース女生徒先輩、鈴木ミツコは名乗った。

「あ、山葉ハジメです」

 流れでハジメも挨拶をした。よく考えてみれば、最初に名乗るべきだった。

 ジロウは頷きながら二人を見渡すと、大げさな身振り手振りを交えながら話を続けた。


「この町には邪悪な金星人が潜んでいる! もう何年前からだ。やつらは普段人間とほとんど見分けがつかない。人間社会に潜り込んで少しずつ町を乗っ取る気なんだ。それは恐らくこの学校も例外ではない、金星人が潜り込んでいるに違いないんだ。だがオレはやつらの好きにはさせない! オレは奴らの弱点を知っている! 奴らの弱点はロックだ! 奴らはロックを聞かせると消えてしまうんだ! そこでオレは金星人を倒すのに効果的な曲を研究している。そしてそれを演奏するにはバンドが必要だ! そこで! あなたにもに協力してほしい! あなたは金星人ではない、なぜならベースを持っているからだ! 金星人はロックを連想する物も恐れるに違いないからだ! そこのハジメとは先日知り合い、彼はオレに協力してくれると言った! ぜひ! オレたちと金星人を倒そう!」


 ジロウはやや興奮気味に、しかし大まじめな顔で語り終えた。ハジメはここでようやく、ジロウの壮大な妄想の概要を知った。しかもその中に自分がバッチリ組み込まれていることを知ってハニワ顔になってしまった。ジロウは、ハジメが思っていた以上に狂っていた。

 ハジメはおそるおそる視線を女生徒、鈴木ミツコへと戻した。ミツコもハジメ同様ハニワのような顔で呆気にとられていた。しかし、ここでバンドの夢をあきらめるハジメではなかった。

「って、っていう設定のバンドで!」

 ハジメが慌ててこの場をなんとかしようとしたその時、入り口の引き戸が音を立てて開いた。

「今の話! 本当ですか!?」

 そこには小柄な男が立っていた。まさか金星人だろうか、ハジメはとっさに身構えてしまった。しかしその男は金星人ではなさそうだった。ハジメはその顔を見たことがあった。かれこれ数時間前に知り合ったばかりだ。

「あれ、山葉くんだ。山葉くんも映画研究会見に来たんだ!」

 小柄な男、一年A組、本田マサヨシは偶然にも、ハジメのクラスの隣の席の男だった。



「まさか偶然となりの席になった人が同じ映画ファンだなんて運命だよ! 自己紹介の時言ってくれたら良かったのに!」

 本田マサヨシは興奮気味にハジメを見ながら言った。

「いや、違うんだ。本田くんそうじゃな……」

 ハジメが言い終える前にマサヨシは今度はミツコへ向き直り言った。

「映画研究会ってそんな活動をしていたんですね! すごい! 映画みたいだ!」

「い、いや、違うの。ごめん、全然違う。そもそもこの部活……」

 ミツコが言い終わる前にマサヨシはジロウへ向き直り、きらきらと輝く目で言った。

「さっきの話、本当ですか! だったら僕も! 僕もやらせてください!」

 ジロウはひと呼吸置いて答えた。

「ああ、本当だ。丁度あとはドラムが欲しかったところだ。ええと、名前は?」

「本田マサヨシです!」

「マサヨシ。厳しい戦いになるぞ、相手は邪悪な金星人だ」

「はい! 覚悟してます! ドラムもきっとすぐに覚えます! 僕、そういうのやりたかったんです!」

「……よろしく、マサヨシ。オレは川崎ジロウだ」

 ジロウは手を差し出し、マサヨシはその手を握りしめた。

「あの……いいかな。二人とも……。聞いて。ちょっと」

 ミツコが立ち上がり、二人の握手を強引にほどきながら言った。そして場に飲まれまいとしたのか、意外なほど冷静な、ゆっくりとした口調で話しを続けた。


「まだ私、やるなんて一言も言ってないのに話進めないで……。まあ……バンドは考えても良いけど……その設定でやるのはちょっと、正直恥ずかしい……かな。あとそっちの、マサヨシ君だっけ。映画研究会なんだけど、去年いた三年の先輩が卒業しちゃって今は私しかいないし、私正直あんまり映画わからないのよ。だから……全然活動してないの。もともと私が入った時にはもう、たまに映画見るだけの集まりで、撮影とかする部でもなかったし。昔は撮影とかもやってたらしいけど。そっちの二人も別に……入部希望者ってわけじゃないみたい。なんか、変なバンドのメンバー探してるだけって……。ごめんね、まあ入部はかまわないけど」

「そうなんですか……」

 マサヨシは少し残念そうな顔をして言った。ミツコの話を聞いて冷静になったのか、いくらか落ち着いていた。そこへジロウが割り込んできた。

「まて、設定とはなんだ設定とは。あんなに話しても信じないのか!」

「ひっ……な、何を言ってるのかちょっとよくわからないけど、だって宇宙人が音楽で死ぬとか、『マーズ・アタック!』のパクリじゃない。それか……『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』か……」

 ミツコが壁のポスターを指差しながら言った。それぞれ脳みそ丸見えの宇宙人と、凶悪な顔をしたトマトが描かれている。

「十分映画詳しいじゃないですか!」

 マサヨシがミツコを見て再び目を輝かせた。

「卒業した先輩に見せられたのよ……。トマトの方は死ぬほどバカみたいだった」

「あの映画は真実を知った者達による警告だ! あとなんだ、そのトマトなんとかって」

 ジロウが声を荒げた。ミツコはジロウを無視し、ハジメを見て言った。

「あの……ハジメくんだっけ、ごめんね。バンドはいいけど私ちょっとこの人とやるのは……」

 ハジメの脳細胞がこれまでの人生で最も活発に働き出した。夢だったバンド結成、それが目前まで迫っている。ギターにベース、おまけにドラムの候補までトントン拍子で見つかった。しかしこのままでは妄想狂のスーパー妄想のせいで、運良く見つけたベース担当を取り逃がしてしまうだろう。ここを乗り切れるかどうかはハジメにかかっている。ハジメは覚悟を決めた。

「待ってくださいミツコさん! ジロウも、ちょっとここは俺に任せて!」

 ハジメの言葉に、ジロウは渋々頷いた。しかしそうは言ってもハジメに策などなかった。ほんの少しの沈黙の後、ハジメは堰を切ったように一方的に話し始めた。

「あの、俺もジロウの言ってる金星どうのこうのはサッパリわからないんですけど、俺、高校生になったらギターはじめて絶対バンドやりたいって思ってて、今その夢が叶うかどうかの瀬戸際なんです! 俺はまだ始めたばっかりだけど、これでもジロウはギターめちゃくちゃ上手くて、とにかく! お願いします! バンドやりたいんです! 力を貸してください! 試しに少しの間だけでもいいから! それでもダメだったらその時はあきらめますので!」

 ハジメは頭を下げながらまくしたてた。ほとんど力押しの交渉だ。結局ハジメはこれしか思いつかなかったのだ。ハジメは恐る恐る頭を上げ、ミツコを見た。

「うーん……じゃあ……サ、サポートメンバーってことでいいなら……正式メンバーは絶対嫌だけど」

 ハジメはジロウと顔を見合わせた。ジロウは口角を少し上げて笑い、頷いた。ハジメはもう一度ミツコへ向き直り、なんども頭を下げた。

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

「も……もういいよ、頭下げないで。なんか恥ずかしいから……。変なことあったらすぐ抜けるからね。あと、マサヨシくんはドラムできるの? あともしかしてだけど、その人言うこと真に受けてない?」

 ミツコはジロウを指差しながら壁のポスターに夢中になっていたマサヨシに問いかけた。

「は、はい!」

 急に話をふられたマサヨシは振り返ってよろめきながら答えた。

「ドラムはやったことないです! ジロウさんの話は、僕は信じますよ! 僕こういうバカみたいな話大好きなんです! わくわくするじゃないですか! ドラムはやったことないですけど、バンドって楽しそうじゃ無いですか。僕、映画研究会があるからこの学校にしたんですけどそれも無かったし、せっかくだからバンドやってみたいです!」

「うう……ごめん。それを言われたら責任感じちゃうな……」

 ミツコは語っているマサヨシのキラキラした目を見てばつの悪そうな顔で視線を泳がせていた。

「よし、これでひとまずバンドとして活動できるな! ジロウ!」

 ハジメは興奮気味に言った。奇妙な経緯ではあったが、何はともあれ一応は無事に夢であったバンドを組む事ができたのだ。

「ああ、仕方がない、この際金星人のことは今は良い。すぐに信じられないのも無理はない話。だが、いずれお前達にも信じてもらうさ。今は、仲間になってくれたことに感謝する」

 ジロウも満足げに頷いた。

「そうだ! バンド名! バンド名決めようぜ!」

 ハジメは大はしゃぎで中央の机にノートとペンをぶちまけた。

「私は……サポメンだし、なんでもいいよ」

「金星人殺し隊だ!」

「金星人殺し隊はちょっと」

「何が不満だ」

「もっと格好いいのがいい」

「私もなんでもいいけど金星人殺し隊はちょっと……」

「そうですね……じゃあ、山葉くんは何かありますか?」

 マサヨシがハジメに尋ねた。ハジメはこの質問をずっと待っていた。バンドを組む事を夢見た中学生の日から、密かに暖め続けていたバンド名をようやく披露するときがきたのだ。中学時代のハジメが考えた、ユーモアとインパクト、そして何より格好よさを兼ね備えたバンド名を披露するときが今きたのだ。ハジメはノートにデカデカと擲り書きながら発表した。


「ザ・ブラックマンドラゴラ」


「無いな」

「なんだか駄菓子売り場にありそうですよね」

「ハジメくんはまともだと思ってたんだけどな」

「オレはハジメを買いかぶりすぎていたのかもしれない」

「僕、ちょっと吐き気がします」

「サポメンやめようかな」

 五寸釘のような鋭さの言葉が数本飛び交い、ハジメの精神を砕いた。

「わかった、わかったから、無しでいいからもうやめてくれ」

 ハジメは震える声で懇願した。反論する気など起こらなかった。バンド結成から数分で早くもハジメはくじけそうになっていた。


「ヴィーナス・アタックってどうでしょう」

 マサヨシが壁の映画ポスターを見ながら言った。『マーズ・アタック』という映画のパロディのつもりらしい。

「良いな、マンドリルよりずっといい」

「マンドラゴラだ……」

「ヴィーナス・アタックねぇ……」

「そうだな……こうしよう」

 ジロウはくじけているハジメからペンとノートをひったくると、でかでかと『ヴィーナス・アタック』と殴り書き、くじけているハジメに目をやった。そしてハジメの提案した悪趣味なバンド名から取って、頭に大きく『ザ・』と付け足した。

「ザ・ヴィーナス・アタックでどうだ」

「ザ……」

 その心地よい響きがハジメの心に反響していった。

「いいじゃないか! な! ザだよザ……これだよ! いいよな、ザ! ロックバンドといえばザだよな!」

 ハジメは立ち上がり、ジロウからノートをひったくって眺めた。


『ザ・ヴィーナス・アタック』


 ハジメは元ネタの『マーズ・アタック』を見たことはなかったがそんなことは気にならなかった。これが自分たちのバンド名、そう思うとハジメはなんだか誇らしくなってきた。

 自分はザ・ヴィーナス・アタックのメンバーである。心の中でそう唱えると嬉しくてたまらない気持ちになった。マンドラゴラはもうどうでもよくなった。名前がついたことで、夢が輪をかけて具体的にハジメの前に姿を現した気がした。

「よっし! 早速練習の計画を立てよう!」

 すっかり立ち直ったハジメはノートの次のページを開き、数本の縦と横の線を引き、数週間分のカレンダーをこしらえ始めた。すると突然、ジロウが神妙な顔で立ち上がった。

「待ってくれ、その前に皆に話しておく事がある」

 ジロウは三人が注目したことを確認すると、話を続けた。

「……本当にありがとう、ずっと一緒に戦う仲間が欲しかった。しかし、これでお前たちも危険な目に遭うかもしれない。信じられないかもしれないが、よく聞いてくれ。人間に紛れた金星人に目をつけられたら、一人になったところを襲われたりするかもしれない。金星人を倒せる音楽が完成する時まで、行動には気をつけてくれ。これは冗談じゃない」

 ジロウは神妙な顔のまま話し終えた。

「あー、ありがとうそうするよ」

 ハジメとミツコの、抑揚のない二つの返事が重なった。

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