第23話 果てしなきランサムの中で

 オーサーカ侯国オリエンタルバイソンズ。選手達と大貴族は侯国中央病院に集まっていた。

 敗戦を目の当たりにしたミーヤウーチ侯爵が高血圧で倒れ、運び込まれていたのである。

 集中治療室で秘術の限りを尽くされる侯爵。それを待つ間、選手達と大貴族の胸に去来する自分達の不甲斐なさ。

「なんと情けない!!」

 誰かが叫んだ。

 皆の気持ちも同じである。ランサム一人にいいようにやられた。尊敬すべき侯爵をここまで追い込んだのは紛れもなく自分達なのである。


「!」

 治療室の扉が開き、執刀医の白魔道士が出てきた。彼が口を開くよりも早く、先発ピッチャーのチヒローが詰め寄った。

「侯爵は!? 侯爵は無事なのか!?」

 長い黒髪が振り乱れる勢いだった。

 猫系亜人種のチヒローは侯爵直属ではない。ある大貴族がスカウトした選手である。しかし、猫系特有の尻尾の故障が発覚し入団は一時白紙となった。そんな折、その大貴族に獲得を強行させたのは他でもないミーヤウーチ侯爵であった。

「尻尾は投球には関係ない」

 そう言って反対者達を説き伏せたという。

 チヒローは侯爵に恩を感じている。しかし、恩を返したくも貴族の派閥の中で身動きが取れないでいた。

「……侯爵は無事です。しかし、弱っている事もまた確か……」

「……!」


 侯爵は病室へ移された。

 心配する選手達も、ベッドの周りに集まっていた。外の廊下にまで見舞いの選手達がいる。

「こ、侯爵……」

 呼吸器をつけられ、見るも弱々しい侯爵。誰もが最悪の事態を脳裏に浮かべずにはいられなかった。

 と。

「…………な……何をしている……」

「侯爵!!」

 弱々しい声だが、侯爵がしゃべった。

「れ……練習に戻れ…………ランサムを……打ち取るのだ…………」

 それだけ言うと、侯爵は意識を失った。

「いけない! 皆さん、すぐに病室を出て!」

 執刀医が追い立てる。

 誰だって侯爵の事は心配だった。普段は反目しあう貴族達や選手達、本気で無事を願っていた。しかし、そこは誇り高き、そして非情な世界で生きる野球人。侯爵の意志を汲み、病室を後にした。

 チヒローを除いて。

「貴女もすぐに……」

「……」

 侯爵は、僅かながらに意識を取り戻していた。

「ありえない……白魔道学の常識を超えている……!」

 なんという強靭な意思。これが大貴族達を束ね上げるミーヤウーチ侯爵か、執刀医は驚嘆を隠せない。

「…………チヒローよ……」

 そう言って侯爵は、ベッドの中からグローブを取り出し、そしてチヒローに差し出した。

「侯爵……」

「……勝つのだ……必ず……」

 チヒローはグローブを受け取った。新品のグローブである。

 湯もみは必要ないだろう、既に涙で濡れている。

「貴方の為にも……必ず勝利します! 必ずやランサムの飛球をこのグローブに収めてみせます!!!」






 先発チヒロー。

 もはや派閥などは意味を持たない。勝利の為、最善を尽くすのみであった。

 三連戦三戦目。

 一回表ツツーミ王国の攻撃だが、3アウト取られるまでもなく気が付いていた。相手のエースチヒロー、気迫が違う。直球は走り、変化球はキレ、コントロールは冴えていた。

(マズいぞ……あんなのランサムくらいにしか打てない!)

 第一打席を呆気なく打ち取られ、アサミラは思った。しかしランサムはランサムで、外野のバハムートによりホームランが封じられている。

 対してツツーミ王国先発、中四日のユーセー。

 継投での逃げ切りを想定していたツツーミ王国、それが難しい事を思い知らされた。

「大丈夫……私が、完封するから……」

 ユーセーはズレた眼鏡を直しながらマウンドへ向かう。

 少女の華奢な双肩に、ランサムは悲壮な覚悟を見て取った。

(完封……完封と言ったのか。しかしどうだ僕の打撃は。彼女を援護出来るのか……!)

 サードの守備に向かいながらランサムは思った。投手が熱い想いで投げるならば、野手はそれに応えなければならない。

 ニ回表の先頭は自分、ランサムには解っている。


 ――打たねばなるまい。


 スラッガーとして生きる者に課せられた責務。四番にいるという事は、究極的には打率が十割でなければならない。

 余人は言う、それは不可能であると。余りにも非現実的な目標であると。しかしコーディ・ランサムが自らに与えたハードルは果てしなく高い。




 ユーセーは不安定ながらも初回を0に抑えた。

 22球を費やしていた。相手のバッターが、いつにもなく粘る。なんとしてもボールに食らいつく、そんな気迫がヒシヒシと感じられた。

 そしてランサムの第一打席。

 初球のストレートを見送り、

(これは……!)

 容易ならざる球である事を感じた。


 そして対するチヒロー。

(ランサム……私はお前が嫌いだ)

 そう思っていた。


 かつて、不調に陥った事があるチヒロー。

 相手には打ち込まれ、防御率は悪化、思うような投球が出来ない時期があった。心は荒れていた。

 そんな時だった。

「チヒロー」

「侯爵!? 何故ここに……」

 練習場で投げ込んでいたチヒローの元に、侯爵がやって来た。

 お供も連れず、一人だった。

「私とて野球を愛する一人の男。試合だけじゃなく、練習風景にだって興味はある。それも、贔屓選手の練習なら特にな」

「……!」

 侯爵の言葉に、猫耳がピンと立った。

 同時に、自分の不甲斐なさがこの上なく恥ずかしくなり、俯いた。

「お言葉ですが侯爵、私は今思うような投球が出来ていません……チームに……そして侯爵にも迷惑をかけてばかりいます……」

 すると侯爵は、チヒローの頭に手を置いた。

「チヒローよ。野球とは、人生と同じ。良い日もあれば悪い日もある。だが、日々の想いと積み重ねには必ず意味がある。焦らなくてもいい、きっと君は大成する」

「侯爵……」

 やがて不調を脱したチヒロー、侯爵のあの言葉がなければ心は折れていただろう。


(ランサム、お前は凡退しない。簡単にホームランを打ち、失策などとは無縁。スランプなどなく、常に完璧なプレーをする!)

 チヒローは思う。それは侯爵の教えてくれた事と相反すると。良い時もあり、悪い時もある。だから誰もが悩み、苦しみ、努力を重ねる。一厘でも多く打ち、刹那でも速く送球する為に。

 全てを極め尽くした、完璧な野球人など居てはならない。

(だからランサム! 私は! お前の事が大っ嫌いだ!!)


 二球目、インハイのストレート。

 ランサムはバットを振り抜いた。ボールの下を擦る。

「打ち上げた!」

 キャッチャーがマスクを外し打球の行方を見る。だがそこはランサムのパワー、ボールはぐんぐんと高く上昇していった。

 そして、大きな音と共に天井に直撃した。

 一部が破壊され、天井の破片が落ちてくる。だが、ボールはそのままめり込んだままだった。

(ぐっ……)

 チヒローは悔しそうに唇を噛んだ。

 球場ルールでは、ボールがフェア地域内の天井に当たり落ちてこない場合は打者と走者に二つの安全進塁権が与えられる。

 つまり、ランサムは二塁に進む事になる。

「大丈夫だチヒロー、次抑えていこう」

 キャッチャーがそう言う。それは正論である。そしてその通りに、チヒローは後続三人を打ち取った。猫系のしなやかさを活かした牽制とクイックの巧みさに、ランサムとて盗塁が出来なかった。

(ランサム……!)

 しかし、打ち取れた訳ではない。チヒローはベンチでもまだ悔しがっていた。

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