菫色の思い出

 恋なんて、頭が花畑な奴らの現実逃避だと思っていた。


 目に見えないものを信じて、口にして、幸せを演じることで不幸から目を背ける。そうして互いを利用し合い、心に空いていた虚しさを愛という偽りで自分さえ騙し埋めていく。


 そういった下らないモノが恋愛なのだと、僕はそう思っていた。


 僕の隣に、彼女が現れるまでは。


 話しかけてくれることも、僕の方を向いてくれることもない。それでも、隣にいる彼女は星みたいで、綺麗だったんだ。


 隣にいる、といっても僕らはそれぞれの役目を果たし、休み、それを繰り返すだけ。それだけだったが、僕は彼女の声を聞きたいと、彼女と話がしたいと思うほど彼女に興味を抱いていた。


 これが世間一般の恋心と同じかはよく分からない。しかし僕はこれを恋だとすることにした。今まで他人に興味などなかったのに、役目を終えたら彼女ばかり見てしまう。これが恋でなかったらなんだと言うのだろう。


 僕と彼女は役目を入れ違いで行っていた。僕は休んでいる時、いつも彼女を見ていた。彼女は……休んでいる時に何を見ているのだろう。僕が役目を行っている時は、何をしているのだろう。


 気になりはしたけれど、だからと言ってその疑問はどうにもならないものだから、すぐに頭の中から取り去る。


 僕は星のような彼女を見られれば、それでよかった。



 それで、よかったのに。



 彼女は主人の都合で、別の女性と取り換えられた。僕は何も出来なかった。


 無力だ。無力という言葉はきっと僕みたいなモノの為にあるんだろうなと、彼女のいた方へ目をやる。そこにいるのは、当たり前だけれど彼女じゃない。


 溢れ出す悔しさに、手を握りしめることすら出来ない。悲しさに涙が流れることもない。


 僕に手があったなら、連れて行かれる彼女を引き止めたかった。


 声が出せたなら、叫んで、喚いて、止めることが出来なくてもいいから、ずっと抱いていた思いを彼女に伝えたかった。


 ああ、そうだ。仕方がない。だって『僕ら』は初めからそういうものじゃないか。


 ただ観賞されて、干渉されて、やがては散ってゆくだけのもの。


 心があっても、思いがあっても、誰にも何にも届かない。けれど、感情を表に出すことも人為に抗うことも許されないのなら、思いは何のためにあるのだろう?


 この気持ちの名称は何なのだろうか。悲しいとか辛いとか悔しいとか、そういうものじゃないような気がする。ああ、なんだろう。わからない。


 心に形があったなら、今どんな形をしているだろうか。


 僕に顔があったなら、僕はどんな顔をしているだろうか。


 ……笑っていたいな。笑おう。笑い方なんて分からないけど。笑うんだ。そして、声を出すんだ。声の出し方も分からないけど、出すんだ。あの道の先に消えた彼女に、届くくらいの声を。




 ――ねぇ、『桔梗』。星のように咲いていた君は、美しかったよ。




 …………。


 届いたかな。僕の願いは、神様に届いたかな。今の声は、彼女に届けられたかな。


 ……もう、終わりにしていいよね。


 桔梗色で彩られた記憶も、桔梗へ募らせた思いも、何もかも無くしていいよね。


 仕方ないよ。


 もう僕は、散る時が来ちゃったんだから。

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