ぬいぐるみは見た! 「花嫁の父」

西山香葉子

第1話

 午前8時。

 新しいご主人が、どよよんとした雰囲気で出勤していった。

 相当堪えてるなあ。

 僕だってご主人に置いてきぼりにされた身なんだから、自分だけだと思わないで欲しい。主のいないご主人の寝室に置かれているんだし。

 思わないで欲しいのだが、そうは感じてくれないんだろうなあ。

 僕は、テディ・ベアのぬいぐるみ。


 皆さんこんにちは。

 ぬいぐるみが語り手を勤めるこのシリーズに、そろそろ慣れてくださった頃でしょうか。

 ということは、僕たち語り手のぬいぐるみが、持ち主を「ご主人」と呼ぶことが多いのも、ご存知ですね?

 では、そういうおなじみの皆さんは、「ご主人」に「新しい」「古い」があるのを不思議に思ったのではないでしょうか?

 それにはわけがありまして。

 この家には、娘さんがいたんです。

「新しいご主人」のお嬢さん。

 彼女が本来の、僕のご主人なわけですが、先週、結婚してしまったんです。

 お父さん(「旦那さん」と呼ぶか)はそのせいで、寂しさを大爆発させているわけです。

 ましてこのひと、悲しいことに奥さんを、15年前に亡くされているのです。

 僕は25年前のお嬢さんの誕生と同時に、旦那さんの妹さんに連れられて、お嬢さんの遊び相手としてやってきた。

 いつも見てきた。

 小さかったお嬢さんの前に座らされてままごとをした時はもちろん、幼稚園時代にお店やさんごっこで僕がマスコットをやらされた時も(さんざん売り物と間違えられた)、実はやんちゃでよく怪我をしていたことも、まだ10歳なのにお母さんが亡くなってしまった時も、ものすごい顔をして試験勉強をしていた時も、旦那さんの留守にこっそりボーイフレンドを連れてきてキスしていたことも、知ってる。

 夫になったひとをはじめて連れてきた時は、お嬢さんは終始ニコニコしてたのに、彼が帰宅した後旦那さんはこっそりすすり泣いていた。

 25年で僕はけっこうボロボロになった(何度もクリーニングはした)。

 お嬢さんは、赤ちゃんだったのがすっかりキレイな娘さんになった。

 旦那さんは背が高くてそこそこいい男だったんだけど、すっかりやせちゃって、がっくり老けた。まだ50歳そこそこなのに、なんとなく背中が曲がっているような気がする。

 しかし、どうも心配だ。

 

 よく晴れた日曜日。

 旦那さんは、洗濯物を干し始めた。

 僕がいる部屋の窓も開いていて、外の良い空気が入ってくるが、旦那さんが半分くらい干した時に、びゅうっと風が吹いてきた。

 それによって僕は、置かれていた棚から落ちてしまった。

 少し時間が経った後、旦那さんが洗濯籠を持ってやってきた。

「おまえか……」

 旦那さんは、空いている方の手で僕を拾うと呟いた。

「そうか……理沙が生まれた時からこの家にいるんだもんな」

 旦那さんは僕を持って歩きながら、

「後で酒に付き合ってくれよ」

 と言って、階段を降りていき、テーブルに僕を置いた。


 今日の夕食は、カレーライスに、スーパーで買ってきた千切りキャベツを使ったサラダに、ビール。ビニール袋を破く音がしたからね。

 サラダの隣に僕は置かれてる(汚れないか不安)。

 旦那さんは、手酌でビールを注いでぐっと飲むと、僕を見て、

「おまえも理沙に置いていかれたんだよなア……」

 また手酌でビールを注いで飲んだ。

 本当に大丈夫かなあ。

「小さい頃は理沙のままごとの相手してたよなあ……」

 子煩悩なんだなあ。

 よく見てる。

「寂しいのは俺だけじゃないんだよな……」

 よく考えたら、僕を相手に酒を飲んでいること自体、ひととして危ないのではないかと当の僕は思う。

「これからよろしくなあ……」

 旦那さ~ん……。

 僕で良かったら聞いてあげるけど、ひとはひとでしか救われないよ? 僕は相槌を打つことも、自分の気持ちを旦那さんに伝えることも出来ないんだからね。


 僕が、どうにも旦那さんが心配でならなくなっていた次の週の土曜日に、お嬢さんが新郎と、お土産をいっぱい持って現れた。

 彼は、旦那さんの若い頃に似た雰囲気のひとだ。

「スコッチウィスキーと、シャンパンと、靴ね。靴は玄関に置いといたから」

「おう」

「シャンパンはクリュグの83年ものだよ」

 クリュグ・クロ・デュ・メニルというんだって。

「わかんねえよ」

「選んでくれたのよ、ね?」

 と言ってお嬢さんは、うっとりと新郎を見上げた。

 新郎は微笑みを返す。

 旦那さんは困ったかのような笑い方をしていた。


 泊まっていくことになったふたりは、お嬢さんの部屋に泊まることになった。僕の部屋でもある場所だが。

 新郎がお風呂に入っている間、

「ねえ、おまえさ、お父さんのことよろしくね」

 僕だって心配なんだよ!

「お父さん脆いからさ、あたしに隠れて恋人つくるなり趣味でも持ってりゃいいんだけど、それもないみたいでさ」

 ……。


 翌朝、お嬢さんは言った。

「お父さん、これからこの子玄関に置きなよ。そして『行ってきます』とか『ただいま』って言うの。挨拶するものがあると違うと思うんだ。

 それで、おまえはあたしが帰ってきたら玄関で迎えてね。

 おまえとお父さんがいるところがあたしのふるさとなんだから、ね?」

「僕と旦那さんがいる場所がふるさと」か。

 言ってくれるよなあ。


 こうして僕は今、玄関に置かれている。


 ある日、旦那さんは、えらく遅い時間に鼻歌を歌いながら帰ってきた。

 素敵な出逢いでもあったかな?

 いいことです。

 僕はみんなに幸せでいて欲しいから。


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ぬいぐるみは見た! 「花嫁の父」 西山香葉子 @piaf7688

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