軍艦三隻、龍二頭

@taku1531

最初の困難、あるいは外洋での最初の晩

 海はひどく荒れていたが、月は明るかった。もっとも島どころか岩一つない外洋で、まばゆい月光が照らすものといえば通り掛かるだけの我々の船のみだけだったが。

 取舵いっぱい、艦体が傾くのを待ち構えていたかのように荒れた水面が襲いかかる。 巡洋艦<インターポール>が大きく体を揺らす。

 激しく揺れる船内だが、この護衛船団の中ではまだマシなほうというのは救いと言えるだろうか。

 より酷い揺れが見込まれるのは同じく護衛船として随伴している2隻の駆逐艦、 <ニューオーダー><ブラウンアウト> 。巡洋艦よりも喫水の浅い駆逐艦はより激しい揺れに襲われているに違いない。

 我々が護衛している8隻の貨物船には新米の乗組員も多い。海に投げ出されるようなことなどなければいいが、と<インターポール>の艦長であり、この船団の指揮を執っているバンクスは少し思案した。

 だが、その件についてはバンクスの手中の出来事ではない。ゆえに考えても無駄なこと――そして、考えることは他にも山ほどあるのだった。いま、彼の脳のリソースはそれ以上の差し迫った危機に割かれている。

 我々が護衛する貨物船を狙って近づきつつある、「大陸」によって放たれたクラーケンだ。


「飛行甲板より連絡!」

 伝声管を通じて艦橋に連絡が入った。

 偵察に出ていた空龍が帰還したのであろう。バンクスは報告を促した。

「4マイル南に位置していたクラーケンですが、進路を変更しこちらに向かっています」

「速度は」

「8ノットほどです」

 振り切れるか微妙なところだ。

 クラーケンに襲われれば、戦闘艦はともかく魔石を満載した貨物船など容易に木っ端微塵にされかねない。「大陸」め、我らの海の上の栄光を崩せぬからといって、あんな化け物を海に放つなど――と怒りを燃やしても仕方ない。

 バンクスは操舵室に伝令を回した。

「進路はこのままで行く。 <ニューオーダー>と<ブラウンアウト>には船団の後方に回り込み落伍する船がないか見てもらってくれ」

「了解しました、復唱します」


 船団全体の速度は10ノット程度。とはいえ、この荒れた海で普段の速度を維持できるとは思えない。

 あの忌々しい化け物は荒れ狂う水面など物ともせずに近づいてくるというのに。

 奴にとってみれば魔石を大量に積み、動力源としている船団など、集魚灯を爛々と輝かせた漁船と大して変わりがないように見えているに違いない。なんとか距離を稼ぎ、6マイル程度離れられれば見失うかもしれないのだが……

 そう考えている間にも刻一刻と事態は進み、新たな問題が発生する。

 最後方の貨物船の明かりがはっきりと遠ざかっていくことに気付いたバンクスは思わず舌打ちした。


「<ニューオーダー>に伝えてくれ、おそらく最後方の貨船にトラブルが発生した……随伴するように、と」

「了解しました……あのイアン艦長ならば間違いなく悪態をついてくる命令ですよ」

「通信兵には悪いが仕方あるまい。うちの空龍一頭で擁護させる。あの貨物船がどれだけ遅れるかわからないが……クラーケンとの距離が1マイルを切るまで随伴してもらう」

「伝えます」


 「1マイルを切るまで」――つまり、1マイル以下になれば貨物艦を見捨て、離脱せよというもの。

 たとえ命令であっても目の前で護衛対象を見捨てるのは気が進むわけがない。イアン艦長であれば、通信を受け取った瞬間にその類の命令だと気づき、ひとしきり口汚く何かしらを――妻やら、その日の天候やら……一番多いのは海だ――罵る類の命令だ。

 だがクラーケンは、 駆逐艦一隻でどうにかなる相手でもない。

 同じように隊伍を組んだ軍船の群れであれば対処のしようもあっただろうに、海軍で我が国に大きく劣る「大陸」は、軍船を揃えて対抗するのではなくあの悪辣な魔獣を選んだのであった。

 知能の高い生物ではないから、器用に港から港を行き来したり、あるいは他の船の後ろにぴったりとくっついて航行するなど望めない。

 だが、一定期間の訓練――徴兵された新米が、紛いなりにも海兵を名乗れるようになるまでの期間と比べて、遥かに短い――を施せば、放たれた海域で魔石を積んだ船に突き進み、無差別に沈める程度のことは可能になる。

 やつらはそれをした。


「イアン艦長より通信です。『素晴らしい夜に素晴らしい任務を賜ったことを感謝する、貨物船<マーキュリー>は機関部不調により現在2ノットまで減速、速度が回復次第、船団に復帰する』とのことです」

「機関部の不調か、すぐの回復は期待しないほうがいいだろうな」

「ですかね…… 空龍はどちらを回しましょう。あるいは、二頭とも?」

「さて、どうするか……甲板長を呼んでくれ、話し合う」


 小気味よい返事をして、伝令が駆け出していった。

 さて、<ランプアイ>と<ナイトロ>、どちらのの空龍を回すか。あるいは二頭とも?……実際のところ、バンクスの中で答えは出ていた。

 まず、状況が不透明な現状、全ての空龍は回せない。となるとどちらにするかだが、先程まで偵察に出ていた<ナイトロ>をすぐさま飛ばす必要はないだろう。出すとすれば、船上で待機していた<ランプアイ>だ。

 担当している部署を通しておきたいのもある。しかし、やはり相手が甲板長だから、というのがこうした回りくどい伝え方をする大きな理由だ。

 無論、指揮系統の上位にいるのは艦長のバンクスである。だが、通常のクルーと空龍に携わるクルーにはほんの少しだけ壁があり、そのリーダーである甲板長とは力関係のバランスについてある程度気を遣ったほうがよい、とバンクスはみていた。

 艦長と甲板長の間に限らないが、艦内での不和は全体の効率を低下させる。バンクスはこれまでの経歴でそういった例を何度も見てきていた。幸いにして破滅に至ったものはなかったが……

 荒々しい音が艦橋に近づいてくる。甲板長ドルディのものだろう。


「この甲板長をお呼びと聞きました、艦長」

「いかにも。機関部が不調で遅れている貨物艦に<ニューオーダー>をつけている。空龍を出して擁護してほしい」

「了解。<ランプアイ>一頭で構いませんかい?」

「構わない。期間に関しては長引けば交代も必要になるだろう、仔細に関しては甲板長に任せる。貨物船の速度が回復し、船団復帰が見込めた時点、あるいは、船団への復帰はもはや望めないと<ニューオーダー>が判断した時点で任務を解く」

「復帰はもはや望めない時点で……へぇ、承知しました」

「よろしく頼む」


 来た時と同様の騒がしさで、バタバタと甲板長ドルディは艦橋を去っていった。

 粗野、無骨、がっしりとした体格。まさに海の男といった風貌のドルディだが、意外にもキャリアは空龍課からだ。

 無論、そこから飛行甲板に異動し、のし上がっていく過程でそんじょそこらの水兵じゃ及びもつかないほどに船と親しんでいったが、彼がハービー出身のカレッジ出であることを何も知らずに見抜ける人間はそういないだろう。

 多少、礼に欠ける部分はあるものの、頼もしい男であることに疑いはない。


 さて、おおよそ手はずが整い一段落……とは言わない。現状の船団は駆逐艦が一隻、空龍が一頭欠けた状態なのだ。

 落伍する船もあれば、揺れで海に投げ出される船員もいる。敵の奇襲もあるかもしれない。手駒が欠けた状態で、周囲の警戒を続けるのは、落伍した船の随伴と同じかそれ以上に困難な仕事だ。

 幸いにして<ブラウンアウト>は状況をしっかり把握してくれているようで、<ニューオーダー>が抜けた穴を補う形の配置に何も言わずとも着いてくれた。おかげで、こちらはそれを追認する形で通信を送るだけで済んだ。

 問題は1隻欠けて7隻となった貨物船たち。大きな遅れをとる船はないものの、波に舵を取られやすい小型のものはしばしばコースを離れており、そのたびに修正を迫られた。

 とはいえ、幸運にも大きな問題は発生せず――<ナイトロ>がコースを外れすぎた貨物船の水先案内を買って出る一幕はあったが――、夜明けは近づきつつあった。

 バンクスは突然、甲板が騒がしくなったのに気が付いた。艦橋から外を眺めると、遅れた貨物船の擁護に向かっていた<ランプアイ>が飛行甲板に着陸したのが見えた。交代の時間だろうか。かなり長時間、任務にあたっていたとは思うが……


 鳴り響いた伝声管による思わぬ報せは、そのような考えを吹き飛ばした。


「飛行甲板より連絡です、<ランプアイ>より……駆逐艦<ニューオーダー>及び貨物船<マーキュリー>が沈んだと……」


 外洋に出て最初の一晩。幸先がいいとはとても言えなかった。

 日が昇りはじめたころに、ようやく嵐は一呼吸を入れた。

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