7話 愛し君の癒す力

 ふ、と手に持ちっぱなしのモップの柄に気がついた。あらいけない、グランデリアの物を破壊してしまったわ。

 困った……私は破壊する力は存分に持ち合わせているのだけれど、修復に限らず魔術は全くもって使えないの。お父様もお兄様も、魔術には長けていらっしゃるけれど正直修復は苦手でしたものね。私を含めてエンドリュースの一族は、こういう点では困ったものだわ。

 そんなことを考えていると、アルセイム様が苦笑を浮かべながらこちらに手を差し出してきてくださった。


「相変わらずだね、レイクーリア」

「申し訳ありません、アルセイム様。つい折ってしまいました」

「かまわないよ。貸して」


 謝ってもどうしようもないことなのだけれど、私が悪いのだから謝罪の言葉は当然だ。それでも、アルセイム様のお言葉に従ってモップの柄をお渡しする。

 もう片方の手には、パトラ嬢が持っていた方のモップがある。それぞれの折れた部分を合わせて、アルセイム様は目を閉じて言葉を紡がれた。


「砕けし姿、元の有り様に紡ぎ直れ。戻れ戻れ、元の姿に」


 え、と思う間もなく、アルセイム様の手が淡く輝き始めた。その光がモップ全体にふんわりと行き渡り、そうして見る間に折れたモップがお互いに手を伸ばすように繋がれた。


「これで、大丈夫かな」

「アルセイム様……」

「うん、大丈夫みたいだ」


 アルセイム様のおっしゃる通り、たった今までばっきりと折れていたモップは元の、掃除道具として使える姿に戻っていた。これはまさしく、修復魔術だ。

 トレイスが平然としているから、これは私がアルセイム様と会えなかった2年の間に習得されたものなのだろう。

 元の通りに戻ったモップを、アルセイム様はパトラ嬢の前に差し出した。


「パトラ。自分で出してきたんだろう、元のところに戻しておいで」

「……はあい、ごめんなさい」


 素直に受け取り、頭を下げるパトラ嬢。彼女はぎゅっと両手でモップを握りしめて、それからこちらを見て、やはり頭を下げて来られた。


「レイクーリアお姉様、本当にごめんなさい」

「いいのよ、パトラ様。二度となさらないのであれば」


 エンドリュースの力を試そうと、変な手出しをしてくる貴族の方々にはもう慣れている。だから、一度だけなら私は許すことにしている。二度目があったら、ええ、こちらも本気を出すだけですし。

 と、パトラ嬢が私の顔を見上げてきた。そうして、おずおずと言葉を続ける。


「あの、パトラって呼んでください。アルセイムお兄様にもそう呼ばれておりますので」


 パトラ。様は要らない、ということかしら。

 でも、そう呼んでいいのなら私も気は楽ね。アルセイム様と、同じ人を同じ呼び方で呼ぶんですもの。


「わかりましたわ、パトラ」

「ありがとうございます。それじゃ、失礼しますっ」


 だから私は、笑顔で頷いた。パトラもホッとしたように笑って、それから慌てたように部屋を出て行く。モップを、元のところに返さなくてはいけないものね。使用人頭あたりに、めっと怒られないといいけれど。

 パトラを視線だけで見送って、アルセイム様が軽く肩をすくめられた。


「いきなりあんなことされた後で何なんだけど、普段は良い子なんだよね……」

「ご心配には及びませんわ、アルセイム様。エンドリュースの娘と知ると、よく勝負を申し込まれたりしたものです」

「勝負って、力で?」

「はい。ことごとく返り討ちにしましたが」

「……大変だったね」


 アルセイム様にため息混じりの言葉を紡がせるまでもなく、まったく大変だった。

 エンドリュースの女は、強い。ただ、私が久方ぶりにエンドリュースに生まれた娘だったために、その強さというものが半ば伝説と化していたらしい。

 あくまでも我が家の爵位が男爵であり、伝説に謳われた強さと見合っていないというのもあったようだ。さらに、私が早くにアルセイム様とのご婚約を成立させていたこともある。グランデリア公爵令息の奥方、という地位に目がくらんだ方々は、それこそ両手の指で足りないくらいだった。

 そのためか、私が貴族のお客様をお迎えしたときとか逆に招かれてお訪ねしたときなど、事故やうっかりなどと銘打って私の力を試してくるものは数多かったのよね。重い像や壺などが倒れてきたり、使用人がナイフを落とす、と見せかけて飛ばしてきたり。

 どこぞの伯爵家なぞは、お屋敷を辞退して間もなく食い詰めた方々に馬車を襲撃させてきたわね。ええもちろん、全て叩きのめして差し上げましたけれど。

 けれど、そういった話をアルセイム様にお教えする気は毛頭ない。大変にお聞き苦しい話であるのは確実だからで、アルセイム様のお耳をそのような話で汚すなんてとても私にはできないもの。

 それよりも、私には気になることがあるから、そちらの方に話を逸らすことにする。


「アルセイム様。魔術、お使いになられるんですね」

「本当は、母上のお身体を癒やしたくて学んだんだけどね」


 ジェシカ様のお身体……ということはやはり、この2年でアルセイム様は魔術を学ばれたのだ。お母上のお身体のために、何てお優しい。

 それなのに、アルセイム様のお顔は表情がすぐれない。目的は、達せられなかったのだろう。そうでなければジェシカ様はきっと、玄関先まで私をお出迎えくださっていたに違いないから。


「生命のない物を元の姿に戻すことはできる。生きている者の傷を癒やすこともできる。けれど、母上には効果がなかった。傷ではなく、何か心の病なのかもしれない」

「心の病……ですか」


 先代公爵閣下を、大切な夫を失ったのだ。心に病を得られても、それは致し方のないことだろう。

 ……せめて、私がお慰めできればいいのに。

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