第22話「10years」

「行ってきます」


2LDKの賃貸マンションの中で、俺の声は虚しく響いた。


「行ってくるね、キッちゃん。」


今度は少し声を落として玄関に置いているぬいぐるみに話し掛け、家を出た。


毎朝のことだが、これから絶対に俺に訪れるであろう都内の通勤ラッシュを考えたら駅への足取りも重い。


「ミーン、ミーン、ミン、ミー」


真夏のセミが、朝から元気に鳴いていた。


(お前らは騒ぐだけ騒いですぐ死ねていいなあ・・。ああ、俺は何のために生きているんだろう・・)


どうやら俺の心は病んでるみたいだ・・



・・・・・・・・・・・・・・・・


俺の予想に反して都内の電車は空いていた。


考えたら世間は今日からお盆休みだ。


世の中「絶対」なんてないらしい。

こんな予想の裏切りなら歓迎だ。


(でも、彼女は絶対浮気しているな・・)


俺は心の中で自嘲気味に笑って、初めて座れる朝の通勤電車を満喫した。


・・・・・・・・・・・・・・・・・


俺と圭子が結婚して10年が経った。

同時に真美を最後に見てから10年経ったということになる。


樋口と真美は結婚式を千葉で行ったが、引き続き名古屋で暮らしているという話を野球部仲間の佐久間から聞いた。


高校時代から社交的な佐久間は、卒業しても変わらず、野球部の同窓会的な集まりを取り仕切っていた。


俺は、樋口と真美の周りで「樋口が俺達のマドンナ取りやがって」みたいな話をしながら皆で笑う・・なんて到底できそうにないので、この10年で3回程集まりがあったが、仕事のせいにしていつも断っていた。


もっとも、樋口と真美も名古屋にいるので、1回も参加してないとのことだった。


俺は心から真美の幸せを願っていたが、それを目の前で見ると胸がしめつけられて息もできなくなることを、10年前の真美の結婚式で知っていた。


真美の結婚式から数ヶ月後、俺は圭子と結婚した。


別にやけになって結婚したわけではなかったが、真美以外に結婚するとしたら、俺には圭子しかいなかった。圭子もそれを望んでいてくれたようだし、俺は傷付けた彼女のことを大事にし、そして愛そうと思った。


だから彼女の望みはできるだけ叶えようとした。


俺は変わらず都内の出版会社で働いているが、結婚する少し前に、当時住んでいた会社の独身寮を退寮しなければいけない事件があり、また、彼女は結婚した後も「スナック圭子」を続けたいと言ったため、結婚した後、九十九里に戻ってきた。


だから、通勤には2時間位かかる。


俺は彼女の子供の頃からの夢である「スナック圭子」を奪うことなどできなかった。


もうすでに彼女の「母親になる」という夢を奪ってしまっていたのだから・・


彼女は俺の子を堕ろしたときに、子供が産めない体になった。

もちろん俺は結婚する前にそれを聞いていたが、当時は特段、子供がほしいとも思っていなかったし、益々、圭子を守るのが俺の役目だと感じるようになった。


圭子の母親の良子も孫ができないことを知っていたが、俺は自分の両親にはその事を言わずに結婚の報告をした。

きっと報告していても反対されなかっただろうが、少なからずがっかりするだろうし、圭子にも気まずい思いをさせたくなかった。


俺と圭子が結婚して2年程経ち、「そろそろどうなの」と両親に子作りのジャブを入れられ始めた頃、タイミング良くといっていいかわからないが、弟がいわゆる「できちゃった結婚」をした。


近頃は「授かり婚」なんていうらしいが、やっぱり「できちゃった結婚」の方が、俺は言い得てると思う。


まあ、子供を授かりようのない俺にとってはどっちでもいいのだが・・


ともかく、弟の尚之は職場の後輩の朋子という女性と結婚した。


朋子は子供ができない俺と圭子にとっては、大袈裟だが救世主のような存在だった。

しかし、大袈裟ではないくらい、後々の俺にとって、朋子はまさに救世主となった。


ほどなくして俺は「おじさん」になった。


弟夫婦に降りてきた天使は女の子で、名前は「希唯(きい)」と名付けられた。


希唯は一躍佐竹家のアイドルになった。


正月に実家に帰っても大して盛り上がることもなく、たわいのない世間話や近況報告などをして早々に退散するのが常だったが、希唯が生まれてから一変した。


彼女を中心に笑顔が広がり、実家に集まる回数も時間も次第に増えていった。


中でも圭子は会うたびに彼女を自分の子供のように可愛いがった。


俺には圭子が自分が堕ろした「キッちゃん」に彼女を重ね合わせているように思えた・・


両親にも希唯が生まれてすぐに、圭子が子供を産めないことを伝えた。

やはり少しがっかりした顔をしていたが、特に何を言われるでもなかった。

当然、それ以降「子作りジャブ」を受けることはなくなった。


希唯が物心がついて、よく家族みんなでテレビゲームやトランプなどで楽しんだ。俺以外の家族は希唯に勝たせるようにわざと負けるのだが、俺は全力で相手をした。


自分に子供がいないので、それが正解かわからないが、子供の頃から何でも思い通りにいってしまった方が、希唯のためには良くないような気がしていた。


勝ちや成功を自信にするのと同じくらい、負けや失敗を反省やバネにすることも大事で、その敗者の痛みが敗者に対する思いやりや優しさにつながることを希唯には学んで欲しかった。


当たり前だが、希唯は俺に全く勝てなかった。

だけども、勝たせてくれる他の大人よりも俺を対戦相手に選んだ。

そして両親である弟夫婦を別にして一番俺になついた。


しかし、それに反比例して俺と圭子の仲は冷めていった。


自分が可愛がる希唯が俺になつくのがうらめしいのか、まさか、希唯に妬いているのか、とにかく明らかに俺に対する態度は素っ気なくなった。


もちろん、俺の実家ではそんな態度はおくびにも出さず、むしろ希唯をはじめ、俺の両親や弟夫婦の誕生日にはいつもプレゼントを用意し、うろ覚えの俺をフォローしてくれた。

さすが客商売をしているだけあって、気づかいは一流だ。


結婚当初の圭子は、スナックの仕事が終わって、片付けや次の日の仕込みをしたあと家に帰ってきて朝御飯を作ってくれた。


生活のリズムが真逆の二人だから平日はその朝御飯しか話す時間がなかったのだが、希唯が生まれた頃から段々回数が減っていき、もうここ数年圭子が作った朝御飯を食べていない。


俺は圭子の朝御飯が好きだった。

圭子は料理が上手だった。

高校時代、スナック圭子で初めて作ってくれた焼きそば以来、圭子が作った料理は全て美味しかった。


料理は愛情というが、もう、その愛情はなくなってしまったのだろうか・・。


始めは「三十路越えるとお酒が抜けなくなって」などと言い訳して、今もスナック圭子の2階にある自分の部屋に泊まって帰って来なかったが、最近は言い訳もしない。


そして昨日、偶然休みの日に駅で圭子の母親に会い、変なことを聞いた。


「圭子が風邪引いちゃって迷惑かけてない?」


圭子が風邪引いてるなんて初耳だ。

圭子の母親の話では、圭子は風邪を引いて3日ほど店を休んでるとのことだった。その間、圭子の母親がバイトの子と店を切り盛りしてたらしく、「こんなお婆さんをこきつかって」などと笑いながら愚痴をこぼしていたが、「お婆さん」は謙遜で、圭子の母親は変わらず上品で綺麗だ。


俺は、その場は心配させまいと話を合わせたが、本当は圭子は3日とも家にいなく、いつも通り「仕事に行ってきます」と夕方に短いメールが俺に送られてきていた。


彼女は今どこで何しているんだろう?


俺は家庭だけでなく、あることをきっかけに仕事にも失望していて、真美を失って以来、人生2度目のどん底にいた・・。



あれから10年も この先10年も

行き詰まり うずくまリ かけずりまわり

この街に この朝に この掌(てのひら)に

大切なものは 何か 今も見つからないよ




挿入歌

渡辺美里 「10years」




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