第15話

 こうして、私の同居生活が初まった。葵君は庭とこの家の手入れに精を出している。城太郎君はすぐに近所の喫茶店でアルバイトを始めた。大学になるまでは禁止だったアルバイトを頑張ってるみたい。もちろん食事の当番も掃除の当番もこなしつつやっている。まだ、大学生じゃないのに。

 二人が頑張っている傍ら、私は何を頑張っていいのかわからないままだ。まだ初まってもいない大学生活を頑張るわけにもいかず……そして、心が固まらないまま尚也とのメールも続いている。これじゃあ遠距離恋愛と変わらない。電話がかかってきて今日の話をする時もある。メールの返信が早いと尚也は電話をかけてくる。暇な私達はなにってこともない話をして過ごしている。いいんだろうか? 私の心は? 尚也の優しい手を思い出す。くしゃっと私の頭を撫でてくれた大きな手を。尚也は背の高い方ではない小柄で細い体格だった。だけど手は思っていたよりもずっと大きく温かだった。熱があるから私の方がずっと熱いはずなのに。尚也……。引き出しからまた写真を引っ張り出して眺めていた。整った顔に長いまつ毛。目は大きく人懐っこい。可愛いな……尚也……。

 コンコン


「遥。お昼にしようか?」

「あー。うん」


 葵君が突然ドアを開けるわけじゃないってわかっていても、つい慌てて尚也の写真を直してしまう。

 ガタッ


「いたー!」


 思いっきり引き出しに指を挟んでしまう。後ろめたいからつい急いでしまう。


「遥? 大丈夫?」

「うん。大丈夫。ちょっと指を挟んだだけだから。今行くね」


 きちんと写真を引き出しにしまい、立ち上がる。好い加減この状態にも慣れないと。ん? 尚也に返事をしないと……か。

 ドアを開けると心配そうな葵君がこっちを見てる。

 私は挟んだ指を見せて言う。


「ほら、大丈夫でしょ?」

「でも、少し赤いよ。冷やした方がいいよ」


 と、私の手を取りじっくり眺めて葵君は言う。今日も城太郎君はアルバイトに行っている。毎日毎日働き過ぎじゃないのかってぐらい。


「ほら、遥。指を冷やそう」


 葵君は私の手を取りキッチンに向かう。氷と水を袋にいれて指を冷やしてくれる。なんだか後ろめたい気持ちでいっぱいになる。葵君は私の向かい側で椅子に座り私の手と氷と水の入った袋を持って挟んだ指を握り締めてる。あ、ん、ちょっとなんだろうな。恥ずかしい。指の具合を見てるからかまつ毛が長いのがよく見える。真剣な顔に長いまつ毛。すっと通った鼻筋。葵君は背が高い。ゴツイっってほどではないけど尚也よりもがっしりしてる。ちょうど葵君と尚也の中間が城太郎君だ。背も間ぐらいだし肩幅も真ん中ぐらい。……って私なに考えているんだろう。


「もう、大丈夫だよ。ありがとう。葵君」

「そう? もう冷たいか」


 そう言って手を離したかと思ったら、握ってない方の手で私の手を握り返してきた。


「あ」

「ん。冷たいな。もっと早く言ってよ。すっかり冷たくなってる」


 と、袋を置いてそっと両手で包んで温めてくれる。葵君の優しさがふんわりと伝わってきた。


「ん。ごめん。ありがとう」


 そっと優しさに包まれる。温かな空間。まるでこの家みたい。穏やかな優しい時間。


「そうだ。ご飯だ。今日はなんだろうね?」


 つい葵君の優しさに甘えてしまう。そっと手を抜きキッチンを眺める。今日のお昼は城太郎君の当番だ。毎日のように家事をしていただけのことはあった。料理も掃除も上手だった。手際もいい。喫茶店もその腕をさらに磨きに行ってるとしか思えない。この辺で美味しいと評判の喫茶店に、わざわざ葵君に聞いてバイトしてるんだから。

 今日はオムライスのようだった。メモが冷蔵庫にあった。『卵ぐらいは自分でお好きに!』乱暴な書き方だけど、私が卵はフワフワの半熟が好きなのを知っていて書いてるんだ。一度私がテレビを見ていた時にオムライスの卵はフワフワがいいと言ったのをきっと覚えていたんだろう。


「城太郎らしいね。俺がしようか? 指まだ痛むだろう?」

「自分のぐらいはできるよ」


 そこまでは甘えられない。だいたい暇人なのは私だけなんだから。



 もうすぐ入学式があり、大学生になる。まるで実感はないけれど、庭のチューリップが教えてくれる。もう新しい生活が始まってるんだと。

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