第65話 ランサムはいつもそこにある

 八回の表が始まるに際し、先頭のオウカは違和感を覚えていた。

 “何かが可怪しい”、そう思った。


(何故でござる……何故、どうして……)

 バッターボックスに向かいながら、尚も消えぬ不自然な感覚。

(何故……勝とうという想いが湧いてこない!!)


 こんな事は初めてだった。

 どんな時でも常に勝利を目指してプレイしてきた。

 雨の中でも、主力が抜けた時でも、点差がどんなに開こうと、闘争心は失わない。

 しかし今は、この同点の終盤に於いて、打ちたい、勝ちたいという想いが湧いてこない。

 有り得ない事だった。しかし原因が分からない。




 それから、暫く経って。

「……? また、投手交代でござるか?」

 一度はマウンドまで来た相手投手・インガラーシが、ボールを置いてベンチへと下がった。

 そして、そこへ。

 そのマウンド上へ。眩い光と共に、一枚の旗が天空より降りてきた。

「あれは……」

 それを見たオウカは、全てを悟った。

 自分の闘争心が消失した理由も、ソーン皇帝が最期に何を仕掛けたかも、そして自分達の運命も。

「神の旗…………“ペナント”!!」

 その三角形の旗はマウンドにひらりと降り立つと、直視不能なまでに光を強くしながら、その姿を変えていった。


 時間にして数秒――。

 光が収まりマウンドを見ると、そこに居たのは、背に白翼を持った天使だった。

 中性的な顔立ちにして、輝く銀髪。古代人の様に一枚布を身体に巻き付けた服装。

 天使、というのはそう形容するのが最も適しているように思えるからで、実際の種族はわからない。

 神、とするのなら、神である事をも受け入れてしまう。そんな存在感だった。

「争いを――止めるのです」

 そして発せられたその声はなんと――なんと美しい事か。

 魂を直接揺さぶり、そして永劫の安らぎの中へと誘うような、聞く者全てを心地良くさせる穏やかな、穏やかな声だった。


 それがペナントだった。

 野球とは、このペナントという名の天使を奪い合う為の戦いに過ぎない。

 この力があれば、誰も抵抗は出来ない。

「争いを止めるのです、皆さん。私は憎悪や殺意、恨み、恐怖や怒り……その様な“野球”にあってはならない醜い感情を察知し、ここに舞い降りました」

 天使――ペナントはグローブを左手に、そして右手にボールを持った。




 気が付けば、プレイのコールは告げられていた。

 ペナントの投球は、何という事もない。まるでアイドルの始球式のように緩やかであるが、しかしボールはストライクゾーンにまでノーバンで届いていた。

 オウカは、バットを振るという行為が出来ない。

 それは投手であるペナントに逆らう行為であり、逆らう為には闘争心が必要である。だが、ペナントの光により“争う心”は抑えられている。

 殺意も怒りも欲望も、バット一本で栄光を掴み取ろうとするその想いは消し去られていた。

 故に、何もする事が出来ぬまま三振、凡退となった。


 ベンチに戻ったオウカを、誰も責めはしない。

 命ある存在である限り、それは当然なのである。

 ペナントとは絶対神の作り出した、生命、精神、心を、あるべき姿――即ち争いのない、平和で優しい世界へと変貌させる力。

 神の創りたもうたその装置に、命ある存在は従うしかない。

 この世界の、命ある存在は――――。






 ――この世界に、命ある限り――






「ラン……サム…………」

 ――声が聞こえた。

 聞き覚えのある、だが酷く無機質な声だった。

「……ここは……?」

「ランサム……キミノ生命エネルギーハ尽キテイル……ダガ…………」

「君は……確か」

「ダガ……僕ノ与エタ機械エネルギーハ……マダ残ッテイル筈…………」

「野球マシン、オーターニ……!! どうして……?」

「コノママデハ……野球ガ変ワッテシマウ……タトエ世界ガ平和ニナッテモ……ソンナ世界ニ意味ハ無イ…………」

 ランサムは、自分が死の中にいる事を知っている。

 自分はもう、何者でもないのだと。

「ランサム……君ニシカ出来ナイ……モウ一度……バットヲ……」

「何を言っている? オーターニ……! 僕の役割はもう終わった、僕に出来る事はもう何も……」

「出来ル……出来ルンダ……誰ヨリモ誇リ高キ君ナラ……」




 大量破壊マシーンオーターニ――

 古代人は何故、オーターニを作り出したのか。

 古代人は野球の力を知っていた。そして、野球選手の力も。


 そして、古代人達は自分達の“野球力”が失われる事を恐れた。

 いつか神が降臨し、繁栄を謳歌する自分達を滅ぼしに来るのではないか。それを恐れていた。


 “生命ある存在である限り、神には逆らえない”


 古代、既に神の創り出したペナントの存在は知られていた。

 それが戦争だけでなく野球の為に必要な闘争心すらも奪うであろう事も、知られていた。


 “感情の無い機械ならペナントに逆らえるのではないか”


 古代人達はそう考えた。


 ある者は投球する機械、ピッチングマシーンを作った。

 ある者は走塁補助機械、モーターバイクを作った。

 ある者は電波により生物を支配するロボット、ペッパー君を作った。


 近代に於ける戦車や人造野球人も、その流れを汲んでいると言える。


 そしてある古代人は、野球用大量破壊マシーンオーターニを作った。


「僕ノ力ヲ使ウンダ……ランサム……」

「オーターニ……」

「ランサム……コーディ・ランサム…………ランサム……ランサム」

「……」

「…………ランサームランサーム……」

「この歌は……いつか君も聞いた歌……」

「レツゴーコーディ・ランサーム……オーオーオーオーオー……」

「覚えていてくれたのか、オーターニ……僕の応援歌を……」

「ゴーファイランサム、ゴーファイランサム……」

 それはなんと魂を揺さぶるリズム、全身を震わすメロディ……。


 ゴーファイ!ランサム!ゴーファイ!ランサム!ゴーファイ!ランサム!ゴーファイ!ランサム!

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム!

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム!




 そして、叙情的で深い歌詞……。




 ゴーファイ!ランサム!ゴーファイ!ランサム!ゴーファイ!ランサム!ゴーファイ!ランサム!

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム!

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム!




 今や国連の公式ソングともなった世界的な楽曲。




「オーターニ……」

 気づけばランサムの頬を、涙が一筋。

 あぁ、なんと心に染み渡る。応援歌とはかくも良きものか。

「ありがとうオーターニ……ありがとう!」

 死んでいた筈のランサムの肉体に、力が戻ってくる。

「僕は! まだ! 野球が出来る!!」


 ゴーファイ!ランサム!ゴーファイ!ランサム!ゴーファイ!ランサム!ゴーファイ!ランサム!

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム!

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーコーディランサム ランサム ランサム レッツゴーコーディランサム オオオオオ

 レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム レッツゴーレッツゴー レッツゴーランサム!



「うおおおおおおおおお力が!! 漲ってくる!!!」

 ランサムは感じた。その歌から底知れぬ力を。

 そしてそれが自分の力になっていくのを。






「ハッ!!」

 気が付けばランサムは、商業施設の屋上、青空の下に立っていた。

 だがあれは夢ではない。身体中に漲る力は、紛れもなく本物だった。

「よし……行こう! 僕の……最後の打席だ!!」

 ランサムは球場を見た。試合は今この瞬間も進んでいる。

 地上に降りる事なく、ランサムは跳躍。

 その超人的な跳躍力で、直接球場まで跳んでいった。






 ――あの時。


 ツツーミ王国ケーニッヒドームの天井が崩落した時。

 外野グラウンドに迷い込んでいた一人の幼女。もう助ける事は出来ないと、誰もが思っていた。


「我ガエネルギーヲ、使ッテクレ……ソシテ、彼女ヲ……」


 大量破壊マシーンである自分が、何故そんな事を言ったのか。そんな行動をしたのか。それはわからない。

 ただ、助けたいと思った。

 野球は破壊するだけの競技ではない。誰かを助ける事も出来るのだと、そう信じたかった。

 それがAIのバグなのか、プログラム通りの挙動だったのか、もはや知る術はない。


 ただ一つ確実な事は。

 あの時ずっと、コーディ・ランサム応援歌が回路上を流れ続けていたという事。




 ――ありがとうランサム――



 ――僕に心を与えてくれて――




 それは、古代人が生み出した狂気の産物。

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